では、早速。
Dōjinshi
同人誌
dōjinshi (doujinshiと表記される場合も多い)は日本の自費出版の作品のこと。普通は、雑誌やマンガ、小説作品を指す。プロ作家が、通常の仕事以外で作品を発表する一手段とする場合もあるが、多くはアマチュアの作品。
同人誌という用語は、「同人」(文字通り、「同じ人」。同じ目標や興味を共有する人たちのことを言う)と「誌」(定期発行物を意味する接尾語)という言葉からきている。同人誌は、より広い同人というカテゴリの1つで、この同人にはアート集、アニメ、hentai、ゲームまで含まれる。
同人作家のグループは、サークルと自称する。多くのサークルは実際には作家一人で運営されているが、その場合、kojin sākuru(個人サークル)と呼ぶこともある。
同人誌とは、自身の作品を発行したいと思うアーティスト、またはライターによって作られる。熱心なファンになると、定期的に行われる同人のコンベンションに参加するのだが、そのコンベンションの中でも最大のものが東京ビッグサイトで夏と冬に開催されるコミケット(コミックマーケットの略)だ。ここでは、20エーカー(81,000 m2)の会場を埋め尽くす同人グッズが、参加者たちによって売買されている。
同人作家たちは他の作家の作品を下敷きとして作品を作るため、通常の発行部数は少部数に留まる。つまり、訴訟を起こされないよう、目立たない姿勢をとるのだ。このせいで、才能ある作家やサークルの作品は、みなが喉から手が出るほどほしい商品となる。売り切れる前に手に入れるのは、早い者勝ち、運次第だ。
この十年で、同人活動は著しく拡大し、何千という作家やファンたちを惹きつけている。自費出版のテクノロジーが発達したことも、この拡大に拍車をかけた。要は、作品を書くことも、描くことも、宣伝することも、出版することも、配布することも、以前より簡単になっているのだ。
たとえば、現在、同人誌はデジタルメディアで出版されることがある。米国でもアニメショップのサイトや専用のオンライン販売サイトを通じて同人誌が販売されはじめているが、同人作家側もオンライン・ダウンロードやオンデマンド印刷に移行しつつある人が多い。
歴史
同人誌のパイオニアは、Morning Bell(明六雑誌)だった(訳注:Morning Bell=朝の鐘=十二刻で言う「明六つ」)。これは明治時代(1874〜)初期に発行された。実際には文芸誌ではなかったが、同人誌というアイディアを広めるのには大きな役割を果たした。
同人の文芸誌として最初に発行されたのは、1885年に尾崎紅葉、山田美妙によって創刊されたLibrary of all sorts of things(いろいろなもののライブラリー)(我楽多文庫)である。
同人誌の発行は、昭和の初期にそのピークを迎え、当時の創造的な若者の声を代弁するものとなった。作家たちは小さなサークルや親しい仲間うちで同人誌を作り、配布した。これが「私小説」というジャンルの拡大と発展に著しい貢献をしたのである。
戦後になると、これまでとはちがう文学の派閥や新しい作家の声を代表するものとしての同人誌の発行は次第に減少していった。これに取って代わったのが『群像』や『文学界』といった定期刊行の文芸誌だった。
例外の1つとして有名なものは、1933〜1969年に発行されていたLiterary Capital(『文芸首都』)。公的に出版されていた文芸誌の助力なしに生き残れた同人誌はほとんどない。現在もなお活動しているのは俳句や短歌の同人誌ぐらいだ。
1980年代になると、同人誌の内容は、創作主体から、既存のシリーズのパロディへとほとんどが移っていく。2008年に発行されたオタク産業に関する白書では、2007年の同人誌の売上の粗利は2773億円(訳注:277億3,000万円の誤記)にのぼり、オタクの人々全体が趣味にかけるお金の14.9%と見積もられた。
認知度
AnimeNation(訳注:アニメ、マンガなどの日本の文化製品を販売するフロリダの有名な小売店)で働くJohn Oppligerは、「西欧のファンたちとはちがって、日本のファンたちの間では同人誌を作ることが大変に人気がある」と言う。
Oppligerの主張によれば、日本人はアニメやマンガを「いつもそばにいる仲間」としてともに育つため、ファンはより本能的に同人誌という形で既存のマンガやアニメを拡大したり、そこから創造する傾向があるのだという。
一方で、西欧のファンたちは、ほとんどのアニメのオリジナル言語である日本語が理解できないうえに、青年期の初期にカートゥーンやコミックを卒業するように社会がプレッシャーをかけ、奨励する。このために、西欧のファンは、既存の作品を利用したり、アレンジし直す場合、アニメ・ミュージック・ビデオ(訳注:AMV。日本で言うMAD)という形で参加することがほとんどだという。
西欧文化では、同人誌は、ファンフィクションと似た既存の作品の派生品であり、そのほとんどがポルノと認識されていることが頻繁にある。当たっている部分もある。いつもではないとはいえ、同人誌は、人気マンガやゲーム、アニメの世界を取り込んだパロディであったり、別ストーリーの作品であったりすることが多く、同時にあからさまに性的な特色をもつことがしばしばあるのだ。
だが、露骨な性描写のない同人誌もまた、多く作られている。
『東方』シリーズ(訳注:同人サークル「上海アリス幻樂団」によって制作された弾幕シューティングゲームを中心としたゲームや漫画、小説などの作品群(Wikipedia))の(訳注:ファンたちが作る)膨大な量の同人誌は、事実上、ポルノ作品がないことで知られている(参考サイト)。年に1度開催される『東方』の同人誌のみを扱うイベント『例大祭』では、成人向けを発行しているサークルはおおよそ10%と計算されている(第七回博麗神社例大祭サークルリスト)。
同人誌のカテゴリ
元となる主流の作品同様、同人誌にはさまざまなジャンル、タイプがあるが、ターゲットの客層によって、ある程度テーマは特定されており、いくつか大きな発行物を分類する区分けがある。大きな区分けとしては、創作とaniparo(アニパロ)だ。アニパロとは、既存のアニメやマンガシリーズのパロディである。
ファンフィクションと同じように、探求するテーマとして非常に人気があるのは、登場人物の、原典に即さないカップリングだ(主流のマンガ等の出版物を下敷きにしている同人誌の場合)。そうした同人誌の多くは、ヤオイやユリといった主題を含んでいる(つまり、ホモセクシュアルだ)。原典とまったく無関係のものもあれば、原典でほのめかされていると解釈できる部分をより直接的に表現したものもある。
主流の商業作品を下敷きにしたものだろうと創作であろうと、同人誌の大きな部分として性的な露骨さがある。これは、こうした同人誌への需要が大きいことや、公的な出版社であれば従わざるを得ない規制がないことが原因だ。
確かに、特定の同人誌の場合、人気のある番組のキャラクターの性的に露骨なバージョンを見せることに力点が置かれていることがしばしばある。こうした作品を、英語圏ではH-dōjinshi(エッチ同人誌)と呼ぶことがある。これは、かつて日本語でHの文字がエロティックなものを表すものとして使われていたことからきている。
日本では、この言葉は「エロ」という言葉に置き換わっている。成人向けの同人誌の指定には、ero manga(エロマンガ)がほぼ独占的に使われる。for adults(seijin muke、成人向け)や18-kin(18禁)(「18歳未満禁止」の略)といった用語が使われることもある。
これと差別化を図るために、ippan(一般、general。general public(一般人)から)という用語が、エロ要素のないコンテンツの出版物に使用されている。
コミケット
コミケットは世界最大のコミック・コンベンションである。日本の東京で年2度開催。最初のコミケットは1975年12月に開かれ、たった32サークル、参加者は600人と見積もられている。このときの参加者の80%は女性だったが、その後、男性の参加者が増え、現在では参加者50万人を超える。たくさんの参加者が、自分たちの同人誌を交換したり、売ったりするためにやってくる。
2009年、明治大学が駿河台キャンパスに『米沢嘉博記念図書館』という同人マンガ図書館を開設した。同大の卒業生である米沢を記念したものだ。ここには、米沢自身の4137箱分の同人コレクションと岩田次夫(同人界のもう一人の著名人物)のコレクションが収められている。
訳注:
米沢嘉博:1953年3月21日 - 2006年10月1日。漫画評論家、大衆文化評論家、編集者、コミックマーケット準備会の第2代代表。有限会社コミケット取締役社長、日本マンガ学会理事、手塚治虫文化賞選考委員(Wikipedia)。
岩田次夫:1953年10月15日 - 2004年3月22日。同人誌研究家、同人誌評論家、生活協同組合職員(システムエンジニア)。同人サークル「岩田次夫」主宰(Wikipedia)。
評価
多くの同人誌が派生作品であるうえに、同人作家がオリジナルの作家の許可を得ていることがめったにない以上、日本の著作権法と真正面からぶつかることになるにもかかわらず、コミケットはいまだに年2度の開催が許されていて、そのたびに50万人以上の人々を集めている。
とはいえ、同人誌は、漫画家になろうと憧れる人々に実現への道を作ったり、才能ある同人作家が出版社と接触をはかれるという意味では、商業マンガ市場にも利益となっているのかもしれない。これは1980年代から実際にあることだ。多くの日本の出版社は(訳注:事実、マンガ家を探しているので)、年に1度、マンガのコンペを主催し、コンペの受賞作を出版している。
テンプル大学の法学教授、Salil Mehraはこういう仮説を立てている。同人市場が実際にマンガ市場をより生産的なものにする要因となっている。このために、同人誌を禁止するようなことをしてしまえば、結果的にマンガ産業が損をすることになる。だから、しないのだ、と。
また、スタンフォード・ロースクール教授、Lawrence Lessigは、著書『Free Culture
影響
・『こみっくパーティー
・ヒロユキによるマンガ、アニメ『ドージンワーク
・『げんしけん
著名な同人作家
・CLAMPは、Clamp Clusterという名前の、11人のメンバーからなる同人グループからスタートした。[要出典]
・マンガ、『ラブひな
・マンガ、『エクセル・サーガ
・『PEACE MAKER鐵
・『グラビテーション
・『ルパン三世
・結城信輝は、「高い城の男」というペンネームで、自身のアニメでの仕事を元にした同人誌を販売している。[要出典]
・『D・N・ANGEL
・長い出版キャリアをもつ高河ゆんは、『アーシアン
・安倍吉俊は、『灰羽連盟
・『フリクリ
・クリムゾンコミックスは、ゆうに20を超えるさまざまなシリーズで50冊以上のH同心誌を製作してきた同人サークル(たぶんメンバーは一人だが)。『ONE PIECE
・『天地無用!
こうした同人誌は、すべて彼の作品か、あるいはその同人誌に作品を寄稿しているかのどちらか。梶島先生の同人作品は、マンガ形式(新しいストーリーが描かれている。普通はテキストはわずか)、インタビュー、シリーズの原稿の下書き(ファンにとっては、創作過程をうかがえる素晴らしいもの)、最終的にアニメに使われなかった梶島先生の手書きの絵コンテ、『天地無用!』の世界のさまざまなキャラクター、状況、場所についてもう少し詳細に語るストーリー・ノートといった作品のいずれか1つ、あるいは複数から成っている。
これを書いている時点で、『梶島温泉』と『上竹温泉』というサークルで1年に2冊の同人誌を発行している。また、同人誌を、今現在のプロジェクトに関するファンとの交流の場としても使っている。スピンオフ・アニメの『異世界の聖機師物語
・堕天堂、またの名を長瀬祐希は『DEAD OR ALIVE
・しもやけ堂を主宰する逢魔刻壱は30以上にのぼるH同人誌の作者。作品のほとんどは『月姫
・『幽☆遊☆白書
・『BASTARD!!
・BLマンガ、『絶愛
・『あずまんが大王
・同人サークル、07th Expansion。『ひぐらしのなく頃に
・toyble作、『ドラゴンボールAF』(訳注:その後のドラゴンボールを描いた同人作品)。
・『switch
・『KIZUNA
・『FAKE
Dōjin
同人
dōjin(同人)は、doujinとローマ字表記される場合も多い。興味、活動、趣味、社会的地位といったものを共有する人々、または友人たちのグループを言う一般的な日本の用語。coterie、society、circleといった英語に訳されることもある(例:sewing circle(裁縫サークル))。
日本では、この言葉はアマチュアが自費出版した作品を指すのに使われる。これには、マンガ、小説、ガイドブック、アート集、音楽、ゲームも含まれる。プロの作家の中にも、通常の出版業界以外での出版活動の1つとして取り組んでいる人もいる。
調査会社、メディアクリエイトの年間リサーチによれば、2007年のオタク産業の市場規模は16億5000万USドル(訳注:1866億円)、そのうち同人売上は48%にのぼる(7億9200USドル)。
(訳注:同人誌の売上は277億3,000万円(14.9%)。48%は同人誌即売会への参加経験の割合(INTERNET watch))。
文学サークル
文芸サークルが最初に登場したのは明治時代である。和歌の歌人、詩人、小説家が同好の士と出会い、文芸誌を発行していた(多くは、現在も発行されている)。日本の現代作家には、こうした文芸サークル出身が多い。有名な例として、尾崎紅葉がいる。彼は、文学作家のサークル、硯友社を率い、1885年に最初の寄稿集を雑誌として発行している。
マンガサークル
マンガの同人は、第二次世界大戦後になって日本に登場しはじめた。石ノ森章太郎(『仮面ライダー』、『サイボーグ009』)や藤子不二雄(『ドラえもん』)といったマンガ家たちが、同人グループを結成する。藤子の場合は、New Manga Party(新漫画党)だ。
この当時は、同人グループの結成はプロデビューすることが目的だったが、これが数十年の間に、学校のクラブなどで同人グループが作られるようになって様変わりする。その頂点は、1975年、東京で生まれたコミケットだった。
現代の同人
熱心なファンになると、定期的に行われる同人のコンベンションに参加するが、そのコンベンションの中でも最大のものが東京ビッグサイトで夏と冬に開催されるコミケット(コミックマーケットの略)だ。ここでは、同人グッズが20エーカー(81,000 m2)の会場を埋め尽くし、参加者たちによって売買されている。
同人作家たちは他の作家の作品を下敷きとして作品を作るため、通常の発行部数は小部数に留まる。訴訟を起こされないよう、目立たない姿勢をとるのだ。このせいで、才能ある作家やサークルの作品は、みなが喉から手が出るほどほしい商品となる。売り切れる前に手に入れるのは、早い者勝ち、運次第だ。
この十年で、同人活動は著しく拡大し、何千という作家やファンたちを惹きつけている。自費出版のテクノロジーが発達したことも、この拡大に拍車をかけた。つまり、作品を書くことも、描くことも、宣伝することも、出版することも、配布することもより簡単になっているのだ。
西欧での認識
西欧文化では、同人を現存する作品の派生作品としてとらえる場合が多い。ファンフィクションと似たような捉え方だ。ある程度、これは当たっている。同人には、人気のあるマンガ、アニメ、ゲームなどをベースとしたものが多いからだ。ただし、男性向けの同人には、完全なオリジナルのものもある。
同人のカテゴリーはおびただしい数にのぼるが、これまでのところ、日本国外でもっとも人目に触れているのは同人誌であることは重要なことだ。これは日本でもある程度、同様である。伝統的に同人誌がもっとも人気があり、商品としての数も大変多い。●
このエントリ関連でいろいろ検索していましたところ、偶然、見つけた曽野綾子。美貌でございますな。
1950年代に同人誌『三田文学』に寄稿した『遠来の客たち

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