2009年08月17日

海外記事 -『浅草博徒一代』- ボブ・ディランが「借用」した小説

まずは、ボブ・ディラン。アメリカを代表するシンガー・ソング・ライター。60年代に反体制派のメッセージ・ソングやプロテスト・ソングの旗手として注目を浴び、数々のヒット曲を世に送り出す。代表曲に、『Blowin' in the Wind(風に吹かれて)』、『Like a Rolling Stone』、『Mr.Tambourine Man(ミスター・タンブリンマン)』、『Knockin' on Heaven's Door(天国への扉)』等。詩人としてノーベル文学賞にノミネートされるなど、20世紀半ば以降の世界文化において極めて重要な位置を占めているアーティスト(Wikipedia)。

ついでに、15日にオーストラリアでの公演前に「売り出し中の家屋の窓から中をのぞいてい」たために、挙動不審で警察に通報されたあげく、「ボブ・ディラン」と名乗ったものの、警察官が若かったため通用せず、連行されたというニュースが流れたばかりでもあります。


ラヴ・アンド・セフト ザ・ベスト・オブ・ボブ・ディラン フリーホイーリン・ボブ・ディラン


かたや、佐賀純一。内科医のかたわら、郷土史をテーマにした作品を発表。著作に『浅草博徒一代』、『歓喜天の謎―秘められた愛欲の系譜』、『藪医竹軒行状記』等。代表作、『浅草博徒一代』は患者であった博徒の伊地知栄治から半生を聞き書きし、伊地知が語る回顧譚という体裁をとった小説です。明治末期に生まれ、昭和の時代まで生きた、古い世代の任侠の男の生き様を静かな語り口で描いたこの作品は、国内で高い評価を得、1991年に海外でも出版されました。


浅草博徒一代―アウトローが見た日本の闇 (新潮文庫) 藪医竹軒行状記 小説 蛭子 (ひるこ) ―古事記 より 英文版 浅草博徒一代 - Confessions of a Yakuza: A Life in Japan's Underworld


この二人の名前が出た時点で、今日の題材は想像がつくかと思いますが、その通りで、ウォール・ストリート・ジャーナル誌掲載のボブ・ティラン盗作問題の記事です。


とは言いつつも、…本当の題目は佐賀純一の『浅草博徒一代』の紹介でして、明日のエントリの前振りとしてご紹介したいと思います。


ボブ・ディラン、佐賀医師から盗用?

東京の北の小さな街に住む62歳の医師であり、作家である佐賀純一は、やはり62歳になるボブ・ディランのことをほとんどなにも知らない。

「ボブ・ディランというのは、とても有名な米国のカントリー歌手ですよね?」。そう佐賀医師は聞き返し、「そういうことはよく知らんのです」と続けた。

一方、ボブ・ディランは佐賀医師の作品に大変に慣れ親しんでいるようだ。この伝説的シンガー・ソング・ライターの最新のスタジオ録音アルバム『ラヴ・アンド・セフト』は佐賀の著作『浅草博徒一代』から数十の文節を盗用していると考えられている。

"I'm not quite as cool or forgiving as I sound"とディランは2001年のこのアルバムの収録曲『フローター』で歌う。一方、佐賀は、日本のヤクザから聞き書きした彼の著作の158頁で"I'm not as cool or as forgiving as I might have sounded"(訳注:日本版では「けれどもわたしは、口で言うほどあっさりした人間ではありませんからね」)と書いている。この著作は、ディランのアルバムのリリースより遡ること10年以上前に出版されたが、評価も売上もほとんどなく、これまでに佐賀がこの本から得た金は8500ドルほどだと言う。

ドリス・カーンズ・グッドウィン(訳注:ピューリッツァー賞(報道、文学、作曲に与えられる米国で最も権威がある賞)受賞、米国の伝記、歴史作家)とスティーブン・アンブロース(訳注:同じく米国の伝記、歴史作家)も近年、似たようなトラブルがあったが、佐賀医師は、盗用された作家たちの多くとは違って、怒ってはいない。彼は喜んでいた。

「ボブ・ディランによろしくお伝えください。このニュースを聞いて、お褒めにあずかったようで、とても嬉しいですよ」。そうこの著者は言い、ディランのファンが本を買ってくれるといいんですけど、と語る。『浅草博徒一代』の英訳版は2万5000部しか売れていないが、日本ではもっと少部数だ。というより、この日本版は絶版なのである。(訳注:復刊されています。)

ディランのマネージャー、ジェフ・ローゼンは、ディランからコメントは出ないと語った。「私が知るかぎり、ディランの作品はオリジナルです」とローゼンは言う。『ラヴ・アンド・セフト』のライナーノーツには、このアルバムの12曲の作者として、ボブ・ディラン1人しか挙げられてはいない。

ディランは、以前から題材を拝借してきた。しばしば聖書や文学から、曲に引用をするのだ。『ラヴ・アンド・セフト』では、『華麗なるギャッツビー』から文節を明らかに引用しているし、そもそも彼のディランという名前は近代の英国の詩人ディラン・トーマスからとったと言われることが多い。ディランはこれを否定してはいるが。

ボストン大学でディランの作品の講義を持つ人文科学教授、クリストファー・リックスは「ディランは、想像力のあるスポンジのようなところがある」と言う。通常、ディランのスポンジは創造の過程の健康的な一部分であり、ティランは数語を借り、ねじり、文脈を変えて、全く新しい芸術作品を創り上げると言うのだ。

だが、リックスは、ディランの最新アルバム『ラヴ・アンド・セフト』でディランが『浅草博徒一代』からの借用した部分の範囲には驚いていた。リックスは言う。「(訳注:盗用されたとされる)部分は、なにげない一節ですが、並べて比べると、極めて衝撃的です」。

とはいえ、佐賀医師以上に驚いたものはいまい。内科医であり、作家であり、画家である佐賀は、東京の北の13万4000人が住む小さな街、土浦で、静かな郊外の生活をしている。彼の家と医院には、濃い緑の庭と踏み石の小道がある。

ここは、彼が、患者であった伊地知栄治という引退した博徒の告白をもとに、『浅草博徒一代』を書いた場所である。物語は、第二次世界大戦前の日本が舞台だ。この本の中の人々はみな、賭け事や、売春、暴力に満ちた、根無し草のような辛い人生を生きている。佐賀は、この本は、不運や辛い暮らしにもかかわらず、愛を見出そうとした人々の話なのだと言う。「テーマは、アウトローの愛と人生なのです。…言い方を換えれば、愛と泥棒(ラヴ・アンド・セフト)です」。

ディランのアルバムに自身が書いた文章がいくつか出てくると聞いて、いつもはオペラがお気に入りだというのに、佐賀はこのアルバムを買った。佐賀はこう言う。「このアルバム、好きですよ。彼の文章は、一つのイメージから次のイメージへと流れて、必ずしも意味があるとは限りません。けれど、素晴らしい雰囲気をもっています」。

佐賀は、ディランが彼の本を読んだことが嬉しいと言う。…もし、実際に彼が本を読み、彼の歌に合うよう言葉をいくつか嵌め込んだのだとしても、訴えるつもりはないという。「悪いことにはなってほしくないんです」。だが、佐賀は、ディランに出典元を認めてほしいとは思っているだろう。おそらく、このアルバムの将来のライナーノーツで、だ。「そうなれば、光栄ですね」。佐賀はそう言う。

このアルバムと佐賀の著作の類似点は最初、日本に住む一人の米国人によって指摘された。彼は先頃、この2作品の比較を、とあるディランの音楽のファンサイトに投稿した。この比較が投稿されるやいなや、『浅草博徒一代』は米国アマゾンのベストセラー・ランキングを2万位以上駆け上がり、4万5000位あたりまで上がった。だが、佐賀の出版社であり、東京、ニューヨーク、ロンドンに事務所を置く講談社インターナショナルは、「騒ぎ直後なので、この論争が売上を大きく後押しするものかどうか判断はつきません」と言っている。

「次の版でボブ・ディランの写真を表紙に使うべきかなとは思っています」。講談社の編集ディレクターであり、『浅草博徒一代』の編集者であるスティーブン・ショウは言う。「写真がだめとしても、少なくとも本の表紙にディランからの推薦文はほしいところですね」。

ショウも、講談社の他のスタッフたちも、ディランが、佐賀の著作に出てくる文章をほとんど変える努力をせずに使ったことに驚いている。「ちょっとばかり怠け者に思えますね」とショウ。だが、大袈裟に騒ぎたくはないようだ。「とっても喜んでいますよ。率直に言って」。

もし、ミネソタ生まれのディランのファン、クリス・ジョンソンが、福岡の書店で『浅草博徒一代』を立ち読みすることがなかったら、ディランの詩神は見つからずに済んでいたかもしれない。ジョンソンは日本の裏社会についてほとんど知識がなかったため、この問題の本を見つけたとき喜んだのである。

最初のページで、ジョンソンはこういう文章を読んだ。「親父は、まるで大名のような格好で座っている」。ここですぐに彼はディランの曲『フローター』を思い出した。"My old man, he's like some feudal lord."

「僕はたぶんあのアルバムを少なくとも百回は聴いています。だから、同じ一節をすぐに思い出せたんですよ」と、29歳の北九州の英語教師は言う。「赤のインクで印刷してたようなもんですね」。

ジョンソンは本を読みながら、アルバムの歌詞を探しはじめた。同じ文章を見つけるたびにページを折った。本を読み終えたときには、その折り目は十数箇所に上っていたのだ。

彼に言わせれば、ディランはこの本の最も詩的で力強い文節を選んでいるわけではない。ときとして、ほとんどランダムに文節を選んでいるようだ、と言う。彼は、ディランが詩を書いた過程についてこう推察している。ディランは、長年、利用している日本のホテルの一室に座り、『浅草博徒一代』を読みながら、彼の新曲を書いていたのだろう。想像力を掻き立てる、その本の一節を使いながら。

彼はこうも言う。「他のアルバムでも、前からこんなふうなことを何度もしてきたんでしょうかね。ずっとこんなことをやってきたのだとしても、誰も長い間、気づかなかったってことでしょう」。●



リンク先には、原文と借用部分の比較が表で掲載されています。読む限り、かなり類似していますし、ほぼまんまのものもありますが、記事中でも言及されているように本当に「何気ない言い回し」を選んでいるとしか思えません。借用部分の日本の該当箇所はこちら↓。

・親父は、まるで大名のような格好で床の間を背に座っている。(新潮文庫版14頁)
・「そんなに心配ならさっさと帰りなさい」(新潮文庫版18頁)
・俺のおっ母さんって人は、馬鹿な女だった。大百姓の家に生まれながら、俺みてえな父無し子を産んで、俺が十一の時に死んじまった。おっ母さんは、そん時まだ二十九だったんだ。おっ父つぁんという人は出入りの小間物問屋だという話だが、会ったことは一度もねえや。(新潮文庫版86頁)
・「ぶちやぶれ!」……(略)最後に灯油を床に流して、導火線を表に引いた。(新潮文庫版92頁)
・やならもう来ねえぜ(新潮文庫版204頁)
・土方がこわくてやくざがつとまるか(新潮文庫版207頁)
・ところがなんだか知らねえが、……(略)年が上だから、どうのこうの、というのは通用しないところです。(新潮文庫版220-222頁)
・けれどもわたしは、口で言うほどあっさりした人間ではありませんからね(新潮文庫版226頁)
・しかし泣きつかれてもこれは困る(新潮文庫版283頁)
・家にいるからといって女房になったわけではなし…(略)私はお勢と一度も寝たことはありません(新潮文庫版321頁)
・伐るのはみんな直径一メートルもある大木です(新潮文庫版374頁)
・この男はじつはあっさりとした奴で、仲間が死んだことなぞぜんぜん意に介していない(新潮文庫版378頁)


ボブ・ディランが『浅草博徒一代』を読んだのは間違いないと思われますが、この剽窃騒ぎはご当人の佐賀純一がディランの借用をむしろ僥倖ととらえたせいもあり、静かに収束しました。
文庫本のあとがきでも、発端であるウォール・ストリート・ジャーナル誌からディランの剽窃のレポートがきた件、BBCをはじめ欧米のマスコミが大挙して取材にきた件、それを契機に復刊した件などを鷹揚に語っておられます。

確かに、ボブ・ディランの「借用」は、ある種の褒め言葉と言えないこともなく、結果としてめでたく復刊も果たしましたし、なによりも、この『浅草博徒一代』という本、ディランが「インスパイア」されただけのことはある一冊でございます。


明日は、『浅草博徒一代』の海外レビューです。



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posted by gyanko at 21:23 | Comment(13) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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