2009年07月31日

海外の評価 - 宮本茂 - その4

宮本茂特集の第4回は、Timeの記事とBusiness Weekのインタビューです。

まずは、Timeの記事から。日本でも、宮本茂を「ゲームのスピルバーグ」と例えて紹介するニュース記事やバイオグラフィーなどを目にすることがあるかと思いますが、その呼び名を決定づけたのがこれです。今から13年前、1996年5月の記事です。


ゲーム界のスピルバーグ

『スーパーマリオ64』の陰の男は、ボサボサ頭の、バンジョーが趣味の日本人アーティストである。仕事へ行くのに自転車に乗り、ミッキーマウスのネクタイを締め、ドブロ・ギター(訳注:ギブソンリゾネーター・ギターのブランド。リゾネーター・ギターは、音量を増大させるために、円形の薄いアルミニウム製の共鳴板をブリッジの下に取り付けたギター)でブルーグラスの曲をかき鳴らして心を落ち着かせる。



↓ドブロ・ギター。初めて知りました。きれいな楽器ですねえ。

dobro.jpg


通常なら、こんな振る舞いでは、白シャツの「サラリーマン」の国で成功など及びもつかなかったところだろう。だが、宮本茂(43歳)は、子供たちをとりこにするゲームをかたくなに創りつづけることで、一流のゲーム・デザイナーの世界でトップに立ち、結果としてロックスター並みに崇拝される存在となった。……これは、日本だけの話ではない。
元ビートルズのポール・マッカートニーや、映画監督のスティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカスらはこぞって、京都にある任天堂の名高い情報開発本部に詣でて、ゲーム界のスピルバーグとして知られる男に会いに行ったのだ。

宮本は1977年、任天堂初の社内アーティストとして1977年に雇われ、4年後、彼のお気に入りのストーリー、『キングコング』と『美女と野獣』からテーマを結合させて、あのヒット作ゲーム、『ドンキー・コング』を制作した。1985年には、キャップをかぶり、垂れ下がった口髭をたくわえた小さな作業員のスケッチから、世界で最も売れたゲームのキャラクター、配管工のマリオを作り出した(マリオシリーズの世界累計売上は、58億5000ドル(訳注:100円換算で約5850億円!))。

カートリッジ・プレイヤーの限界内で、成功するゲームを創ることは、言ってみれば、狭い東京のラブホテルに、出演するすべての俳優、すべてのセット環境をぎゅうぎゅうに押し込めるようなものだ。しかし、宮本は、Nintendo 64のパワフルな新しいグラフィック性能がこのすべてを変えるだろうと言う。「これまで、私たちは、できるだけリアルに見えるゲームを創ろうと四苦八苦してきました。でも、今、こうした問題は解決されたのです。この新しいエンジンはゲーム・クリエイターにとって真のチャレンジになるでしょう」。

父親でもある宮本は、二人の子供たちが、彼の創ったゲームがあまり上手くないとも告白する。しかし、おそらく、これは宮本が子供たちに1日2時間以上ゲームで遊ばせないせいだろう。彼はこう付け加える。「そういうのは、宿題が終わってからです」。

賢い父親とは、人がともすれば時間をすべてゲームに使ってしまうようになるとわかっているものなのだ。●



記事的には特別、目新しい情報はないとは思うのですが、宮本茂=ゲームのスピルバーグという位置づけは、他ならぬTimeがそう呼んだからこそ、広まったのは間違いのないところでしょうから、記念すべき記事ということで。

(蛇足ですが。「グラフィック性能」「チャレンジ」「リアルに見えるゲーム」のあたり。PS3かと思いました……。64、ゲームキューブの時代の任天堂は、Wiiとは真逆の指向だったんだなあと思うと、感慨深いものがあります。)


次は、1929年創刊、米国ビジネス雑誌の雄、Business Weekによる2005年11月の宮本茂のインタビューです。


マリオのパパに会おう。
伝説的なゲームデザイナー、宮本茂が、任天堂の新しいゲーム機で家族の団らんをどう目指すのかを語る。


任天堂のゲームの背後にある頭脳、宮本茂。彼は、どんなゲームを作れば、子供たちを夢中にさせられるか、そのコツを人々に示してきた。1985年、彼の『スーパーマリオブラザーズ』―世界で最も売れたゲーム―は、水平方向だけでなく、垂直方向にも画面を動かせるように展開された、初の画面スクロールゲームだった。翌年、彼は、世界が『ゼルダの伝説』と呼ぶ迷宮ファンタジーを世に出し、腕のあるゲーマーたちはこれをクリアするために、何時間も、ときに何週間もかけた。そして、1990年代には、Nintendo64のローンチタイトルとして、3Dグラフィックスの『スーパーマリオ64』が出た。これは、より複雑な操作に対応できるよう、標準ジョイスティックの調整を彼に強いたものでもあった。


スーパーマリオ64DS ファミコンミニ ゼルダの伝説1 ピクミン nintendogs ダックス&フレンズ


宮本茂、52歳は最近、Business Weekmの東京特派員、Kenji Hallに、ゲームがどう変わり、将来どうなっていくのかを語った。このインタビューの抜粋が以下である。


1980年代以降のゲームの最大の革新は何だとお考えですか?

最大のものは、Nintendo64の3Dグラフィックとプレイステーションでしたね。その前は、アーケードがゲーム技術の最先端でした。上下関係で言えば、家庭用ゲーム機は最下位でしたから。これを変えたのは3Dですし、これで家庭用ゲーム機がフロントランナーとなったわけです。

ですが、これだってすべてをひっくり返すような技術がすぐにでも現れるかもわかりません。規模の経済(訳注:生産量の増大に伴い、原材料や労働力に必要なコストが減少する結果、収益率が向上すること)のおかげで、ゲームのハードウェア・メーカーは新しいコンソールの開発に多くの資金を投入できるようになりましたからね。実際、僕らは突然、想像より10倍も早くて、ディスク容量も莫大なコンソールで仕事をしていたわけですし。


ヒットするゲームを作る秘密は?

新作だろうと続編だろうと、僕たちは、誰でもすぐにプレイできるものを創りたいんです。ルービック・キューブが素晴らしかったのは、ここだと思うんです。1980年代の初め、僕は日本の玩具コンベンションでこれを初めて見ました。ルービック・キューブは、見た瞬間に、ねじ動かせることに驚きますでしょ? 美しいデザインです。一度も触ったことがなくたって、手に取って試したくなる。そうして、一度やりはじめると、解けるまでは手放しがたい。


スーパー・コンピュータの力によって、ゲームのグラフィックは、キャラクターがほとんど命があるかのように作られるところまで到達しています。でも、あなたのゲームのキャラクターはほとんどマンガです。なぜですか?

昨今、ソフトウェア・メーカーはゲームを非常に現実的なものにしたがっています。しかし、トップに立つ一流のゲームは、感情を呼び起こすものでなくてはなりません。『ピクミン』を創ったとき、僕はみなさんに哀しさと幸せの両方を感じてほしかった。日本語に愛しいという言葉があるのですが、これは誰かに愛情を感じたときに使われます。通常は、ゲームで遊んでいるときに、こうした気持ちを感じることはないものでしょう。でも、僕はここに真剣に努力したのです。

ゲームは今、リクリエーションというだけでなく、次のステージに向かおうとしています。よく、(訳注:感情を喚起するようなゲームなんて)つまんなすぎる、誰も、そんなふうなゲームなんかやりたがらないだろうって言われるのですが、僕はそう思いません。


そういったゲームのターゲットとして、特定の年齢層は考えていますか?

僕たちのゲームは、5歳から95歳までのあらゆる人を対象にしたいと思っています。

「任天堂は子供向け、ソニーは大人向け」なんて言う人たちには、賛成できません。僕たちが創ったゲームで遊んでいる60代の人々はたくさんいます。20代の女性だって、これまではゲーム・メイカーの主流ターゲット層ではなかったけれど、今は多くの若い女性が僕たちのゲームが楽しいと気づいてくれている。特に『Nintendogs』です。


あなたにとって、ゲームで最も重要な要素は何ですか?

最も基本的な要素は、楽しさです。ゲームはインタラクティブなものです。ゲームがあなたに挑戦し、あなたがその挑戦を乗り越えれば、ゲームはそれに報いてくれる。僕の考えでは、ゲームは、人がゲーム機に触った瞬間から始まっているんです。……すべてはそこからなんです。
僕が最初にゲームを創りはじめたとき、大きく言えば、みんなを驚かせるようなものを創りたいと思っていました。実際は、TVゲームを創ることになるだろうとは思っていなくて、ルービック博士のルービック・キューブのような玩具を創ろうと思ってましたから。


ゲームのアイディアはどこで?

思い出すのは難しいですねえ。子供時代の経験が頼りになることもあります。たとえば、自分がなにを怖いと思ったかとか。偶然出てくるアイディアもありますし、ずっとノートに書き留めていたものから出てくることもあります。見たものや聞いたものは、付箋に書き留めてスケジュール帳に貼っておく習慣なんです。ゲームもあるし、テレビで見た可笑しいものもあるし、誰かから聞いた話もあります。


『スーパーマリオブラザーズ』のときはどうだったか覚えておられますか?

単純なアイディアです。こう思ったんですよ。「ぴょんぴょん跳ね回るキャラクターがいたらどんな感じだろう」って。「背景は、きれいな青い空がいい」。そのアイディアをプログラマーにもっていって、それから創り始めたんです。

マリオはなんだかんだで大きくなりすぎてしまって、僕らは彼を小さくしたんですが、そしたら今度はこう思いました。「マリオが大きくなったり、縮んだりしたらどうかな。どんなふうになるんだろう。これは、魔法のキノコにしなくちゃ! キノコはどこで育つ? 森だ」。マリオにガールフレンドを作ることを思いついたときには、『不思議の国のアリス』の話をし始めてたんですよ。(訳注:言わずもながではありますが、念のため。アリスは物語中で大きくなったり小さくなったりします。)


任天堂の次世代ゲーム機は、他社のとはどう違いますか?

ほとんどの人は、ゲームと言ったら、手にジョイスティックをもって、TVをじっと見つめている子供と考えていると思います。僕は違うんです。ゲームは家族みんなのものじゃないといけない。僕は、家族みんなでゲームを遊んでほしい。これが次世代ゲーム機のコンセプトです。
それと、次世代ゲーム機のコントローラは通常のテレビのリモコンのように見えるように作り直しました。なので、見た人はみんな、すぐにどうやって使うのかわかるでしょうし、これがどこかで埃をかぶったままにはならないだろうと思っています。


好きなゲームはありますか?

ゲームをプレイする時間はたぶん20分ぐらいです。他社の新しいマシンをテストするときぐらい。自分の自由時間にゲームはしないんです。週末は、家とか庭の周りを修理したり、ギターを弾いたり。そうじゃなかったら、エクササイズでしょうね。水泳に行くとか、犬を散歩に連れてくとか、ハイキングに行くとか。


将来、ゲームはどうなっているとお考えですか?

テレビで遊べるゲームを作るというのは、便利です。でも、僕がいつも願っていたのは、典型的な四角いブラウン管じゃない、カスタムサイズがあったらなあってことです。ずっと思っているのですが、いずれゲームはテレビ画面の境界から自由になって、部屋全体いっぱいになるようなものになると思いますよ。でも、これについては、これ以上は言わないほうがいいでしょう。


ゲームのスピルバーグと呼ばれてきましたよね。最近、ゲームのソフトを使って映画を作っているゲーマーたちがいますが、ゲームと映画は1つにまとまるものでしょうか?

よくある比較ですが、僕は適切じゃないかなと考えています。だって、映画は、ゲームみたいにインタラクティブなものではないですから。とはいえ、僕はすでに多くのものを映画から学んでいますよ。たとえば、映画が雰囲気を作るために音楽をどう使っているか、カメラアングルはいくつか、監督は怖い場面をどう作ってるか、そういうことに注意を払っていますから。



1996年時点では、いかにリアルに見えるかに執心していた宮本茂が、9年後にはゲームはそういうものではないと答えているのが面白いなあ、と。
こういう言葉の変遷を悪しく言うかたもいらっしゃるのかもしれませんが、最先端にいる人というのは、方法論は常に刷新されていくものなのだろうと思いました。このかたのゲーム作りの核は、このインタビューでも語られているように一貫して「楽しさ」であり、そのための方法論をさまざまに試行錯誤しておられるのだなあと思った次第です。


それから。「テレビ画面の境界から自由になって、部屋全体いっぱいになるようなもの」……近い将来、任天堂から発売になったりするんでしょうか。長生きしたいです。


明日は、米誌Peopleの記事です。



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<雑記>
↓今日のアマゾンのゲーム売上ランキング1〜4位。モンハンがドラクエを蹴落としましたねー。そのうえ、トップ1、3、4位すべてモンハン。明日発売ですから当然ですな。これも海外ですぐにニュースになるんでしょう。

   
posted by gyanko at 21:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月30日

海外の評価 - 宮本茂 - その3

宮本茂特集第3回は、本当なら第2回でお送りする予定だった宮本茂の誕生日のお祝い記事です。

特集記事として取り上げるには少しカジュアルすぎると思われるかもしれませんが、この記事はなかなか面白く、かつ珍しい記事です。なぜかと言いますと、宮本茂の誕生日に寄せて、ゲームライターのかたが、かつて自分が高校時代に書いた宮本茂についての作文を記事にしたものだからです。

読んでいただければわかりますが、宮本茂の略歴を限られた中で丁寧に語り、かつまた、演説の授業用の作文ということで、宮本茂を知らない人にもわかるように平易に書かれているのが、私には心動かされるものがありました。


宮本茂、誕生日おめでとう!

今日はPS3の誕生日(訳注:米国では、PS3は、11月17日に発売されました)だが、実は同時に、このゲーム業界でずっと輝き続けていくだろう最重要人物の1人の誕生日でもあることをGoNintendoの記事が教えてくれた。宮本茂は今日、55歳になり(この記事を投稿した時点では太平洋岸はまだ16日だが)、当サイトは幸せな気持ちで、このシギー(訳注:Shiggy。宮本茂の海外での愛称)の誕生日をお祝いしたいと思う。

さて、私は今日、宮本茂の誕生日を祝うニュースを見て(日本時間では昨日)、2003年、私が高校3年の演説の授業で宮本茂について書いた原稿を思い出してしまった。探し出してきたので、バツが悪いが、みんなにお見せしようと思う。ただし、読む前に、この文が、聴衆がゲームを知らないことを前提に書かねばならなかったこと、それから、宮本茂を紹介するという形式に乗っ取って書かれているということを了解してほしい。では、ご覧あれ。

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皆さんの中で、PS2Xbox 360ゲームキューブでゲームを楽しんでいる人はどれぐらいいますか? 特に、周囲のあらゆる場所を探検できるようなゲーム。探検の中で、新しい場所への扉の鍵となる秘密を見つけたり、その秘密によってパワフルなアイテムを手にし、プリンセスを救ったり、世界を任されたりするようなゲームをやってる人は?

そう、こうしたゲームのすべてを実現した1人の男がいます。----宮本茂。彼がいなければ、ゲームは今あるような形に近いものですらなかったでしょう。彼がいなかったら、私たちはおそらくたった今も、Pong 2004(訳注:最初のTVゲームと言われる卓球ゲーム)の2004年版を、……せいぜい3Dでやってる程度だったのではないでしょうか。

幼少期から、宮本は、世界を驚かせるようなものを創りたいと思っていました。世界と分かち合えるものなら、それが何であってもかまわない、と。

ゲーム界のスピルバーグを紹介するに当たって、私は、Mr.宮本がどうして、どんな事情でゲームデザインの仕事についたのかを話したいと思います。最初は、彼の子供時代、それから、それがどうして任天堂の成功の鍵になったのか。次に、彼が任天堂でどうのように仕事を始めたのか、任天堂の成功にどうやって手を貸したのか。3番目に、任天堂と宮本がそれぞれのあり方にどんな影響を与え合ったのか。

宮本茂は、1952年11月17日に、日本の園部町で生まれ、両親の元で育ちました。彼の素朴な子供時代はのちに、ゲーム業界で最も影響力のあるゲームの何本かを創造する鍵となります。TVがなかったために、宮本は、家をまるで迷路のように見立てて探検したり、家の周りの野原を冒険することが大好きだったのです。田んぼ、渓谷、草深い丘、水路、洞穴、行ける場所すべてを探検していました。こうした冒険が、『ゼルダの伝説』のような将来の宮本の作品に影響を及ぼしていくことになります。

彼にはまた、創造力を発揮できる別の手段もありました。友人たちと野球をすること。英雄の舞踏劇にも参加したし、さまざまな人形劇を作る名人でもありました。絵を描くこと、読書をすること、マンガも上手でしたし、学校ではマンガクラブも作りました。

1970年に金沢美術工芸大学に入学すると、宮本は工業デザインを専攻しました。卒業までにかかった年数は5年。なぜなら、ギターや、ゲーム、人形劇、玩具作りに夢中になってしまい、半分しか出席していなかったのです。

ようやく大学を卒業しても、彼はすぐには就職しようとしませんでした。-------彼の興味を引くものがたくさんあったせいです。1977年のある日、宮本は、父親に言われて、玩具会社を経営する、父親の古い友人に引き合わされました。その玩具会社が、そう、まさに任天堂だったのです。ボサボサ頭を直しもせず、宮本は山内溥と会うことになります(今現在も山内は任天堂の経営者です(訳注:2003年当時))。

山内は、宮本に玩具のアイディアをいくつか作ってくるよう言い、宮本はそれに応えて、バッグにいっぱいのアイディアと玩具を持っていきました。その場ですぐに採用が決まり、宮本は任天堂初の社内アーティストとなりました。------あるいは、その時点では社内アーティストなど必要なかったかもしれないにもかかわらず、です。

1980年、山内は宮本を社長室まで呼び、TVゲームを作ってもらいたいこと、それから、宮本をその仕事についてもらいたいと伝えました。宮本の最初の仕事は『レーダースコープ』と呼ばれるシューティング・ゲームでしたが、彼はそれを反故にしてしまいます。なぜその企画を解体してしまったかのか尋ねられたとき、宮本はこう答えています。「良くないと感じたゲームは絶対に出しません。リリースされなかったゲームはたくさんあります。なぜなら、僕には良いと思えなかったから」。

ポパイ』や『美女と野獣』といった、いくつかのライセンス取得が失敗に終わった後、宮本は『ドンキー・コング』を世に送り出します。これは爆発的ヒットとなり、現在のあの有名なマリオ(『ドンキー・コング』に初めてマリオが出たときは名前すらありませんでした)が誕生するのです。その後、宮本は『マリオ・ブラザーズ1』と『ゼルダの伝説』を作りますが、このどちらも、迷路のように家を探検したり洞穴を探索したりした、子供時代の経験から生まれたものです。

宮本と任天堂がお互いにどんな影響を与え合ったのかは、デビッド・シェフの『ゲーム・オーバー―任天堂帝国を築いた男たち』から、この言葉を引用するのが最も端的でしょう。「任天堂にとっての宮本の価値を計ることなど不可能だし、宮本がいなかったら任天堂が成功したのかどうかを問うことすら無理な話だ」。彼は任天堂に就職して以来、70以上のゲームに関わり、マリオ・シリーズだけでも全世界で1億5000万ドルを売り上げています。

宮本は、任天堂の歴史上の大多数のゲームに関わってきました。任天堂の新しいゲーム機がリリースされるたびに、ゲーム機とともに売り出されるローンチ・タイトルはほぼ、彼と彼のチーム、情報開発本部が制作しているものです。Nintendo64のゲームはほぼ半分が彼のチームの制作、また任天堂の新しいゲーム機も、彼のチームから送り出されます。

任天堂のほうも、宮本が幸福で豊かな人生を送れるよう支援しています。宮本の妻、やすこは宮本と出会ったとき、任天堂の総務部で働いていました。彼らは結婚し、2人の子供をもうけています。宮本は現在、任天堂の部長(訳注:現在は代表取締役専務)であり、京都の任天堂の本社から自転車でたった10分の場所に住んでいます。

スティーブン・スピルバーグ、ポール・マッカートニー、ジョージ・ルーカス。世界中から著名人が宮本茂に会いにきます。数えきれないほどの賞を受賞し、Interactive Academy of Arts and Scienceの殿堂入りを果たした最初の人物でもあります。これは、デジタル産業において斬新で非凡なものを開発した人々に与えられる賞です。

最後に。宮本茂は、限界は想像力がある限りないという人物です。子供時代は、豊かな環境に恵まれ、その中で周囲のすべてを探検して過ごすことを愛していました。青年時代は、任天堂で玩具デザイナーになるチャンスを与えられ、結局はそれよりももっともっと大きな存在になりました。現在、任天堂はお金が流れ込んでくるのを眺めているところで、一方で宮本は妻や子供と平和に暮らしています。

宮本茂はかつてこう言いました。「僕は流行についていくのではなく、創りたいのです」。私としては、彼は確かにそれを立証したと思います。レディース&ジェントルメン、ここに宮本茂を紹介できる喜びを、私は本当に名誉に思います。●



この筆者がどれほど宮本茂に思い入れて、資料を調べ、文章を練ったのかがよく伝わってくる記事だと思います。書いた当時、高校生とは言いながら、文章というのは、書き手の熱意だなあとしみじみと思わされます。

本来なら、序章の第1回の後、宮本茂の概説に使うのに本当にふさわしい面白い記事だったのですが、……眠さに負けた私がいけませんな。


言及のあった受賞歴ですが、日本での受賞歴は数えきれないので、主立った海外での受賞を列挙しますと、

■2003年 - Golden Joystick Awards ■2003 Hall of Fame Industry Personality of the Year Award 受賞(英国)
■2005年 - Game Developers Conference 2005「Walk of Game」「Livetime Achievement」受賞(創設第1回目受賞)(米国)
■2006年 - フランス政府・文化通信省 芸術文化勲章「シュバリエ章」受賞
■2007年 - The 7th GDC「Lifetime Achievement」(IDGA)(米国)
■2009年 - 第3回ELANアワード「ビデオゲーム ホール・オブ・フェイム」(VIDEO GAME HALL of FAME/生涯功労賞)(カナダ)


あとはもう、まさに枚挙にいとまがありませんので、Wikipediaをどうぞ。


それにしてもです。こういう物凄い人というのは、特集などと偉そうなことを言っても、経歴も実績もエピソードも、すべてが中身が濃すぎて、私ごときではカバーしきれません。私の力のなさは決して棚にはあげませんが、……いくら記事を選んで集めてみても、どこか物足りない感じがいたします。


明日も宮本茂です。



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posted by gyanko at 21:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月29日

海外の評価 - 宮本茂 - その2

宮本茂特集第2回です。

ここ数年、米誌Timeで『今年世界で最も影響力のある100人』の一人に宮本茂が選ばれているのは記憶に新しいところですが、今年もやはり100人のファイナリストに選出されています。今日は、そのノミネートの記事を2007〜2009年とまずは続けてお送りいたしたいと思っています。


ちなみに、このTime 100という企画は、100人のファイナリストが米誌Timeによって選出された後、ネット投票によって順位が決まるのですが、2006年の第一位は韓国の歌手、Rainでした。2007年が宮本茂、2008年が4chanの管理人、21歳学生、moot、ことChristopher Poole。

宮本茂はまだしも、Rainやmootを世界の人はどれだけ知っていたのか…。
ネットで盛大な企画があったのだろうと思いますが、おおかたの地域で声が一つだったのは想像に難くございません。つまり、


「誰、それ」


っていう。


冷静に言えば、宮本茂ですら、ネルソン・マンデラオバマウォーレン・バフェットオプラビル・ゲイツローマ教皇ベネディクト16世ダライ・ラマを抑えての1位というのは、多少無理がある印象が否めないぐらいです。


自由への長い道―ネルソン・マンデラ自伝〈上〉 ダライ・ラマ自伝 (文春文庫) 思考スピードの経営 - デジタル経営教本 (日経ビジネス人文庫) 教皇ベネディクト16世バースデイ・コンサート [DVD]


そんな事情ですので、Time 100に限っては、これはもう毎年の順位よりは、選出回数のほうを気にかけたほうが面白いかもわかりません。(参考までに、最多ノミネートは7回で、オプラ・ウィンフリィ。5回がヒラリー・クリントン。)



さて、またしても前置きが長くなったところで、2007〜2009年のTime 100ノミネート、宮本茂の記事です。


2007年 Time 100候補
宮本茂

Johnathan (Fatal1ty) Wendel(訳注:50万ドル以上の賞金を稼ぎ出している28歳の米国のFPSプロゲーマー。)


僕は、自分が4歳のときに任天堂のゲームで遊んでいたのをまざまざと思い出すことができる。控えめに言っても、あれが僕の人生を永久に変えたと言っていい。

18歳のとき、ゲームは僕の人生になり、僕はプロのゲーマーになることを目指した。そうして、過去7年間、僕は5つのゲームをプレイし、12の大きなタイトルを取ってきた。

ハイスペックのPCでチャンピオンになっていながらも、僕はやはり、楽しみとリラックスのために任天堂に手を伸ばすし、最初の任天堂のゲーム機で子供の頃に遊んだときと同じ情熱と喜びをもってプレイしている。

今年は、Wiiの中毒になっていて、テニス、ボウリング、ゴルフといった、これまで僕が人生で楽しんできたスポーツへの挑戦を再現しているところだ。このクリスマスには、ビジネスパートナー全員にWiiを贈りもしたし、祖母といっしょにWiiで遊んですらいる。(祖母のお気に入りは、Wiiボウリングだ。)

僕の祖母のような人々にもゲームに触れさせ、楽しませてくれるということ。これは、Wiiの制作チームのトップである宮本茂が、僕が毎日生きている世界への扉を、これまで訪れたいとすら思っていなかった人々に開いてくれたということだ。宮本は僕たちに、ゲームはすべての人のためのものだということをわからせてくれる。ゲームというものが、人々をいっしょにさせる、社交的で行動的なものだということを理解させてくれる。

僕は、競技ゲームという世界が他のスポーツと同様に、プロスポーツとして正しく捉えられるよう願っているし、プロのフットボールやバスケットボールと同じように、ゲームの世界でタイトルを取ることで人生の残りを送っていきたいとも思っている。宮本sanと、任天堂の彼の独創的なチームのおかげで、これは少し楽な仕事になっている。

彼らは、僕に、自分が愛する世界へ出発させてくれただけではなく、ゲームの世界に恩返しをする気持ちや、世界中の何百万人ものゲーマーに力を与えるという役割をも与えてくれた。もし、彼のゲームの世界での仕事に、ひとかけらでもいい、僕が貢献できるなら、光栄に思う。


編集部注:Fatal 1tyはプロのゲーマーであり、DirecTV(訳注:北中南米地域の衛生放送サービス)やNews Corp.'s Championship Gaming Series(訳注:プロゲームのリーグ)のスポークスマンであり、コメンテーターでもある。●



この記事を書く際に、驚いたのは、Johnathan (Fatal1ty) WendelがWikipediaでプロフェッショナル・エレクトロニック・スポーツ・プレイヤーと呼称されていたことです。世界初のニュース雑誌として1923年に創刊された天下のTimeが、彼に寄稿させていることを見ても、すでに米国では、少なくともFPSゲーム(訳注:主人公視点のアクションゲーム)がスポーツとして、あるいはFPSゲーマーが1つの職業として認知されはじめているのかもしれません。

(ついでに、宮本茂にsanやMr.を付けるのは、海外の記事では割とよく見ます。尊敬の現れなんでしょうね。)


2008年 Time 100候補
宮本茂
年齢:55
職業:ゲームデザイナー
Time 100選出回数:1

評価点:
マリオ』、『ドンキーコング』、『ゼルダの伝説』を創っただけではまだ足りないとばかりに、現代ゲームの父はまだ、任天堂とそのベストセラー・コンソール、Wiiのためにシリーズを創りつづけている。彼の最新作『スーパーマリオギャラクシー』は、古い陳腐な重力を軽やかに跳ね回るものに創造し直し、ゲームの物理学を再び作り替えてしまった。

疑問点:宮本茂は、ゲームで遊んでばかりいる、でっぷり太った子供たちのために重力を引っくり返せるのか? 宮本自身は、『Wiiフィット』の目的は、痩せることではなく、バランス・ボードを使って全身に気を配ることで、自分の体に意識的になることだと語っている。アテローム性動脈硬化になる前に、意識的に外に出るほうが先じゃないのか?●



2009年 Time 100候補
宮本茂
年齢:56
職業:ゲームデザイナー
Time 100選出回数:-

評価点:
『ドンキーコング』、『ゼルダの伝説』のような古典作品の指揮をとってきた任天堂の巨匠は、また一つ、習慣性ゲーム『Wii Fit』をヒットさせ、成功を収めた。『Wii Fit』は見た目にも軽快で、触ってわかる直観性をもっていたが、売上も実に軽快だった。米国での初週売上は25万本にのぼる。

疑問点:Wiiにはもっとより良いゲームが必要だ。上の記述と矛盾しているって? たいしたことではない。『Wii Fit』はあまりの売れ行きの凄さに何ヶ月も店頭で見つからなかったのだ。そこで、『マリオカートWii』と『インディ・ジョーンズWii』(日本未発売)が実に素晴らしいゲームだったというオチなのだ。●



宮本茂は、Time 100の候補としてだけではなく、WiiやWii Fit関連、Timeに寄せられた読者からの宮本茂への10の質問等、何度もTimeの記事になっています。明後日、お送りする記事もやはりTimeの記事であり、宮本茂がゲーム界のスピルバーグと呼ばれる由縁となった記事でもあります。



予定では、今日は宮本茂の誕生日の記事もいっしょにお送りする予定だったのですが、ドラクエからこちら、寝不足でいけません。……本日はこれにて失礼させていただきます。中途半端なエントリで申し訳ない…。



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posted by gyanko at 21:00 | Comment(5) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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