まずは、『浅草博徒一代』の一部を、少し長くなりますが抜粋します。
当時はモルヒネだろうが何だろうがうるさくなかったから、今みたいにこそこそやらなくても、欲しいと言えば、医者が平気で譲ってくれた時代です。麻薬がうるさくなったのは、戦争に負けて進駐軍が入ってきてからのことで、戦争前は知っている医者がいれば簡単に手に入った。親分もそれでとうとう中毒したんですが、もうだんだん弱ってきたときに、親分は姉さんにこんなことを言ったんだと言う。
「おまえにはいろいろと世話になって、有り難いと思っている。だが俺が死んだら、おめえもまだ若いんだから身の振り方を考えて、幸せになれ。だが俺が生きていればいろいろと助けてもやれるんだが、これからはいままでのようにはいかねえぞ。そのあたりはよおく心得て、みんなの厄介ものにならねえように綺麗にしろよ」
このとき枕もとには二、三人と一緒に亀蔵もいたそうですが、何を言うのかと思っていたら、そんな情けねえことを言うんで、みんな泣き出しちまった。いくらなんでも親分が死んだからといって、姉さんに辛くあたるなんてことは誰も考えもしないことです。姉さんは針仕事が好きで、親分が着るものは全部姉さんが仕立てていましたし、子分たちはみんな一枚二枚は縫ってもらっていたでしょう。



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『浅草博徒一代』は、明治末期から昭和にかけての日本を生きた一人の博徒が語った回想録の聞き書きあり、女、駆け落ち、博打、服役、戦争といった伊地知栄治の半生が赤裸裸、かつ淡々と語られています。帳尻を合わせて展開を作っているわけでも、伏線があるわけでもなく、そうした意味ではノンフィクションと言えなくもありません。
ですが、上述の抜粋でもおわかりいただけるかと思いますが、物語の背後の世界に、日本の古い時代の感性が息づいていて、これが郷愁をそそるとともに、今となっては美しくすらある。そのうえ、佐賀純一の筆致が大変、上品で平静、決して煽る書き方をしないので、殺伐とした場面や過酷な場面も多々ある割には、『墨東綺譚
この古い日本の時代の感性が海外の読者に通用するのか。……版元の講談社インターナショナルは通用しないと見切って、ノンフィクションを前面に出した題名に変更した気もいたしますが、……まずは米国アマゾンのカスタマー・レビューからご紹介します。
米国アマゾンのカスタマー・レビューは28件。そのうち、
5つ星:10件
4つ星;9件
3つ星;7件
2つ星:2件
最初は19人中19人が役立つと評価したレビューから。
評価:★★★★ やくざ、我、弾劾す
読了する前に途中で、この本が倍の長さだったら良かったのにと思ってしまう本がある。表向きは、死にいく、引退したやくざの親分の自叙伝であり、彼が彼の主治医に話した物語だ。この本は、面白い方法で(そのへんの手近な話なら必要がない方法だが)、日本の裏社会で暮らすことになった一人の、実に非凡な男の人生を巧みに描いている。
私が非凡と言うのは、一つには、この男が初期の日本の中流階級の家庭に生まれ、将来は「サラリーマン」になるはずだったというのに、その血気盛んな性格から冒険を求め、安楽な生活に背を向けたことだ(たとえその安楽が激務の果てのものだとしてもだ)。また、平均身長が5フィート4インチ(訳注:約162センチ)の社会で6フィート(訳注:約182センチ)あったこと。融通の利かない世界で恐れることなく規律に反抗したことも、その一つだ。それは、彼が日の当たる社会に背を向けた後に、彼を受け入れてくれた闇社会の規律であっても、だ。それからまた、統率するとなると、下の者を彼の規範で抑えこみ、目上の者ですら敬服させてしまう彼の人格もそうだし、なんと言っても、頁をめくっているかのように出来事を回顧する人並みはずれた能力をもつこともそうだ。
このやくざの告白は、工業化時代に転換しつつあった日本の姿でもある。日出ずる国、日本の視線の先に、第二次世界大戦へ続く不吉な影が落ち始めていたちょうどその時代の日本の姿だ。この本の主題は、兵卒から親分へと成り上がっていく、一人のやくざの一生を描くことだが、一方で、同時期の市民たちが、必要最低限の生活や、圧政的で、現状を維持することしか目指すものはない、その場凌ぎの行政の力以外は何も約束されていないまま、搾取的な財閥の労働市場の中で生きる様をも描いている。このやくざの男が語るのは、国の庇護のない世界で生きる一人の市井の男が、彼の不滅の誠実さの見返りとして、彼を守り、養ってくれる裏社会の相互扶助制度の中に安全を求めたということなのだ。
日本には、西欧の文学では知られていない、このようなユーモラスで常軌を逸した悪漢の自叙伝という素晴らしい伝統があり、この本は、その神々しい系譜に加えられた本当に真実、素晴らしい一冊である。
私はこの本を、すぐに読め、かつ読みやすい娯楽というだけでなく、長所も短所も含めて、日本の明治時代後期の美しい心理文化的研究書として薦める。
……物凄いレビューです。『墨東綺譚』(『さくらん
次は、11人中11人が役立つと評価したレビュー。
評価:★★★★ 珍しいやくざの人生を垣間みる
これは、ほとんど語られることのない影の世界を覗き見ることができる興味深い本だと私は思う。物語は対話で進められ、著者が洞察を差し挟む形である。ところどころ翻訳が編集されており、逸話がごまかされているが、この作品の全体的な楽しさは損なってはいない。私はこの本を古い時代の日本のマフィアの生活がどんなふうだったか知りたいと思う人に薦める。私は大変楽しんだし、父に貸したぐらいだ。もし日本とその文化が好きなら、この本も好きになれるだろう。Gambatte!
次は、7人中7人が役立つと評価したレビュー。
評価:★★★★ 20世紀初頭の日本の博徒の興味深い物語
柔らかい語り口の本である。日本の真実の生活について読んで楽しみたいという場合に限り、興味を失わずに読むことができるだろう。私のように。物語は最高に淀みなく流れていくというわけではないし、穴も多い(おそらく、この本の下敷きになっている長時間の会話の翻訳のせいだろう)。話はやくざの世界を深く掘り下げてはいないが、その中の過激なメンバーの一人の物語を通じて表層は見せてくれる。人間は悪徳と暴力に興味があるということだ。
…もう明らかに読み方としては、『実話ナックルズ 日本の暗部!』とかのノリ。…と言ったら言い過ぎでしょうか。おそらくもう、海外のかたには、小説としてはまったく切り口がないのでしょう。致し方ない。
実際、この本の物語中の、日本の古い時代の感性の人間ドラマや情緒が伝わらないと、まさに、上記のカスタマー・レビューのように「実録、日本のヤクザ」ってな話でしかないのだろうと思います。



ここで、蒸し返すようですが、佐賀純一の本から借用した文節が何カ所か入っている、ボブ・ディランの『フローター』から、歌詞を抜粋して、僭越ながら詩心皆無の私が訳してみました。
夏の風が吹いてる
スコールが始まる
どんな風だろうと巻き込まれてしまうこともあるなんて
まったくもってバカな話だ
そう、ここいらにいるオヤジたちは、
若い連中と折り合いが悪くなることもあるさ
けど、年が上だから、どうのこうの、というのは通用しないよ
最後にはたいしたことじゃない
ロミオはジュリエットに言ったよ キミは顔色が悪いな
そんなんじゃあ、若々しさがないよ
ジュリエットは言い返す
そんなに嫌ならさっさと帰りなさい
彼らはみんな、なんとかしてここから出ていった
冷たい雨が体を震わせる
オハイオへ、カンバーランドへ、テネシーへと
残った奴らは、流れに逆らった
オレの邪魔をしようとしたり、前に立ちはだかろうっていうんなら、
お前の命を賭けてやるんだな
オレは口で言うほどあっさりした人間ではないんでね
心の痛みだって争い事だって、オレはもう十分に経験してきたんだ
オレにだってかつては夢も希望もあった。
皆で合わせて踊る円舞
クリスマス・キャロル、あのすべてのクリスマス・イブ
でも、オレの夢と希望は、タバコの葉の下に埋められたままだ
誰かを蹴り出すのは、いつも楽な仕事とは限らない
しばらく待たなきゃならないことだってある
不愉快な仕事になりそうだ
誰かがそんなことはやめてくれっていうこともあるだろうが、
泣きつかれてたって困るんだよ
ボブ・ディラン、やっぱり凄いや、と思いました。アマゾンのカスタマー・レビューを読んだ後だと余計に。
この歌は、愛や失望や争いや様々な場面が連なっていて、まるで『浅草博徒一代』からテーマだけ抜き取って、別の物語を再構築したような歌です。歌詞を読んだとき「これは、アメリカ版伊地知栄治の歌だ」と思ったぐらい。
いや、御大ボブ・ディランに向かって私ごときが言う言葉ではないのは重々承知しております。でも、
ボブ・ディランはわかってる。
どうしてまんま使っちゃったかなあ…。返す返すも、残念な話です。
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