2010年12月21日

海外の反応 - なぜアメリカ人と日本人では、ロボットに対する態度がちがうのか?-

前回のジャスティン・ピンチョットの記事についたコメントです。


■この疑問、いいね。日本のロボットもののストーリー・ラインが、ロボットに対して僕たちより好意的な傾向があるってことには僕も気づいてた。彼ら、アイザック・アシモフと似た感覚をもってるよね。

僕にとっては、ロボットや人工知能の魅力は、この地球で自律的に知覚できる「生命体」が人間以外にもいるかもしれないっていうところなんだ。他の星で生命の痕跡を見つけることはできそうにないわけで。だから、人工知能ロボットっていう「生命体」を作ることで、異質なものとか、異性人との邂逅っていう体験への興味をどんどんかきたててるって感じ。

(訳注:人工知能ロボットの出現で)人間らしさに別の視点が加わることになるかもしれないよね。僕たち人類中心の考え方以外の考え方が出てくるかも。

■「奴隷の蜂起」への恐怖が何世紀にもわたって米国社会に深く染み込んでるせいだと、ある程度だけど僕は考えてる。……で、南北戦争以降はこれが「下層階級の蜂起」に、第一次世界大戦時代は「共産主義への恐怖」に取って代わった。

現代ですら、「オー、ノー、不法移民にのっとられるよ!」とかって考えが僕たちにはあるでしょ。

日本には、そんなに階級闘争ってなかったんだ(下層階級が(訳注:蜂起することなく)常に支配を受け続けてたって意味でね)。だから、(訳注:内部からではなく)外部から巨大宇宙ロボットが攻撃するっていう考えに意識が集中した。

内部からの蜂起を怖がるより、外国を怖がらなきゃいけないような問題が十分にあるってこと。

私見だけどね。

■↑そうか?日本の歴史は、常に大きな階級闘争ばっかりだろ。あの国が何百年も非武装地帯であり続けているのはその結果じゃないか。彼らは絶対に「奴隷の蜂起」の恐怖を理解してると僕は思うね。

七人の侍』にだって、村の農民たちが戦場から逃れた落ち武者たちをひそかに殺してたってことが発覚する場面がある。覚えてる?

■↑基本的に、19世紀の明治維新がアメリカの奴隷解放に相当するんだよ。あれで、何世紀もの間、特権階級として鉄拳で国を統治していた侍が地位を奪われ、初めて一般の人々に社会的進歩のチャンスが与えられた。

■↑日本には、非常に厳格な階級制度の長い歴史がある。でも、この構造が非常に厳しく強化されていたために、階級闘争というのはそんなになかった。階級制度の一部として制度化された差別や暴力以外は、階級間の実際の闘争はなかったってことね。

明治維新ってのは、日本社会が封建時代から民主主義へと移行した大きな動きだったけど、フランス革命みたいな「蜂起」じゃないんだよ。近代化と開国をめぐる侍同士の内紛だ。

ただ、日本人が不平を言わないなんて大げさなステロタイプをここで強調するわけにはいかない。だって、日本には農民一揆の長い歴史があるから。60年代には日米安保をめぐって、市民が騒動を起こしたりもしたし。90年代にも、大阪で日雇い労働者の小さい規模の暴動があった。

とはいえ、どれも大きな影響力はなかったし、失敗に終わった事件だ。日本の歴史に大きなインパクトを残したわけじゃないんだよな。

■↑たぶん、一番大事なのは、日本社会が、すべての階級に対して厳格な階級制度を正当化できる、社会的道義的規範を長く保ってきたってことじゃないか。このおかげで、一貫性のある信念を維持できた。

日本の貴族や侍が商人や農民に対する考え方を正当化する社会システムをもってた一方で、アメリカのプランテーションの所有者たちは、実は奴隷たちこそが聖書が語るヒーローだという事実を隠蔽するために必死で頭を使わなきゃならなかった。そして、そのヒーローたちは、特に物質的利益という話になると、自分たちの同胞を隷属させることにもためらいはないとくる。

■日本には、神道っていう、アニミズムと「物に宿る霊」の強固な伝統があるんだよ。物質は、その中に宿る霊がどう扱われるか、どう崇められるかによって、祝福されたものにもなれば、非常に危険なものにもなりえるって考え方。

これで、日本人が、科学やロボットの暴走に対して深い畏怖を抱いているってことも説明はできる。霊的で超自然的な世界のものになったロボットに対する畏怖。ロボットがこういう秘密の世界の源に触れれば、なにかの理由で激怒することだってあるんだから。

僕たち西欧の人間は、単にロボット戦争を思い浮かべて、機械の機能、効率最優先、あまりにも実用的な論理、性能が良すぎる武器なんてことでしか考えないけどね。

■↑西欧の人間には複雑すぎる。オレの妻は日本人なんだが、ものの見方がちがうんだ!日本の映画を二人で見てると、オレたちとは違う解釈をするところがたくさんあるなあって思うよ。

■アメリカの労働組合が一枚噛んでるなんてことないかな。組合は、ロボットが私たちの仕事を奪ってるっていう考えを一般に広めてるよね。

でも、日本ではそういう労働組合の文化は広まってはいないし、歴史的に見て日本のビジネス文化は、効率とミスをなくす製造態勢で動いてきた部分が僕たちの国より大きいわけだからさ。

■↑まさに的確。僕が通ってる大学院の経済の講座で似たようなことをやったんだ。議論は、異なる経済圏での製造効率についてで、それが労働力としてのロボットの増加とどう関連してるかってことだった。

■↑正しいのかなあ。労働組合は米国より、ここ欧州のほうが遥かに強大だけど、ロボットや機械に関する厄介事が欧州のほうが多いとは、僕は思わないけど。答えは、経済というより、アメリカの宗教文化のあたりにあるんじゃなかと僕は疑ってるね。

■↑労働組合については、欧州のほうが強いな。いい点をついた。キミは、アメリカの宗教文化のどういう面がロボットに対する態度に影響してると思う?

■↑単純明快。米国は欧州より宗教的だ。そして、日本より遥かに宗教的。基礎的な神学理論や大衆向けの神話(の影響力)が強いってだけじゃなくね。

ファウストの伝説(訳注:ゲーテの『ファウスト』の基となった、15 世紀から16世紀頃のドイツに実在したと言われるドクトル・ファウストゥスの伝説。錬金術や占星術を使う黒魔術師であるという噂に包まれ、悪魔と契約して最後には魂を奪われ体を四散された)だとか『フランケンシュタイン』だって、ハリウッドのおかげで米国のほうが影響力は強い。聖職者たちから語られたのがハリウッドに行ったのか、ハリウッドから聖職者たちが影響を受けたか。どっちも真だろう。

キミだって、科学に対するキリスト教右派(訳注:聖書に反する進化論や地質学の教育に反対。特定のバイオテクノロジーの禁止等。共和党支持が多い)の態度は見聞きしてるはずだよ。ロボットってのは本質的に、(訳注:キリスト教右派にとって)科学やテクノロジーの擬人化された象徴なんだよ。

■↑良い意見だ。

■まず、僕が言うことは多少事実が歪められてるかもしれないから、遠慮なく間違ってるところは指摘してほしい。

僕の考え。産業革命のとき、機械がゆっくりと人間の領域を侵害しはじめた。当時の人々は、工場の仕事が機械に奪われるのを見てた。でも、機械に仕事を奪われずに済んだ人たちも、ギシギシいいながら回転する危険な機械に手足をもがれる恐怖に直面することになってしまった。

これとは対照的に、日本はどんなふうにテクノロジーと対面したか。第二次世界大戦前は、日本はまだ西欧のいくつかの国と比べれば発展してなかった。日本が自力で工業化を始める前までは、テクノロジーはいつだって素晴らしい新手のものとして迎えられた。

その後、日本全体が拡張政策へと転じていった(これは肯定的にとらえられていた)。日本のテクノロジーの多くは、繊維や工場というより、軍事ベースになっていく。

そして、第二次世界大戦後。アメリカが日本を占領したとき、僕たちの文化やテクノロジーが日本へもたらされる。むろん、労働者が機械の餌食になってしまうことはもうわかっていたから、もたらされたテクノロジーは以前よりずいぶん安全なものになっていた。

つまり、日本は、僕たちが経験した実験やエラーの恐怖を感じることなくテクノロジーの恩恵を受けられたわけだ。でもって、日本は資源に乏しい国だったせいで、彼らはテクノロジーに執心し、今日までテクノロジーとともに走り続けることになる。

僕は、日本を破壊する巨大ロボットって考え方が必ずしもあたっているとは思わないんだ。だって、日本を破壊するのはロボットだけじゃなく、怪獣だっている。ゴジラは一番よく知られた例。

それと、僕も、神道の影響だっていうのは聞いたことがある。日本人は、すべてのものに魂や霊が宿っているって信じてる。ヒューマノイド・ロボットにも霊が宿っていると考えるんだとしたら、ロボットはかなり怖くなくなるよね。

僕らは、ロボットを魂がないものって考えがち。だから、怖いんだ。魂をもつものだって考えれば、不気味の谷を感じる前に、ものすっごく人間っぽく思うんだろうね。

■↑日本の工業化は明治維新のとき、19世紀後半には始まってることを考えると、単純すぎる気がするなあ。日本の産業革命は、西欧の産業革命とはまったく様相がちがうってわけじゃないよ。西欧のファッションや文化を熱心に賞賛することから始まったし。実質的には、オリエンタリズムからの脱却だったし。

ただ、最後の神道の点は興味深い。、キリスト教右派の神学的世界観から見れば、テクノロジーや進化ってのは常に邪悪なものってのは本当だからなあ。最初に街を作ったのはカイン、高潔な人たちは田舎に留まるもんね(訳注:弟を殺し、ノドに追放され、耕作ができなくなったカインを金属加工技術者の祖とする解釈がある)。

まあでも、西欧でも、人間ぽい外見をしてない限りはロボットとうまくやっていけるって。それに、軍の幹部が地雷除去作業をやってるルンバ(訳注:全自動掃除機。もともと地雷除去用に作られた)を「残酷すぎるだろ」って言い始めたり、普通の人たちがルンバをバケーションに連れてくようになってるから、オレたちもロボットを大事にできる希望があるってことだろうな。

■↑どっちも科学ニュースで読んだ。実際あったことだよ。ルンバ用の可愛い服を売ってる店もあるしね。

■もう一つの鍵となる要素は、単純に言って、文化的な露出度だよ。日本人は、この数世代、実際のロボット(開発も販売もどこの国より日本が早い)だけじゃなくて、ロボットのイメージにも取り囲まれてきた(アニメとかマンガとか)。結果として、言うことを聞くロボットっていう考えが社会に浸透して、時代精神の一部になったんだ。

それとは対照的に、こっちではロボットのイメージってのはかなり流布してない。テレビ番組でロボットが出てくるのはそこそこあるけど、ほとんど殺人絡みだろ。
ほとんどのアメリカ人は自分の目でロボットを見たことすらないんだよ。見たことがあるとしても、日本のものすっごく人間っぽいデザインのものに比べたら、ぜんぜん産業的で機械的なやつだけ。となると、必然的に社会産業的に「支配される」って恐怖が生まれちゃうよな。

■なにが不安なんだよ?いっしょにいて楽しいプラスティックの仲間ってだけだろ。

■アニミズム的な文化では、無生物も含めて、万物に魂が宿ると信じる。物体は人間っぽくなればなるほど、より魂をもつ。だから、できるかぎり人に似せて作られたロボットは、人間っぽくない人工物に比べたらさらに魂がある。

西欧文化は、人間とそれ以外の間をはっきり区別する自然観を理想としてる。これは、生物学的にも自然学的にも正しいとは言えない考え方。要は、単に宗教的な正説ってだけなんだよな。

正説が異なれば、見方も異なるわけだ。

■↑「物体は人間っぽくなればなるほど、より魂をもつ」って考え方だって、生物学的にも自然学的にも正当化できないだろ。ちがう?

ロボットに対する態度が異なるのは文化的な素性が違うせいなのは確かだよ。でも、キミの説明はちょっと場当たり的すぎるし、還元主義的だし、短絡的。

西欧には、確かに分類において頭が固いところがある。宗教的な慣習だけじゃなくて、啓蒙主義(訳注:超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促す。科学者の理神論的あるいは無神論的傾向を深めた)後の科学的な実践にも、そういうところはある。(西欧の)すっごく秩序立った生物の分類法を見ててもそうだよね。そういう分類をちょっとでも外れたものは、気味悪がられたりしがちだし。

それと、人間をロマンティックに理想化する傾向もある。それに対して、非西欧文化圏(ソビエト、ロシア文化も含む)だと、人間の機械化だとか、より上位の社会グループ(政党、政府、企業)に人間が服従することはさほど議論の的にはならなかったし、今もなっていない。こういうことが、西欧的な感覚だと、脅威として捉えられるんだ。

■アメリカ人のロボットに対する恐怖は、奴隷解放に源があるかもしれないな、少なくとも多少は。語られてるロボットへの恐怖ってのは、1960年代の(訳注:黒人の)公民権反対論だとか、南北戦争前の南部の奴隷制度支持論に妙に似てる。

これが反ロボットの差別主義だなんて行き過ぎたことは言わない(ロボットが街のあちこちにいるようになるまでまだたっぷり時間はあるしね)。でも、かつてしっかりと自分たちに隷属していたものが管理できなくなるっていう恐怖。消えずに残っているこういう恐怖は、似たような歴史的な経験が基になってるんだよ。

こういう感情が相互に関連し合ってるっていうのを統計的に調べたら、面白い実験になるんじゃないかな。

■フレデリック・カプラン(訳注:ソニーコンピューターサイエンス研究所でロボット犬、アイボ の人工知能開発に7年間携わったロボット工学者)がInternational Journal of Humanoid Roboticsに似たような論文を書いてたなあ。題して、『誰がヒューマノイドを怖がるのか?ロボットの受け入れにおける文化的な相違の研究』。


(訳注:フレデリック・カプランのインタビュー。面白いです。現在、カプラン氏は、西欧のロボットへの恐怖を理解したうえで、人間に似せず、テーブルやランプなど家具にロボット工学を組み込む研究をなさっているそうです。)

■日本の人たちは、愛と人生を求めてるだけ。だから、知的で平和な方法でそれに取り掛かってる。

■ロボットへのアメリカ人の恐怖は、奴隷の反乱への過去の恐怖と関係あるかもって?
オレも似たようなこと考えてた。宇宙人の侵略は、テクノロジー的に自分たちより発展してない人たち、つまりネイティブ・アメリカンの侵略や植民地化を思い出させる(から怖い)んだ。

■↑凄い理論だ。それ、論文にまとめるべきだ。

■アメリカ人がロボットを怖がるのは、手があるからかもよ?コンピュータなんかはいろんな方法で僕らを苦しめることはできるけど、僕らが電源を切ろうとするのは止められないし、電源が切れたら終わり。
けど、ロボットは現実世界の恐怖なんだよ。僕らを追跡して捕まえて、殺せる。

■↑それが理由なら、日本人だって怖いと思ってるはずだろ。

■↑や、日本には侍がいるからダイジョブ。

■北山忍っていう、ミシガン大学で教鞭をとってる社会心理学者がいるんだ。彼は、西欧人と東アジア人(特に日本人とアメリカ人)の社会学的、心理学的相違を研究してる。

彼は1991年にヘーゼル・マーカス(訳注:スタンフォード大学心理学教授)といっしょに、日米の文化における自己の文化的構造についての論文を発表したんだ。この論文の影響力はとても大きかった。
その論文で、西欧人が自己と他者を「知覚してる内部属性」で定義するのに対して、日本人は「知覚してる他者との関係」で定義するって説いた。

(訳注:影響力の大きい論文=『文化と自己』。この論文をきっかけに、現在の心理学は西欧で生まれ、西欧の人々の分析から生まれた学問であり、それを他地域の人々に当てはめるのは無理があるという認識、指摘が生まれた。)

アメリカ人のロボットへの恐怖。一方で、ロボットはみんなに貢献してくれるヘルパーだっていうことから、ロボットを簡単に受け入れる日本人。これを考えると、北山の発見に符合するって感じるんだ。

つまりアメリカ人は、ロボットの内発的動機づけ(訳注:≒もともと備わっている欲求)を、より心配する。で、ロボットの行動を見て、そのもともと備わっている欲求はこんなことじゃないかと考える傾向がある。
一方、日本人は、ロボットの社会的位置づけを、より気にする。で、その社会的位置づけを、社会的団結に貢献できるロボットの能力に基づいて、「彼らはこういう役割なんだ」と考える傾向がある。

とにかく、日本人がロボットをアメリカ人よりたやすく受け入れる理由は、第二次世界大戦の影響っていうより、もっとずっと深い社会文化的なことに思えるね。
北山の研究は、日本の文化と僕たちの文化の相違について探求したければ、熟読の価値あり。

■アメリカ人は、貧しい移民を家政婦や看護師みたいな労働力として喜んで使うだろ。で、創造的なプロセスは、実際的な問題を解決するのに振り当てる。たとえば、全自動掃除機とか、宇宙探査ロケット、対潜水艦攻撃用無人飛行機とか。

日本人は外国人が好きじゃないし、一般に他人が好きじゃない。だから、ロボットの家政婦やレジ係り、シェフを作ることに集中する。

■日本のロボット産業の革命の多くは、日本の人口統計がどんどん高齢化してて、老人の世話をする若い人たちが少なくなっていってるからって理解してる。

米国では確かに、老人や病人の介護のために契約労働者を使用人として輸入してるよね。でも、日本人は国の文化として、移民に非常に慎重だし、同質文化であることを誇りにもしてる(アイヌや琉球のことを考えたら、日本の歴史の背景を形成している移住の歴史はあるわけで、同質といったら馬鹿げた話になってはしまうけど)。インタビューで、日本が単一民族であることから、アメリカと比較して話していた役人もいたしね。

結論から言えば、日本は移民には、とてもとても制約のある基準をもってる。他の東アジアの国と比べても制限が多い。このせいで、アメリカが伝統的にやってきたような、移民の底辺層を発展させるというのは日本では難しい。だから、そう、ロボットはそういう問題の解決法なんだよ。

■私はロボットを深刻にはとらえてないね。日本人もそうだと思うが。ロボットが操作する人間なしで意味のある行動をするようになるなんて考えてないんだ。

■↑まあ、オレたちが生きてる間は、少なくとも無理だろうね。

■↑問題は、いずれ人工知能やロボットが成長したとき、もう後戻りはできなくなるってこと。ロボットが自律できるようになったとき、人との境界線がぼやけ、たぶん、私たち自身の崩壊へと繋がっていく。それが、私たちが生きているうちではないかもしれないってだけ。

■ロボットは、東洋と西洋を根本的に隔てる、もう1つの価値観だな。西欧は通常、ロボットを敵対者と見なす。結果、人間の能力と知覚が、無感情の制止できない敵と戦うということになる。

日本の通常の捉え方では、ロボットはヒーローだ。普通は一人じゃ立ち向かえないものから人間を守ってくれる。ヒーローたちは強さをもって生まれ、彼らの挑戦は人間以上の存在になることではなくて、人間になることだ。

これって、西欧の個人主義とか東洋の集団主義っていうイデオロギーとなにか関係あったりするのかな。

■簡単だよ。日本人はロボットを、究極の家来であり、従順で、勇敢で、いつも忠実なものとして見る。彼らはこういうものをとても高く評価する。イメージとして、ロボットは、人類の創造の頂点、テクノロジーの頂点ってことだ。

アメリカ人はロボットを奴隷として見る。いずれ主人に反乱を起こす奴隷だ。なぜアメリカ人がロボットを怖がるかは明白だよな。

■日本はルーツとしてアニミズムをもち、アメリカはピューリタニズムをもつ。



米国の軍関係者が、地雷除去をするルンバを残酷すぎると言ったという記事のソースを読みたかったのですが、見つかりませんでした。

ルンバの服はこちらで見ることができます。
このページでは、こんな質問があがっていました↓。

1. ルンバに名前をつけてあげましたか?
2. ルンバに話しかけていますか?
3. ルンバに部屋を掃除させるより、ルンバを見守っている時間のほうが長いですか?
4. ルンバが一人で寂しくないように、2台目のルンバは買いましたか?


アイボに対して「危険」、「子供に悪影響」と反応していた頃とは、ちがってきている部分があるのかもしれません。



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タグ:ロボット
posted by gyanko at 20:00 | Comment(288) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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