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『AKIRA

『AKIRA』のハリウッド映画化だが、ひどいニュースが飛び込んできた。伝えられるところによれば、ギャレット・ヘドランドが金田の役をオファーされたというのだ。
そもそも、『AKIRA』の白人化に関して戦々恐々としていた我々だが、今度は、世界一退屈な金田になるかもという心配をするはめになってしまった。ギャレット・ヘドランドなんて、未来のマクドナルドに行くのにだって、三輪車をキコキコこいで行きかねない奴じゃないか。
Twitch Filmのニュースは、我々がまさに恐れていたニュースそのものだった。
確かに、ワーナー・ブラザーズが、『AKIRA』のハリウッド映画化にゴーサインを出したとき、みんなが『トロン: レガシー
それが今、(現実に)彼にオファーが出たというのだ。ぐぁぁぁ……。
いや、聴いてくれ、我々はヘドランドに対して何も異議はない。銀幕で見るに足る容姿だし、演技だって(訳注:良くはないが)確かにそれだけが『トロン: レガシー』の大失敗の原因だとは言い切れまい。
ただ、わかってくれ、ハリウッド、つまんないんだよ、ヘドランドじゃ。
アジアの俳優を考慮に入れるわけにはいかないのか?ちょっと考え直すわけにはいかない?
我々は本当に、この男を金田って呼ぶことになるのか?それとも、アメリカナイズするにあたって、日本の名前まで全部変えるつもりか?金田正太郎がケニーになって、島鉄雄がティミーとかになったり?
まあまあ喜べるのは、ゲイリー・オールドマンとヘレナ・ボナム・カーターにもオファーが出てることぐらいか。この映画化にあたって、心のより所はこの2人だけだ。
この映画は、大友克洋のマンガが原作だが、舞台は(ネオ東京でなく)ネオ・ニューヨークに変更されている。未来が舞台であること、暴走族、軍の極秘プロジェクト、超能力といった設定は変わっていない。
マジでめちゃくちゃすごい話なんだ。みんな、機会があったら、1988年の映画を見るべきだよ。●
閲覧数約40000、コメント380件、なかなか盛り上がっておりました。
内容がかぶっているもの、話題がそれているもの(オリジナルの『AKIRA』に対する感想、『トロン:レガシー』への評価等)は適宜割愛しつつ、一通り。
■まず、ネオ・ニューヨークってのがありえん。
■↑だよな、要は、ニュー・ニューヨークってことだもんなあ。もったいぶりすぎ。
■『AKIRA』のハリウッド映画化、ニュースがくるたびにさらに酷さを増してきてる気がするんだが。
■いや、彼は『トロン: レガシー』ではよく演ってたと思う。良い仕事をしたというわけじゃないけど、酷くもなかった。
もっと肝腎なことを言えば、ヘドランドの演技うんぬん以前に、そもそもキャラクターの描かれ方がこの映画をダメにしたと私は考える。
「父親の問題を抱え、大きな責任を引き継いだ若い一匹狼。周囲からは、誰よりも頭が良いと思われてる」。これをちゃんと退屈なキャラクターにならないよう書き分けないといけないが、それがない。
(訳注:
でもって、ヘドランドはこのつまらん役を面白いものにするだけの器量はない。それがすべて。
まあ、『AKIRA』ハリウッド映画化のニュースとしては、最悪だわな。映画による白人化にくわえて、キャラクターの鍵になる要素の1つも取り除いてしまったわけだし。
つまり、金田は若い不良少年だってことね。(訳注:ヘドランドの実年齢である)20代後半は、少年とは呼ばない。
先入観はもちたくないから、私が間違ってたことが立証される出来だといいとは思うが、この映画が悪くならない方向が想像できない。
■役者が白人だと、そんなに問題あり?確かにアニメがベースの話だけど、たぶん客に見てほしいんだろ、ワーナーは。別にアート作品を作る気はないってことじゃないの。
ヘドランド、『トロン』じゃすごく良かったけどな。
この映画はさ、もしもだよ、アニメの半分でもカッコいい出来上がりになったら、それでもうすごいことなんだって。
肌の色がどうのって議論に関しては、みんな落ちつかなきゃだめだ。この人種差別主義者連中め。
■OK、いつもは僕って、みんなに「落ち着いて、映画は原作とはちがうっていう事実を受け入れろ」って言う側なんだけど、これに関しては、ダメだ。
原作を変えるのはいい。それが良い映画を作るためなら。でも、「アメリカの白人の観客は、非白人のアメリカ人が主役の映画を見ないだろう」っていう理由で原作を変えるなんて、最悪だよ。
■↑映画ってのは金がかかる。ビジネス的観点から言って、「アメリカ人の観客にアピールしないように映画を作る」なんて無責任もいいとこ。
好むと好まざるに関わらず、これが『ラッシュアワー』(訳注:ジャッキー・チェンとクリス・タッカーが主演)じゃない限り、アメリカ人はアジア人が主役の映画には集まらない。…これがビジネスってもんさ。
正しくはないんだろうな。けど、現実ってのはこんなもの。
■↑なら、『AKIRA』を映画化なんかすんな。「非白人の人たちを描いた話をみんなに語って聞かせるには、白人化するしかない」って本気で考えてるなら、最初から『AKIRA』を選ぶな。
これは、『ラスベガスをぶっつぶせ
(訳注:『ラスベガスをぶっつぶせ』:ラスベガスで実際に起きた、ブラックジャックのカードカウンティング事件が題材。モデルとなった、マサチューセッツ工科大学のブラックジャック・チームに属していた生徒のほとんどはアジア系であったが、映画化に際しては白人俳優たちが主演をつとめたため、アジア系コミュニティから不満の声があがった。)
『ラスベガスをぶっつぶせ』は、キャラクターの人種に大きく関係する体験を描いた話じゃない。
でも、『AKIRA』は、いくつかの日本の歴史的事件に大きく影響を受けたと広く考えられているファンタジーなんだよ。でもって、オリジナルのアニメとマンガは、日本ならではのアート形式の金字塔の一例と考えられてるもの。
『AKIRA』を白人化するなんて、こりゃまた、新レベルの汚らしい話だ。
■↑米国の製作で日本映画を作れるとは思えない。僕だったら、そんなことにチャレンジして成功することを期待しろなんて、製作側に言えるかどうか…。
日本映画は日本が得意なこと。アメリカ人が得意なのはアメリカ映画を作ること。…ってなったら、舞台は東京にはならないでしょ。
なんか自分で言ってて、ちょっともやもやするけどさ…。
■↑見ないって選択もあるんだよ。
日本に、傑作が存在する。で、それは別に日本人のDNAに関係してる話じゃない。しかも、もうアニメ映画は作られてもいる。アメリカナイズしたところで、そのアニメ映画に傷はつかない。
たぶん、酷い出来になるんだろう。
とはいえ、人種に関してゴタゴタ言うより、実際に実物を見るまでは偏見をもたずに、僕は行くよ。
ファンってのは最悪だなっていう代表例みたいな、信じられんぐらいの怒りを見てきたばっかりだからさ。
■↑見ない。見る気もないね。だからって、黙ってられっか。メディアの「手順通りのレイシズム」に黙ってろって言うのか。
白人化は、ハリウッドのいつもの単一文化キャスティングの上を行く手法だ。非白人の非アメリカ人を描いた話は見る価値がないっていう、あきらかな宣言だ。
良い映画だって批評が出ても、オレは見ない。
製作の段階で、このあからさまな自民族中心主義を緩和しようっていう努力を多少なりともしてるってのがはっきりしない限り、金を払うつもりはない。
■『AKIRA』を実写映画化して成功させるなんて不可能だよ。ヘドランドのせいじゃない。
■アメリカナイズってのは、白人化だけを意味するものじゃないよ。「アメリカの観客向けにプロットを作り直す」って意味でもある。
つまり、オレたちが飽き飽きしてるいつもの古臭い駄作を作ります、ってこったね。
■頼むよ。白人で映画化するのは、オレたちみんなもうわかってたことだろ。ギャレット・ヘドランドだって、「ありえたはずの最悪の選択肢」ってわけでもない。最初は、キアヌー・リーブスだったの忘れたか?
たぶんだが。ラッキーなら、残りのキャストは人種はいろいろになる。期待はしないが、少なくとも可能性は残されてる。
■ああ、もう。白人化が良くないことだって理解するのが、どうしてそんなにむずかしいことになってるんだよ?ぜんぜん、良いことじゃないだろ。
こんな映画、歯牙にも引っけてないが、ダメなものはダメなんだよ。
■簡単な解決法:公開されても見ない。
オリジナルが今も店で買えるんだぞ。誓う。目が離せない映画だ。
■↑ほとんどの人には、オリジナルの映画はコンセプトが難しいんだって。
■心配するな。まだこの映画が、完成前にポシャってくれる希望はある。
■この映画に関しては、お蔵入りになる以外のニュースで、みんなが嘲笑せずに喜んで迎えられるニュースってなんかあるのかねえ?
■『アバター』を台無しにし、今度は『AKIRA』か。白人が金田を演るって?!
変わらないな、ハリウッドは……。
■↑うん、いまだにこれだよ。
■『AKIRA』の実写化だとか、アホな考えだ。
が、白人化はしょうがないだろ、みんな、こうなることはわかってたんだし。
不快を表現するには、ギャレット・ヘドランドに八つ当たりするんじゃなくて、映画をボイコットすることだな。
■↑『AKIRA』の実写化そのものはアホな考えってわけじゃないだろ。壮大な話だもの。ただ、実写化が壮大な話になるかどうかとなると…。
問題なのは、これはきちんとしたメッセージをもった純粋な芸術作品なのに、それがアメリカによってレイプされつつあるってことさ。
■どれほど駄作であろうと、見に行くよ。だって、やっぱ、実写版『AKIRA』だもの。
■↑どれほど良作であろうと、見に行かないよ。だって、やっぱ、実写版『AKIRA』だもの。
■↑『AKIRA』ってのは、ニシンの酢漬みたいなもんでね。だんだん好きになる味なんだよ。で、多くの人がそのとりこになる。まあ、嫌いな人がいるのも理解はできるが。
■↑『AKIRA』はそういう作品、確かに。そうじゃなくて、問題なのは、オレは 『AKIRA』を愛してるってこと。続編だの、改作だので汚されたくないんだ。
■ネオ・ニューヨークって……マジか。死にたくなってきた。夢だろ?これは夢なんだろ?
■↑すべてなかったことにするんだ。ここでは何も起こってない。そう思い込め。オレがそうしてるように。
■外国映画を自文化に合わせて作ることは、白人化ではない。白人化っていうのは、舞台はそのままに、そこに白人だけぶち込むことだ。だから、この映画は白人化ではない。
ただ、酷いアイディアではあるな。
■↑額面通りすぎる見方だ。問題なのは、「アニメを見るアメリカ人以外は、白人が主人公として登場しない映画に興味がない」なんていう、くだらない考え方だ。
ネオ・ニューヨークはまあいい。問題は金田。それがここで問題にされてる。アメリカ人は馬鹿だ。
『ドラゴンボール』の映画化を忘れたか?
■↑オレは白人化の意義を正しただけだ。『荒野の七人』(訳注:『七人の侍』のハリウッド・リメイク)や『ディパーテッド』(訳注:『インファナル・アフェア』のハリウッド・リメイク)だって、封建時代の日本にスティーブ・マックイーンがいたり、香港にマッド・デイモンがいたら、そりゃ白人化だろ。
主役が白人ってのは、白人化とは言わない。「けど、想像力もないし、酷すぎるだろ」って?うん、それはオレだって思うよ。でも、白人化ではないね。
■↑うん。『ディパーテッド』とか『リング』みたいなのは、つまり、オリジナルを完全にこっちに順応させて、異文化に移植したものだもんな。
■↑テクニカルな意味では、白人化ではないが、「たとえ舞台をニューヨークに移そうが、異文化の話をもってきて、非白人の主役を否定した映画」を言い表す良い言葉がないんだよ。
文字通り、主役として考慮に入れるのは、白人とキアヌー・リーブスだけっていう。人種歪曲とでも言えばいいのか?
■↑そりゃ、他の主演俳優が考慮に入れられるんなら、そのほうがいいさ。でも、僕たちの文化に反映させてリメイクすることは、珍しいことでもないし、とんでもない犯罪ってわけでもないでしょ。
単純な事実として、この国の多数派はギャレット・ヘドランドみたいな人間なんだってことさ。44%が白人っていうこの国で、新たに作られたストーリーの設定に忠実に作ってるってことなんだろ。
残りの56%は、ラテン系、黒人。アジア人なんてはるかに数が少ない、その後に続く人種だよ。
しかもだ、ささいなことを言うようだが、その数少ないアジア人ってのは中国人であって、日本人じゃないんだぞ。
■↑ハリウッドの人種差別主義が「たいした犯罪」じゃないって?そうか?
僕的には、ハリウッドに、「少なくとも非白人の主演俳優で、それを観にくる観客が確実にいるリメイク版映画になるかもしれない」っていうチャンスに賭けてほしかった。
『AKIRA』は、アジア人主演にしようと思えば簡単にできる映画。なのに、誰も考えてみることもしない。
僕たちの国の文化が人種差別的であるからこそ、こういうメディアに「文化の反映」になってほしくない。ワーナー・ブラザーズとこのプロジェクトは、「ここはがんばってくれ」って僕たちが訴えるに足るだけの価値ある存在なのに。
あとさ、ニューヨークはマイノリティがマジョリティの街。ギャレット・ヘドランドみたいな容貌じゃない人、つまりラテン系や黒人、アジア人が演じたほうが、ニューヨークっていう街の設定には忠実なんだよ。
あと、勇気づけられるのは、ワーナー・ブラザーズが7月にアジア系アメリカ人の代表者たちと会って、この問題について話し合ってるってこと。『AKIRA』のプロジェクトのことで!
■↑他の外国映画はいいのに、どうして『AKIRA』はダメなんだよ?アジアのホラー映画なんて、紙のように真っ白に白人化されてるのに、抗議の声もなかった。なのに、アキラはアジアのままじゃないとダメなのか?
■あのな。言っとく。これが、「『AKIRA』じゃなくて『ADAM』ってタイトルになるよ。でも原作は『AKIRA』だよ」ってんならいいの、オレは。
「この映画を『AKIRA』と呼び、そこに白人を放り込んで製作します」っつうから、問題だって言ってんだよ。
■『AKIRA』ってタイトルにしないでくれってことだよな。それなら、私もだいぶ気がおさまる。
日本映画を適当に取り入れて、アメリカナイズするってこれが初めてじゃあないさ。でも、『荒野の七人』はスティーブ・マックイーンを侍にはしなかった。もし、そうしてたら、やっぱり疑問に思ったろうよ。
■まあ、ネオ東京が舞台で、白人が暴れまくる映画よりはちょっとはマシだろ。
■要は『パワーレンジャー』再びってことでしょ。
■これで、シャマランが監督するなんてことになったら。
(訳注:M・ナイト・シャマラン:米国のTVアニメ『アバター 伝説の少年アン』を原作とした『エアベンダー』を監督。
原作アニメではアジア人とイヌイット族のキャラクターが多く登場するにもかかわらず、映画では白人の俳優ばかりが使われたこと等に関して、人種差別ではないかと抗議する声が挙がり、人種差別反対運動にまで発展した。)
■↑やめてくれ。頼む。

(訳注:画像は、上が米国のTVアニメ『アバター 伝説の少年アン』のキャラクター。下が、それを原作とした実写映画『エアベンダー』の配役。)
■↑ハリウッド、焼き払われてしまえ!
■ギャレット・ヘドランドが多少なりともまともな神経をもってる人間なら、この役は引き受けない。
■マスコミ!頼む、もうこの『AKIRA』ハリウッド映画化に関しては、なにも報道しないでくれ!たぶん、しなくたって誰も気にしないし、オレたちだってこれ以上怒らなくてすむ!!
どっちにしろだ。この茶番映画の予告編ですら、オレは絶対に見ないから!!!!!
■誰が演じようと、どうだっていい。最悪なのは、この映画化が現実だって事実なんだ…。
■まだ製作初期段階だし、駄作!って決め付けるには早すぎると思う。マンガもアニメも大好きだし、『AKIRA』は間違いなく僕にとって特別な作品。みんなにとってもそうだろうけど。
でも、ギャレットが役にオファーされたってだけで、「この原作殺しめ!ギエー!!!」ってのもどうかと思うぜ。
■↑お蔵入りにさせるには、もう遅すぎるんだよ。しかも、悪い方向に動いてる。やつらは基本、この話の日本文化や歴史の上に成り立つ日本的な部分を削除しようって腹なんだから。
舞台はネオ・ニューヨーク、登場人物の名前も英名になって、ストーリーは深みを失っていく。
クールな世紀末後ストーリーになるんだろうよ。日本の文化や歴史に影響をうけた多層構造のストーリーをなくして、ね。
■↑マンガのメイン・テーマは、1980年代の日本に住む世代間の対立なんだよ。そして、その対立は今もある。
モンスター化していく10代たち、一方で大人たちの世界は脇へ追いやられていく。10代が主役じゃないと生きないストーリーなんだよ。どれほど良い俳優だって、10代じゃないと意味がない。
ギャレット・ヘドランドに素晴らしい才能はないとはいえ、彼がこの映画の元凶ってわけじゃないんだ。
■アジアの血が入ってて、SF映画の経験もあって、カンフーも心得がある。
キアヌーリーブス。
■↑お前、『カウボーイビバップ』がどういう目にあったと思ってんだ!
(訳注:キアヌ・リーヴス主演で実写映画化されることが決定していたが、現在、予算の問題で座礁中)。
■↑や、め、ろ!キアヌーが『カウボーイビバップ』のことを思い出したらどうすんだ!このまま忘れさせとけ!
■そうだな。真の問題は、このプロジェクトが進行中だっていう事実だな。アメリカナイズ、白人化、どっちもオリジナルを疎んじる行為だ。
で、不幸なのは、そのことを、製作してる連中以外は、みんなわかってるってこと。
■想像力のかけらもないよ。製作側に、ギャレットのことを「バイクに乗ったらカッコいい役者だ」と思ったやつがいるから、こんなキャスティングになってんだろ。
■↑プロデューサーの考えなんて、「ん?こいつバイクに乗ったことあんのか。うん、この役はこいつなら最高だな」程度のもんだろ。
■ドシャ降りの雨模様ですな…。けど、オレにはオレの夜の予定がある。今夜は、家に帰って、『AKIRA』のBlu-rayを出して、ピザを注文することにするよ。
■私は、ギャレット・ヘドランドが好き。でも、この映画には出ないように彼に進言したいの。この『AKIRA』のリメイクはクソ映画になるっていう悪い予感がする。彼のキャリアが、この映画で傷つけられるかもしれない。
まず、すごく疑問なのは、『AKIRA』のファンの大半が、東京を舞台にしてない実写版を見る気になるだろうかってこと。
しかも、駄作だってことがはっきりしたとき、まあ、そうなるだろうけど、ファンたちはギャレット(と監督)を絶対に許さないでしょう。彼らが子どもの頃から愛してきた作品をめちゃくちゃにしてしまったんだから。うん、もう確信がある。ギャレットは絶対に許してもらえない。
■アジアのものはアジア人でお願い。Ninjaっていう日本がテーマのレストランに行ったんだけど、そこで働いてる忍者、白人だったんだよ。本物志向なら、アジアのものはアジア人で頼むよ。
頼むから、ひどいことしないでくれ。アニメにするか、そうじゃないなら黙っててくれよ。巨額の金をもったやつらに、古典を台無しにされたくない。
■オレ、この国を出るわ…。
■今後、『AKIRA』映画化関連の記事には、「神様やめて!」タグをつけようよ。心の安全のために。
■役者をアジア人にしたとしても、全員日本人にはできないだろ。
作品の日本文化に関わる部分を守れってみんな言うけどさ、アジア人俳優っていったって、韓国人や中国人になるんだろうし、それなら良いってわけでもないんでしょ。
■↑まだいい。まねごとをしたところで、同じではないが。それでも、アメリカ人役をイギリス人がやるとか、ポーランド人をドイツ人がやるとか、イタリア人をロシア人がやるなんてのと似たようなもの。
アジア人だからね。確かにそれぞれ文化は大きく違うが、お互いに比較的、楽に通じるものもある。
■私が宝くじに当たったら、このクソ企画は中止だ。それで、東京に引っ越して、適正な年齢の日本人の俳優をキャスティングして、ダーティでダークな未来映画にする。『ブレードランナー
やたらカラフルな勘違い映画になりそうで怖いよ。原作無視の。
いつもこうだよな。アメリカのプロデューサーはアメリカの市場を追い、アメリカのドルを求める。他のことはお構いなし。どれほどクソ映画になろうと気にもしない。
■↑オレに金があったら、とにかく映画製作を中止させるために金を使う。
■日本が作りたいって思ってるのなら、やっぱ日本がやったほうがいいよな。誰も止めない。
■↑日本はやらないよ。実写版にしたところで、それがどんだけ駄作になるか彼らはわかってるから。
でも、白人に『AKIRA』を売って、その実写版クソ映画を白人が観たところで、日本人には影響はないからね。オリジナルの象徴的ステータスは損なわれない。
日本人が『AKIRA』の版権を売った理由はこれだよ。まず、金。それから、「やりたいようにやれよ。ただし、オレたちのいないところでやりやがれ」ってことね。シンプルだよな。
■わからない。僕にはわからない。……どうしてなんだ。『AKIRA』にインスパイアされた別タイトルの映画を製作したほうが楽だろ。そうすりゃ、新しい知的財産にもなるんだし、これが真っ当な道じゃないの?
■↑ハリウッドは、『AKIRA』の名前の認知度で映画館に客を呼べると考えてる。たとえ、原作ファンが傷つこうとね。
つまり、理屈はこうだ。『AKIRA』のことは、もう何年も前から、十分な数の人々に知れ渡ってる。名前も認知されてる。こりゃ、大騒ぎになるぞ、とね。
疑わしい理屈だと僕は思うが、これがうまくいくこともあるからな。
■いいじゃないの。少なくとも、キアヌーじゃない。
■アメリカにアジア系の俳優が少ないってことが、このリメイクの問題の1つだろ。
■↑確かに。
■『AKIRA』の最も重要な点は、核戦争を体験した未来の日本が舞台ってところ。舞台をアメリカに移したら、ただの犯罪映画になっちまう。基本の大前提が、日本じゃないと無理。米国が舞台じゃ意味がなくなる。
■ま、僕らの国は、ジョン・ウエインにチンギス・カンを演じさせちゃう国ですから↓。

■初めて『AKIRA』を観た頃、私はまだ東ベルリンの住人だった。1989年だ。ドイツ語の吹き替えだったよ。私と友達は、文字通り、ベルリンの壁の瓦礫を飛び越えて(急速に取り壊されてる最中だった)、鉄道も使わずに5マイルを歩いて映画館まで行ったんだ。
私はドイツ語が話せないから、映画は一言も理解ができなかった。それでも、マンガの壮大なスケールを映画形式におさめることはできないんだってことはわかったよ。
無理だね。シリーズにでもしない限り。●
日本の『AKIRA』のファンのかたがたは、どんなふうに感じてらっしゃるんでしょうか。…なんとなく、海外のファンのほうが拒否反応が強いのかな…と思ったのですが。
↓励みになりますので、よろしければ、ひとつ。

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