『ESPRIT』と言ったら、日本では「フランス発のリーズナブルなカジュアル・ブランド。ちょっとセンスがパリ♪」ぐらいの認識なんじゃないかと思います。女性だったら、「あー、知ってる、知ってる。ヨーロッパ旅行行くと、大概あるよね」とか。
↓こんなん。
だが、しかし、です。ここで言う『ESPRIT』は、これです。
フランスのカトリック左派の月刊総合雑誌。1932年10月、技術と資本の優位を拒み、人格の尊厳と人間の連帯を回復する人格主義の祖エマニュエル・ムーニエによって創刊された。ビシー政権下の1941年8月から44年12月まで休刊を余儀なくされた時期を除いて、ムーニエがドニ・ド・ルージュモンらの助力を得て50年まで編集長を務めた。カトリック思想の刷新を目ざし、知的世界で大きな影響力を振るう。ムーニエの死後は、彼の同志アルベール・ベガン、ジャン・マリー・ドムナックJean- Marie Domenach(1922―97)、ポール・ティボーPaul Thibaud、オリビエ・モンジャンOlivier Monginを主幹とし、マルクス主義、実存主義にも対話を求める姿勢を一貫させ、最有力誌の一つとなる。1960年代には新批評、構造主義などを紹介。しばしば政治・社会・文化全般にわたる特集号を組み、また青年新人に誌面を開放している。年1、2冊の別冊を発刊。発行部数1万強。 (Yahoo百科事典)
すげえ…。何言ってんだか、全然わかりません。
ちなみに、「もうこの際だ」と思って、『ESPRIT』の最新号をホームページで見てきたのですが、記事目次が、
『ベネディクト16世と原理主義者たち:教会の嵐』、『正義の改変:執政官の失跡』、『'絶対詩'の終焉:フランス詩1950-2000』 、『ベルギー:ヨーロッパの目眩』。
………絶対、読まない。
私がフランス人でも、よほど自分が興味がある特集でも組んでくれない限り、平積みになってても触らないと思います。少なくとも「あー、知ってる、知ってる」なんて気軽に言う類いのモノでは、私にとってはありません。
そんな私には無縁のハイブロウな雑誌が、『マンガ』の記事を載せている。いかに『政治・社会・文化全般にわたる特集号を組』む月刊誌とはいえ、『マンガ』です。急に接点が出来て、いっそびっくりです。
この堅苦しい記事をどうして紹介しようと思ったかと言えば、ここに理由がございます。
たった1冊の雑誌の説明に『カトリック左派、人格主義、マルクス主義、実存主義、新批評、構造主義』と、これだけの堅苦しい言葉を羅列しねばならない(あるいは、羅列できてしまう)、この雑誌が、なんだって漫画(せめて漢字にしてみました)なんかに用があるのか。
どんな視点でマンガを観て、どんな結論を用意しているのか。
なかなかの長文なので、数回に分けて、この『ESPRIT』という月刊誌のマンガに関する記事を紹介していきたいと思います。
本当にえらい堅い記事ですが、フランスのカトリック左派誌が見るマンガの位置づけとはどんなもんなのか、最後までおつきあいいただければうれしいです。
なぜマンガは世界規模の文化製品になったのか?
Jean-Marie Bouissou
西洋では、マンガは、経済のグローバル化の付け合わせとしてやってきた文化の中核をなしている。日本の経済力の副次的影響というだけでなく、マンガは21世紀初頭の文化的脅威というにまさにふさわしい。Jean-Marie Bouissouによるレポート。
複数の逆説
70年代以降、フランス、イタリー、米国のような西洋圏の国々におけるマンガの発展には、逆説がつきまとってきた。マンガから生まれていったジャンルであるアニメ、テレビ・シリーズ、ゲームの発展にも、その逆説はつきまとった。
最初の逆説はこうだ。西洋諸国は常に自らの文化と価値観を世界共通のものと夢想し、その拡大を目指してきた(たとえそれが帝国主義的野望の隠れ蓑に過ぎなかったとしても、だ)。一方で、日本は、歴史的に常に、自らの文化を世界と分け合うことに懐疑的だった。たとえば、神道である。厳格なまでに『国家主義的』であるという意味では、おそらく他に例を見ない。神道を信仰する外国人などという概念は、日本人にとってはお笑い草でしかないだろう。
二番めの逆説は、1945年以来、マンガが、その形態に、日本の他に類を見ない歴史的経験を内包してきたということだ。マンガには、1853年に司令官マシュー・ペリーの黒船によって銃口をつきつけられて開国し、無理やり近代化させられ、西洋との争いに引きずりこまれ、その争いも最後には広島というホロコーストに終わった1つの国家の傷が表現されている。その国家の子供たちが、---------手塚世代(注1と呼ばれる、マンガ家の最初の世代(マンガ創始者たち)となった。彼らは、自分たちの町がアメリカの爆撃機で焼け野原になり、父親が打ち負かされ、天皇がその神性を剥ぎ取られ、いだいてきた教科書と価値観が歴史のゴミ箱に投げ捨てられるのを見たのだ。
注1)手塚治虫(1928-1989):マンガの神様と呼ばれる。1947年の彼の『新宝島』の登場は、近代マンガの始発点と伝統的に捉えられている。
この敗戦国は、自己犠牲的な努力によって自国を再建し、20年もしないうちに自由世界第2位の経済大国になった。しかし、日本は、認知もされなければ(80年代は西洋諸国では日本叩きの時代だった)、望んでやまなかった安全保障も手に入れることがないまま、90年代の長い(経済)危機によって、やっと新しく手に入れ直したプライドを再びズタズタにされてしまう。
こうした日本の軌道は、日本独特のものであり、急激で劇的、そうして人種差別の影が差している。古いヨーロッパの力の軌道とも、あるいは勝利に酔う若いアメリカの軌道とも、全くもって違う。だからこそ、彼らの集合的想像力が、世界に共通する普遍性を得るに足る大衆文化を生んだということが、息をのむほどの驚きなのだ。
21世紀初頭において、日本は世界第2位の文化製品の輸出国となっている。マンガはフランスのコミック市場の45%を占め、『少年ジャンプ』----日本の10代にとって最も重要な週刊マンガ誌であり、発行部数は90年代半ばに600万部に達した-----は、米国版の発行を開始している。長く、子供やろくに教育を受けていない若者たちだけが読むものと考えられてきたマンガだが、フランスでは30代の洗練された世代を惹き付けはじめている。これは、解説するに値することだろう。
第1回目ということで、導入部だけのご紹介ですが、これ、なんだか………面白くないですか? 気のせい? 文章は肩が凝るんですが、着眼点に説得力があって、ありがちな、日本人に対する奢りも、盲目的な敬愛(またの名を勘違い)もない。
日本という国が鎖国によってガラパゴス島のごとく独特の進化を遂げ、開国、戦争、終戦という道をたどって、戦後に至るという歴史を踏まえたうえで、マンガの誕生を語り、そうして、有り体に言えば「そんなヘンな国で生まれたマンガがなんだって世界で愛されてるんだ?」という疑問といい、かなり面白いなあ、と。
文化の閉鎖性に関して、神道を挙げるあたりも巧い。いや、申し訳ないとは思うけど、外国人が神道信者って言われても、違和感感じるぐらいに、神道っていうのは国家主義的なんだろうな、やっぱり。このへんもね、「西洋諸国は必死で文化を広めようとしてきたのに、日本って、そういうことしたがらないじゃん、ヘンじゃね? なのにマンガは勝手に広まってる、ヘンじゃね?」っていうのがね、おかしかった、私としては。
興味が湧いて、この記事を書いたJean-Marie Bouissouという人を調べてみました。
このかた、現代日本の研究者なんですね。仏アマゾンには12册の本が出ています。『Pacific Review』、『Paciffic Affairs』、『The Open Political Science Journal』の編集委員。『Critique internationale』の共同編集長。パリ第10大学、レンヌ大学、Sciences Po Parisで、日本経済や文化を教えていらっしゃる。また、現代日本の専門家として、マンガの科学的/国家的ネットワークの確立にも関わっていらっしゃるようです。
日本のアマゾンでも一冊だけ、『Japan: The Burden of Success』の英訳版が手に入ります。
思いがけず、ちょっと面白くなってきたこの記事。
次回は増量してお送りします。
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次の記事、期待してます。
次回、期待してます
なぜなら、神道のご本尊の一つは天皇です。そして、天皇は日本人です。
つまり、ご本尊が日本国籍を持っているわけです。
そういう宗教を信仰している外国人がいるとしたら、日本人としてはやはり驚くでしょう。
米をここまで神聖化し、ありがたがる文化は日本の文化の中でもここ2000年ぐらいのものだろうから、割と新しい物になると思うけど。
ぼーっと見てたのですがちゃんと姿勢を正して読みましたw
読み応えありそう。
まあどっちにしろ民族宗教だから、普遍宗教とちがって布教はしませんよね。
土着のものなので自然崇拝と同時に祖先崇拝だから、外国人神道者といわれるとたしかに不思議な感じはしますね。
でもハワイにも出雲大社がありますし、ヨーロッパのどこだかに神社をつくった外人さんがいたような。
フランスは面白い国ですね。フランスの放送局かなにかのひとで、神道にはケルト人がキリスト教以前に持っていた信仰は神道に近いもので普遍的なものがある、みたいなことを書いた本を読んだことがあります。
フランスは深いですね〜
そんな浅い信仰やめたら?
読んだ感想としては、「すごい」の一言ですね。今現在北米で勉強中なのですが、文化や宗教など表面的な理解ではどうしても理解しきれない所がたくさんあります。
無意識の、西欧を中心とした世界政府作りのような話を聞くと(世界の平和の為には全ての国が人権を尊重し法を順守し…という法律を作る、法律がないと縛れない?)モヤモヤすることが多かったのですが、彼のいくつかの提言は、とても為になる言葉でした。いつかオリジナル読んでみます。
翻訳ありがとうございました!