2009年08月18日

海外の評価『浅草博徒一代』-ボブ・ディランはわかってる-

"Confessions of a Yakuza: A Life in Japan's Underworld"(あるヤクザの告白:日本の闇社会に生きる)。『浅草博徒一代』の英題です。小説というより、ノンフィクションのような売り方ですが、これはこれで多少、的を射てるところもあります。

まずは、『浅草博徒一代』の一部を、少し長くなりますが抜粋します。

当時はモルヒネだろうが何だろうがうるさくなかったから、今みたいにこそこそやらなくても、欲しいと言えば、医者が平気で譲ってくれた時代です。麻薬がうるさくなったのは、戦争に負けて進駐軍が入ってきてからのことで、戦争前は知っている医者がいれば簡単に手に入った。親分もそれでとうとう中毒したんですが、もうだんだん弱ってきたときに、親分は姉さんにこんなことを言ったんだと言う。
「おまえにはいろいろと世話になって、有り難いと思っている。だが俺が死んだら、おめえもまだ若いんだから身の振り方を考えて、幸せになれ。だが俺が生きていればいろいろと助けてもやれるんだが、これからはいままでのようにはいかねえぞ。そのあたりはよおく心得て、みんなの厄介ものにならねえように綺麗にしろよ」
このとき枕もとには二、三人と一緒に亀蔵もいたそうですが、何を言うのかと思っていたら、そんな情けねえことを言うんで、みんな泣き出しちまった。いくらなんでも親分が死んだからといって、姉さんに辛くあたるなんてことは誰も考えもしないことです。姉さんは針仕事が好きで、親分が着るものは全部姉さんが仕立てていましたし、子分たちはみんな一枚二枚は縫ってもらっていたでしょう。



浅草博徒一代―アウトローが見た日本の闇 (新潮文庫) 英文版 浅草博徒一代 - Confessions of a Yakuza: A Life in Japan's Underworld 墨東綺譚 墨東綺譚 [DVD]


『浅草博徒一代』は、明治末期から昭和にかけての日本を生きた一人の博徒が語った回想録の聞き書きあり、女、駆け落ち、博打、服役、戦争といった伊地知栄治の半生が赤裸裸、かつ淡々と語られています。帳尻を合わせて展開を作っているわけでも、伏線があるわけでもなく、そうした意味ではノンフィクションと言えなくもありません。

ですが、上述の抜粋でもおわかりいただけるかと思いますが、物語の背後の世界に、日本の古い時代の感性が息づいていて、これが郷愁をそそるとともに、今となっては美しくすらある。そのうえ、佐賀純一の筆致が大変、上品で平静、決して煽る書き方をしないので、殺伐とした場面や過酷な場面も多々ある割には、『墨東綺譚』的な情緒すら漂っています。

この古い日本の時代の感性が海外の読者に通用するのか。……版元の講談社インターナショナルは通用しないと見切って、ノンフィクションを前面に出した題名に変更した気もいたしますが、……まずは米国アマゾンのカスタマー・レビューからご紹介します。


米国アマゾンのカスタマー・レビューは28件。そのうち、
5つ星:10件
4つ星;9件
3つ星;7件
2つ星:2件


最初は19人中19人が役立つと評価したレビューから。

評価:★★★★ やくざ、我、弾劾す

読了する前に途中で、この本が倍の長さだったら良かったのにと思ってしまう本がある。表向きは、死にいく、引退したやくざの親分の自叙伝であり、彼が彼の主治医に話した物語だ。この本は、面白い方法で(そのへんの手近な話なら必要がない方法だが)、日本の裏社会で暮らすことになった一人の、実に非凡な男の人生を巧みに描いている。

私が非凡と言うのは、一つには、この男が初期の日本の中流階級の家庭に生まれ、将来は「サラリーマン」になるはずだったというのに、その血気盛んな性格から冒険を求め、安楽な生活に背を向けたことだ(たとえその安楽が激務の果てのものだとしてもだ)。また、平均身長が5フィート4インチ(訳注:約162センチ)の社会で6フィート(訳注:約182センチ)あったこと。融通の利かない世界で恐れることなく規律に反抗したことも、その一つだ。それは、彼が日の当たる社会に背を向けた後に、彼を受け入れてくれた闇社会の規律であっても、だ。それからまた、統率するとなると、下の者を彼の規範で抑えこみ、目上の者ですら敬服させてしまう彼の人格もそうだし、なんと言っても、頁をめくっているかのように出来事を回顧する人並みはずれた能力をもつこともそうだ。

このやくざの告白は、工業化時代に転換しつつあった日本の姿でもある。日出ずる国、日本の視線の先に、第二次世界大戦へ続く不吉な影が落ち始めていたちょうどその時代の日本の姿だ。この本の主題は、兵卒から親分へと成り上がっていく、一人のやくざの一生を描くことだが、一方で、同時期の市民たちが、必要最低限の生活や、圧政的で、現状を維持することしか目指すものはない、その場凌ぎの行政の力以外は何も約束されていないまま、搾取的な財閥の労働市場の中で生きる様をも描いている。このやくざの男が語るのは、国の庇護のない世界で生きる一人の市井の男が、彼の不滅の誠実さの見返りとして、彼を守り、養ってくれる裏社会の相互扶助制度の中に安全を求めたということなのだ。

日本には、西欧の文学では知られていない、このようなユーモラスで常軌を逸した悪漢の自叙伝という素晴らしい伝統があり、この本は、その神々しい系譜に加えられた本当に真実、素晴らしい一冊である。
私はこの本を、すぐに読め、かつ読みやすい娯楽というだけでなく、長所も短所も含めて、日本の明治時代後期の美しい心理文化的研究書として薦める。



……物凄いレビューです。『墨東綺譚』(『さくらん』、『陽暉楼』、『吉原炎上』等、ご存知の遊郭物を適宜、入れてください)を観たあとに、「搾取することしか考えていない行政のもと、いかなる庇護も救済もなく、女性蔑視の悲痛な歴史の中を生き抜いていった日本の娼婦たちが……」とか言われたようなポカーンな気分と申せばいいのか………。


次は、11人中11人が役立つと評価したレビュー。

評価:★★★★ 珍しいやくざの人生を垣間みる

これは、ほとんど語られることのない影の世界を覗き見ることができる興味深い本だと私は思う。物語は対話で進められ、著者が洞察を差し挟む形である。ところどころ翻訳が編集されており、逸話がごまかされているが、この作品の全体的な楽しさは損なってはいない。私はこの本を古い時代の日本のマフィアの生活がどんなふうだったか知りたいと思う人に薦める。私は大変楽しんだし、父に貸したぐらいだ。もし日本とその文化が好きなら、この本も好きになれるだろう。Gambatte!



次は、7人中7人が役立つと評価したレビュー。

評価:★★★★ 20世紀初頭の日本の博徒の興味深い物語

柔らかい語り口の本である。日本の真実の生活について読んで楽しみたいという場合に限り、興味を失わずに読むことができるだろう。私のように。物語は最高に淀みなく流れていくというわけではないし、穴も多い(おそらく、この本の下敷きになっている長時間の会話の翻訳のせいだろう)。話はやくざの世界を深く掘り下げてはいないが、その中の過激なメンバーの一人の物語を通じて表層は見せてくれる。人間は悪徳と暴力に興味があるということだ。



…もう明らかに読み方としては、『実話ナックルズ 日本の暗部!』とかのノリ。…と言ったら言い過ぎでしょうか。おそらくもう、海外のかたには、小説としてはまったく切り口がないのでしょう。致し方ない。

実際、この本の物語中の、日本の古い時代の感性の人間ドラマや情緒が伝わらないと、まさに、上記のカスタマー・レビューのように「実録、日本のヤクザ」ってな話でしかないのだろうと思います。


ラヴ・アンド・セフト トゥゲザー・スルー・ライフ(デラックス・エディション)(DVD付) ザ・ベスト・オブ・ボブ・ディラン VOL.2


ここで、蒸し返すようですが、佐賀純一の本から借用した文節が何カ所か入っている、ボブ・ディランの『フローター』から、歌詞を抜粋して、僭越ながら詩心皆無の私が訳してみました。

夏の風が吹いてる
スコールが始まる
どんな風だろうと巻き込まれてしまうこともあるなんて
まったくもってバカな話だ

そう、ここいらにいるオヤジたちは、
若い連中と折り合いが悪くなることもあるさ
けど、年が上だから、どうのこうの、というのは通用しないよ
最後にはたいしたことじゃない

ロミオはジュリエットに言ったよ キミは顔色が悪いな
そんなんじゃあ、若々しさがないよ
ジュリエットは言い返す
そんなに嫌ならさっさと帰りなさい

彼らはみんな、なんとかしてここから出ていった
冷たい雨が体を震わせる
オハイオへ、カンバーランドへ、テネシーへと
残った奴らは、流れに逆らった

オレの邪魔をしようとしたり、前に立ちはだかろうっていうんなら、
お前の命を賭けてやるんだな
オレは口で言うほどあっさりした人間ではないんでね
心の痛みだって争い事だって、オレはもう十分に経験してきたんだ

オレにだってかつては夢も希望もあった。
皆で合わせて踊る円舞
クリスマス・キャロル、あのすべてのクリスマス・イブ
でも、オレの夢と希望は、タバコの葉の下に埋められたままだ

誰かを蹴り出すのは、いつも楽な仕事とは限らない
しばらく待たなきゃならないことだってある
不愉快な仕事になりそうだ
誰かがそんなことはやめてくれっていうこともあるだろうが、
泣きつかれてたって困るんだよ



ボブ・ディラン、やっぱり凄いや、と思いました。アマゾンのカスタマー・レビューを読んだ後だと余計に。
この歌は、愛や失望や争いや様々な場面が連なっていて、まるで『浅草博徒一代』からテーマだけ抜き取って、別の物語を再構築したような歌です。歌詞を読んだとき「これは、アメリカ版伊地知栄治の歌だ」と思ったぐらい。

いや、御大ボブ・ディランに向かって私ごときが言う言葉ではないのは重々承知しております。でも、

ボブ・ディランはわかってる。


どうしてまんま使っちゃったかなあ…。返す返すも、残念な話です。



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2009年08月17日

海外記事 -『浅草博徒一代』- ボブ・ディランが「借用」した小説

まずは、ボブ・ディラン。アメリカを代表するシンガー・ソング・ライター。60年代に反体制派のメッセージ・ソングやプロテスト・ソングの旗手として注目を浴び、数々のヒット曲を世に送り出す。代表曲に、『Blowin' in the Wind(風に吹かれて)』、『Like a Rolling Stone』、『Mr.Tambourine Man(ミスター・タンブリンマン)』、『Knockin' on Heaven's Door(天国への扉)』等。詩人としてノーベル文学賞にノミネートされるなど、20世紀半ば以降の世界文化において極めて重要な位置を占めているアーティスト(Wikipedia)。

ついでに、15日にオーストラリアでの公演前に「売り出し中の家屋の窓から中をのぞいてい」たために、挙動不審で警察に通報されたあげく、「ボブ・ディラン」と名乗ったものの、警察官が若かったため通用せず、連行されたというニュースが流れたばかりでもあります。


ラヴ・アンド・セフト ザ・ベスト・オブ・ボブ・ディラン フリーホイーリン・ボブ・ディラン


かたや、佐賀純一。内科医のかたわら、郷土史をテーマにした作品を発表。著作に『浅草博徒一代』、『歓喜天の謎―秘められた愛欲の系譜』、『藪医竹軒行状記』等。代表作、『浅草博徒一代』は患者であった博徒の伊地知栄治から半生を聞き書きし、伊地知が語る回顧譚という体裁をとった小説です。明治末期に生まれ、昭和の時代まで生きた、古い世代の任侠の男の生き様を静かな語り口で描いたこの作品は、国内で高い評価を得、1991年に海外でも出版されました。


浅草博徒一代―アウトローが見た日本の闇 (新潮文庫) 藪医竹軒行状記 小説 蛭子 (ひるこ) ―古事記 より 英文版 浅草博徒一代 - Confessions of a Yakuza: A Life in Japan's Underworld


この二人の名前が出た時点で、今日の題材は想像がつくかと思いますが、その通りで、ウォール・ストリート・ジャーナル誌掲載のボブ・ティラン盗作問題の記事です。


とは言いつつも、…本当の題目は佐賀純一の『浅草博徒一代』の紹介でして、明日のエントリの前振りとしてご紹介したいと思います。


ボブ・ディラン、佐賀医師から盗用?

東京の北の小さな街に住む62歳の医師であり、作家である佐賀純一は、やはり62歳になるボブ・ディランのことをほとんどなにも知らない。

「ボブ・ディランというのは、とても有名な米国のカントリー歌手ですよね?」。そう佐賀医師は聞き返し、「そういうことはよく知らんのです」と続けた。

一方、ボブ・ディランは佐賀医師の作品に大変に慣れ親しんでいるようだ。この伝説的シンガー・ソング・ライターの最新のスタジオ録音アルバム『ラヴ・アンド・セフト』は佐賀の著作『浅草博徒一代』から数十の文節を盗用していると考えられている。

"I'm not quite as cool or forgiving as I sound"とディランは2001年のこのアルバムの収録曲『フローター』で歌う。一方、佐賀は、日本のヤクザから聞き書きした彼の著作の158頁で"I'm not as cool or as forgiving as I might have sounded"(訳注:日本版では「けれどもわたしは、口で言うほどあっさりした人間ではありませんからね」)と書いている。この著作は、ディランのアルバムのリリースより遡ること10年以上前に出版されたが、評価も売上もほとんどなく、これまでに佐賀がこの本から得た金は8500ドルほどだと言う。

ドリス・カーンズ・グッドウィン(訳注:ピューリッツァー賞(報道、文学、作曲に与えられる米国で最も権威がある賞)受賞、米国の伝記、歴史作家)とスティーブン・アンブロース(訳注:同じく米国の伝記、歴史作家)も近年、似たようなトラブルがあったが、佐賀医師は、盗用された作家たちの多くとは違って、怒ってはいない。彼は喜んでいた。

「ボブ・ディランによろしくお伝えください。このニュースを聞いて、お褒めにあずかったようで、とても嬉しいですよ」。そうこの著者は言い、ディランのファンが本を買ってくれるといいんですけど、と語る。『浅草博徒一代』の英訳版は2万5000部しか売れていないが、日本ではもっと少部数だ。というより、この日本版は絶版なのである。(訳注:復刊されています。)

ディランのマネージャー、ジェフ・ローゼンは、ディランからコメントは出ないと語った。「私が知るかぎり、ディランの作品はオリジナルです」とローゼンは言う。『ラヴ・アンド・セフト』のライナーノーツには、このアルバムの12曲の作者として、ボブ・ディラン1人しか挙げられてはいない。

ディランは、以前から題材を拝借してきた。しばしば聖書や文学から、曲に引用をするのだ。『ラヴ・アンド・セフト』では、『華麗なるギャッツビー』から文節を明らかに引用しているし、そもそも彼のディランという名前は近代の英国の詩人ディラン・トーマスからとったと言われることが多い。ディランはこれを否定してはいるが。

ボストン大学でディランの作品の講義を持つ人文科学教授、クリストファー・リックスは「ディランは、想像力のあるスポンジのようなところがある」と言う。通常、ディランのスポンジは創造の過程の健康的な一部分であり、ティランは数語を借り、ねじり、文脈を変えて、全く新しい芸術作品を創り上げると言うのだ。

だが、リックスは、ディランの最新アルバム『ラヴ・アンド・セフト』でディランが『浅草博徒一代』からの借用した部分の範囲には驚いていた。リックスは言う。「(訳注:盗用されたとされる)部分は、なにげない一節ですが、並べて比べると、極めて衝撃的です」。

とはいえ、佐賀医師以上に驚いたものはいまい。内科医であり、作家であり、画家である佐賀は、東京の北の13万4000人が住む小さな街、土浦で、静かな郊外の生活をしている。彼の家と医院には、濃い緑の庭と踏み石の小道がある。

ここは、彼が、患者であった伊地知栄治という引退した博徒の告白をもとに、『浅草博徒一代』を書いた場所である。物語は、第二次世界大戦前の日本が舞台だ。この本の中の人々はみな、賭け事や、売春、暴力に満ちた、根無し草のような辛い人生を生きている。佐賀は、この本は、不運や辛い暮らしにもかかわらず、愛を見出そうとした人々の話なのだと言う。「テーマは、アウトローの愛と人生なのです。…言い方を換えれば、愛と泥棒(ラヴ・アンド・セフト)です」。

ディランのアルバムに自身が書いた文章がいくつか出てくると聞いて、いつもはオペラがお気に入りだというのに、佐賀はこのアルバムを買った。佐賀はこう言う。「このアルバム、好きですよ。彼の文章は、一つのイメージから次のイメージへと流れて、必ずしも意味があるとは限りません。けれど、素晴らしい雰囲気をもっています」。

佐賀は、ディランが彼の本を読んだことが嬉しいと言う。…もし、実際に彼が本を読み、彼の歌に合うよう言葉をいくつか嵌め込んだのだとしても、訴えるつもりはないという。「悪いことにはなってほしくないんです」。だが、佐賀は、ディランに出典元を認めてほしいとは思っているだろう。おそらく、このアルバムの将来のライナーノーツで、だ。「そうなれば、光栄ですね」。佐賀はそう言う。

このアルバムと佐賀の著作の類似点は最初、日本に住む一人の米国人によって指摘された。彼は先頃、この2作品の比較を、とあるディランの音楽のファンサイトに投稿した。この比較が投稿されるやいなや、『浅草博徒一代』は米国アマゾンのベストセラー・ランキングを2万位以上駆け上がり、4万5000位あたりまで上がった。だが、佐賀の出版社であり、東京、ニューヨーク、ロンドンに事務所を置く講談社インターナショナルは、「騒ぎ直後なので、この論争が売上を大きく後押しするものかどうか判断はつきません」と言っている。

「次の版でボブ・ディランの写真を表紙に使うべきかなとは思っています」。講談社の編集ディレクターであり、『浅草博徒一代』の編集者であるスティーブン・ショウは言う。「写真がだめとしても、少なくとも本の表紙にディランからの推薦文はほしいところですね」。

ショウも、講談社の他のスタッフたちも、ディランが、佐賀の著作に出てくる文章をほとんど変える努力をせずに使ったことに驚いている。「ちょっとばかり怠け者に思えますね」とショウ。だが、大袈裟に騒ぎたくはないようだ。「とっても喜んでいますよ。率直に言って」。

もし、ミネソタ生まれのディランのファン、クリス・ジョンソンが、福岡の書店で『浅草博徒一代』を立ち読みすることがなかったら、ディランの詩神は見つからずに済んでいたかもしれない。ジョンソンは日本の裏社会についてほとんど知識がなかったため、この問題の本を見つけたとき喜んだのである。

最初のページで、ジョンソンはこういう文章を読んだ。「親父は、まるで大名のような格好で座っている」。ここですぐに彼はディランの曲『フローター』を思い出した。"My old man, he's like some feudal lord."

「僕はたぶんあのアルバムを少なくとも百回は聴いています。だから、同じ一節をすぐに思い出せたんですよ」と、29歳の北九州の英語教師は言う。「赤のインクで印刷してたようなもんですね」。

ジョンソンは本を読みながら、アルバムの歌詞を探しはじめた。同じ文章を見つけるたびにページを折った。本を読み終えたときには、その折り目は十数箇所に上っていたのだ。

彼に言わせれば、ディランはこの本の最も詩的で力強い文節を選んでいるわけではない。ときとして、ほとんどランダムに文節を選んでいるようだ、と言う。彼は、ディランが詩を書いた過程についてこう推察している。ディランは、長年、利用している日本のホテルの一室に座り、『浅草博徒一代』を読みながら、彼の新曲を書いていたのだろう。想像力を掻き立てる、その本の一節を使いながら。

彼はこうも言う。「他のアルバムでも、前からこんなふうなことを何度もしてきたんでしょうかね。ずっとこんなことをやってきたのだとしても、誰も長い間、気づかなかったってことでしょう」。●



リンク先には、原文と借用部分の比較が表で掲載されています。読む限り、かなり類似していますし、ほぼまんまのものもありますが、記事中でも言及されているように本当に「何気ない言い回し」を選んでいるとしか思えません。借用部分の日本の該当箇所はこちら↓。

・親父は、まるで大名のような格好で床の間を背に座っている。(新潮文庫版14頁)
・「そんなに心配ならさっさと帰りなさい」(新潮文庫版18頁)
・俺のおっ母さんって人は、馬鹿な女だった。大百姓の家に生まれながら、俺みてえな父無し子を産んで、俺が十一の時に死んじまった。おっ母さんは、そん時まだ二十九だったんだ。おっ父つぁんという人は出入りの小間物問屋だという話だが、会ったことは一度もねえや。(新潮文庫版86頁)
・「ぶちやぶれ!」……(略)最後に灯油を床に流して、導火線を表に引いた。(新潮文庫版92頁)
・やならもう来ねえぜ(新潮文庫版204頁)
・土方がこわくてやくざがつとまるか(新潮文庫版207頁)
・ところがなんだか知らねえが、……(略)年が上だから、どうのこうの、というのは通用しないところです。(新潮文庫版220-222頁)
・けれどもわたしは、口で言うほどあっさりした人間ではありませんからね(新潮文庫版226頁)
・しかし泣きつかれてもこれは困る(新潮文庫版283頁)
・家にいるからといって女房になったわけではなし…(略)私はお勢と一度も寝たことはありません(新潮文庫版321頁)
・伐るのはみんな直径一メートルもある大木です(新潮文庫版374頁)
・この男はじつはあっさりとした奴で、仲間が死んだことなぞぜんぜん意に介していない(新潮文庫版378頁)


ボブ・ディランが『浅草博徒一代』を読んだのは間違いないと思われますが、この剽窃騒ぎはご当人の佐賀純一がディランの借用をむしろ僥倖ととらえたせいもあり、静かに収束しました。
文庫本のあとがきでも、発端であるウォール・ストリート・ジャーナル誌からディランの剽窃のレポートがきた件、BBCをはじめ欧米のマスコミが大挙して取材にきた件、それを契機に復刊した件などを鷹揚に語っておられます。

確かに、ボブ・ディランの「借用」は、ある種の褒め言葉と言えないこともなく、結果としてめでたく復刊も果たしましたし、なによりも、この『浅草博徒一代』という本、ディランが「インスパイア」されただけのことはある一冊でございます。


明日は、『浅草博徒一代』の海外レビューです。



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2009年08月15日

海外ゲーマーの声 -『K.O.F XII』のアッシュは男なのか?-

北米では7月28日に出たばかりの『キング オブ ファイターズXII

私は格闘ゲームは一度も経験がないのですが、「アッシュ・クリムゾンは男なのか?」という記事タイトルが目に留まって読んでみたところ、やっぱり4CRらしい、どうでもいいっちゃあどうでもいい内容で、おかしかったのでご紹介。

アッシュ・クリムゾン。2003年からの『キング・オブ・ファイターズ』の主人公。

ashcrimson.jpg


↓アッシュによる最新作案内。面白いです(笑。ぜひご覧ください。




アッシュ・クリムゾンは男なのか?

僕は、「彼女」が氷のようなビッチに見えるということを書こうしている。……またこの話をしてもいい? 僕は今、すごく混乱した感情、というかあからさまに動揺した気持ちでいっぱいなんだ。

当初の僕の意見は、彼または彼女のキャラクターを詳しく解説するような話の脇筋や台詞を知らなかった頃のものだし、『キング オブ ファイターズXII』の闘いの中で僕が遊んだことだけに基づいていたから、こんな意見を持つはめになることもなかった。JRPGに関しては、僕は少なくとも、ジェンダーの問題についての早めの情報を入手しているつもりでもあったから。

前情報や先入観をもたずに格闘ゲームを始めるプレイヤーが、第一印象をルックスに依ってしまうと言うのは、おかしなことではないはずだよね。最初の闘いでキャラクターを選ぶ際には、ビジュアル面への関心しかないだろ。そこから始めて、各キャラクターの真価がわかる動きやコンボ、格闘スタイルといった科学的なものに入っていくわけだ。僕がプレイしてきたほとんどの格闘ゲームでは、人格というのは、格闘スタイルそのものの中にある。そこから、ビジュアル面の風変わりさが伴って、より具体的になり、人格が浮かび上がっていく。そうして、その後、闘うごとに、無数の場面でキャラクターが定義されていくわけだ。

つまり、僕は、シリーズに関するさしたる情報もなく『キング オブ ファイターズXII』をプレイしてしまったんだ。……心からファンだったのは『ギルティギア』だったから。

スタートはアッシュ・クリムゾンだった。僕は、彼女あるいは彼のパンチやキックの際の必要最小限の動きに衝撃を受けた。つまり、腕の振りや小気味よい足払いの小ささ。敵から離れるときも、彼または彼女は髪を振り払い、のんびりと歩く。まるで、すでに戦闘に勝ってでもいるように。もちろん、彼または彼女は、誰にも劣らないほどのジャンプも身をよじってのキックもできる。おまけに緑色の炎まで出せる。でも、彼または彼女の動きの繊細さからは、僕が「彼または彼女はこういう人なのだ」と信じ始めているところのものが滴り落ちていた。それは、格闘スタイルにも影響を与えてたよ。彼または彼女は気取って歩き、戦闘には必要最小限の努力しかしないうえ、しばしば完全にやる気がないか、少なくともかなり無関心に見えるんだ。

これは僕には、異彩を放つアプローチだった。僕としては、キャラクター・デザインには思うところがあったんだが、同僚のショーンは僕に「"彼"は爪をだめにしたくないからああいうふうに闘うんだ」とか言い出す始末。僕が当初このシリーズにもっていた疑問はとにかくとして、今となっては、僕が大量のアルコールで投薬治療をする前に、アッシュ・クリムゾンが何者なのかが知りたいんだよ。だって、何者かわかる前に、事務所中にアッシュのポスターを貼るようになったらどうしてくれるんだ?!

僕に用意されてる答えは多くはないのは明らかだけど、これはやはり格闘ゲームなんだ。だから、キミたちのこのゲームに対する意見を一番良いパンチにして出してくれ。●



この記事の最初のコメントは、この記事のライター、Jamieの同僚、Shaunでした。

■僕が信じられないのは、僕たち二人が「2次元の男」に恋をした上に、「彼女」のことを巡って言い争いしそうになったってことだよ。

ジェンダーは米国ではかなりデリケートな問題のようで、この記事はそれを皮肉るように、わざとまどろっこしい大袈裟な物言いをしています。(ジェンダーの問題に関しては、こちらのエントリを参照。)

要は、このライターのJamieはアッシュ・クリムゾンが好きなんですね。だから、アッシュを「女」だと思いたいわけです。で、同僚のShaunは「彼」、男である、と。

アッシュ・クリムゾンは男ですが、女に見えるのが嫌なんでしょうね。日本でも「主人公としては珍しい性格と容姿」で物議をかもしたようですが、米国の場合、カソリック的なモラルやアメリカ的マッチョ主義も背景にありそうです。


この記事についたコメントです。

■『ギルティ・ギア』のファンなら、こういうことには慣れるべき。オレはブリジット(訳注:女として育てられた『GUILTY GEAR XX』〜『SEGA THE BEST GUILTY GEAR XX SLASH』の主人公登場キャラクター)で同じ経験をしたよ。

■(Jamieからの返信)確かに。けど、『ギルティ・ギア』のデザインやキャラクターは、ハナからめちゃくちゃだろ。ところが、『キング オブ ファイターズ』でこんなに混乱させられるとは、どこからも予想できなかったんだよ。

■『ストリート・ファイター』のポイズンもそうだよな(訳注:初出は『ファイナルファイト』。当初は女性の設定だったが、米国で夫からDVを受けていた女性からの抗議に対して、カプコンが「彼女は実は彼なので問題ない」と返答したことがきっかけでニューハーフとなる。その後、『ストリートファイターIII』でヒューゴーのマネージャーとして登場)。格闘ゲームのキャラクターに女装や性転換が多いのはなんでだ?」

■「本当に男か?」っていうのは、格闘ゲームのキャラクターの原型としては、「マスクをしたメキシコ人レスラー」とか「袖無しの柔道着のカラテ家」とか「すごくすごく太った男」とかと同じで、急速に主流になりつつあるんだよ。

■「ほとんど同じに見える男2人」と「奇妙な生き物まがい」も忘れるな。

■あと、「黒人」と「女学生」も忘れないでね。

■確かに。「ほとんど同じに見える二人の男で、火の玉、アッパーカット、スピニング・アタック」の遺産は、『スマッシュブラザーズ』にも出てきたぐらいの鉄板だよな。

「攻撃のたびにスカートが翻る女のマスコットキャラクター」っていうのも、このリストに加えてもいいかな。

■SNKが韓国の会社に買収されてから、『キング・オブ・ファイターズ』のキャラデザはどんどん悪くなってるっていつも思ってた。アッシュ・クリムゾンと彼のチームは、韓国の影響って印象だね(韓国の「男」のポップスターを見てみろよ。日本のポップスターよりもっと女性的ですらある。)

■カバーに「彼または彼女」が出張ってるのは、好きじゃないなあ。アッシュがセールスポイントですってことだろうけどさ。みんな、このゲームをアッシュが凄いキャラクターで、目の保養になるし、リュウ(訳注:『ストリート・ファイター』)やテリー(訳注:『飢狼伝説』等)よりカッコ良いから買ってるよな。
オレは皮肉屋だからね。少なくとも、ブリジットは純粋に女の子に見えた。それが、『ギルティ・ギア』に奇妙さを付け加えた。アッシュはすごくセクシーだった。結構なトラップだ。
とは言うもののだ、アッシュはプレイしてて、なんか楽しいんだよな。格闘なんか全然、興味ないって感じで闘うからさ。

■彼女は男だよ!



韓国の会社が買収というコメントが気になり、Wikipediaを数項目、読んでみたのですが、総合するとこんな感じです。

『キング・オブ・ファイターズ』の制作会社SNKは2001年の10月に倒産。格闘ゲームの人気の低迷により格闘ゲームに特化していた企画体制を変革できず、かつ多角経営の拡大も一因となった。破産時の入札で、法務関係を扱っていたSNKの系列会社、プレイモアが、知的財産権を落札し、SNKプレイモアと社名変更。

これに、韓国のゲームメーカー、イリオスが開発という名目で参加、スポンサーとして資金を投入していたことから、『キング・オブ・ファイターズ 2001』では韓国の影響が色濃くなった模様。

その後、2002年度末でイリオスはSNKプレイモアから手を引き、アッシュ・クリムゾンが登場する『キング・オブ・ファイターズ 2003』で開発が日本主導のものに戻る。

「韓国に買収された」というのは、イリオスの資金提供のことなのでしょうが、おそらくそのまま情報が更新されてないのではないかと思われます。


しかし、久々にYoutubeで声を出して笑いました。「ボンジュー☆」だもんなあ。フランス人なんですね。不意打ちだったです。
女うんぬんではなく、「おフランス」系という日本伝統のキャラクターなんじゃないかなあと思いました。

↓「おフランス」系キャラクター。イヤミ、スネ夫、花輪クン。

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