本日は、Anime。
以前は、米国Wikipedia特集としてタグもつけていたのですが、どっちかと言えば「英語版Wikipedia」といったほうが適切ではないかとコメントでご指摘いただきまして、その通りだなあというわけでタグを付け替えております。
記事のタイトルのほうはまだ修正しておりませんが、そのあたりはいずれ…ということでご容赦ください。
では、早速。
アニメ
アニメは、アニメーションの日本語省略形。定義は、文脈によって変わる。英語圏の国々では通常、日本のアニメ形式のカートゥーンのことをいう。
日本のアニメとして知られている最も初期のものは、1917年にさかのぼる。ここから数十年にわたって、多くの日本オリジナルのカートゥーンが制作されていった。
1960年代には、手塚治虫の作品に代表されるような、特徴的なアニメ・スタイルへと発展し、1980年代には日本国外でも知られるようになった。
マンガ同様、アニメは、日本で多数の視聴者を獲得し、世界での認知度も高い。配給側は、テレビ放映、OVA、オンライン、また劇場公開などの形でアニメを配信している。
アニメには、手描きとコンピュータ・グラフィックの双方が存在する。アニメは、テレビ・シリーズ、映画、OVA、ゲーム、コマーシャル、インターネット配信などで使われ、すべてではないが、最も多いジャンルはフィクションである。
日本でアニメ市場が拡大するにつれ、東アジアや東南アジアでも人気が出た。アニメは現在、世界中のさまざまな地域で人気を博している。
歴史
アニメの登場は20世紀初頭だった。日本の映画会社が、フランスやドイツ、米国、ロシアで開発されたアニメーション技術を実験的に試みたのが始まりである。最も古いアニメとして最初に映像化されたのは、1917年に制作された2分間のクリップで、侍が新しい刀の試し斬りをしようとして、逆に敗北を喫するという内容だった。
初期アニメのパイオニアには、下川 凹天、幸内純一、北山清太郎がいる。
1917年の、最も初期の日本のアニメーション・ショートフィルムのセル↓。
1930年代までには、日本の実写映画産業において、アニメーションは、物語を語るためのもう1つの形式となった。だが、これが、海外の制作者や多くのアニメーターたちの間で競合を引き起こし、大藤信郎や村田安司といった人々が、熟練した作品を出しながら、セル・アニメーションではなく、カットアウト・アニメーション(訳注:切り紙アニメーション)を安い料金で制作することになってしまう。
が、それでもなお、政岡憲三や瀬尾光世といったクリエイターたちによって、アニメーション技術は大きく進歩した。これは特に、教育やプロパガンダにアニメーションを使うという政府側の後押しが強まったことによる。
初の音声入りアニメは、1933年、政岡が制作した『力と女の世の中』だった。初の長編アニメ映画は、1945年に瀬尾が監督した『桃太郎 海の神兵』で、旧日本海軍がスポンサーだった。(訳注:日本語Wikipediaによると、初の長編アニメ映画は『桃太郎の海鷲』(1943年))
↓『桃太郎 海の神兵』
1937年のウォルト・ディズニー・カンパニー制作、長編映画『白雪姫と七人のこびと』の成功は、日本のアニメーターたちに影響を与えた。1960年代には、マンガ家であり、アニメーターの手塚治虫が、簡略化された多くのディズニー・アニメーション技術を導入、これによって経費を削減し、制作するフレーム数を抑えた。
手塚はこれを、経験不足のスタッフと厳しいスケジュールの中でアニメを制作することを可能にする一時的な手段にするつもりだった。
1970年代になると、マンガの人気が急激に高まる。マンガはのちに多くがアニメーション化された。特に、手塚治虫の作品は人々の注目を浴び、手塚は今にいたるまで「伝説」、「マンガの神様」と呼ばれている。
手塚の作品、そしてその他のパイオニアたちの作品は、アニメの特性やジャンルに刺激を与え、これは現在でも、アニメの基本要素でありづつけている。
たとえば、巨大ロボットのジャンル(日本国外では「メカ」として知られている)は、手塚のもとで形作られた。その後、永井豪らがスーパー・ロボットというジャンルへ成長させ、70年代終わりに富野由悠季によって革命が起こされて、リアル・ロボットというジャンルに発展していった。
『ガンダム』や『超時空要塞マクロス』シリーズのようなアニメは、またたく間に1980年代の古典になり、ロボット・アニメは今もなお、日本や世界で最も普及しているアニメ・ジャンルである。
1980年代には、アニメは日本の主流としてさらに浸透し(マンガほどではなかったが)、アニメ制作ブームが起こった。
こうした中、海外市場で改作アニメが数本、成功すると、これに続く1990年代になってアニメは海外市場へ受け入れられていき、21世紀の変わり目に状況はさらに進むことになる。
用語
「animation」という英語の用語は、日本語ではカタカナで「アニメーション」と表記する。「アニメ」という用語は、1970年代に「アニメーション」の省略語として使われはじめたが、フランス語の「dessin animé」から派生した言葉だとする説もある。
日本語では、アニメーション、アニメ双方が使われているが、アニメという省略形のほうが使用頻度は高い。
日本語でのアニメの発音は、[anime]。通常のスタンダードな英語の発音、[ænɪmeɪ]とはかなりちがう。母音も、アクセントの位置も異なる。(日本語では、すべての音節を平坦に発音する)。
これは、酒、ポケモン、阿部公房といった言葉も同様で、このため英語で書く場合は、フランス語のように最後の[e]に正確なアクセントがあることを示すために「animé」と書く場合もある。
これは、読み手側に、「e」が無音ではなく、きちんと発音するものであることを示すもので、英語の正書法的とも言えるかもしれない。
用法
日本では、アニメという用語は、アニメーションの生産国や特有のスタイルを意味するものではない。世界中のあらゆる形式のアニメを漠然と呼ぶ用語である。が、英語辞書は、「アニメ」を「動画アニメーションの日本式」、あるいは「日本で発展したアニメーションの形式」と定義している。
日本語以外の言語では、アニメから様式を借りたものを一般に「アニメに影響されたアニメーション」と言ったりするが、単純に「アニメ」と呼ぶことも、そうした作品の生産国を知らない人々にとっては珍しいことではない。
例を挙げるなら、日本以外の制作会社との共同制作で生まれている「アニメ」もある。ランキン・バス・プロダクションの伝統的アニメーション作品のほとんど、カートゥーン・ネットワークとプロダクションI.Gの『IGPX インモータル・グランプリ』や『オーバン・スターレーサーズ』などがそれにあたり、これを「アニメ」と呼ぶかどうかは見る人によって変わる。
英語で「アニメ」を普通名詞として使う場合、通常は集合名詞として使う。が、普段使いで、可算名詞として使うときもある。また、補助形容詞、あるいは名詞分類辞としても使うことができる("The anime Guyver is different from the movie Guyver"(アニメの『ガイバー』は映画『ガイバー』とは別物)といった使い方)。
類義語
使われなくなってきている言葉ではあるが、英語圏ではアニメを「ジャパニメーション」と言うことがときどきある。「ジャパニメーション」が最も使われていた時代は、1970〜80年代にかけてであり、1990年代中ごろに、アニメが英語圏の国々でより広く知られるようになると、「アニメ」という用語がこれに取って代わった。
一般に今は、「ジャパニメーション」という言葉は、回顧的な文脈の中でしか使われなくなっている。ただ、「アニメ」は日本語の用法では日本産であることを示す言葉ではないので、「ジャパニメーション」は日本の作品とその他の国の作品を区別するために使われたりする。
日本では、「マンガ」という言葉に、アニメーションとコミック双方の意味が含まれるときがある。一方で英語圏では、日本国外での「アニメ」の用法と同様に、「マンガ」はもっと厳密に「日本のコミック」という意味である。
「ani-manga(アニマンガ)」という用語は、アニメーション・セルから制作したコミックを指す。
視覚的特徴
アニメを1つの芸術形式と呼ぶ評論家は多い。視覚媒体としてのアニメは、そのビジュアル・スタイルに力点を置くことができる。
スタイルはアーティストやスタジオによって変わる。ワイルドで誇張された定型の1つとして評価が高い『フリクリ』のように、よくある定型をフルに利用している作品もあれば、『おもひでぽろぽろ』や『人狼』のように、よりリアルなアプローチを採ったり、『ポケモン』のように、様式を誇張してキャラクターの国籍がはっきりと見分けられないような描き方をするものもある。
作品やアーティストが違えばアート・スタイルも異なるとはいえ、アニメ様式の要素は多くが非常に共通するもので、こうした要素が一般に「アニメであること」を決定づけるものとされる。
しかし、だからといって、すべての現代アニメが、一つの厳密に共通するアート・スタイルをもっているということではない。
「アニメ・スタイル」と呼ばれているものとはかなり異なるアート・スタイルをもっているアニメは多いのだが、ファンはこうした作品にもやはり「アニメ」という言葉を使う。
一般的に、アニメの描法で最も共通しているのは、「身体的特徴を誇張すること」だ。つまり、大きな目、豊かな髪、長い手足……そして、ドラマティックに表現された吹き出し、スピードを表す線、擬音、デザイン化された感嘆表現といったものだ。
アニメ・スタイルの「線」のクオリティを特徴づけているものとしては、日本画や書道からの影響もある。漢字や画を描くのに伝統的に使われてきた毛筆は、さまざまな種類の厚みの線を生み出せる。
また、背景や枠の中に文字を入れるなど、マンガから多くの要素を拝借する傾向もある。たとえば、オープニングで、ストーリーを語ったり、ユーモラスな効果をドラマティックに表現するためにマンガ式の枠を使ったりする。これは、『彼氏彼女の事情』が例として挙げられる。
キャラクター・デザイン
・プロポーション
アニメで描かれる「体のプロポーション」は、人間の体のプロポーションを元にしている。アーティスト側は、頭の長さをプロポーションの基本単位と考える。
ほとんどのアニメ・キャラクターは7〜8頭身で、極端な場合は9頭身に設定される。
プロポーションのバリエーションは、アーティストによってさまざまだ。
SDキャラクターになると、頭に比べて体が不釣合いに小さい。足などの特定の体の部位が、短くされたり長くされたりして、強調される場合もある。ほとんどのSDキャラクターは2〜4頭身。
『クレヨンしんちゃん』のようなアニメ作品では、プロポーションは完全に無視されていて、このあたりは西欧のカートゥーンに似ている。強調するために、特定の体の部位のプロポーションが大きくされている。
・目のスタイル
アニメやマンガのキャラクターの多くが、大きな目をもっている。この技術を最初に使ったとされているのが手塚治虫で、『ベティ・ブープ』や『ミッキー・マウス』、ディズニーの『バンビ』といったアメリカのカートゥーンのキャラクターの誇張された特徴からインスピレーションを得ている。
手塚の発見は、大きな目にするとキャラクターの感情がはっきりとわかるということだった。『リボンの騎士』を書き始めた頃、当初のターゲットは明確に若い女の子たちだったため、手塚は目のサイズをさらに誇張した。
『リボンの騎士』で手塚が様式的なテンプレートを設定しているのは確かなことで、のちに少女マンガ家たちがこれをまねる流れとなった。
目に色を塗る場合は、特に角膜に多少の深みが与えられる。この深みは、色の濃淡を加えることで出す。一般には、明るめの影、暗めの影、カラートーンを混ぜて使う。
文化人類学者のマット・ソーンは、日本のアニメーターや視聴者たちは本質的に、こうした様式の目を多かれ少なかれ外国風なものだとは感じていないと論じている。
もっとも、すべてのアニメが大きな目ばかりだというわけではない。たとえば、宮崎駿や川元利浩の作品には、リアルな髪の色、リアルなポロポーションの目をもつキャラクターが出てくることが知られている。
・顔の表情
アニメのキャラクターには、「お決まりの表情」がさまざまあり、これでそのときの気分や考えていることを表現する場合がある。感情や気分を手短に伝えるために、ある一定の描き方をされることがあるのだ。
この技術は、西欧のアニメーションの顔の表情表現とは、形式がしばしば異なる。
伝統的なアニメに共通する様式要素は他にも数多くあるが、「お決まりの表情」は特にコメディで頻度が高まる。
ショックを受けたり、驚いたりした場合、キャラクターはフェイス・フォルト(face fault=直訳:顔面不良)(訳注:顔に影線、汗、青筋など)で表現される。フェイス・フォルトは、極端に大げさな感情を表すものだ。
キャラクターが怒っているときは、血管やストレスを表すマークで表現されることもある。つまり、額に血管が浮き出ていることを示す線のことだ。
女性キャラクターが怒っている場合だと、どこからともなく金槌が現れ、相手キャラクターを殴ることもある。これは、主にドタバタ喜劇で使用される。
男性キャラクターが、恋する相手を前に鼻血を出したりもする(性的興奮を示す典型だが、これは迷信だ)。戸惑ったり、緊張したりしているキャラクターは、巨大な汗の粒が描かれたり(これは伝統的アニメのモチーフとしては、最も広く知られているものの一つ)、あからさまに顔が真っ赤になったり、目の下に2本ずつの線が描かれることもある(波線の場合もある)。
こうした表現は、特に、恋心を抑えている状態の現われとして描かれる。
相手を子どもっぽくからかうときは、「アカンベー」で顔を引きつらせる(指で目の下を引き下げ、下側の赤い部分をさらす)。また、目が大きな「X」の形になる場合もあり、これはノックアウトされたことを示したり、体調が悪いことの現われである。これも、コミカルに見せることが目的で使用される。
また、なにも映っていない、空白の目で、なかば自失している状態を示すこともできる。
アニメーション技術
どんなアニメーションであっても、絵コンテ作り、声の演技、キャラクター・デザイン、セル制作といった制作プロセスは変わらないが、コンピュータ・テクノロジーの発達にともない、コンピュータ・アニメーションが制作プロセス全体の効率を上げている。
アニメは、リミテッド・アニメーションの1形態として考えられることが多く、大掛かりな制作の場合でも、リミテッド・アニメーションの常套手段が使われる。これは、視聴者の目をあざむいて、実際(訳注:に使われているフレーム数)より動きが多いように見る側に思わせる手法だ。
こうした技術の多くは、限られた予算で動く場合に経費を削減する手段である。
アニメの場面は、3D視点を作り出すことに重点を置いている。背景は、その場面の雰囲気を描く。
例をあげると、アニメではしばしば季節の移り変わりを重視する。これは、『天地無用!』など、多くのアニメに見ることができる。
実際の舞台がアニメにそのまま書き写される場合もある。『涼宮ハルヒの憂鬱』の背景は、日本の兵庫、西宮の郊外のさまざまな場所がモデルになっている。
カメラ・アングル、カメラの動き、光の当たり方も、アニメの場面では重要な役割を演じている。特に背景に関しては、監督がおうおうにして、場面の視角の決定権をもつ。加えて、カメラ・アングルで遠近を表現する。
パン、ズーム、顔のクローズアップ、パノラマといった映画撮影術のカメラ効果を監督が採用するときもある。
アニメの大多数は伝統的なアニメーションであり、このおかげで、分業、ポーズ・トゥ・ポーズ式アプローチ(訳注:キーとなるフレームをまず描き、あとでその間を埋める手法)、撮影前の作画チェックといった、アニメ産業で人気が高い制作方式が可能になっている。
これ以外の媒体となると、ほとんどが、大藤信郎の影絵やカットアウト・アニメーション、持永只仁、川本喜八郎、村田朋泰らの静止画人形アニメ、富岡聡のコンピュータ・アニメーション(『ウサビッチ』が最も有名)のような、独立系が制作するショート・フィルムに限られる。
配給
アニメは1960年代に日本以外の市場へと参入した後、1980〜1990年代に市場を拡大し、主要な文化的輸出品として成長した。日本貿易振興機構によると、米国のアニメ市場だけでも「約43億5000万ドルの価値がある」という。
アニメは、アジア、ヨーロッパ、ラテン・アメリカでも商業的成功を収めていて、こうした地域では米国以上のメインストリームになっている。
たとえば、『聖闘士星矢』のヨーロッパでの人気は、シリーズの放映が終わって数年経っても衰えず、ゲームが発売されたほどだった。
アニメ配給会社は、日本国外でのアニメのライセンス取得や配給を扱っている。ライセンスされたアニメは、その国の言語に吹き替えられたり、日本語音声に字幕を載せる過程で、修正がほどこされる。
アニメの配給は、ハリウッドと似たような全世界配給形式になっており、5つの地域に分けられている。
日本文化に関連した部分は、その地の文化にならって編集したほうがいい場合も起こる。その国の法律に準拠するため、好ましくないコンテンツを削除する配給会社もある。
こうした編集プロセスは、かつては非常に広く普及していた(例:『ボルトロン』)(訳注:米国で、『機甲艦隊 ダイラガーXV』と『百獣王ゴライオン』という、全く関連性のない2つのアニメを統合して作られた)。しかし、こうした手法は、オリジナルのアニメへの需要が高まるにつれて、使われなくなってきている。
以前はアニメに馴染みがなかった視聴者たちも、今はローカライズを軽めにした作品を好むようになったのである。
『ロボテック』(訳注:米国で『超時空要塞マクロス』、『超時空騎団サザンクロス』、『機甲創世記モスピーダ』の3作品を連続する一つの大河シリーズとして翻案、再編集した作品)や『スターブレイザー』(訳注:『宇宙戦艦ヤマト』)などは、暴力部分や成人向けテーマを厳しく検閲することなく、北米の視聴者にアニメ(改変はされていたが)を提供しようという最も初期の試みだった。
また、DVDの出現によって、複数の言語トラックを1つの製品にまとめることが可能になった。これはVHSビデオテープではできなかったことで、VHSの場合、言語ごとに別々のテープに入れ、それが1枚のDVDと同じ価格設定だった。
検閲を軽めにするアプローチは、DVDのリリースの際にも適用された。DVDには、吹き替え音声とオリジナルの日本語音声に字幕が付いたものが入り、大概は編集されていない。テレビ放映のために編集された部分も、DVDでは普通、編集なしの「アンカット」版として、すべての場面がオリジナルそのままでリリースされる。
ファンの中には、自分たちで字幕をつけ、毎放送分を配信するものたちもいる。これはファンサブとして知られているが、こうしたファンサブを集め、ウェブにアップロードしたあげく、広告を入れて金を稼ぐものも多い。これは、多くの国々で著作権法に違反する行為である。
こうしたファンサブの配信や視聴の倫理的影響については、たとえファンサブ・グループが利益を得ていない場合でも、多くの物議をかもしている。日本国外でシリーズがライセンスされれば、ファンサブ・グループは大概、配信をやめる。
株式会社メディア・ファクトリーが、彼らの作品のファンサブをやめるように要請し、ファンサブ・コミュニティ側がこれに従ったという一例もあったが、一方ではバンダイが、英語圏で『涼宮ハルヒの憂鬱』をヒットさせる一助を担ってくれたということで、ファンサブ側にはっきりと感謝の意を示したということもあった。
日本国外でのアニメの認知度には、インターネットが著しく大きな役割を果たしている。1990年代以前は、アニメが日本の国境を越えて公開されることには限界があった。
インターネットの普及と同時に、アニメへの関心も高まり、アニメ・ファンダムの多くがインターネットを通じて成長した。インターネット・コミュニティと、アニメ関連物の量の増加があいまって、ファンダムの成長に拍車をかけたのだ。
インターネットはますます利用の幅を広げ、ネット広告による収益も1995と2005年では、16億ドルから1800億ドルへという成長を見せている。
放映
日本では、テレビ局が定期的にアニメ番組を放映している。テレビ東京のようなメジャーな国民的テレビ局がアニメを放映するのだ。地方の小さなテレビ局も、UHFでアニメを放送している。
米国では、カートゥーン・ネットワーク、ディズニーSyfyなどのケーブル・テレビのチャンネルがアニメの時間を設けている。特にアニメ番組を放送しているのは、アニメ・ネットワークやファニメーション・チャンネルといったチャンネルである。
ソニー傘下のアニマックス、ディズニーのジェティックスは、世界の多くの国々でアニメ放映を行っている。
イギリスとなると、アニメを放送しているのはアニメ・セントラルのみだ。
世界の文化への影響
初期、『鉄腕アトム』のようなアニメの西欧改変版が商業的に成功することがわかり、アニメは西欧諸国で利益が上がる商品になった。
90年代後期になると、現在でも世界中で放映されている任天堂の『ポケモン』のスピンオフ・アニメ・シリーズが開始され、これが『ポケモン』の数十億ドルにものぼる社会現象的成功に大きく寄与した。
こうした流れの中で、アニメは西欧文化に大きな影響を与えている。19世紀以来、日本に特別な関心を示してきた西欧人は多いが、アニメによって、西欧人の日本文化体験は飛躍的に増えた。
日本文化は、アニメ以外の他方面でも人気が高まってきている。世界規模で見ても、日本語を学習する人々の数は増え、この大きくなりつづける需要に応えて、1984年に日本語能力検定試験が創設された。
各国の国内アニメーション産業ですら、日本アニメをまねようという試みがあった。「アニメに影響を受けたアニメーション」とは、アニメのビジュアル・スタイルをまねた、日本以外の国の作品を言う言葉だ。
こうした作品のほとんどは米国、ヨーロッパ、日本以外のアジアのスタジオで制作され、一般に言って、『アバター 伝説の少年アン』のように、アニメの法則に則った定型化や手法、ギャグを組み込んでいる。
この場合、制作スタッフはアニメのファンであったり、アニメを見ねばならない立場であったり(訳注:レビュワーなど)することが多かった。アニメは自分たちが制作するシリーズのインスピレーションの源であると言うクリエイターたちもいる。
さらに、フランスの『オーバン・スターレーサーズ』制作チームにいたっては、日本の制作チーム、ハル・フィルムメーカーとコラボするために東京に引っ越してしまった。だが、批評家や一般的なアニメのファンたちは、彼らの作品をアニメとは考えていない。
アニメを風刺の対象にしているアメリカのTVアニメーション・シリーズもある。たとえば、『サウスパーク』だ(『Chinpokomon』(訳注:日本未公開。『ポケモン』の任天堂からの抗議や、昭和天皇と同名のキャラクターが出てくるため右翼団体からの抗議を危惧したと憶測されている)や『Good Times with Weapons』の回(訳注:ABC振興会さんで詳細がわかります))。
『サウスパーク』は作画スタイルが際立っているが、これ自体も『FLCL』の第5回『ブラブレ』でパロディになり、『Chinpokomon』の放映数ヶ月後にリリースされた。
FLCL Episode 5 Part 1 English
(訳注:↑動画の「評価の高いコメント」に「サウスパーク?うわー!」というコメントがございました。)
ニックトゥーン・ネットワーク制作のカートゥーン、『Kappa Mikey』(訳注:米国のアニメーション)になると、アニメを風刺しようという意図が基本設定を作るきっかけにすらなっている(訳注:日本のアニメ全般をパロディ化。アメリカ人の主人公が、人気アニメの主演に抜擢され、日本へやってくる…というのが基本設定。詳しくはアメリカTV/映画ノーツさんで)。
『Perfect Hair Forever』のように、アニメのお決まりをパロディにしているものも見受けられる(訳注:詳しくは英語で!アニメ・マンガさんで)。
アニメ・ブームのさなかの1990年代初めには、アニメ・コンベンションが登場しはじめていた。Anime Expo、Animethon、Otakon、JACONなどだ。現在、アニメ・コンベンションは、米国、アジア、ヨーロッパのいたるところ、さまざまな都市で年一度の割合で開催されている。
コンベンションでは、参加者の多くがアニメ・キャラクターのコスプレをする。また、日本から、アーティスト、監督、音楽グループといったゲストが招聘される。
コンベンションの他、アニメ・クラブも、日本文化の理解を広めつつアニメを公開する1方法として、大学、高校、コミュニティ・センターなどに広く普及している。
視聴者たちは、アニメに関連したもの、アニメ用語であれば、日本の言葉も理解できる場合がある。ときとして、こうした言葉は(本来の日本語の意味とは)異なる含意をもつときもあるが。
たとえば、オタクという日本語の言葉は日本国外では、アニメ・ファン、特に過剰なほどの関心をアニメに抱くファンという意味で使われるが、日本語では否定的な含みがある。この否定的含みが海外では薄まっていて、その代わりにアニメ・ファンたちのプライドが暗に込められた言葉となっている。●
『サウスパーク』の作者、トレイ・パーカーは日本通として知られたかたのようです。大学で日本語を学び、日本在住経験もおありだとか。『Chinpokomon』は2000年度のエミー賞にノミネートされています。
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