ゆったりと踊るコーヒー
数年前、私は、プロ用のエスプレッソ・マシーンを購入してキッチンのミート・スライサーの隣に置くという夢を諦めた。
理由の1つは価格だった。スターター用でも600ドルは掛かるうえに、街角のコーヒー店のカウンターにあるようなテクノロジーと火力のものがほしいとなったら、値段は一気に6500ドルに跳ね上がることが判明したからだ。イタリアでハンドメイドで組み立てられ、保温ができ、ボイラーが2つとくれば、安かろうはずがない。
だが、コーヒーをどうやって家でいれるかということに目を向けたとき、このエスプレッソ・マシーンへの渇望は薄れた。私は、プロの人たち、つまり、いれようと思ったものはなんであれ、美味しくいれてやろうという衝動に駆り立てられたコーヒー狂いの先導者たちのやり方に目を向けてみたのだ。
ここまで書いて、読者の中には、エスプレッソマシンからの改宗を薦めるかのような私の話にうんざりしているかたがたがいるだろうことはわかる。そう、皆さんが読みたいのはコーヒーの話だ。説教ではない。ただ、人々が「自分は他とはちがう」と自己満足や優越感を感じるはずのところに、私は情熱と好奇心を感じる人間なのだ。
こうした情熱や好奇心は、料理ならば、シェフたちが受け止めるはずのものだ。料理は1990年代で行き詰ったなんてことはないし、今だって私たちは、ハニーマスタード・ソースでつやめく料理や、サンドライ・トマトを使った料理が載ったメニューがあるテーブルに着くではないか。コーヒーだって、同じこと、変わっていってなにがいけない?
実際、疑問なのは、なぜこれほど多くの人たちが、コーヒーといえばイタリアンだとか、フレンチだとか、トルコだとか考えるのかということだ。権威のあるコーヒーは特定の国に限られ、他の国は追いつけないという固定観念にどうしてしがみつくのだろう?プロのやり方をまねながら、私はそう考え、そして、器具一式を購入しはじめた。つまり、グラインダー、ドリッパー、ケトルの3つ。シンプルで、機能的、かつ美しい器具だ。
こうした器具は、ロウ・テクで、絶対に人を裏切らない。コーヒーのいれ方によって変わりはするが、費用は15ドル〜50ドルといったところ。そして、こうしたカギとなる構成要素の大部分が、日本から来たものだった。
そう、日本。
世界で最も重要なコーヒー市場の1つである国、日本は、年間、9億3000万ポンド(訳注:約42万トン)以上のコーヒーを輸入している。これは、フランスより多く、イタリアより少ない。
一時の流行などではない。日本には、少なくとも1940年代からコーヒー店が存在し、コーヒーの伝統となるとそれよりさらに古い。
日本のコーヒー文化は、エスプレッソよりも「いれたコーヒー」を、コクよりすっきりとした味わいを重んじる文化だ(最近は変わりつつあるが)。コーヒーとは、野球と同じぐらいに、そしてビールと同じぐらいに日本的なものなのだ。
ほんの数年前まで、米国へ渡ってきた日本のコーヒー器具の多くは、スーツケースに入れられてやってきた。輸入が禁じられていたのではない。要は、無名だっただけ。日本のケトルやドリッパーは、荷物が増えても構わないというコーヒー狂や旅慣れた人々によって、ぽつりぽつりと米国へやってきていた。
オークランド、サンフランシスコ、そして現在はブルックリンにもあるブルーボトル・コーヒーのジェームズ・フリーマンは、日本のコーヒー器具を導入(輸入も)している一人だ。
フリーマン夫妻と、パティシエのケイトリン・ウィリアムズ・フリーマンは、東京のコーヒー店、「茶亭 羽當」を訪れたときのことを語ってくれた。そこでは、コーヒーをいれることが儀式めいているのだという。
まず、豆を量り、挽き、フィルターに入れる。それから、ほんの少量の水で浸して、コーヒー豆を目覚めさせ、二酸化炭素を抜く。カップとソーサーは暖め、シフォンケーキはしっかりと冷蔵庫で落ち着かせる。それから初めて、コーヒーを入れる。ゆっくりと、だ。
「彼らは技術のきわみを目指しているんです。サービスについても、重要な細部のあらゆる点で達人たることを目指しています」とフリーマンは言う。「結論から言えば、信じられない、どうにも定義のしようのない体験でした。偉業をまねして大量生産するのは難しい。彼らのやっていることを解明するのは、私たちにとって大変に難しいものに思えました」。
2007年、フリーマンは、フィルター・コーヒーに使用するスワン・ネックのケトルに注目しはじめた。注ぎ口が狭いため、細い正確な水流が出るし、取っ手は手を自然にバランスの取れた位置にしてくれる。ドリップするのにフィルターから湯を溢れさせてしまうことがなく、数分の間に一定量の湯が出る。
懲りすぎで、面倒に思えるかもしれないが、このケトルを使うと、とりこになってしまう。マジックマーカーしか知らずにいた人が、製図用ペンの書き味を知ったかのごとくだ。
そして、もっと大事なことは、コーヒーの味がちがう。際立っている。すっきりとして、甘くすらある。
実際、「豆」とは、サクランボのような潅木の発酵した種子だ。注意深くローストし、きちんといれれば、コーヒーから花や果実のような味わいを感じ取れるはずだ。
2009年までに、ブルーボトル・コーヒーだけでなく、サンフランシスコのリチュアル・コーヒー・ロースター、シカゴとロスのインデリゲンツィア、アーリングトンのバリスモといった独立系のコーヒー店が、こうしたケトルやその他の器具を仕入れることになった。
だが、品物の供給は安定しなかった。限定版のスニーカーのような、あらかじめ計画された品不足とはちがう。ほしいものが店で在庫切れになったから、次に入荷するまでは手には入らないという話ではない。
クラブに入らなければならないのだ。ハリオ、カリタ、ボンマックの製品を所有しているということは、このクラブのメンバーである証だった。
すべてが変わったのは、2010年の秋。ウィリアムズ・ソノマ(訳注:キッチンウェアや家具、リネン等を売る米国の最高級ショップチェーン)が、日本版パイレックス(訳注:世界最大級のガラス製品メーカー、コーニングのこと。パイレックスは、コーニングが開発した耐熱ガラスの商標)と言っていい、巨大ガラス製造メーカー、ハリオの特製コーヒー器具やアクセサリーのセレクションを米国に持ち込みはじめた。ケトルやグラインダー、ドリッパーだけでなく、もっと珍しいスロー・ドリッパーやウッドネックまでもだ。
製品投入は、全米規模だった。この日本製のコーヒー器具は、全部で250以上の地域のウィリアムズ・ソノマのほとんどに置かれ、オンラインショップでも販売された。ついに、ケトルの購入が、ナッシュビルのグリーン・ヒルズにある商店街を通り抜けるのと同じぐらい簡単なことになったのだ。
ハリオのPour-Overのケトル↓。
このケトルは、pour-over(注ぎ回す)方式の「注ぐ」器具だ。このpour-overという用語は、技術用語として最近になって受け入れられたものだ。
ただ、バリスモのオーナーの1人、Jaime van Schyndelは、これよりむしろhand pour(手で注ぐ)のほうが良いと言っていて、このほうがより上手い表現かもしれない。なぜなら、これは手で入れるコーヒーであり、通常は一度に1カップ分だけだから。
正直言えば、こうしたコーヒーのいれかたや器具は、万人向けではない。儀式を楽しむ人たちもいるだろうが、反面、コーヒーをボタン1押しの気軽なもの、タイマーのセットの仕方さえ覚えれば、自動的に作動して出来上がるものと考える人たちもいる。
数え切れないポアリング・ケトルやスロードリッパーが、まるで昔のフォンデュを作るセットのように、3〜4回使われた後、箱に入れられ、高い棚の上にしまわれることだって私は疑わない。
けれども、この肌慣れない器具の突然の登場と、人々への広がりは、恒久的な変化を指し示している。これまでの階級序列が砕け散ったのだ。
そして、すでに、東京や京都へかつて旅をしたことがある人々の中には、コーヒー伝統の多様性を推し進めている、とある国、なにか私たちに教えてくれるかもしれない、あるコーヒー新興国のことをTwitterで話している人たちもいる。つまり、韓国のことだ。
(ライターのオリバー・ストランドは、ダイニング部門のレギュラー寄稿者。現在、彼はコーヒーの本を執筆中で、これはHarperCollins社から来年、出版される。)●
コメントは、転載先のこちらから。
■去年、東京に行ったとき、このスタイルのコーヒーを何度か飲んだ。たった一人の専門スタッフが1杯のコーヒーを15分ぐらいかけていれる店もあったよ。1杯が至福の喜びだったね。待っただけの価値が完全にあった。
今も思うのは、私がいつも飲んでるコーヒーは、あの味を引き立てるためなんだなって。浅草にもう一度行くのが待ち遠しいよ。
■これって前にここで紹介されてたChemexのコーヒーメーカーとはどう違うの?
↓Chemexのコーヒーメーカー。
■ハ!その件ならオレに任せろ。一年かそこら前にChemexに買い換えたんだが、二度と振り返りたくないね。
■母親がベトナム人なんだ。18歳までいっしょに住んでたんだけど、ベトナム人は毎朝、コーヒー。作り方は、この記事と同じだけど、器具はもっと安く買える。
僕がお茶を飲むのは、これが理由の1つでもあるんだ。簡単だろ、お茶って。ティーバッグって安いし。コーヒー・バッグってのも、あってしかるべきだよね。もうあるのかもしれないけど。
■ベトナムのコーヒーもこれと似たようなものだとは思うけど、この記事のは面倒くさそうに感じるね。湯をゆっくり注ぐんだろ、数分間、熱いポットを手に持ってさ。
■フレンチプレスを毎朝、使ってる。使った後にちゃんと洗えば、準備はそんなに大事じゃない。
ただ、フレンチプレスを分解して、コーヒーのカスを洗い出して、プレス本体をきれいにしなきゃならないのが、たまに苦痛。
このドリップ式は、試してみたい気持ちはあるなあ。シンプルで簡単そう。でも、ドリップ・コーヒーメーカーもあるし、フレンチプレスももってるし、エアロプレス(訳注:欧州で盛り上がっているコーヒー抽出器具)もあるんだ。もうこれ以上はねえ。
■このpour-overスタイルでコーヒーをいれてる友達がいるよ。ただし、ちょろちょろ注がない。ドリッパーにドバっと入れて、溢れさせちゃうんだ。でも、すごく美味しいよ。
■1杯だけ飲みたいときは、この方式で家でいれてるよ。
■「日本のです」っていう異国情緒が注入されてるなあって感じ。
人生のほとんどを日本で暮らしてるけど、これって家でコーヒーを入れる一般的な方法だよ。家庭には大概、良いケトルがあるから、それで素早く湯を沸かすか、設定された温度の湯を自動的に出してくれる湯沸しポットを使う。
特別な器具も特製ケトルもないよ。
コーヒーメーカーを使ったりもするし、ガス台で沸かしたお湯で作ったりもする。シンプルだし、異国情緒なんてほとんどないけどなあ。
■このpour-over式のコーヒーしか出さないカフェを知ってるよ。時間はかかるけど、確かに美味い。でも、あの美味さが入れ方なのか豆なのかは、よくわからんが。
■↑僕が大好きなコーヒー店、サンタ・クララのベアフット・ロースターも今、pour-over式を採用してるんだ。集中力のいる作業だけど、味も凄い。
■半信半疑。ペーパーフィルターが切れたり、1杯だけ作りたい気分のときは、コーヒーメーカーに付いてるフィルター使って湯を注いで作るけど、特製ケトルは必要ないなあ。……湯を沸かせればなんだっていいじゃん。ま、オレの場合、いつラーメンを食べたくなってもいいように、湯沸しポットを使ってるけどね。
■別に、新技術ってわけでも、革命的ってわけでもないと思うが。
■人々がどうしてこの方式や日本製の器具に興奮してるのかをちゃんと知りたければ、この記事よりもう少し掘り下げなきゃわからないことなんだよ。特に、バリスモの投稿を読まなくちゃ。
本質的に、この日本式は、通常のChemexとかメリタの改良版なんだ。新しいハリオの器具は、ドリッパーのデザインを変えてて、滴り落ちる湯の量をもっと正確にコントロールできるようになってる。注いでる間のコントロールが格段に良くなってるんだよね。均一に豆を湯に浸すことができるし。
■僕のコーヒー好きの友達が教えてくれたのは、基本的に60年代に使ってたようなドリッパーを使うってこと。特製ケトルを使って特別にゆっくりと注ぐ技術もいるし、特製のコーヒーポットも使う。これって、すっごく日本っぽいよね。
良い豆、正しい挽き方、適正な温度。技術はもちろん必須。これに、ステンレスのメッシュ・フィルターがどこかで見つかれば、コーヒーの中にカスが混じりこむことはないから、完璧なんだけど。今のところは、ペーパーフィルターが良いね。
■この方式とエアロプレスを家で使ってる。数分間、一定量の湯を注ぐようにコントロールすることに「とりこ」にはならないって。退屈。エアロプレスより良いってわけでもないが、味は確かに違うよ。
あ、大きなプラス点。pour-over式って、エアロプレスより50%豆が少なくて済むんだ。
■↑エアロプレスは豆を使うよなあ、かなり。まあ、でも、いいさ、速いから。
■わからん。湯を注ぐだけなのに、輸入ものの日本製の特製ケトルに60ドル必要なのか?
基本の考え方は素晴らしい。一度に1杯分だけ。熱すぎない湯を使って、ゆっくりと正確にコーヒーに注ぐ。良いフィルターを使う。
でも、僕なんて、2ドルのドリッパーとへこんだケトルで、たった5分の儀式でコーヒーをいれてるよ。それでも、飲んでると平和を感じるし、グレートな味だって思う。
僕の奥さんなんて、沸騰した湯をドリッパーにぶち込んで、15秒後には苦くて水っぽいコーヒーを僕に出してくるんだぞ。
■記事を2回読んで、なにが特別なのかまだよくわかってない。要は、普通のトリップ・コーヒーを作るってことだろ。だたし、注ぎ方はゆっくりね、っていう。
これって、てっきりコーヒーメーカーがやってくれてることだと思ってたんだが、そうか、わかった、今度、あの機械の中をよーく見てみるよ。
僕は日本に住んでるから、古風な、チェーン店じゃないコーヒー店(喫茶店って言うんだよ)に行けば、ゆっくりと1杯分作ってくれるところがあるんだろうなって想像はつく。忍耐の要る、スローフード・タイプの店だよね。
でも、他の場所だと、マシン・ドリップの早くて便利なコーヒーだよ。そういうのがたくさんある。(僕は家では、ゆっくり湯を注いで作るんだ。他のことは何も考えないで作る。奥さんは日本人なんだけど、お湯をフィルターにどばっと注ぐだけなのよ)。
ドリップ・コーヒーに異国情緒、盛り込んだねえって印象の記事だわ。特製ケトルを使うのは楽しいかもしれないけどね、マジで。でも、要らない。特製コーヒーポットも要らないなあ。
■メリタのコーヒーメーカーとどうちがうの?クイジナートの自動ドリップメーカーは?
■↑クイジナートだと、たぶんコーヒーを均一に湯で塗らすことができない。それと、温度が低すぎる(これは、ほとんどの自動ドリップ・マシーンに共通の問題)。
日本のハリオのドリッパーが、メリタやChemexみたいな他メーカーのと何がちがうかっていうと、実に繊細な部分なんだよ。メリタやChemexは、湯を注いで満たす方式で、豆の挽き方やドリッパーの穴で滴る量が制限される。
ハリオのV60は、ドリッパーの穴が大きくて、滴る量を制限しないかわりに、特徴的な畝(訳注:スパイラルリブ)が内側についてて、これで空気を入れながら畝にそってコーヒーが流れていく。Chemexはこのサイドからの流れがないし、メリタは穴で量の制限がある。V60には、どちらの問題もないんだよ。
↓ハリオV60と特製ケトルを使ったコーヒーのいれ方。
How to Brew with a Hario v60 Pour-over Cone
コーヒーの専門家やコーヒーマニアのかたがたの間では、この記事通りなのだろうと思われますが、米国の一般のかたがたはさしてそこまで考えてないという温度差が面白かったです。
「昔からある方法なのに、特製ケトルとかドリッパーとか要る?」という。
微妙な違いは違いのうちに入らんという感じなのでございましょうか。
個人的なことを申しますと、ドリップ用のケトルをもっているのですが、大変使いやすいです。一番なのはやはり、一気にお湯が出ないことです。
しかも、「とりこ」とは言わぬまでも、記事にある通り、確かに使っていて何か気持ちいい。細く湯が出る感覚とか、手でもってるときの重みの掛かり方が良いんでしょうか。よくわかりません。
↓励みになりますので、よろしければ、ひとつ。