2011年03月02日

海外記事 - 日本のアーケードが廃れないのは、硬貨のおかげ?! -

本日は、こちらの記事から。


1つの硬貨が日本のアーケードをどう救い、米国のアーケードをどう終わらせてしまったか。

アーケードは死んではいない。だが、昔の活気を取り戻せてはいない。

がんばってはいる。街でゲームをやる新しい方法を提供しようとする新しいアーケードもあれば、ニューヨークやロスにあるような伝統にこだわるアーケードもある。

だが、肩と肩を寄せ合い、25セント硬貨を筐体のガラスの上に重ねてゲームをやっていたあの時代は、もう戻りそうにない。

Mark Cernyはそう言った。彼は、アーケードの黄金時代だけでなく、米国や欧州、日本以外のあらゆる場所でアーケードが断続的でゆっくりとした死を迎えていった時代を、ずっとゲーム業界で過ごしてきた男だ。

「今、テクノロジーがあまりにも進みすぎてしまいました」と、18歳でアタリの『Marble Madness』の制作に手を貸したCernyは言う。「パソコンではできないがアーケードならできるなんていうゲームはもうそんなにないですから」。

「1979年には、人々を惹きつけられた魅力が、2011年の今日、もう存在しないんですよ」。

私は、アーケードの命の最後の灯火の目撃者となること、つまり1度限りでアーケードが開かれたり、なんとかこのアイコンを存続させようとするアーケードの奮闘を目にすることが苦痛ではないのか?と彼に聞いてみた。

「現状を見ているのは、苦痛です、心が痛む。でも、アーケードはすでに80年代から下降線を辿り始めていて、こうなることにはもう心の準備がありました。とっくにわかりきっていたことだったんです」。

これはすべて25セント硬貨が原因だとCernyは語る。

アーケード・ゲームとは、アーケードの経営者やゲーム制作者が報酬を得られるよう、人々から十分な金を搾り取らねばならないものだ。だが、一方で、支払った金に値するだけの十分な遊び時間をゲーマーたちに提供しねばならないし、それで金を落としてもらわねばならない。

本質的に、アーケードの死の原因は、アーケード・ゲームをきちんと金にすることができなくなったことに尽きる。これは、Cernyが実際に目撃してきたことだった。

「僕は、収益化地獄の苦しみを見てきました。本来、アーケード・ゲームに十分な金を注ぎ込ませるには、1台で2プレイヤー、4プレイヤーを遊ばせなければなりません。ところが、多くのゲーム機はそうはならなかった。1人はこうしたい、もう1人はこう遊びたい。これでは、うまく機能しません」。

アーケードで金を儲けるもう1つの手段としては、追加料金を期待できるゲーム、シミュレーターを置くというのもあった。だが…。

Cernyは、80年代後半に日本のアーケード・ショーに行ったときのことを回想してくれた。そこで見たものは、3種類のゲームだけ。どれもこれもが、基本的にその3種類のいずれかだった。

「2プレイヤー用のプラットフォーマー。これは、奇妙なことに当時の人々がこれこそが業界を救済するものだと考えていたものです。それから、2プレイヤーの格闘ゲーム。確かに、そこそこ稼げた。でも、業界を救済するほどではなかった。そして、3つ目が『ハングオン』、『アフターバーナー』、『アウトラン』といったシミュレーターです。残されたのは、これだけでした」。

「アーケード・ビジネスにネガティブな影響を及ぼしたのは、これではないかと僕は思っています。アーケードへ出かけても、そのぐらい種類のゲームしかない。あの黄金時代だったら、それでも凄いことだったんですが」。

日本は、今、アーケード・ゲームに残された、ただ1つのシェルターなのだとCernyは言う。なぜなのか。その理由はつまるところ、100円硬貨の存在に他ならない。

「米国経済は25セント硬貨が基本です。私たちは、ワシントンに何回か、1ドル硬貨を流通させるように陳情をしてきました(訳注:1ドル硬貨はありますが、あまり使われていないようです)。だって、みんなポケットにある小銭をゲーム機に入れるものでしょう?そして、プレイに1ドル必要となれば、ゲームを10分は体験してもらえます」。

もちろん、こうした努力は実際には実ることはなかった。

その一方で、日本では、アーケードのゲーム機に100円硬貨を使うことをスタンダードにすることができていた。
日本では、価格変更が簡単なことだったのだ。50円硬貨から100円硬貨にするだけ。これが日本のアーケード産業を生き返らせたのだとCernyは言う。●



この記事は、New York timesのThe Opinion Pagesにも転載されました。
ゲーム関連の記事にNew York Timesの読者のかたがたのコメントという取り合わせもなかなかないことなので、本日はこちらのほうからコメントをお送りいたします。


■興味深い情報だ。50円から100円になったのはいつ頃だったの?そのあたりの歴史はわからないけど、この10年、日本に50円硬貨はないよ。だから、しばらく前のことなんだろうね。
日本には500円硬貨もあるよね。他のどの国にもない高価な硬貨だ。ほぼ6ドルだもん。

■↑50円硬貨は日本にあるって。すっごくよく使われてる。10円もあるし、5円もあるし、使いようのない1円もある。

■こっちのアーケードはほとんどが、硬貨から磁気ストライプカードに変わったよ。意図的にドルの額とは釣り合わないクレジットを買うはめにはなってるけど(だって、5ドルで420クレジットとか、そんなんだもの)。

ゲームの料金はいろいろだね(『スキーボール』が35クレジット)。だから、どのぐらい使ったか、支払額が気になる人には向かない。
1クレジット=1ペニーとかっていうふうに、もっと簡単にできたはずだし、それができないんだったら、ゲーム料金をきっかりのクレジット額にするとかできたはずなのにな。
これって、ドルとクレジット額の関連性を不透明にするのが唯一の理由だろうね。

まあ、計算すりゃできなかないけど、面倒なんだよね。間違いなく、それが彼らの目的なんだろうし。だから、アーケードで遊ぶのはやめたんだ。

■これこそ、僕が何年も1ドル硬貨に関して訴えてたことそのもの。1994年にフランスに旅行に行ったとき、10フラン硬貨(2ドル)があると、自動販売機の法外な値段のものを簡単に買ってしまうってわかって以来、僕はずっと1ドル以上の硬貨には反対なんだよ。商品がたいしたものじゃなくなっちゃうだろ。消費者に害悪だよ。

アーケードが、子供やあまり金のない人たちから金を吸い上げる場所じゃなくなったってことは、いいことでしょ。ああいうゲームってのは中毒になるように作られてるし、それより、オンライン・ゲームとか携帯ゲームのほうが価格的にも良い。

1ドル硬貨の流通は少ないほうが、自販機にしてもコインランドリーにしてもパーキングにしても、価格を抑えられるんだって。

■↑まあ、それが良いものではないとしてもさ、ほしいと思ったものを買うのが難しくなってもいいの?
それに、紙幣より硬貨のほうが「たいしたもの」じゃないってのはどうして?オレからしたら、1ドル紙幣よりシルバー・ダイム(訳注:収集家向けの銀貨)のほうがいいけどなあ。

■日本に行ったことある?部屋が狭いんだ。そんなにスペースがないの。だから、若い人は外出して、外で遊ぶんだよ。

■カナダは1ドル硬貨も2ドル硬貨もあるよ。なのに、アーケードはやっぱり消えつつある。家庭用ゲーム機のせいだよね。

日本の場合、100円硬貨があるからってだけじゃなくて、日本のアーケード・シーンの中身的なことに拠るところが大きいんじゃないかと僕は思うけど。

■単純化しすぎ。アーケードは、自分の家でアーケードと同じぐらいの体験ができるようになったときから、どんどん意味を失っていったんだ。

たとえ家庭用ゲーム機がもっと費用のかかるものだったとしても(アーケードってどのぐらい金がかかるか僕にはわからないけど)、ゲームをするだけのために郊外からわざわざ出かけなくていいっていう便利さがあるもんね。日本ではそういうのはどうなの?

アーケードにしか提供できないゲームって言ったら、体を使うゲームだよね。でも、そういう専用の器具がついてるものって、料金もその分高いもんだし。

■カナダは1ドル硬貨も2ドル硬貨もあるけど、じゃあ、米国よりアーケードが人気あるかっていうと、…ねえ?
日本は、カナダとも米国ともちがうよ。硬貨なんかの問題じゃない。

■本当に?日本ではアーケードに活気があって、米国は四苦八苦してるのはなぜか。ありうるすべての理由の中で、彼が選んだのが1ドル硬貨が少ないことだっていうの?

個人的には、外で会うより自分ちに友達を招くっていう、アメリカの強固な文化が大きく関係してると考えてる。こういう文化って、そんなにたくさんの国に存在してないだろ。特に、日本みたいな人口密度が過密なとこだと。

■行ったことがあるアーケードって、Chuck E. Cheese(訳注:米国のファミリー向け娯楽センター)だけ。あそこだと、なんでも1トークンだから、両替が大事なことになってくる。

磁気ストライプカードはちゃんと機能してはいるけど、うまく使うには頭が要るからなあ。

■かなりしょうもない仮説だと思ったけど。

■米国のアーケードは、硬貨よりトークンで遊ばせてるところが多いよ。ゲーム機に硬貨を入れる形から、紙幣をトークンに替える方式に変わってったんだ。

この記事の日本のアーケードとの比較に関しては、的が外れてるように思う。だって、日本のアーケードは、米国とはちがいすぎる。

オレの経験だけど、日本のアーケードは、もっと格段に広い層にアピールしてるんだ(女性も含めて)。一般に清潔だし、照明も明るい。プリクラのブースがあったり、クレーンゲームがあったり、100円でできるゲームがあったりさ。
しかも、家庭用じゃ提供できないテクノロジーに注力したゲームを提供してる。タッチスクリーンがあったり、デカい太鼓があったりね。

硬貨の影響については詳しくないけど、新しく硬貨を作ると、その硬貨の価値以下の製品にマイクロインフレーションが起こるもんなの?その硬貨の値段ぐらいに価格が抑えられるとか?それとも、一般的に言うインフレが起これば、消費者の需要にあった料金のアーケードになるってこと?

■クレジットカードが一番じゃないかって思う。もっと簡単に両替できるようにして、需要と供給にあわせて価格を設定することだよ(たとえば、時間によって価格を変えるとか、ゲームの人気よって変えるとか)。

■1ドル硬貨が少ないことが問題なんだとすれば、1ドルのアーケードがガラガラで、25〜50セントのアーケードが人でいっぱいってことになるよなあ。

でも、アーケードって米国どこいってもガラガラじゃん。どんな料金でもさ。あきらかに、問題は通貨じゃない。アーケードが単純に、アメリカ人の外出先として重要な場所じゃなくなったってことだろ。

■トークン方式には、付加的な利点がある。これが大事なところで、アーケードでトークン方式を採用する現実的な理由かもしれない。

アーケードのゲーム機に25セント硬貨(それ以外の硬貨でもいい)を入れるだろ。そうすると、ゲーム機から硬貨を取り出すときに、従業員が金をくすねるんだよ。だって、そこに本物の金があるんだから。
これがトークンだと、リスクがだいぶ軽減されるわけ。それでも、トークンをくすねる従業員はいるかもしれないけど、売ったところで安いもんだ。

磁気カードもトークンと同じようなアドバンテージがある。そのうえ、カードはゲーム機から回収する必要がないってのもあるな。

全体として、現金を排除すると良いことがあるんだよ。
ただ、日本のアーケードが消えてない理由として硬貨を上げるのは、ちがうんじゃないかなあって気がするね。

■イギリスにはポンド硬貨がある。ここ十年でアーケードはやっぱり消えつつあるけど、これは硬貨よりアーケード文化そのものに関係してることだな。

■日本に住んでる。50円硬貨はあるし、流通してるよ!まれだけど、50円のアーケードゲームもあるんじゃないかな。普通は1プレイ100円、6プレイ500円だけどね。



100円硬貨がアーケードを存続させてる。…無理はございますが、面白い意見だなあと思いました。

日本のアーケードは昨今、メダルゲームに興じる年配のかたがたにも人気だという話も耳にいたしましたし、やはりだいぶ海外とは様相がちがうのかもわかりません。



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タグ:アーケード
posted by gyanko at 00:04 | Comment(82) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする