2010年11月12日

海外ゲーマーが日本のデフレを考える

2010年10月17日付けのNew York Timesに関するNeogafのスレッドから。


流れのままに最初から全体の半分ほどをお送りいたします。


New York Timesの記事、『元気だった日本、意気消沈』について

■これは、稲船(訳注:『ロックマン』、『鬼武者』シリーズで知られる元カプコンのゲームクリエイター)の「日本のゲーム業界は終わっている」という発言とはなにも関係ないよ。ここ20年の日本の経済状態に関する記事であり、それがこの時期に育った世代にどういう影響を与えたのかっていう話。

この記事を読んで、僕らが見てきた日本市場の変遷って、こういう経済状況が影響していたのかなって考えざるをえなかったんだ。日本市場はずっと、より安価な携帯ゲームへ向かっていってたし、日本の開発は、西欧の開発とはちがって、予算が大きいHDゲームへ頭から飛び込むことには乗り気じゃなかったろ。

でも、これって、もしこういう経済問題が西欧を直撃したら、西欧の市場がどんなことになるかっていう青図を日本が見せてくれてるのかもしれない。

考えてもみてくれ。ネオジオやPCエンジンDuoみたいな、信じられないぐらい高価なコンソールが投入された頃って、日本は経済ブームの狂乱時代だったんだよ。確かに、世の中が変わったんだ。

日本人のNeoGafer(この掲示板のメンバー)がいたら、この記事をどう考えるのか、超聞きたい。この20年間の日本のゲーム産業の流れと経済状態がリンクしてるって感じてるかどうか。

記事は全部読むことを奨励。

■今朝、記事を読んだよ。ミニハウスってのは信じられん。300平方フィート(訳注:約27 m2)の3階建?これじゃ、デカいHDテレビやデカいコンソールは人気ないはずだよ。

ただ、皮肉に響くだろうけど、僕自身は、消費を拒む若者たちには拍手を送りたい気分だし、世間の人たちは「もっと金にだらしなくなれ」って考えてるのかなって思って戸惑っちゃったよ。

■↑>消費を拒む若者たちには拍手を送りたい気分

同意!オレもそう思うね。

■↑なんで?消費は良いことだろ。経済を助ける。

■↑質素であることが、どう悪いっての?お前の言い方からすれば、街の窓ガラスを壊して歩けば、ガラス産業が助かるって理屈になるわ。

■↑まったくちがう。消費がないということは投資がないということ。つまり、クソったれな経済を意味する。経済という点から見れば、質素は経済を弱らせる、馬鹿げた行為なんだ。

東京はかつては今の香港のような街だった。経済成長と産業の中心地のひとつだったんだ。今、彼らは見当違いの方向へ育ち続けてる。その潮流をなんとかしようともしてない。

この非消費のイデオロギーが今の時代に存在する理由は、僕にはわからない。でも、効力はないんだ。それを日本が証明してる。

■↑倹約することは、消費を止めることではない。資本主義は消費主義とはちがうんだから。実際、倹約は、資本主義への道だ。

■↑消費主義は資本主義の一部だよ。誰も何も買わない、何にも投資しないなんていう状態で、資本主義が民間を前進させることはできない。

■↑消費への欲求はゾンビみたいなもん。すぐに蘇ってくる。それをわかってる人たちもいるさ。他方で、キミのように考えてしまう人もいる。

■↑資本主義と消費者文化が永久に存続するだろうって思ってるんだね。いずれ、オレたちも、この問題に直面することになるんだ。単純な計算でわかる話だ。

■↑オレがこれまで読んだ財務関係のどんな本にも、最低でも10%は貯金しろって書いてあったぞ。ところが、米国の個人貯蓄率が5%を超えたとたん、経済関連のあらゆる記事に消費者の鬱憤が出てくるようになった。なにかが間違ってるんだよ。

■>オレたちも、この問題に直面することになるんだ。

これまでのところは、うまく動いてると思うけどね。一方で、これが永遠に続くとも思えないよな。米国はずっと不況とバブルを繰り返してきた。消費し、投資したせいで、立ち直ってもきた。

これは偶然なんかじゃない。経済力が成長すればするほど、人々は消費し投資するんだから。

■↑これまでうまくいってたのは、基本的にキミが中国の安い労働力だからだろうね。

>消費主義は資本主義の一部

厳密に言えば、消費と投資は同じものではない。
たとえば、タクシーとして使うために車を買うのは投資だが、レジャーのために買うのは消費。資本主義とは、人々が質素に暮らし、お金を消費するのではなく、より資本的なものに使うときに成長する。

■ためになる記事だった。記事中の女性みたいに質素な暮らしはしたくないなあ。ゲームがオレの趣味じゃなかったとしてもね。

■こういう経済的な困難や人口の減少っていう問題に直面したからって、日本が考え方を変えて、自分の成熟度に見合わない生活ができるもんなのかなあ。

■西欧でこんな経済状況になったら、どれだけ多くのゲーム開発会社がつぶれるか、考えてみろよ。

■人々が子供を産むのを止め、移民が0の状態だと、どうなるかってことだ。その国に残された活力はほとんどなくなる。

任天堂がバイタルセンサーをキャンセルしたのもこれが理由かも?(訳注:今年のE3で発表がなかったことを言っているのだと思われます。キャンセルされてはいません。)

■↑バイタルセンサーで脈を測ってみたら0だったんで、キャンセルした、ってわけか。

■>消費を拒む若者たちには拍手を送りたい気分

消費しないというのは確かに立派なことかもしれないが、そのせいで地元の自分たちの経済を損なってしまってるんだよ。

たとえばだ。ユニクロで安い衣料品を買えば、ファーストリテイリングの株主は助かるが(バングラディッシュもある程度助かるな)(訳注:ファーストリテイリングが、バングラデシュの貧困者向け無担保融資機関「グラミン銀行」と共同出資)、日本経済のためにはならんということだ。

■>世間の人たちはもっと金にだらしなくなれって思ってるのかって戸惑っちゃった

オレも同じ考え。
私見だが、人間性に最も大きな影響を及ぼしているものの1つに、この物質主義的デタラメな態度がある。僕たちはこれを常に無理強いされてきた。

誤解しないでくれ。ささやかな物質主義や買い物欲求に罪はない。オレだってアップル製品は大好きだし、趣味だってある。でも、自分を幸せにするために、そうじゃなきゃ、人より上に立つために、買って買って買って買い続けたりはしないってことさ。

■↑経済の発展ってのは、iPodやデザイナーのハンドバッグのことだけじゃないんだぞ。経済が繁栄すれば結果として、研究や芸術にかけるお金が増えるってことだ。生活の基本的なクオリティを上げるインフラやテクノロジー(義肢もそうだし、農業技術もそう)も発展するんだ。

■資本主義のせいで破壊されつつある国って、他にもあるよ。

ほとんどの国々で人口密度が高すぎて、資本主義を持続させることができないってことを、世界の大多数の人たちはいつになったら理解するんだろう?

日本には土地があまりないから、これ以上人口を増やすことができないんだ。中国やインド並みに生活水準を喜んで下げますよって日本人が考えてるんじゃない限りね。

中国、インド、日本の60年代からの人口推移比較

■日本のほとんどの家庭が小さい家に住んでるっていうのは真実なの?一戸建てに核家族で住むっていう伝統があるせい?そうじゃないなら、原因はそれだ。

高い生活水準に慣れてた大家族が、小さいアパートに住むことになったら、元気なくなっちゃうって。当然、電化製品や改築、生活必需品に、そんなにたくさんのお金はかけないだろうしさ。

■↑経済危機の要素として考えるなら、日本の家庭の小さい家って、今の経済危機よりかなり前から存在もんだからなあ。

思い出さないとだめだよ。日本は、おおざっぱに言ってカリフォルニアぐらいしかない国。なのに、人口は米国の2分の1ある。
家やアパートの大きさは、使える土地がどのぐらいあるかってことで主に決まるものだろ。用語の使い方ってことでは、「小さい」は誤解を招くね。「小さい」んじゃなくて、たとえば、空間の有効利用と言ったほうが良い。

オレが日本に住んでいたときは、比較的安いアパートを借りてたんだけど、大学時代の二人部屋の寮ぐらいの広さだった。でも、バスルームもあったし、トイレもキッチンも、リビングもベッドルームもあった。全体的に、住むにはとっても快適だったし、閉所恐怖症なんてみじんも感じることはなかったね。でも、その地域のほかのアパートや家に比べたら、小さいほうだったんだよ。

■↑「小さい」から「マイクロ(極小)」(訳注:記事ではミニハウスをmicrohouseと訳していました)になったってことさ。microhouseで画像をググってみろ。

■これを知らず、日本のゲーム開発とこの状況を結びつけて考えてなかった人は、ここ数年、『東洋vs.西洋』の議論にコメントしてなかった人たちなんだろうな。

>ほとんどの国々で人口密度が高すぎて、資本主義を持続させることができない

笑うわ。日本は、過去20年間、クローニー・キャピタリズム(訳注:仲間うちでの排他的な資本流通、縁故資本主義)以外のすべてを破壊しようと全力を尽くしてきた国だ。その改革を成功させた、たった一人が小泉だ。彼は右翼だった。幸運にも、日本の官僚は、仕事を手控えるようになって、日本銀行と対立するようになっちゃったけどな。

■正直言って、この変化は僥倖だと思うね。世界が再編成されようとしてるんだ。新興国が新しい経済力として出現し、それが新しいバランスと違う未来をもたらしてくれるだろう。

日本は、もっと若者が必要なんだ。そうじゃないと、税金を払わない年寄り世代の世話で、本当に彼らが沈んでしまう。

■去年、ナショナル・パブリック・ラジオで日本文化の番組を聴いた。魅力な時間だったよ。で、そのときに、長引くクソったれな経済と、その経済や仕事への不安もあって、奇妙な感情的な問題を抱えて成長した、変わり者世代の若年男性たちとの関連性について知った。

■↑ここ米国でも、そうなりつつある気がするよ。

■それ、オレも聴きたい。リンクくれ。

■これって、スレ違いの完璧な一例になるスレッドじゃない?資本主義について読むために、このゲーム・フォーラム来てんじゃないんだけど、オレ。まあ、……そう思っただけなんだけどさ。

■米国とEUの逃れられない未来を垣間見たわ!みんな、北京語を勉強しはじめたほうがいいぞ。いずれ必要になる!(笑

■日本について勉強していて、最新情勢をつかんでいる人間にとっては、目新しくもなんともない記事。

日本人は自分たちで問題を作ってる。伝統にしがみつく頑固さで首を絞めつつあるんだよ。真の問題が移民なのかどうかはわからない。問題はむしろ、日本の伝統や価値観なんだ。日本人は移民を欲していない。オレたちの国にいる日本人と同じぐらい、日本には韓国人が住んでるけど、彼らは日本人とは考えられてないからね。

■たぶん、次世代は日本経済を改善しようっていう意欲をもった世代になるんだろうなあ。ん、待てよ、次世代なんてもうなくなるのか?

■アメリカが日本と同じ方向へ向かっているとはまったく思わない。消費主義はアメリカの文化に染み込んでるものだから。
米国の人々が昔みたいに金を使わなくなった理由はたった一つ。クレジットが使えなくなったからさ。落差を埋めるために、休日には貯金をうまく利用して楽しむようになるんじゃないかと思うね。

■日本についてのスレッドで、アニメを持ち出すことをまず謝りたい。でも、オレ的には、この記事の社会的なトレンドは、ゲームよりむしろアニメ産業に大きく影響してると感じる。

まず、経済。この10年、日本の高価なDVDにお金を嬉々として費やす人はほとんどいなくなった。市場の商品は、唯一お金を使う層、キモい萌えフェチにだけ売れていく。

次にテーマ。バブルがはじける1991年のちょうど前、ガイナックスは『おたくのビデオ』を制作していた。これは、基本的にアニメ産業の未来に、いかなる制約も受けない自由な楽観主義をもっていた時代のシンボルだ。でも、そのたった4年後、彼らは不況と社会の崩壊をテーマとした象徴的な番組を作った。
現在は、主人公がヒキコモリで、無職、完璧に受け身な男性ってのは、普通のことになってるんだよね。

■記事には目新しいものは何もないけど、経済に焦点を合わせることがいかに大事なことか、再びオレたちが競争的で生産的になるにはどうしたらいいのかっていう意味で、覚えておこうと思う。

問題の大元を扱わず、オレたちの気を散らすよな記事が本当に多いだろ。症状ではなく、問題の大元を直視することは、大きな試練だからね。今もこれからも。

日本とゲーム産業について言えば、3DSのリリースはとても面白いことになるんじゃないかと考えてる。日本のゲーム業界の存続に元気な材料になるんじゃないかって。つまり、当然、DS並みの大ヒットになるだろうから。ただ、3DSが周囲の高い期待に沿わなかった場合は、どうなるのか。これも興味深い。

■デフレの危険に関する教訓だと思った。たぶんだけど、超インフレだったら、今すぐ日本はなんとかしただろうになあ。だって、超インフレの対処法は日本人は少なくとも知ってるもんね。

■問題は、日本の価格設定なんだな。これが他の国と比べて、あまりに動きがないってことか。

>ユニクロで安い衣料品を買えば、
ユニクロは、アメリカン・イーグルやターゲット並みの価格設定だよ。

■僕は、ずっとアジアの年功序列のビジネス・スタイルを槍玉に挙げてきた。このせいで、特異なビジョンが生まれて、産業の初期から成功する能力をもてるんだって。……でも、これって、ビジネスのリーダーたちが年老いると、停滞する運命にあったんだな。

HDへ切り替えなかったのは、頭の固い老人番頭が、時代の流れについて行けなくなったからなんだろう(みんなは、WiiやDSをアジア型ビジネスモデルの現代の稀な成功例だって言うかもな。あきらかに、山内と岩田のトップダウン経営だもんな)。

まあ、世界市場の現実についていけなくなった日本国内の市場の現実ってことか(携帯を採用した通勤国家vs.据え置きゲーム機の大きなスクリーンでゲームすることに満足する世界だな)。

■↑でもさ、世界市場の現実って言えば、大スクリーンのHDコンソールが人々の金を湯水のごとく吸い上げていくってことでもあるよね。

■問題にまったく対処できないほど日本を傷つけているのは、経済の低迷そのものじゃないんだよ。
日本は、変わった国だし、狭い島国。第二次世界大戦の進駐軍の占領からリカバリーもできてない。

日本のネオ儒教っていう屋台骨から、自己犠牲っていう奇妙な考え方が生まれた。これが現代の諸問題とうまくかみ合ってない(だから、桁外れの自殺者が出る)。日本の解決策の多くは、利率を低くしろとかそんなことじゃないんだよ。このかみあってない精神構造を変えること。
次の10年で日本がどう復活するか、面白いところだ。

■このスレッドで議論されてる経済の見方は単純だなって思う。経済成長は、人々にもっと物を所有させたり、買わせたりってことじゃないよ。イノベーションを通じて生産性を高めること。
良い社会では、富は、ほとんどの国民の富を増すだけ十分に分配される。そのおかげで、国民は物を買い、理にかなった範囲で生活水準を上げられるんだ。

史上最高の優良株には、数十年前に成長が止まった企業がいくつかあるけどね。原油、医薬品、タバコ、食べ物、生活必需品なんか。

オレには日本で起こっていることが理解できてない。
オレは、自分の個人退職金のために日本のデカいインデックス・ファンド(訳注:株式市場全体の動きに連動して運用成績が上がることを目指す投資信託)を買うのを避けてる。理由は、動きが腹立つぐらいイレギュラーだから。通常なら、長期平均に及ばない株を買うんだ。だって、いずれ長期平均値に戻るもんだからね。……でも、日本のは、戻らないままの状態が長すぎる。

まあ、健康的社会ってのは、野放図に金を使いまくるか、不況かのどっちかではあるがな。

■西欧のゲーム開発の90%が5年以内にこうなる、なんてことはないだろうと思う。下降線ではあるけど、1983年のゲーム・クラッシュ(訳注:アタリショックのこと)みたいなことにはならないと思うよ。

ただ、西欧のゲーム産業って、年に15タイトル程度のゲームに頼りっきりに見える。その半分以上がシューティング。これじゃ、災厄は目に見えてるよな。

■この記事の内容は、米国や欧州の先進国にも言えるかもしれないことだ。日本は私たちの先を行ってるだけ。日本は、私たちより後から来たのに、私たちより先に、さらに現代的な社会へと国を作り変えた国だ。結果、彼らは、私たちが後で出くわすことになる問題に先にぶつかったってわけだ。



資本主義は、人々が質素に暮らし、お金を消費するのではなく、より資本的なものに使うときに成長する。

なるほど、と思いました。
勉強になります。


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タグ:デフレ NeoGaf
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2010年11月07日

ニューヨーク・タイムズ紙 - 日本のデフレは今 -

本日は、2010年10月17日付けのNew York Timesから。

長いうえに固いので、お時間があるときにでも。


元気だった日本、意気消沈


大阪:日本の中産階級の多くの人たち同様、 マサトもまた、世界中が羨んだ数十年前の日本の繁栄を楽しんだ一人だ。マサトはかつて中小企業の経営者だった。50万ドルの分譲マンションをもち、バケーションはハワイ、最新のメルセデスを乗り回していた。

だが、日本全体の経済とともに、彼の生活水準はゆっくりと崩れ落ちていった。まず最初は、海外旅行の回数を減らさねばならなくなり、その後、まったく行けなくなった。メルセデスはもっと安い国産モデルに変わった。去年は、分譲マンションも売り払ったのだが、……価格は、買ったときの3分の1。これは17年前に組んだローンの残金より低い価格だった。

「昔の日本は、華やかで上向きでした。でも、今はみんな暗く地味な暮らしをせざるえません」と49歳のマサトは言う。マサトはフルネームは出さないでくれと言い、理由をまだローンの残金11万ドルを返済できていないからだと話してくれた。

最近、日本ほど目を引く経済上の挫折を経験した国はほとんど見ない。
1980年代には、投機株と不動産の大きなバブルに乗り、西欧を長きにわたり支配しようと挑んだアジア最初の国だったというのに、1980年代後半〜90年代前半にかけてバブルがはじけ、日本はゆっくりと、だが長く執拗に続く下降線を辿っていった。巨額の財政赤字から脱却することも、氾濫する低利の融資金の埋め合わせをすることもできないまま、だ。

ほぼ一世代にわたりこれが続いた今、国家は低成長、そしてデフレといわれる価格のゆっくりとした下落のスパイラルに閉じ込められている。同時に、ゴジラだった国は世界経済のオマケ的な存在へとしぼんでいった。

現在、米国や他の西欧諸国は、負債と不動産バブルからなんとか復活しようともがいている。その未来の暗い予想図として日本を挙げる経済学者は増える一方だ。
連邦準備銀行(訳注:アメリカ合衆国の中央銀行制度を司る企業体)の議長、ベン・バーナンキは経済を活性化させるために、一連の型破りな新しい手段を準備している。だが、米国や他の欧州諸国では、経済が長引く低成長の時期を迎えようとしているのではないか、最悪の場合、世界大恐慌以降、日本以外では続くことがなかったデフレに直面するのではないかという不安がどんどん増大しているのだ。

経済学者の多くは、米国が日本のような経済停滞に陥ることはないといまだ自信をもっている。大きな理由は、米国の政治体制の、より卓越した対応。そして、米国における資本主義の創造的破壊に対する、より強い耐性だ。
日本の指導者たちは当初、日本が抱える問題の深刻さを否定し、雇用を作り出そうと公共事業に莫大な支出をした。だが、これは、苦痛は伴うとはいえ必要だった構造改革を先延ばしにしたにすぎないと経済学者たちは言う。

「米国は日本とはちがいます」とスタンフォード大学経済学教授、ロバート・E・ホールは語る。「米国では、人々に再び消費させ、投資させる方法をなんとか見つけられるだろうという予想がゆらいでいません」。

それでもやはり、連邦政府支出や税制赤字を減らそうという政治的圧力は大きく、経済学者たちは今、「日本化(Japanification)」の警告を出している。
つまり、消費者が消費を拒み、企業が投資を控え、銀行が金を出し惜しんだとき、需要が崩壊して日本と同じデフレの罠に陥るというのだ。
これはタチの悪い、自己強化型サイクルだ。価格がさらに下落すれば、雇用は絶え、消費者は財布の紐をさらに引き締める。企業は支出を減らし、業務拡大計画を先延ばしにしてしまうというわけだ。

「米国、英国、スペイン、アイルランド、こうした国々はすべて、日本が十数年かそこら前に通った道を今、進んでいます」と話すのは、野村證券のチーフエコノミスト、リチャード・クーだ。彼は最近、世界が日本から学ぶべき教訓を本を著した。「何百万という個人や企業が貸借対照表が沈んでいっているのを目の当たりにしています。そのため、借金をしたり消費をしたりするかわりに、債務の返済に金を充てているのです」。

米国の、ある世代にインフレが傷跡を残しているように、日本人にとってデフレは深い傷を残している。それは世代の対立を生み、悲観主義や運命論、色あせた希望という文化を作り出してしまった。

それでも、今なお、日本はいろいろな意味でいまだ繁栄する社会ではある。だが、状況はますます過酷なものになろうとしている。特に、比較的に経済の活気がある東京以外では。この状況は、米国や欧州にとっては、起こりうる未来の予兆を見せてくれるものだ。これから起ころうとしている大惨事の予報にちがいない、と。


翳りゆく活力

前に進もうという日本の力が萎えていることは、東京の街角で見ることができる。東京では、安定した職がなく伝統的な数十年にわたるローンを組めない若者や、彼らの両親が住んでいるような、よく知られた窮屈な家ですら購う金がない若者の間で、『ミニハウス(microhouse)』が人気だ。

こうしたマッチ箱サイズの家は、かろうじてSUV(スポーツ多目的車)が駐車できる大きさの土地に建てることを前提としているが、クローゼット・サイズのベッドルーム、スーツケース・サイズのクローゼット、潜水艦にきっちり納まる小さなキッチンがついた3階建てだ。

「先行きが不安なときでも、こうやれば家がもてるということなんです」。ミニハウスを販売している、東京に本社を置くゼウスの統括マネージャー、コンドウ・キミヨは言う。

40歳以下の多くの人にとって、これが、自動車からスーパーコンピューターまで、米国のあらゆる産業を破壊し尽くそうとするかのようだった、あの力強く、脅威的な1980年代の『日本株式会社』の時代からどれほどかけ離れたものなのか理解するのは難しい。
あの時代、日本の株式市場は今の4倍、円は想像もできないほど高騰した。日本企業が世界のビジネスを牛耳り、ハリウッドの映画スタジオ(ユニバーサル・スタジオやコロンビア・ピクチャーズ)や有名なゴルフ・コース(ぺブル・ビーチ)、象徴的不動産(ロックフェラー・センター)といった知名度の高い不動産を次々に食べつくしたのだ。

1991年、経済学者たちは、日本が2010年までに世界最大の経済国として米国を追い越すだろうと予想していた。事実を言えば、日本経済は今も当時と変わらない。現在の為替レートで、国内総生産(GDP)は5兆7000億ドル。同時期、米国経済は、その2倍の14兆7000億ドル。今年は、中国が日本を抜き、世界No.2の経済国となった。

中国は完全に日本を失墜させ、今、日本に頭を悩ませている有識者は米国にはほとんどいない。かつて賑わっていた米国の大学の日本語教室はガラガラだ。
以前、レーガン政権の貿易交渉担当だったクライド・V・プレストウィッツは、1980年代に米国に対する日本の脅威について書き、ワシントンに警鐘を鳴らした人物だが、彼は今、中国語を勉強中だと言い、「もう日本にはほとんど行っていません」とも話す。

この落ち込みは、日本人にとっては苦痛だ。マサトのような企業や個人たちが株式市場で何兆ドルも失い、株価は1989年のたった4分の1。にもかかわらず、不動産といえば、住宅の平均価格は1983年投じと同じなのだ。
未来はさらに暗い。日本が直面しているのは、GDPの約200%にもなる世界最大の国債だ。一方で、人口は減少し、貧困率と自殺率は上昇している。

だが、おそらく、最も顕著な影響は、日本の自信の危機だろう。わずか20年前、この国は、活力と野心に満ちた力強い国であり、傲慢なまでに誇りをもち、円を基盤としてアジアに経済の新秩序を作り出そうと切望した国だった。
だが、今、こうした高い野心は棚上げされ、疲弊と将来への不安、そして重苦しい諦めの空気が取って替わった。
日本は貝の中に引きこもろうとしているように見える。世界の舞台からゆっくりと消えていくことに甘んじているように思えるのだ。

この、今なお豊かな国家の生活水準は、ゆっくりと蝕まれている。それとともに、新しい倹約志向が日本の若い一世代に現れている。この世代は、日本の低迷とデフレしか知らない世代なのだ。彼らは、車やテレビといった高価な商品を買うことを嫌がる。アメリカに留学するものも、ぐっと少ない。

日本の元気のなさは、若者の間でもっとも目立つ。この若者たちは、彼らの先輩たちのように会社で際限なく働き続ける意欲にも、恋愛を成就させる積極性にも欠けているために、『草食系』として広く冷笑の対象になっている。多くの人は、なかば冗談だが、これが日本の出生率の低下の原因だと責める。

「日本人はかつてエコノミック・アニマルと呼ばれた時期がありました」と言うのは、化学工業の巨人、昭和電工の前・最高経営責任者、大橋光夫だ。「しかし、どこかで日本はそのアニマル・スピリットをなくしてしまった」。

日本の低迷について多くの人にインタビューをしたが、政策立案者や企業のトップから街の買い物客にいたるまで、日本人の口から出るのは、この驚くべき活力のなさについてだ。
日本が患っている問題は多い。が、中でも最も大きな問題は、急速な社会の高齢化だ。かつて豊かでダイナミックな国だった日本を、深い社会的、文化的わだちの中へ落ち込ませたのがこれであり、おそらく今日、最も不吉な日本から世界に向けた教訓だろう。

デフレの害悪は昔から、個人、企業に金を使わせる意欲を減退させることだと解説されてきた。なぜなら、価格が下落しているときに取る行動として合理的なのは、出費を抑えることだからだ。そうすれば、金の価値が増す。

だが、日本では、ほぼ1世代にわたって続いているデフレの影響が、大変に根深いものになっている。無意識のうちに、日本人の世の中の見方に影響を与えているのだ。将来への深い悲観が育ち、消費や投資を本能的に避けようという、リスクを怖がる気持ちを生んだ。これが需要を……さらに価格を押し下げている。

「新しい常識が生まれています。消費者たちが、ものを買ったり、お金を借りたりすることを非合理的と考え、馬鹿馬鹿しいとすら思っているのです」。そう話すのは、東京の早稲田大学でデフレの心理学を研究している竹村和久教授だ。


自信をなくした街

こうした影響は日本経済に及び、比較的賑やかな東京より、日本で3番目に大きな都市である大阪のような街で、よりわかりやすい。この商業都市を自負する街では、商人たちが、深刻なダメージを受けている買い物客を再び消費に走らせようと極端な行動に出ている。
が、これはおうおうにして、価格戦争の態をなしてしまい、日本のデフレ・スパイラルに餌を与えているだけという結果になっている。

缶入り飲料を10円で売る自販機があるかと思えば、50円でビールを売る店がある。そうかと思えば、最初の月の家賃がたった100円のアパートもある。
結婚式ですら安売り中だ。ディスカウントの結婚式場は600ドルで結婚式を挙げてくれる。この価格は、たった10年前の日本で、結婚式を挙げるのに必要だった標準的な価格の10分の1である。

大阪の千林商店街では、最近、商店が100円デイを催した。商店街の商品の多くを100円で提供したのだ。そのときですら、彼らは「結果はがっかりでした」と言う。

「日本人は、自分を着飾ろうという欲求すら失ってしまったようです」と、小さな衣料品店でパートで働く63歳のオカ・アキコは言う。彼女は自分の衣料品店をもっていたが、2002年に破産した。

活気のなさは、日常的ではない場所で感じられるときもある。大阪一番の歓楽街、北新地。ここは3世紀にわたって続く繁華街であり、夜ともなればネオンサインとタイトなドレスのホステスたちで溢れる。一流クラブでは、座っただけで500ドルという場所だ。

が、この15年で、ファッショナブルなクラブやラウンジの数は1200軒から480件に減った。そのかわりに、できたのが割引するバーやチェーン店のレストランだ。バーテンダーたちは、最近は常連があまりに料金を気にし、洗練度の高さを表すと長い間考えられてきた金銭に対する気前の良さもなくなったと話す。

「特別な文化が消えつつあるのかもしれません」と、バー織田の織田高央は語る。彼は、輝く金色のカウンターの向こうで完璧な職人芸のカクテルを作っている男だ。

何年も無策でいた日本だが、なにが問題なのかに気づきはじめてはいる。不満を抱え込んだ有権者たちが、戦後、事実上の独裁政権をとっていた自由民主党に決別したのだ。とはいえ、多くの日本人にとって、これはあまりにも遅すぎたかもしれない。日本はすでに、かつては生得権と考えられていた「安定した職業を楽しみ、生活水準を上げていけるという確信」をもたない若者たちをまるまる1世代生み出してしまった。

24歳になるヒガキ・ユカリは、経済状況と言えば、物価や給料が永遠に下降しつづけているかのような状態しか知らないと語る。彼女は、衣類はディスカウント・ショップで買い、昼食は自分で作り、海外旅行を控えることで、できるだけ貯金をしている。それでも、彼女は、彼女たちの世代は快適に暮らしていると話す。彼女や友人たちはいつも守りの態勢にあり、最悪の事態に備えているのだ。

「私たちはサバイバル世代なんです」とヒガキ。彼女は家具店でアルバイトとして働いている。

生活総合研究所の代表、松田久一は日本の消費者に関する本を数冊、書いている。彼は日本の20代に、「嫌消費」世代というまた違った名前をつけた。松田は、この世代が60代になるまでに、彼らの倹約の習慣は日本経済に4200億ドルの消費の損失を与えるだろうと予測している。

松田は、「世界でもこんな世代は他にないでしょう。消費が馬鹿げているって考えているのですから」と言う。

デフレはビジネスマンたちにも影響を及ぼしている。物価と利益だけが上がることなく下がり続ける経済の中で、生き延びる新しい道を作り出さねばならないのだから。

カイアミ・ヨシノリは以前は大阪の不動産業者だった。大阪では、日本の他地域と同様に、土地の価格がここ19年間、ほぼずっと下落し続けている。カイアミにとって、ビジネスは厳しいものだったと言う。実質、損失を生み出すだけとわかっている市場に買い手などほとんどいなかったし、売り手といえば、彼らの持ち家の価格以上のローンを背負っているのだから、こちらもほとんどいなかったからだ。

数年前、カイアミはこの手詰まりを打開するアイディアを思いついた。自己破産を申請することでローンを帳消しにしつつも、血縁者に物件を売ることで家には住み続けられるという、念入りで合法的な逃げ道を家主たちに指南する会社である。血縁者の場合、ローンは小さくなり、支払う金額が大きく減額されるのだ。

「再びインフレになれば、それだけでこのビジネスは不要になってしまうでしょう」とカイアミは言い、デフレの対極にある物価の上昇について語る。「私は20年間ずっとインフレが戻ってくるのを待ち続けてる気分ですよ」。

そのカイアミの客の一人が、中小企業のオーナーのマサトだった。マサトは、ベッドルームが4室あるマンションを血縁者に18万5000ドルで売却した。15年前、50万ドル強で購入した物件だ。彼は、自己破産を申請すれば、まだ銀行にある11万ドルの借金も消せるかどうかも調べていると言う。

経済学者たちは、デフレが居座りつづける一つの理由として、新しい商品を買ったり投資はせず、経費を削減して所有しているものを売り払うことで生き残りを図るほうへと、マサトのような個人や企業が向かっていることをあげる。

「デフレは、資本主義経済の成長に必要なリスク負担をなくしてしまうんです」。東京、慶應義塾大学経済学部、竹森俊平教授はそう言う。「創造的破壊が、ただの破壊的破壊になりかわってしまうということです」と。●



次回は、この記事に対するNeogafのゲーマーのかたがたのコメントをご紹介するつもりでおります。



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2010年11月04日

ニューヨークで一番高いレストラン、寿司バー『雅』

本日は、ニューヨークで最も値段の高い店として知られる、寿司バー「雅」(まさ)」でございます(About.com)。

「雅」は東京の有名すし店で修業した高山雅さんが2004年にマンハッタンに開いた超高級店。コースはお任せのみで、1人前400ドル以上という値段にもかかわらず、ニューヨークのセレブ御用達として知られ、予約が取れないことでも有名。

レストランやホテルの格付けで名高いミシュランの2009年ニューヨーク版でも、3つ星の最高評価を獲得しています(共同通信社)。

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本日の記事はこちらから。

レビュー数69件。内容がかぶっているものは省きつつ、このサイト独自のYelp Sort(より新しい情報であること、他ユーザーからの評価、当人のレビューのクオリティなどから、ユーザーに有用性の高い順に表示)で並んだ順にご紹介いたします。

↓評価分布はこちら。
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評価:★★★★★ ニューヨーク

おそらく、私の人生で最高の、そして最も値段の高い食事。

ものすごく気に入ったのは、飾りを最小限に抑えたインテリアと、テーブルがたった10席しかないこと(もしかしてもっと少ない??)。

料理は、ありえないぐらいのもの。新鮮な材料から作られた最高に新鮮な料理なの。ただ、私たちの席の隣の男がかなり行儀が悪くて、彼女と店を去るときにウェイターに「このレストランはぼったくりだよ」って言ったのよね。品がないったら。

ここは最高級の店なのよ。わかってるのかしら、最高級の意味が。●


評価:★★★ サンタフェ、カリフォルニア州

寿司と日本のキュイジーヌの『裸の王様』だね。まあ、わかってるよ、僕も僕の財布も、食事の終わりにもってこられた伝票にカンマがついてるってことに慣れてないんだな。カンマがついてるってのはどういう意味かっていうと、ゆうに1,000ドルを超えるってこと。僕の伝票は1,250ドルだったんだ。これ、二人分だよ。神戸牛のお奨めは断ったし、ワインは50ドルのをグラスで飲んだのに。

僕が言いたいのは、「雅は特別な店じゃない」なんてことじゃないんだ。「料理が最高じゃない」なんて言うつもりもない。でもさ、オーマイガ、それにしたってこの値段に見合う理由がいったいとこにあるんだよ?この店が米国で一番高い店だからって、みんなこの店に殺到してるよね?僕だって認めるよ。全米の最高の中の最高の店だってリストに出てたから、行こうって思ったんだもの。

はっきり言うね。サービスはファンタスティック。料理もおいしい。それから、僕はどうでもよかったけど、装飾を最小限に抑えた店内の雰囲気を、いっしょにいった友達がすっごく気に入ってた。あと、一品一品それぞれの皿に、シェフが意匠を凝らしてもいる。でもだ、それでもやっぱり、この値段はないよ。

その前の晩、僕たちはスパイス・マーケットで雅の6分の1の値段で夕食を摂った。同じぐらいおいしかったよ。僕は世界中の最高のレストランで食事をしてきたけど、こんな値段、近いところすら経験がない。800ドル、900ドル、うん、ありだろう。でも、1,250ドルだよ?しかも、800ドル、900ドルなんて価格、普通はもっと高いワインを二人で飲んだときの値段だろ。

とにかく、雅は良いレストラン。ただ、値段は2分の1でいいし、それだったら、こんなレイプされたような思い出じゃなく、ひとつの素晴らしい経験になったと思うんだ。

僕たち、伝票の金額にものすっごく焦っちゃって、次の夜のPer Se(訳注:雅と同じタイム・ワーナー・センターに入っている、やはり高級レストラン)の予約をキャンセルしちゃった。で、かわりにニューヨークのピザの有名店の1つに行ったんだ。この店を出た後、正気がちょっと戻ってきて、この正気があのとき必要だったものだって思ったよ。失敗したなあって思って、歩き方まで変になっちゃってたよ、僕たち(笑。●


評価:★

レシートを見る限り、………「20%のサービス・チャージはサービス・スタッフに支払われるチップではありません。これは、営業経費に充てられます」。

食事の価格というのは、営業経費込みだというのが一般的な考え方だと思う。価格以上の支払いは、良い仕事をしたサービス・スタッフに行くものだ。客としては侮辱的に感じるし、この店の考え方に耐えているスタッフたちを気の毒に思う。この店にはもう行かないし、友達にもそう言うつもりだ。●


評価:★★★

料理はフレッシュだったが、全体的な経験としてはがっかりだった。雅がニューヨークで最も高い店であり、名声を確立しつつあるのは知っていた。ただ、チップの他に、20%の追加料金が加算されるというのに、だまされた気分になったよ。

同じタイム・ワーナー・ビルに入っているPer Seに行った後だったから、ここでの経験にしょんぼりしちゃたんだな。

チップや追加料金を別にしても、雅の価格は、比喩ではなく、Per Seを除く、タイム・ワーナー・ビルのほぼすべてのレストランで食事ができるほどのものだ。

チップ込みで私の伝票は、2人で1600ドル。この値段だったら、日本に飛行機で寿司を食べに行けるって話だよ。

でも、寿司は最高級。評価は経験分下げた。●


評価:★★★★★

単純に言って。たぶん、これまでの私の人生で最も素晴らしい食事だった。コースは27品。熱い日本の料理に始まり、オーストラリア和牛はオプション、名物の小魚のすき焼き(これ、1年で1ヶ月しか食べられないらしい)、その後に出てくる、最高に素晴らしい、口の中でとろけるような、前もって味付けされた寿司………お金を貯めて、また行くのが待ちきれない。●


評価:★★★★

雅での夕食は、これまでの人生で一番高い値段の食事だった。けど、果たしてその価値があったのか断言することは僕にはできない。
たぶん、期待が高すぎたんだろう。これだけの凄い食事ならそうあってもおかしくない「人生を変える」経験だったとは僕は思わなかったな。

僕らは6人で雅に行ったんだけど、その値段にはメマイがしたよ。料理とドリンクの基本料金が、もう頭おかしいんじゃないかってぐらい高い。それに加えて、20%のハウス・チャージがついて、チップは別払い。
硬貨の価値ってどこに行っても可哀想なもんだけど、ここではタチが悪いことに、100ドル紙幣が可哀想な存在になってしまうんだよ。こういうレビューで料金のことばっかりぶーぶー言うのは好きじゃないんだけど、雅は法外すぎる。

とは言うものの、料理は素晴らしかった。値段が半額だったら、楽々の5つ星だよ。サービスもファンタスティック。最高のおもてなしを受けた。どの料理も美しく盛られていて、うやうやしく説明をしてもらえる。
その夜は僕の卒業が間近だったから、ソムリエが僕にお祝いで越乃寒梅をショットでプレゼントしてくれたんだよ。デザートにはボトル型のキャンドルまでついてた。

店内の空間もエレガント。ラブリーなプールがあって、花が活けてある。上品なテーブルは1本の木から出来てる。店自体は小さくて、くつろげる感じだけど、驚くべきことには、まだ半分しか席が埋まってなかった。

料理は凄かった。
最初はウナギときゅうり。柔らかなショウガ味で、すっきりした味わい。次は、トロのタルタル、キャビア添え。これはもう唖然としたね。味が調和していながら、後味に海の香りがはじける。小さい餅みたいなものをあぶったものがついてくる。

3番目が、スズキの刺身。青物が少し添えてある。この魚は身が締まってて、さっぱりしてる。ユズの酸味がするポン酢につけて。
そこから、今度はオコゼの揚げたもの。揚げたヨモギといっしょに、天ぷらで。素晴らしいふんわりとした歯ごたえ。付け合せのヨモギの香りがいい。

5番目は、ウニのリゾット、夏のトリュフ添え。最高。トリュフが繊細に薄くスライスされてて、そんなに量は入ってなかったけど、豊かでこってりしたリゾットだからね。
追加で、近江牛のタタキ、夏トリュフと藻塩添えを頼んだ。ビューティフルな肉。神戸牛より赤身が多くて、純粋に肉の味わいがある。

最後は、味付けされた寿司とハモのシャブシャブ。シャブシャブは、下に火をおいた鍋の昆布出汁で。鍋は一人一人につくし、鍋のやり方はちゃんと教えてもらえる。
ハモが美味しかった。暖かくて、柔らかい味。ウナギに似てるけど、もうちょっと歯ごたえがあるね。それを鍋に入れたあと、キュウリのビネグレットソースにつけて食べる。食べ終わったら、ビネグレットソースを昆布出汁を混ぜて、暖かいスープにするんだ。

そして、寿司。一口食べるごとに宇宙。米はSushi Yasuda(訳注:ニューヨークの寿司店)のほうが良いけど、魚がフレッシュで最高級。テーブルの中央に、細長い黒いボードにのせて出される。醤油の皿とガリ、レモンウォーター、それから手を拭くオシボリもいっしょにね。

クロマグロのトロも食べた。これはたぶん、生涯最高のトロだったと思う。たっぷり脂がのってて、素晴らしい。舌でちょっと押しただけで溶けちゃうんだよ。
その次に来たのが、シマアジと、肉付きの良い、わずかに噛み応えのあるヒラメ。3番目が、究極のコッテリしたキンメとタイ。アオヤギとイカは、ヒマラヤ塩で出てきたよ。

貝類は驚くほど柔らかだったなあ。ほとんど噛む必要がないぐらい。イカは、普通はにゅるにゅるして気持ち悪いもんだけど、これがあんまりないんだ。シソの風味がナイス。

サバとグリルしたトロすじ、これにはグリルしたシイタケがつく。サバが力強くていかにも魚って味なんだ。トロすじはネギと。ファンタスティック。ネギの新鮮な風味がグリルしたトロすじの豊かな味を引き立ててる。
今までシイタケの寿司って食べたことがなかったんだけど、もう唖然としたね。かなり炙ってあって、微妙に苦みもあるんだ。

それから、白アナゴが藻塩と、ウナギがキュウリに包まれて出てきた。アナゴは肉付きがよくて、塩がまたパーフェクトにこれに合う。ウナギにいたっては、もう狂ってたね。ローストしたウナギの味わい、ソースなんか掛かってないのに、ほのかに甘いタレの味がするんだもの。

ここで、グレートな緑茶が出て、その後、今度はアワビとウニの皿。
アワビは、これはミラクルか!ってぐらいに薄く切られて、なのにしっかりしてる。こんなゴージャスな切り方をしてるのに、素晴らしい歯応え。ウニはまるでシルクのような舌触り、信じられん。これにノリが素晴らしいコントラストを与えてる。

8皿目の寿司は、トリュフオイルと夏トリュフの入ったネギトロ。トリュフの贅沢なフレーバーがはじけ、ネギトロの細かく刻んだネギがさわやか。

最後に口をさっぱりさせるために出てきたのが、ウメといっしょにシソで巻かれたレンコンの酢漬けの寿司。カンペキだよ。強い風味でさっぱりするし、具材が調和してる。

愚痴りはしたけど、雅を楽しまなかったなんて言えやしない。前菜は美味、寿司は生涯最高と思えるものが何品か。まあ、Yasudaだって同レベルだし、米はこっちのほうがいいうえ、値段はかなり安いけどね。
この経験を後悔はしていないけど、もう一度行くことはないだろうなあ。人に薦めるのもためらう。札束を燃やしたい人ならとにかくさ。●


評価:★★★★★

日本のキュイジーヌの愛好家にとって、雅こそが真の経験というものだ。私は2009年2月に友人といっしょに、ここの寿司カウンターで夕食を摂ったんだが、なんとシェフ雅自らにサーブしてもらったんだ。ワオ!だったね。

雰囲気や勘定に気をとられないように、料理だけに集中したうえで、私は言いたい。
前菜は、私の人生で最高のものが数品(フグの唐揚なんて、もうほとんどありえないぐらいの1品だった)。ただ、寿司のほうは、全部が全部、私がこれまで食べた一流寿司レストランのものと、ものすごい開きがあるというわけじゃない。
が、はっきりと違っていたのは、特にトロ、タスマニア・サーモン、そしてウニだ(軽く炙って、完璧に調味されたノリでデリケートに支えられてる)。この飛び抜けた数品だけでも、私の賞賛と愛情を受けるに十分。

料理と同じぐらい特筆すべきことは、その料理作りとサービスの、ほとんど芸術といっていいパフォーマンスだよ。雅のスタッフは、話してるときですら、ほとんど人目を引かないんだ。囁くような声なんだ。動作は流れるようで、全体の印象はまるで静かなそよ風だね。
シェフ雅と仲間のシェフたちは寿司バーのむこうにいて、料理を作ったり、寿司を握ったりしてる。動作は小さくて、測ったように規則的、そしてそれが静かな自信をたたえてる。

ここは、派手なショーマンシップや、ゴテゴテした大げさな見世物を楽しみたい人たちが食事にくるような場所じゃないんだ。ここでの経験のすべてが、世界のここ以外のもの、雅の店の外の暮らしのすべてを忘れるっていうことなんだよ。
だから、心を空にして、この美食体験だけに集中する。料理に没入するんだ。そうすれば、雅の料理がキミを涅槃にいざなってくれるだろう。●



最後から2番目のかたは、これだけ感激してたら、値段に見合っていたんじゃあ……とは思ったのですが、……2人で1000ドル超えは確かに人を選びますなあ…。


余談ですが。
江戸時代は、天ぷらや寿司は屋台で売られていたそうでございます。行きがけにさらっと食べる粋なものだったのかもしれませんなあ。クレープみたいに歩きながら食べたりしていたんですかね。

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posted by gyanko at 12:00 | Comment(172) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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