2009年11月07日

五嶋みどり -ニューヨーク・タイムズ紙、1991年の記事 その5 -

最終回です。

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↓こちらを聴きながらどうぞ。1995年、ベルリン・フィル。チャイコフスキー、バイオリン協奏曲第2楽章。
MIdori Goto plays Tchaikovsky 2ndMovement



これほどの観衆の反応を引き出したものはなんなのだろう? 一つにはMidoriのステージ上での魅力的な仮の姿であり、一つには、彼女に張りついた神童のオーラであり、一つにはその息を飲むほどの技巧がある。が、ほとんどはMidoriの演奏の一種、言いがたい音色なのだ。

マクドナルドはこの本質に限りなく近づいている人間であり、こう言う。「彼女は非常に成熟した音楽的才能をもつ人であり、それでいてなお新鮮さも合わせもってる。…なんというか、演奏の中に無垢さのようなものがある。洗練された素質とこの無垢さが揃って、技巧に走ることなく、絶対的な独創性を創り出しているのだと思います」。


だが、Midoriの音楽性になお未熟なところがあることは、だれも、とりわけMidori自身は否定しないだろう。アイザック・スターン(訳注:ユダヤ系バイトリニスト)はMidoriについて「ここ20年で私が聴いた中で最高の才能」と評しているが、それでもやはり「彼女の技巧は驚くべきほどに成熟しているから、現時点での実際の彼女より、もっと音楽的に成熟しているような印象を与えるね」とも見ている。

子供の頃、Midoriが意識的に思考はせぬままに覚えてきた音楽のすべて。それを彼女が今一度、見直したとき、成熟は始まるのだろう。そうして、その成熟には、彼女が、これほどに稀と讃えられる、その自制心を多少、手放すことが必要ともなる。

他の若いバイオリニスト、ナージャ・サレルノ=ソネンバーグ(訳注:イタリア出身。ドロシー・ディレイに師事)やナイジェル・ケネディ(訳注:英国人バイトリニスト。同じくドロシー・ディレイに師事)は、持って生まれた野性を適度に和らげることで、音楽的成熟を果たしている。Midoriもまた、自身に危険を冒すことをゆるさねばならなくなる日がくるだろうが、目下のところ、特徴的な「Midoriスタイル」にはいまだ未来がある。


彼女のスタイルを特徴づけている一つの要素に、日本的な品性というものがある。これまでのところ、前世代の、ヨーロッパ的な背景をもつバイオリニストたちにはないものだ。「彼女はビルナ出身でもオデッサ出身でもなく、大阪生まれだからね」と言うのは、ズーカーマンである。「特質的なことを言えば、オーストリア人的演奏でも中央ヨーロッパ人的演奏でもない。…彼女が習ったのはヨーロッパ的なものだし、現在、習ってるのもそれなのに、ね。彼女の母国語は日本語。だから、結局、すべてのものがいつもMidoriにとってはちょっと外国なんだろうね」。


Midoriの音楽性が成熟しきるかどうかは、彼女のバイオリンの至高のレベルに彼女の人生の中身が追いつくかどうかにかかっているとも言える。現在のところ、彼女の興味は、料理、読書、ショッピング。Midorimはいつも新しいレシピに挑戦しているが、デザート以外はほとんど食べない。「母が食べなさいって強制してくれば、そのときだけは食べますけど」。

読書には貪欲だが、10代向けの恋愛小説の世界からは程遠く、彼女が「イギリスの古典」と呼ぶところの本に関心が向きがちだ。ブロンテ姉妹(訳注:『ジェーン・エア』、『嵐が丘』)、トーマス・ハーディ(訳注:『テス』、『日陰者ジュード』)、E・M・フォースター(訳注:『インドへの道』、『ハワーズ・エンド』)。

Midoriと同年代の友達は今、家を離れ、大学へ通っている。ボーイフレンドとなると、いまだそれはこれからの話だ。彼女はむしろこの手の話題を徹底的に避ける。こう思われるだろうと思い込んでいるのだ。「まあ、かわいそうなMidori。ボーイフレンドをもつ時間もないのね」。

ショッピング。これにはMidoriは大変な情熱を注いでいる。18歳の誕生日に手にしたクレジットカードは彼女の母親の口座のものだ。そのせいで、Midoriは自分が貯めたお金を見たことがない。だが、いかなるイベントであろうと、お金を稼いでいるのだ。「お金の管理は母がしています。私は観客の入りのことを考えていればいいんです」とMidoriはそう冗談を言って笑う。

けれども、本とクラシックのCD以外では、Midoriは自分のために買い物をすることができていない。「いつも弟のものをなにか買います。でも、自分のものとなると、ぜんぶ母にお任せです」。Midoriのコンサート衣装も含めて、買わない場合は、母親が作る。

この母親に丸投げの衣装の件で特別、ばつが悪かったのは、ニュー・ジャージーのモリスタウンでのリサイタルの後のことだった。ステージにはまだ人がいた。節は、カーネギーホール用の衣装候補2着をMidoriに試着させていたが、ドレスのボタンを留めたのも節、外したのも節、Midoriを一回転させ、それから衣装を頭から脱がせたのも節だった。…その従順でなすがままの様子は、まるでからくり人形のようだった。

とは言いながらも、私の心にあるのはMidoriの芸術的才能だけだ。彼女の才能をもっともまざまざと見せつけられた、ある出来事がある。アマーストでのリハーサルの後、Midoriは、エルンスト(訳注:チェコのバイオリニスト兼作曲家。超絶技巧で名を馳せた)のお話にならないほど難しい『The Last Rose of Summer(夏の最後のバラ)』の変奏曲を弾きながら、ステージの端近くでゆらめいていた。彼女の背後数フィートでは、スタインウェイ(グランドピアノ)が、部品をそこら中に散らしながら、騒々しい音を立てて解体されていた。

だが、Midoriは完璧に演奏を続け、バイオリンとともに揺れ、屈み、傾ぎながら、音楽以外の何ものも耳に入っていなかった。そんな片手間の時間ですら、MidoriはMidori自身の小さな世界へ入っていけるのだ。彼女自身を情熱的に直截的に表現できる世界へ。誤解のない世界へ。我々が現実と呼ぶ退屈なものより、もっともっと幸福なその世界へ、だ。●



成熟について少し。
五嶋みどりが目指しているものは、物凄く高潔な自身の理想なのではなかろうかと思います。「Take it easy! 人生って楽しいぜ!」とか「苦しいです、これほど人生が苦しいものとは〜!」という直截的な表現世界ではなく、それをふまえた上で、「じゃあ、どうすべきなのか、どうあるべきなのか」と自分を凝視するような一徹な世界。

五嶋みどりの音楽は抑制されているのではなく、物凄く真面目で不器用な人が、理想に向けて音楽に全身全霊で関っている状態なのだろうなあと感じます。個人の体験や感情が直截的に流れ出ないだけに「自制」されているという印象をもつかたもいらっしゃるのだろうと思いますが、私的には、健気なほどのフルスロットルだなあ、といつも思います。


長々と連載してまいりましたが、ここまでおつきあいいただいたかたがたにまずお礼を。ありがとうございました。コメント等、本当に励みになりました。

この連載記事には「すっこめ」的なコメントもいただいてしまいましたが、……なるべく楽しんでいただけるものをとは思いつつも、どうしてもやりたいものもときどきはございまして、……そんなブログだと思っていただけると、ありがたいです。



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posted by gyanko at 19:00 | Comment(20) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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