2009年11月10日

秋葉原通り魔事件 - 日本の死刑制度を海外ゲーマーが考える -

今日は、秋葉原無差別殺傷事件のトピックです。

この事件では、10人が負傷、7人が死亡し、自然災害以外で初めて複数の災害派遣医療チーム(日本医科大学付属病院、東京医科大学病院、白鬚橋病院、都立広尾病院)が出動することとなったほどの未曾有の通り魔事件でした(Wikipedia)。


秋葉原キラー、「私の罪は万死に値する」と語る。
2008年6月、東京のゲームとアニメとマンガの街、秋葉原で、15人以上が刺され、7人が死亡するという悲劇が起こった。

共同通信社の記事によれば、事件の被告、加藤智大が被害者の一人に手紙を送り、「私の罪は万死に値するもの」と綴っているという。

日本の法律制度には、死刑が存在する。●



このニュースは毎日新聞のサイトでも読むことができます。

加藤被告は、「遅々として進まない裁判に皆さまの怒りも限界ではないかと考え、人として謝罪すべきだという結論に至った」と筆を執った理由を記したうえで、「どんなに後悔し、謝罪しても被害が回復されるはずはなく、私の罪は万死に値するもので、当然死刑になると考えている」、「記憶がほとんどないが、やったことには間違いはなく、罪から逃れるつもりはない」として、「どうせ死刑だと開き直るのではなく、きちんと全てを説明しようと思っている」と公判への覚悟とも受け取れる記述もしています。


この記事についたコメントです↓。


■彼は取り返しのつかないことをした。罪悪感、深い後悔、事の重大さから逃れようと、事件を起こした後、犯人が自殺を図ろうとするのはみんなが知っていることだ。事件を起こし、人生は粉々になるが、その粉々の人生に居残ることだって許されない。アメリカ人はこうしたことは遥かに多く経験している。彼も、ああいう例に倣ったのにちがいない。

■↑アメリカ人が大量殺人を遥かに多く経験してるなんて、なんの歴史の本を読んでるんだ?

■↑肯定はしたくないが、彼は正しいよ。アメリカはかなりの数の大量殺人を経験してる。数週間前、テキサスで起こったのだってそう。その前には、コロンバインの大学での銃撃事件もあった。カフェテリア殺人事件も、学校狙撃事件も、ぜんぶ最近のことだよ。

■↑実際、罪悪感だとか善悪を見分ける能力っていうのは、脳の高い機能だ。殺人者は、さまざまなことが原因で脳が未発達なんだ。脳に損傷があると強い人間ではいられない。

■↑殺人者が自分の行動に罪の意識を持つのは、知能が遅れている場合だ。後で後悔するようなことをやるなってことだよ。本物の殺人者は悪いなんて感じない。彼らは理由があって人を殺す。モラルも高い。

■殺してやれ。…彼がそう望んでるんだから。

■↑それこそが、彼を死刑にしてはいけない理由だよ。永遠に閉じ込めて、彼が犯した罪とともに生きるんだ。

■↑同意する。彼は死刑を望んでいる。ならば、そんな楽な道を与えてはだめだ。彼が舌でも噛み切ったのなら、そのまま死ぬまで失血させるか、刑務所で首でも吊らせるんだね。彼が本当に「死に値する」と感じているなら、そうするだろうから。

■↑うーん……わからないな。どうして、死にたいと言ってるやつを閉じ込めるために税金を使わなきゃいけない? 食事も風呂もダタじゃねえぞ。

■死に値する人間なんていないよ。……つまり、殺されていい人間などいないってこと。

■↑わかるが、たぶん彼は死に値するだけのことをしてしまったんだ。でも、司法によって「殺される」べきではないのは確かだ。

■彼を生きさせろ。毎日、後悔させるんだ。

■↑アホだ。死刑のほうが簡単だろ。

■この記事で2つ、良いと思ったことがある。彼が罪を認めたことと、彼が死刑判決を望んでいること。他の悪人もみんな罪を白状して、潔く受け止めてくれたらいいのにな。

■死は最終手段だ。彼がどんな神を信じているにしても、彼が最後に行き着く場所で彼は裁かれる。それ以上に彼を罰することがオレたちにできるか?

■↑拷問だろうね。つまり、中世ヨーロッパだ。死より酷い刑罰がたくさんあった。

■↑みんなが信仰しているわけじゃない。
でも、税金を払うよりは死刑、というのはどうかな。終身刑が良い案だと思うよ。特に、彼が今、悔いていることを考えると。

■死刑は支持しない。死んだ後は何もなにもないと思う。だから、死ぬことは楽な脱出法でしかない。日本の刑務所は居心地が良いとは思えないし、閉じ込めて、鍵は捨てるんだな。

■自分が死に値すると認めたってことは、命の価値を彼が理解したってことだと思う。彼が気が触れてるのじゃない限り、本当に彼が自分で手紙を書いたのなら、オレは真っ当だと信じたいよ。懲役も死刑もどっちの立場でもオレはない。でも、これだけは言える。彼は命の尊厳を理解した。怒り狂って、人々を殺したけれど。

■死後の審判とか死後の世界を疑ってる人は多い。正義とはここで、地上でなされなければならないものだ。

■彼の告白が命の価値を理解したことを意味してるのは本当だろう。でも、別の可能性もある。彼が信じられないほど頭の良い人間で、謝罪によって人々の同情を買おうとしているかもしれないってことだ。たぶん彼は実際には死にたくはないだろうが、自分の告白が大衆の心に訴えれば、人々が同情して、減刑嘆願してくれると考えてるかもしれないよ。これは可能性という話だけれどね。

■↑すごくありそうな話だ。否定はしない。でも、彼は7人の人を殺した。最も軽い判決でも、終身刑だろう。これだって軽くはない。

■終身刑になるべき。日本では、死ぬより屈辱的なことだろうし。

■この悲劇を最初に聞いたときは、本当に悲痛な気持ちだったよ。

■彼はいつでも自殺できたろう?

■神は、僕がかつて最悪のことをしでかしたことを知ってる(これからしでかしてしまうだろうことも、しでかし続けていることもだ)。でも、そのために僕がいまだ罰されたことがないのは確かだ。みんなは知らないが、オレは知っている。この男のような冷血な殺人者たちに、たいまつをかかげて、熊手を突きつけて吊るし上げるなら、一方で、自分自身の行動も思い返してみるべきだ。

オレは人の命を奪ったことはないが、多くの人々の感情を傷付けたし、たぶん誰かを殺したいと思ったことだってある。殺意を抱かせるほど人を怒らせたこともある。オレの言葉がお決まりの街頭演説みたいに陳腐だってことはわかってる。でも、この男の命を奪ったって、失われた7人の命が戻るわけじゃない。数人の人が溜飲を下げるかもしれないが。この男がやらなきゃいけないことは、過ちから学び、よりよい人生を送ることなんだ。

彼が死刑を免れたとしても、刑務所で残りの一生を自らの行動を後悔しながら生きるというのは、本質的にもう彼は死んでいるのと同じだろう。

■↑殺人は犯罪としては、特別なものだ。なぜって、どうあっても正当化はできないから。彼は7人の命を奪っただけじゃない、彼らの未来のすべてを奪ったんだ。7人だぞ。どれほど反省したところで、この男が死に値するという事実を変えることはできない。いや、死に値する以上、それより酷いことをしたんだ。あるがままに言うことは、「吊るし上げ」なんてものとはちがう。

■↑他の犯罪はぜんぶ正当化できるってのか? じゃあ、小さな子供の処女を取り戻してあげられるんだな?ちょっとカウンセリングすれば、彼女を元の道に戻してあげれるんだな? もちろん、数百万ドルの裁判が最近は大流行りだ、金が失ってしまったものの代わりになるからね。

キミに反対してるわけじゃない。主要は部分では同意だ。失った命を取り戻せないことも、何もやり直せないことも。オレが言いたいのは、この男が死に値しようとしまいと、こいつを処刑してしまったら、なにも改善しないってことだよ。

■死刑を望む人間は、地獄を知らないんだな。彼は宗教をもってないから、行く地獄もないと考えているのかもしれないな。

■罪の重さを認めて、明らかに後悔してるのは嘘ではないんだろう。犯罪者の更生は最も重要なことだと思う。
個人的には、世間には、社会から抹殺してもいいと信じる多くのアニマルがいる。いい例がドニプロペトロウシクの殺人(2007年にウクライナのドニプロペトロウシク市で19歳の少年3人が21人を殺害した事件。スナッフビデオが流出し、世界を震撼させた)だよ。

■↑日本社会とマスコミは、この手の犯罪には真っ当な反応をするよ。大量殺人者に対してアメリカがやるような、きれいごとの報道や同情はない。犯罪者は、後悔を知る機会をもてる。

■彼が本当にそう思っているのならば、更生のチャンスはあるというのには同意する。でも、彼は、犯した罪を償うことは、人生をもってしても死をもってしても絶対にできないだろうがね。
後悔とともに生きることは、殺されるより遥かに辛いことだ。

■死が良い刑罰とは思わないな。たとえ、大虐殺に等しい大量殺人を犯したやつであっても。
ハンムラビ法典は時代遅れ。殺人犯を死刑で罰せるわけじゃない。ここで大事な問題がある。…つまり、殺人犯に死刑判決を出すってことは、犯罪を犯した人間を同じ犯罪で罰するってことだ。これじゃ、司法の信頼性が揺らぐ。
人に人を殺す権利はないのに、司法はやるってんじゃ正義とは言えない。殺人が犯罪なら、例外は作るなってことだ。殺人が違法である限り、司法が死刑を扱うことはできない。そうじゃなきゃ、司法が空虚で無意味なものになってしまう。矛盾してるんだよ。

■↑ふさわしい刑罰がない場合、どうするんだよ。パソコンにウィルスが入って、ファイルが消えた。お前、どうする? 消すだろ(もちろん問題はもっと複雑だけど)。人間の命はファイルなんかよりもっと大事なものだ。理由もなしに命を奪えば、刑罰はその罪にふさわしいものじゃなきゃいけない。目には目をって法則が世界を暗闇にしているっていうなら、7人の目を奪い、15人を傷つけた人間にはどうすりゃいんだ?

キミの言いたいことはわかる。殺人と死刑の大きな違いは、殺人の場合、それが不当な方法で実行されるってこと。司法の判決の死刑は、問題を除去するためのもの。死刑がなかったら、みんな人を殺しても、刑務所に入って、また殺人を続けるだろうって話だよ。殺人が繰り返される。

この議論はいつだって決着をつけるのは難しい。正直、殺人なんかなければ、刑罰のことだって気にしなくていいんだ。いずれにせよ、争点ではあるよ。

■生物学的視点から言えば、遺伝子異常からくる精神的な病をもった人間を殺すのは、遺伝子異常を再生産して次世代に送り込むことを防止できる最良の方法だよ。

安心しろ、本気で言ってるわけじゃない。

■書くべきじゃないかもしれないが、この記事が、死刑の議論にこんなに早くなるとは思っていなかったから。

これを言わせてくれ。
オレはあそこにいたんだよ。通りの反対側で、すべてを見て、すべてを聞いた。トラックの衝突、殺傷、人々、後遺症。
そのときまでPTSDがどういうものかオレは理解してなかった。

数時間後、ホテルに戻ったとき、オレがホテルのコンシェルジェに言った言葉の一つは、「日本には死刑はありますか?」って質問だったよ。オレはそれまで一度だって死刑を支持したことはなかったのに。

いや、言ってしまえば、あのときほど今は賛成はしてない。でも、ある程度、刑罰は犯した犯罪に見合うものであるべきなんじゃないのか?人の命を奪っておいて、なぜ自分は生きられる?人に人を殺す権利がないのに、司法が人を殺す権威をもっているのは正当ではないが、司法は犠牲者のことを考えて、犯罪を裁量しているんだ。

■ローマ人が良いアイディアをもってたよ。魂をもたない殺人者同士に殺し合いをさせるんだ。みんなはそれを見て楽しむ。これで、ローマは平和を守ってたんだよ。

■↑いや、日本だし、切腹がいいだろう。たぶん、テレビで生中継だな。……ちょっと冗談としては趣味が悪かったか。

■人を殺したら、自分も生きる権利は失う。この男は7人殺したんだ。こいつに更生してほしいなんて誰が思ってるっていうんだよ?僕に言わせれば、彼は人ですらない。狂った獣だ。他の誰かをまた殺す前に、消したほうがいい。

■↑この世界に生まれながらに邪悪な人も、病んでる人も、怪物もいない。どう育てられたかって問題だ。人生が人格を作る。この男は、しんどい人生を送ってきたんだろう。僕たちには理解できないような出来事があって、人生のほとんどを虐められて、怯えて、怒って、混乱しつづけてきたのかもしれない。

テレビやラジオで、殺人を犯した人が自殺したのを見聞きするたびに、犠牲者より犯人に同情してしまうんだ。だって、ちょっと考えてみてくれ。どんなトラウマがあって、殺人を犯してしまったんだろう。銃をもってて、誰かを撃てって命令されたって、できるもんじゃないよ。だって、どうなるかわかってるんだからさ。行動で人を判断はできないだろうけど、どれだけの苦悩、苦痛があって、そんなことをしたんだろうって思う。

この男の人生を経験したら、間違いなく僕やキミだって、同じことになったろう。

■↑環境と遺伝だね。酷い経験をした人も、酷い幼少期を過ごした人もたくさんいるんだ。でも、彼らは殺人者にも、虐待する人間にもならない。そうして、殺人犯がみな、酷い人生や幼少期があるわけじゃないんだよ。



永山則夫はすでに故人ですが、かつて連続ピストル射殺事件で4人を犠牲にし、死刑判決を受けました。彼は獄中で執筆活動を始め、1983年に小説『木橋』を発表し、これが第19回新日本文学賞を受賞しました。

このときの選評で、選者の作家が「もし、彼が本当に反省しているのならば、生きてはいないはずだ」と評しているのを読んだことがあります。人を殺したという罪の意識は生きて耐えられるものではないということだと思います。


死刑の議論を読んだり、聞いたりするたびに、思い出す話です。
posted by gyanko at 19:00 | Comment(99) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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