2010年03月31日

米国ウィキはそれをどう説明してるのか - ロリコン -

やろうやろうと思いつつ、伸ばし伸ばしになっていた米国Wikipedia『ロリコン』でございます。

性表現の規制が叫ばれている昨今、タイムリーな面もあるかもわかりません。長いですので、茶でも飲みつつどうぞ。


Lolicon
ロリコン


ロリコンは、ローマ字でrorikonと綴る。日本語の「ロリータ・コンプレックス」という混成語であり、少女へ惹かれる気持ち、またはそのような気持ちをもった個人を表す。
日本国外では、この用語は馴染みは薄く、もっともしばしば言及されるのは、子どもっぽい女性キャラクターがエロティックな手法で描かれるマンガやアニメのジャンルとしてである。

この成句はウラジーミル・ナボコフの著作『ロリータ』から来ている。これは、中年の男が12歳の少女に性的に執着するようになるという話である。
若い少年に対して惹かれる気持ち(また、そのエロティックな描写が関連するアート)を表す相応の言葉にショタコンがある。

ロリコンというジャンルが、実際の子どもへの性的虐待の一因となっていると主張する批評家もいるが、一方で、そんな証拠はない、あるいはそうではないという証拠があると主張する人たちもいる。
チャイルド・ポルノの1類型として、ロリコンの性的に露骨な形態を犯罪とみなそうという働きかけをしている国もあり、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、スエーデン、フィリピン、アイルランドなどは実際に実施している数少ない国々である。

日本国内では

一般に、ロリコンという用語は若い少女や若い特徴をもった少女に性的に惹かれる気持ちを表現するのに使われる。別の言葉で言えば、実際のペドフィリア(訳注:小児性愛)やエフェボフィリア(訳注:思春期の児童に対する大人の性的関心。思春期前の児童を対象とするペドフィリアと区別される)、またはそう見なされるものを言う言葉とも言えるが、厳密には日本語のロリータ・コンプレックスはペドフィリアのみを指す。ただし、ロリコンという略語になると、そうした性的倒錯をもった個人をも指している。

ロリコンは日本では広く行き渡った現象であり、学術記事や批評の主題としてもしばしば取り上げられる。多くの一般書店や新聞の売店スタンドでイラスト化されたロリコンものがオープンに売られてはいるが、ロリコンマンガに対する警察の動きも続いている。
ロリコンに購買層を特化している店舗もある。消費者は20代〜30代のホワイトカラー層と言われ、フィギュアやアクセサリーといったロリコン商品の高価格に不平を言わない層である。

「かわいい」スタイル(キュートと訳される)は日本では非常に人気があり、マンガやアニメの様式の多くで見られるものだ。学生服を着た女学生は日本ではエロティックなシンボルでもあり、米国のチアリーダーのイメージと比較できるだろう。
ブルセラ・ショップは、ロリコンの男性客に使用済みパンティを売る商売だし、テレクラ(テレフォンクラブ)を通じて男性が十代の少女とデートをすることができ、女子学生のアルバイトとしての売春もある。

同時に、こうしたものは、日本文化の変態(pervert)とかわいい(cute)のはざまに存在する「奇妙な組み合わせ」である。逆に言えば、かなり大げさな茶番劇の流れ(すけべおやじの典型的な例としては、『ドラゴンボール』の亀仙人、『らんま1/2』の八宝斎)は別として、年配の人間に対して大変な敬意を払うという文化のおかげで、マンガの中で年配者が「エッチ」な行動をとることがそぐわないものになっているのだろう。

子どもや子どもっぽいキャラクターが登場する性的なマンガはロリコン・マンガと呼ばれている。チャイルド・ポルノは1999年に非合法となってはいるものの、日本ではロリコン・マンガは一般に合法である。
ロリコン・マンガは通常、短編であり、同人誌、あるいは『レモンピープル』、『漫画ブリッコ』、『コミックエルオー』といった、このジャンルに特化した雑誌として出版される。
ストーリーは普通、教師と生徒、兄と妹のような禁忌の関係に焦点が当てられ、他には子ども同士の性的な実験を扱ったものがある。
また、服装倒錯やふたなりといった他の変態ジャンルとクロスオーバーしたものも中にはある。
こどものじかん』は、ポルノではないとはいえ、こうしたシリーズの1例だが、プロットのテーマにロリコンを引き入れている。

ロリコンは、スーパーフラット(訳注:村上隆が興した現代美術運動。Wikipedia)展覧会の研究テーマでもある。

起源

ロリコンという用語が日本で使われ始めたのは、1970年代初期、ラッセル・トレーナーの『ロリータ・コンプレックス』の翻訳本に始まる。和田慎二の『不思議の国のアリス』のマンガ・パロディ、1974年の『キャベツ畑でつまずいて』の中でこの言葉が使われている。

ロリコン・マンガというジャンルには、1980年代初頭の吾妻ひでおの『海から来た機械』のような作品が密接に関係している。吾妻は、それより前にも自身の同人誌『シベール』で、少女を登場させた性的マンガを発行している。それまでのポルノマンガの大半が劇画に影響された成人女性を登場させたものだったため、吾妻の作品は男子学生の読者の間で人気となった。だが、吾妻のマンガは、多くの性的な要素を含んでいたにもかかわらず、厳密にはポルノではなかった。

吾妻の成功に乗じて、『漫画ブリッコ』や『レモンピープル』といったマンガ雑誌が思春期前の少女を登場させたマンガを載せ始めた。1980年代を通じて、こうした雑誌で掲載されていた著名なロリコンマンガ家には、みやすのんき、藤原カムイ、あさりよしとお、内田亜紀がいる。


訳注:吾妻ひでおのWikipediaによると、「彼がエロ劇画誌の『劇画アリス』や自販機本の『少女アリス』に作品を発表したことは、漫画の世界での表と裏の境界を低くする動きの始まりととれ、また、『少女アリス』に発表したいわゆる「純文学シリーズ」は後のロリコン漫画に直接につながる作品である。大塚英志は純文学シリーズを「おそらくは最初の確信犯的な「ロリコンまんが」」と表現し、それ以降のこの手のまんがは吾妻の拡大再生産にすぎないとすら言っている」。

ジェンダー・ロール

シャロン・キンセラ(訳注:イエール大学社会学部助教授。日本文化を研究)は、ロリコン・マンガは1980年代後期の少女マンガの副産物であると書いている。少女マンガには、ホモセクシュアルなラブストーリーや、少年向け/成人向けマンガのパロディが含まれていた。

これは、アマチュアのマンガ・コンベンションにより多くの男性が参加するようになったり、コミケットに少年のアマチュアマンガの新ジャンルが登場するにつれて起こったことである。
キンセラは、アマチュアのロリコン・マンガにおける「ジェンダーに対する態度」と、少女マンガの男性ファンのジェンダーに対する態度を区別をしている。

女性によって創られたパロディ・マンガには冷笑的な男性のステロタイプがあり、男性ファンにも女性ファンにもアピールするものであるのに対して、ロリコン・マンガは「通常、ヒロインは、大きな目と、肉感的でありながら子どもっぽさを合わせ持った体の少女で、1970年代のビキニと宇宙時代のアーマースーツの中間のような、ほとんど服をきていない格好をしている」。これは、日本社会で急激に力を増した若い女性に対する恐怖と欲望の双方を表現しているという。

キンセラはまた、1990年代のイギリスや米国では、アニメーション・ビデオのジャンルは輸入ものも含めて、ロリコン・マンガから派生したものが優勢だったと指摘し、こうした国々の女性たちが似たような、社会的文化的体験をくぐり抜けてきていることを示唆している(訳注:女性の地位の向上、その反動としてのロリコン・マンガの優勢)。

ロリコンと解釈されている作品を書いている女性マンガ家には、青島千穂(『The Red-Eyed Tribe 』)(訳注:現代芸術家。『The Red-Eyed Tribe』はこちらで見れます)、タカノ綾(『Universe Dream wall painting』)、私屋カヲル(『こどものじかん』)、杉崎ゆきる(『りぜるまいん』)がいる。
男性作家には、町野変丸(『Green Caterpillar's Girl(訳注:邦題不明)』)、富沢ひとし(『エイリアン9』、『ミルククローゼット』)、ボーメ(原型師)(訳注:わからず)がいる。

日本人アニメーター、宮崎駿は1988年のアニメージュとのインタビューで、女性主人公のほうが好きだが、「難しい。すぐにロリコンごっこ(ロリータ・コンプレックスの男性用の遊び道具)の題材になってしまう。ある意味、我々にとっていいと思うものを表現しようと思ったら、できるかぎり可愛らしく描かざるをえない。とはいえ、今、あまりにも多くの人が、恥知らずにも、まるでただのペットであるかのように、主人公の少女を描く。これはどんどんエスカレートしている」と語った。宮崎は、女性の人権に関わることかもしれないとして懸念を表明したのである。

日本国外では

西欧世界では、ロリコンは多くの意味をもつようになってきている。アニメ、オタク、変態といった他の言葉の意味をも含んでいるのだ。
西欧では、ロリコンと言えば、思春期前の少女や子どもっぽいキャラクターの性的、あるいはエロティックな描写を含むマンガやアニメを言い、日本のロリコンマンガとかなり同義である。西欧におけるロリコンという言葉の使い方は、露骨な表現ではないときですら、公然とエロティックな題材であることを示している。

論争点

どんな作り物であろうとも、幼児虐待を防止するため、子どもの猥褻なイメージは犯罪であると法律によって規定されてきた。セックスの対象として子どもを描いた猥褻な架空のイメージが、子どもの性的虐待の一因になっているかどうかは争点である。

この論議は、因果関係に科学的基盤がなく、絵やアニメのゲーム、動画における性的表現を制限することが、実際には性犯罪を増やすことになるのではないかという主張とぶつかってきた。犯罪の引き金になる欲望の無害なはけ口を排除することになってしまうというのである。
一例として、ヴァージニア出身の男が逮捕された際に、「公立図書館でロリコンを閲覧した後、本物のチャイルド・ポルノを収集するのはやめ、ロリコンに切り替えた」と強く主張した事件がある。

文化評論家の東浩紀は、ロリコン・マンガの読者で犯罪に走るものはごくわずかだと言っている。ロリコンは、「社会に対する最も便利な反抗の形」だという。

ミルトン・ダイヤモンド(訳注:ハワイ大学教授。解剖学と生殖生物学。性別に関する研究、性の自己認識の起源についての研究で有名)と内山絢子(訳注:目白大学現代心理学教授)は、1970年代から日本でポルノが劇的に隆盛してきた一方で、少年犯罪や13歳以下の子どもへの暴力も含む、性的暴力が劇的に減少しているという報告には、強い相互関係があると見ている。彼らは、デンマークや西ドイツでも似たような研究結果をあることを引用している。

この二人の研究概要では、性的に露骨なものが広く行き渡っている国々で性犯罪率の増加が抑えられえているという関連性は立証はされなかったが、1970年代以降の日本の性犯罪率が減少していることは、彼らの研究で解説されているさまざまな要素が影響しているかもしれないと述べている。

シャロン・キンセラは、1990年代後半に女子学生の売春を報じる、根も葉もない記事が増えたのを見て、こうした根拠のない報道が増加したのは、慰安婦報道が増えた反動ではないかという仮説を立てている。つまり、自発的に売春するハッピーな女の子のイメージによって、慰安婦の犯罪イメージを帳消しにしようとした可能性があるというのだ。

日本の非営利団体、CASPAR(訳注:アジアの性虐待と貧しさに苦しむ子どもたちを救う会)は、ロリコンや他のアニメ雑誌、ゲームが性犯罪をまさに助長していると主張している。このグループは1989年に創立され、ポルノ雑誌やゲームの中の未成年者の描写に対する規制運動を行っている。

この問題に人々の注意が向けられたのは、宮崎勤が1988〜89年にかけて4〜7歳の少女を誘拐して殺害し、遺体にネクロフィリア(死体愛好症)的行為を行った事件のときである。東京高裁は、宮崎を正気であると裁定し、事件は宮崎の性的妄想から発し、あらかじめ計画されたものだったと述べた。宮崎は2008年6月17日に絞首刑となっている。

未成年を描写した性的マンガに人々が反感を抱いたのは、2005年、有罪判決を受けたことがある性犯罪者が、奈良で7歳の少女を殺害した容疑で逮捕されたときだった。犯人の男がロリコンであると疑われたのである。が、そうしたメディアの憶測にもかかわらず、犯人の小林薫はほとんどマンガやゲーム、人形に興味をもっていなかった。
とはいえ、彼は、高校時代にアニメのポルノ・ビデオを見たことで小さな少女に興味をもつようになったと主張していた。小林には死刑判決が出ている。

2003年に創設された京都の非営利団体、ジュベネイル・ガイドの代表、長岡道子によれば、毎年、日本で出されているフィルムやゲームを含む、ポルノ・アニメ作品2000本のうち、約半数に女子学生のキャラクターが登場するという。

2008年3月11日、日本UNICEFは、日本のマンガ、アニメ、ゲームにおける未成年の性的描写の禁止を含めた、チャイルド・ポルノの更なる規制を要求する声明を出した。が、こうした禁止規制は、目下のところ日本の公的機関では考慮されていない。●



ジェンダー・ロールのシャロン・キンセラのパートは、コミケでヤオイが広がり、一方で男性客が増えるうちに新しい男性向けマンガも生まれ、少女マンガ、ヤオイの影響を受けつつロリコンが生まれていったと私は読めたのですが、具体的にいつのどんな状況を言っているのか見当がつかず…。そんなことあったのかなあ…という。


訳文中に出てきた町野変丸は、村上隆率いるHIROPON FACTORYなどでアーティストとして海外や国内で芸術活動を展開なさっているそうで、ロリコンを現代文化の一側面として捉えることで、社会や文化の根底に迫る題材にしようという目論みなのかもわかりません。

ただ、マンガは検索して絵を見てみたら、えらいこっちゃでした…。


<御礼>Borne=ボーメ(原型師)をお教えいただいたかた、ありがとうございました。元のWikipediaもスペルを間違えているものと思われます。BorneとBome、確かにパッと見、似ております。



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posted by gyanko at 18:00 | Comment(46) | TrackBack(0) | マンガ・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月30日

海外の反応 - 夏目漱石の『こころ』-

本日は、夏目漱石の『こころ』の米アマゾン・カスタマーレビューでございます。

すでに著作権が切れており、青空文庫で読むことができます。あらすじは、こちら

全レビュー47件中、
5つ星:27件
4つ星:12件
3つ星:3件
2つ星:1件
1つ星:4件


Wikipediaにによれば、恋愛をめぐる友情の裏切りとその清算という筋書きを通して、「人間のエゴイズムと倫理観の葛藤を表現」した小説。同時に、「明治天皇の崩御、乃木大将の殉死に象徴される時代」背景の中で「大正という新しい時代を生きるために、登場人物を「明治の精神」に殉死させ」たのだそうでございます。


まずは、109人中104人が役立つと評価したレビューから。

評価:★★★★ 友情と自己犠牲の影
マサチューセッツ、米国

多くの例外はあるとはいえ、西欧の古典小説といえば、プロットと多少のアクションで小説を形作ることに重点を置くのが普通だ。が、日本の小説は、まず人間感情に焦点を合わせ、プロットがかなり控えめな二の次となる場合がしばしばある。夏目漱石の小説はまさにこの骨子に乗っ取ったものであり、『こころ』はその典型例だ(「こころ」とは、ハート、フィーリングを意味する言葉)。

この本は三部構成である。第一部は、「私」と先生の人間関係を探っていく。孤独で知的、世間とほとんど接点をもたないが、純真な「私」に人生を語る「先生」。一方、「私」は、カルロス・カスタネダ(訳注:ブラジル生まれのアメリカ人作家)の『呪術師と私―ドン・ファンの教え』(訳注:インディアンのシャーマン、ドン・ファンに弟子入りしたカスタネダの体験記)を淡く思い出させる。というのは、「私」は納得することを断固として拒む人物なのだ。

第二部は「私」と両親の関係が描かれている。第三部は最も長いパートであり、若い「私」に、なぜ自分がこんな人間なのか、つまり自身の人生を語る先生の遺書である。ここで、先生と、お嬢さん、そうしてKという一人の男の関係が深く探られていくのだが、プロットと言っていいものはほとんどない。恋愛の三角関係であり、2人の人間が自殺するにもかかわらず、夏目漱石が注力するのは人物の思考であり、行動の詳細ではないのだ。

漱石の技巧は、人格の探索で読者を魅了できるほどのものだ。ゴテゴテとした心理分析も、セックスも、壁を叩くほどの絶望も、特別な解釈もない。…たとえば、まず第一に「私」がなぜ先生を好きなのかすら説明はないのだ。だというのに、小説の終盤になると、読者は、「私」と先生、そうして哀れなKに強烈なイメージを抱くにいたる。彼らがなぜそうしたのか、どう感じたのか、そうして、世界の偉大な文学がそうであるように、人間のどうしようもなさ、人生のむなしさを理解することになる。

こうも言えるかもしれない。漱石は、人間の友情のさまざまな影を描き、真の友情とは本当に存在しえるものなのかを問っている、と。当然、そこから導き出されるのは、私たちはみな一人ではないのか?という問いかけだ。

人間は自己犠牲を語るが、利己である場合のほうがもっと多い。孤独の神殿で犠牲になるのは自身ではなく、他者なのだ。この本には普遍的なテーマがあり、だからこそ再読してしまうほどに面白い。
現代日本文学への最初の良い1冊を探しているなら、この本は確実に素晴らしい選択だ。……成熟した、示唆に富む、よく出来た一冊である。●



次は45人中41人が役立つと評価したレビュー。

評価:★★★★★ 愛、忠誠、そうして喪失

愛。忠誠。喪失。これらは日本の芸術に見出されるテーマであり、『こころ』にはそのすべてがある。「こころ」とはハート、ソウル、あるいはスピリットのことなのだが、この本はまさにそのタイトルに忠実だ。薄いこの本の中には、魂の遺書があり、若者と年老いた者の、男と女の、そうして古代と現代の心が並列している。愛とは何なのか。友情とは何なのか。責任とは何なのか。

文章のスタイルはゆっくりとしていて、繊細だ。考えや言葉は正確で簡潔。翻訳は、原文に確実に沿っていて素晴らしい。思考についても、自然な人間感情を描いているので、ほとんど解説は必要なく、万人に理解できるものだろう。
ただ、重大な、乃木大将の殉死のような文化面での出来事には抜け目なく脚注がつけられ、物語の理解を深めてくれる。

基本構造は、先生とその妻、若い男とその家族のシンプルなストーリーだが、そこに感情が綴られ、それこそがこの小説の焦点だ。

全体として、非常に日本的な味わいの小説ではあるが、国の垣根を越え、「こころ」の内側をまさに掴んでいる。●



21人中20人が役立つと評価したレビュー。


評価:★★★★ 呆然とするほど見事

『こころ』において、漱石は、簡素な文章で読者を感心させつつ、同時にゴージャスで、視覚的に唖然とする言葉にも決して不足はない。美しい文章で描かれながら、この本は人間の欲望の最も基本的な部分を呼び覚ます。…そう、交際への欲求とそれを奪われたときの結末だ。●



批判的なレビューの中で、最も役立つと評された(9人中9人)レビュー。


評価:★★★ ゆっくりではあるが、詩的な死…悲劇的な主人公の誕生

夏目漱石は、全編を通じて、徹頭徹尾、動かない、あるいはほとんど動かない登場人物たちの小説空間を作り上げた。すぐにわかるのは、小説が、先生という男に中心的に焦点を当てていることだろう。過去が謎に包まれたこの男は、物語の最終で謎が解き明かされるまで、サスペンスに満ちた好奇心を喚起してくる。

若者と先生の関係は、双方にとって寂しさを慰めるものなのだが(若者は現代の東京育ち、老いた先生は妻と二人きりで暮らしている)、先生が決して話そうとしない謎めいた過去が影を落としている。語りから、先生が内面深くで葛藤している苦悩は感じ取れるのだが、その理由が明確に語られることはない。長い年月が過ぎ去った今もなお、先生は暗い不安に苛まれ続けているのだ。
先生の苦悩と不安に満ちた行動の理由が若いときの友人、Kの自殺であったことが明かされるのは、先生の遺書の中でであり、この遺書が物語の下巻全部を占めている。

遺書によって、私たちが知るのは、先生の最も傷ついた部分だ。そうしてまた、「お嬢さん」を巡る嫉妬から、先生がKに抱いた感情に対する罪悪感が日に日に重くのしかかっていったことがわかる。
実際、その感情の混乱の中にストーリーがあり、それがこの小説の中核でもある。悲しいことに、彼らは自分たちが犠牲者であることを知らない。後に先生の妻となる「お嬢さん」もそうだし、死んだような人生から逃避を図った師を前に、途方にくれる「私」も、ある程度そうだ。

最後になって、我々は、物理的かつ感情的な、ある種の解決策を見る。自らの人生を終わらせることで友への誠意を尽すという、当初からの先生の計画が実行されてしまうのだ。そこに悲しみはない。漱石は終盤、仮に先生が死んだように生き続け、消えることのない罪と、周囲、特に「お嬢さん」を巻き込む、妥協なき罪悪感が続くほうがはるかに酷いことだとはっきりと指摘している。

そしてまた、先生は「美」を死守しなければならなかった。真実や妻と二人の幸せを取り戻す機会を犠牲にしてでも、自らの死によってなされる復興の象徴として死ぬのだ。婉曲な言い回しではあるが、漱石は、正しい行いを通じて心の平和を取り戻させることに成功している。

結末にいたる頃には、我々は先生を、善良だが、究極の欠点があり、心底臆病な男が最後に正しいことをして人生を終えたのだと考えざるを得なくなってしまう。

不運なことには、臆病さやKへの嫉妬という、多くの問題を抱えた先生の内面をじっくりと描いていることが、この小説を読む上での大きすぎる障害でもあり、物語の進行を麻痺しそうなぐらいにゆっくりにしてしまっている。哀愁を引き出すことには成功しているが、多少、パターン化した苦悩の繰り返しな嫌いもある。登場人物が物語中で変貌するようなこともまったくないように思う。

実際、感情的な対立が心をダメにするという理不尽な波乱を描いているだけに、物語のロジックも回りくどいところがある。私としてはここが多少鬱陶しく、特に苛立ったのは、3部構成の中で、先生と「私」の関係が深まっていくさまを描いていた第一部の痕跡がまったくなくなってしまうことだった。
最初の部分の親と子にも似た関係に二度と触れないという、この終わり方では締まらないとは漱石は気づかなかったのだろうかと疑問に思ってしまう。ならば、小説の前半部分は必要がない。最終的には、英雄的な行動を取れる人間であることを立証した男の悲劇を描いた話なのだから、最後の遺書の部分だけで、愛に対する憂鬱な感傷は十分に辿れたろう。

この本が輝いていることは確かだ。愛が双槍のようだと論じる部分は特にだ。一人が愛を勝ち取れば、同時に相手から愛を奪ったという罪がそこにある。これが漱石の大きなメッセージであり、この物語を語ろうとした動機でもある。文章が、その最も重要な部分でもっと濃縮されていたら、さらに説得力があるものになっていただろう。はっきり言えば、最初と最後だ。もっと短い物語だったら、メッセージの強烈さが失われるなかったのだ。実際のところは、良く言っても、テーマが、薄められて過度にメロドラマ的になってしまっている。
こうしたことはアマチュア・ライターの特徴的な間違いで、よもや漱石のような伝説的作家の著作で出くわすとは思わないはずのものではある。●



最後は、1つ星のレビューを2本。最初は中で一番評価が高かった28人中14人が評価したレビューを。

評価:★ ほとんど信じられないぐらいに過大評価されてる

この本を再読したあと、現代日本文学のクラスで講義とディスカッションがあった。正直に言えることは、この本は僕が読んだ中で最も過大評価されてる本の1つだということ。

『こころ』は技術面で弱い。小説というものは一般に、起承転結の要素からできているものだが、この本は起か結しかない。これが起なのか結なのか僕は見分けられないでいる。
物語中で登場人物が死ぬというのは、明らかに読者の感情をいくばくか揺さぶる意図があったのだろうが、漱石の仕事はお粗末だ。登場人物の誰一人として面白くないし、登場人物が死んだことへの同情のようなものを押し付けられるという徹底的に一次元なものでしかない。
読者は登場人物のことを熱心に気にしてくれるものだと思い込んでいるかのようだ。そんな思い込みはどんな作家であろうとくだらないというのに、これが日本が生んだ最高の小説家の一人と考えられている人なのだからさらにとんでもない。

小説の大半は、なんの関連性もない描写に費やされている。漱石の達者な詩的言い回しを見せ付けるという言い訳以外に、なんの目的もない。10ページも読めば、絶対にこう自問するだろう。なにが言いたいんだ?常に、展開を暗示する文章がまた並んでいるだけの話。

本の全編は、極端なまでにありきたり。実際、『友だち』(訳注:ジョン・ノールズ)を読んだことがあるなら、下巻で話がどうなるかは正確にわかるだろう。出来事が予見できることと、登場人物の感情の鈍さが、そこに本来ならあるはずの哀愁を薄めてしまってるんだ。

こういう先が予想できる流れというのは、手の込んだ運命の必然性を強調するのに使うこともできるけど、そういう場合は、登場人物をすでに知っているか、理解している必要がある。そんな登場人物もいないとなると、読者はいつ終わるんだろうって思いながら取り残されるだけになる。

本の中で、人間関係の性質について、漠然と興味深いことをいくらか言ってもいるけど、そういうメッセージは随筆の形のほうがより明快だったろうな。話の下手さ加減、陳腐さ、不器用なほどの先のわかりやすさは、無価値だし邪魔。

夏目漱石の著作には、価値ある作品もある。『我輩は猫である』は僕の個人的お気に入り。でも、『こころ』は良作ではない。このとんでもなくダラダラした、先が読める、徹底的に陳腐な本を超える小説がたくさん日本で生まれていることを考えると、偉大な日本の小説としてのこの本の地位は、当惑する事実だ。

kono hon ga yahari dame de aru(原文ママ)●



24人中3人が役立つと評価したレビュー。

評価:★ ワーーーーオ、くだらないわ。

世界の文明の講義でこの本を読まなきゃいけなかった。この本はひどすぎる。どんな授業でも使うべきじゃないよ。前半は不必要だし、後半は劇的なまでに切り詰められてる。展開を暗示的に見せるのは良いところだけど、そこだけ、本の半分は要点がない。Kって人物にも問題があるよ。

なんで、同じ水泳場に行くんだよ?何度も何度も会いにいくのはなんでだよ?馬鹿馬鹿しい。本の残りも同じく馬鹿馬鹿しい。好きだった女の子がかぶって、友達がその女の子といっしょにいることに罪悪感を感じてないからって、自殺するやつなんかいないわ。いや、現代の話じゃないのはわかってるって。でも、彼女を誰かがゲットしたら、他の男は別の女の子を見つけるもんなんだよ。

どうして自分がこれを書いてるのかよくわかんないよ。こんな退屈な本を読まなきゃならなかったことにアッタマにきてんだと思う。僕と同じ状況のやつに同情するよ。この本と、本のテーマは随筆か短編で書くべきだった。そうしたところで何も失われないし、そうしたら誰の時間も浪費しなくて済んだろうに。このレビューで、この本を買わないってみんなが決心してくれるといいなあって思ってる。この本を買うぐらいなら、かわりに壁でも見つめてたほうが絶対マシだから!!!!!!!!!!!!!●




『こころ』を読んだのは高校時代なのですが、レビューを読みながら、え、そうだっけ?という箇所があり、読み直すことにしました。青空文庫、便利ですなあ。


今回、『こころ』のWikipediaを読んでいて、初めて「高等遊民」という言葉を知りました(Wikipedia)。「明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由が無いため、官吏や会社員などになって労働に従事せず、読書などをして過ごしている人のこと」だそうです。…いいですなあ…。



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posted by gyanko at 23:49 | Comment(67) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月27日

海外ゲーマーの反応 - モンスターハンター、ハローキティとコラボ! -

ハローキティ』と『モンスターハンター』のコラボの話題です。
こちらから。


『ハローキティ』が、あの人気シリーズとコラボ。なぜ?

hunterkitty.jpg

『ハローキティ』は、日本では愛情をこめて「キティちゃん」として広く知られている。最初に登場したのは1970年代半ば、小銭入れ。出発はささやかなものだったが、この猫はキュート王国を作りあげてしまった。でも、いったいどうやって?

『ハローキティ』の小銭入れを売り出す前、元は絹会社だったサンリオは、贈り物に使えるキャラクターを作ろうと目論んでいた。土産物にしろ、友人宅を訪ねるときにしろ、贈り物は日本文化の重要な部分だから。
おそらく、当初は、たとえばミッキー・マウスのような人気のあるライセンス・キャラクターを作って、それを頼りに商売をしていくつもりだったわけではなかったろう。

が、結果、サンリオはディズニーをお手本とはしたが、ディズニーより手上だった。『ハローキティ』鉛筆、ペンケース、文房具を作り出し、ミッキー・マウスとはちがって、そのキャラクターはマンガやアニメーションの世界から大きく飛び出す存在となった。1キャラクターにすぎないとはいえ、『ハローキティ』はキャラクター・ブランドなのだ。

1977年までに、キティちゃんはアニメ化され、後、ゲーム化もされた。ディズニーだってキャラクターを商品化するのに及び腰だったわけではないが、サンリオはといえば、まさに信じられないほどにアグレッシブだった。それはもう厚かましいぐらいに。ブランド化がキティちゃん人気を広げていったのだ。

サンリオは、洗濯機からワイン、パンティライナー、マッサージ器、トースター、『ハローキティ』飛行機まで、あらゆるものにライセンスを提供した。商品に対するものの見方が進歩的だったのだ。かたや、ディズニーが成人向け商品に対してはるかに遠慮がちだったというのに。

『ハローキティ』の商品化はとどまるところを知らなかった。それどころか、最新ファッションにまで広がっていった(訳注:リンク先はロイター。米ファッション雑誌『ヴォーグ』にモデルとしてデビューしたときのキティちゃん)。

ライセンス商品の洪水が、結果として『ハローキティ』の宣伝の役目を果たした。サンリオはテレビ・コマーシャルを常に打っているわけではないというのに、企業という名の大道商人たちがキティちゃんを売り出してくれたのだから、サンリオにとってはよりハッピーなことだった。

そんなわけで。最新のコラボは、これ。『モンスター・ハンター』。

『ハローキティ』は、もうすぐPSPで発売されるカプコンのスピンオフ作、『モンハン日記 ぽかぽか アイルー村』に登場する予定だ。『モンスター・ハンター』は『ハローキティ』という日本の象徴的キャラクターをゲットし、サンリオはまた自社キャラクターを自由に宣伝してもらえるというわけだ。

これは、『ハローキティ』がユニバーサル・スタジオ・ジャパンにライセンスされた理由と同じ。正確には『ハローキティ』はユニバーサル・スタジオのキャラクターではないが(『ハローキティ』はすでに自身のテーマパークがある)、なにしろ日本人は『ハローキティ』が好きなのだ。そうして、サンリオは宣伝が好き。このタイアップも、『ハローキティ』にはこれまで通りの宣伝効果をあげるだろう。そうして、その次のも、その次の次も、その次の次の次もだ…。●



この記事についたコメントです↓。


■ありゃー、これはうちの隣の子が行くなあ。彼女、次の『モンハン』買っちゃうかも。だって、趣味で『ハローキティ』グッズを集めてる子だから。

純粋なファンはめちゃめちゃ嫌がるんじゃないかな。『ハローキティ』がアイルーのPSPゲームに登場とかさ。
まだ確定じゃないのが救い…かな。PSPのスピンオフには登場って書いてあるけど、『モンスターハンター ポータブル3』に出るとは書いてないもんね?

■『モンハン』か。日本人が省略しないものって何かあるの?

■オレのアイルーがニャー!『ハローキティ』は『モンスターハンター ポータブル3』の新モンスターになんのかな。マジ、そうならいいんだけど。

■↑ちょっと待て。無理だ。絶対、キティは殺せない。初心者たちの悲鳴が今から聞こえるよ。

■『モンハン』で『ハローキティ』を何千匹も斬り捨ててやるわ。

■OK。『モンハン』ってわけじゃないんだな。『モンハン日記 ぽかぽか アイルー村』ね。『どうぶつの森』みたいなもんだろ。それに、僕が大好きなアイルーが出てる、と。

動画があるよ。見てみて↓。

PSP『モンハン日記 ぽかぽかアイルー村』プロモーション映像


■↑少なくとも、これにやられたのはオレだけじゃないはず。

■↑普通の『モンハン』より面白そうに見えるんだが。

■↑カプコン、『モンスターハンター ポータブル3』と『モンハン日記 ぽかぽか アイルー村』で僕の金はもうキミのものだ。

■これがどういうゲームになるのか興味津々。まだカプコンはこのゲームについてたいしてしゃべってないだろ。買うつもり、シャレで。たぶん、それ以上のものではないだろうし。

カプコンが賢けりゃ、ゲーム内のアイルーの畑のデータをボタン1押しで『モンスターハンター ポータブル3』にポートできるようにするだろうね。プレイヤーの新たな素材源になる。
両方のゲームを連動させるのもスマートだよね。
カプコンがこういうことを直感的に考え出してくるかどうか楽しみ。

はっきりしてるのは、カプコンって女性ファンの取り込み方をわかってるってこと。新規ファンの獲得がうまいっていうか。

■↑女性ファンをターゲットにするとかやめてくれよ。オレはアイルー、大好きだし。↓こういうのももってる。オレのは、動画のメラルーじゃなくて、実際のアイルーモデルだから、グレーと白だけどね(違いは色だけじゃないんだけど)。これをゲットするためにUFOキャッチャーで大枚使ったのよ。本当に猫モノにものすっごく弱いんだ、オレ。

トコトコぬいぐるみ(アイルー)


■↑メラルーのさ、Give Us Your ItemsのTシャツが好きなんだよね。買ったことないんだけど。Yahooオークションで金を使わないとだめかなあ。


MONSTERHUNTER メラルーTシャツ ブラック サイズ:XL

■↑ほしいなら、オークションサイトだろうね。ファンが買い捲ってるよ。まあ、考えてもみろって。10年経ったら、どうなってるか。基本的には、……相変わらず価値がないだろうね!(笑

■↑設定が面白い『どうぶつの森』って感じ。トレイラーがいやに長くて妙だなって思ったんだけど、戦闘が始まったあたりで、あ、『どうぶつの森』とか『牧場物語』のコピーってわけじゃないんだなって思った。確かに『パタポン』っぽいわ。

■動画見た。記事もいくつか読んできた。面白そうだな。『ゼルダの伝説』のサイドクエストみたい(豚をつかまえるやつね!)。サイドスクロールのバトルは『パタポン』ぽい。PSPだし、キュートだし。

だぶんミニゲームが入ってるんだろうけど、『モンハン』のより深みがあるやつだといいなあ。×ボタンを押すだけの採掘とかじゃなくて、もっとゲームぽいのが入ってますように。

■つまり、『どうぶつの森』と『牧場物語』が『モンハン』の中で『パタポン』に出会った感じのゲームね。

■うわー、ほしくなってきたわ。呪うぞ、この動画、あげたやつ。

■なんていうかわいさだよ……抵抗できるわけないだろ。がー!手遅れになる前に誰かオレを殺してくれー。………って、遅かった。アバター、キティちゃんアイルーに変えたわ。あとは我慢してリリースを待つよ。

■中川翔子とタイアップするのが論理的ってもんじゃないの?↓

nakagawacat.jpg

■↑実際、彼女、渋谷の『モンハン』カフェに現れたよ。たまたまそこに居合わせたんだけど、面白いことに誰も気づいてなかった。生で見るとかなり小さいの。画像と同じようにキュートだったよ。

■↑なに、なんなの?なぜ、こんなことするの?誰か説明して。

■↑猫を食べたいんだろ。

■↑猫の表情がいいね。なにしやがんだよ、放せ、みたいな。

■↑この人、完全にどっか行っちゃてるなあ。

■僕が集めてる『ハローキティ』のグッズの数を公表するつもりはないけど、たぶん、ほとんどの男がほしがる以上の数ってことぐらいは言ってもいい。

■↑ちゃんと言わなきゃ、男じゃないぞ!

■↑妥協線として、この画像を見せとく↓。家の前の芝生に入ってくる子どもを撃たなきゃいけないから必要だったんだ。ありがとう、『ハローキティ』。

kittygun.jpg

■↑そんなもん、どこで売ってたんだよ?!

■最初にファミ通で記事を見たとき、愕然として我を忘れた。ものすっごく混乱した。だって、どんなに抗おうとしても、私の中にはいまだに深い、深い『ハローキティ』への愛がある。ああああああーー(くさむらに逃げ込む)

■サンリオは、任天堂にマリオと『ハローキティ』のコラボのゲームを開発させるべき。頭が爆発、バカが暴発、大もうけできるぞ。

■パンティライナーからマッサージ器って……マジか、『ハローキティ』…。

■『ハローキティ』ね。どうして自分が『ハローキティ』が描いてあるマグを買いたいって思うのかわかんない。根拠のないかわいさのせい?それとも、あの魂が抜けたみたいな目かな。

■二つのキャラクターがお互いの皮をかぶってるっていうのがなあ…。『モンハン』だろ、ってことは本物の皮なんだろうし。

■『ハローキティ』って、実際、妙なときがあるんだよ。『ハローキティ』って、チャーミーキティっていう名前のペットの猫を飼ってるんだよね。なんか混乱すんだろ、猫なのにさ。

■『ハローキティ』ってかわいいって思う人もいるかもね。でも、オレには死んるみたいに見える。感情が見えない。あのまんまるの目の奥を見てみろ。わかるだろ。

■↑『ハローキティ』は長いこと『ハローキティ』やってんだ。そりゃ疲れて、情熱だってなくなるわ。

■かなり嫌な考えだろうけど、鎧で猫皮を着たりできるのかな。

■『モンハン』+『ハローキティ』。オレがまったくプレイする気にならない、最も日本的なもの。

■↑もっともブラジル的なものだったら、プレイしたいって思うわけ?日本的だから興味ないの?

■↑日本製のくだらないものを馬鹿馬鹿しいって思うやつもいるのさ。

■世界が求めているもの、それは『ハローキティ』とマリオのコラボ。悪のクッパを可愛さと口ひげで粉砕するのだ!

■↑うん!それだ!

■オレ、男だけど。この記事の画像、シャツにつけたい。望みはあるかな?

■『ハローキティ』のシャツ、もってるよ。男だけど。

■この絵のシャツ、めっちゃめちゃほしい!

■奇妙なコラボではあるが、………この記事の画像は、まさに天才にほかならない。

■オレがガキだったころ。70年代後半。オレの親友の妹がくだらない『ハローキティ』グッズを山のようにもってたよ。アホだってオレたちは思ってた。『スター・ブレイザーズ(『宇宙戦艦ヤマト』)』、『バトル・オブ・プラネット(ガッチャマン)』、『スピード・レーサー(『マッハGoGoGo』)』なんかのほうがぜんぜんいいって思ってたからね。

あの頃は知らなかったんだな。それがぜんぶ、同じ、素晴らしい魔法の国からきたものなんだってことをさ。オレはあの頃からオタクだった。それなのに、知らなかったんだよ。

■『モンハン』と『ハローキティ』なんて、みんなやられるだけじゃねえか。

■老舗ブランドを使って、自社ブランドを展開する。賢いやり方だ。

■くだらない質問なんだけど、日本語だとどうして『ハローキティ』×『モンハン』って書くの?『ハローキティ』+『モンハン』じゃないの?

■↑理由はわかんないけど、ブランド展開の目的からすれば、そのほうがクールってことなんじゃ。+より×のほうが、エッジが立ってる感じ。

■↑足し算より掛け算のほうが、答えが大きくなるから!

■↑×って、クロスオーバーとかけてるんじゃないかと思うよ。文脈的にも、+より、こっちのほうがちょっと正確な感じ。

■Wiiで『ハローキティ』のゲームを出してほしいんだ。お願い。

■これ、従姉妹に教えないと。彼女、『ハローキティ』の大っファンなの。で、彼女のボーイフレンドはRPG大好きだから。

■最新ファッションってことなら、フランス人デザイナーが作ったこのキティちゃんどう?

■お互いの顔の皮をかぶってる猫の絵なんてかなり残酷って感じたの僕だけ?

■↑まったく思わない。心が破れるぐらいにキュートだよ。精神衛生上、見ないようにしたいぐらい。

■アイルー大好き。もう、か、わ、い、いーーーーー!

■ブラジルにすら『ハローキティ』の店があるっていう事実が、サンリオがどれほどはるかかなたまで躍進してるかってことだよね。

サンリオってロボット工学の分野にも進出してるんだよ。

僕、ジャーナリズムを専攻してるから、地元のテクノロジー関連イベントに関するニュースを書いてたんだ。話し言葉を認知できるヒューマノイド・ロボットってあるだろ。まあロボットオタクには古いニュースだけど、それを開発してる、かなり重要な人たちが来てたんだ。

で、株式会社ココロって会社の日本人開発者数人にインタビューをした。そしたら、サンリオのロゴがあるのに気づいたんだ。で、わかった。ココロってサンリオの子会社なんだ。

ここで、必然的な結論。将来、人類は、武装化した『ハローキティ』のロボットによって全滅する。



『モンハン日記 ぽかぽか アイルー村』、かわいいですなー!しばらくPSPはさわっていないのですが、4月22日に『東京鬼祓師 鴉乃杜學園奇譚』も発売になるので、今年はちょこちょこ遊べそうです。


余談でございますが。『東京鬼祓師 鴉乃杜學園奇譚』。
世界観にもキャラクターにも癖がありそうなので、多くのかたにお薦めという話ではないかもわかりませんが、ツボが合うかたは一発で心惹かれるものがあるのではなかろうかと思います。トレイラーはこちら。


東京鬼祓師 鴉乃杜學園奇譚



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posted by gyanko at 18:00 | Comment(47) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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