2009年05月23日

仏誌Esprit - マンガはなぜ世界規模の文化製品になったのか? その3-

さて、続きです。



産業製品の力

類いまれな多様性は、国際競争におけるマンガの多くの強みの中でも唯一無二のものだ。そしてまた、大量生産によって低価格を達成し、ここでも他を圧倒している。

1970年代、テレビの子供向けアニメーションの需要がうなぎ上りになっていく中、日本のスタジオは、1分あたり3000ドル以下というコストで超ヒット作『UFOロボ グレンダイザー』(フランスではGoldorakとして知られる)のエピソードを製作していた。これに比べて、フランスのスタジオが製作した『タンタン』は1分あたり5000ドル、アメリカでは1分あたり4000ドルだった。日本のスタジオは、フランスのスタジオの4倍多いエピソードを製作していたのである(1年間で、450話に対して1800話)注7)

注7)Anne Baron-Carvais, La Bande dessinée, Paris, PUF, 1985, 108.


彼らはまた、大量の過去のアニメのストックを持ってもいた。日本のテレビ局は、手塚治虫の『鉄腕アトム注8)が巨大チョコレート会社、明治に資金の提供を受け、1963年に堰を切ったように飛び出していって以来、子供向けアニメのシリーズを放映し続けていたのである。

注8)英訳は、ダークホース・コミックスによる。


唯一の国営放送であるNHKと並行して当初から存在していた民放は、スポンサーたちの後押しを受け、若い視聴者たちの需要に応えていき、かつ、いかなる検閲にもさらされることがなかった。

日本のテレビ市場というのは、1984年まで公的放送局しかなかったフランスに比べれば、より資金が豊富で、より自由で、より革新的で、より活動的なのである。米国となると、すべての局が民放だが、マッカーシズムと政治的正当性による自主規制によって恐ろしいほど縛られていた。

日本のテレビ局には、スポンサーからの豊富な資金とスタジオの効率的な製作とともに、創造的自由が許された。ここに、なぜ70年代の日本が子供向けテレビの世界市場を侵略できたかという理由がある。


この、西欧市場における日本のポップ・カルチャーの最初の侵略は、後に続く者にとって不可欠なものであった。『UFOロボ グレンダイザー』と『キャンディ・キャンディ』(70年代終わりのフランスの若者に最も人気のあった日本のアニメ・シリーズ)の若いファンたちは大人になり、1989〜90年にかけて、あのすべてを征服したかのようだった『AKIRA注9)の翻訳版をもって、マンガにフランス市場の扉を開くことになる。

注9)大友克洋 著。フランス語に完訳された最初のマンガ・シリーズ。英訳は2000年、ダークホース・コミックスによる。



Akira (Part1) (KCデラックス 11) Akira (Part2) (KCデラックス 12) Akira (Part3) (KCデラックス 13) Akira (Part4) (KCデラックス 14)


こうした人々は今日、最も洗練されたファンの一群を形成している。彼らのおかげで近年では、教育を受けた大人の読者層のための良質のシリーズの出版が可能になっており、これには、劇画(劇的絵の意。大人のためのコミックで、50〜70年代に最も人気があった)、手塚の大人向けのシリーズ、90〜2000年代にかけて登場した新世代の女性マンガ家 注10)の作品が含まれている。彼女たちの作品に至っては、日本で出版されると、ほぼすぐにフランスで翻訳の作業にかけられているのだ。

注10)おかざき真理安野モヨコ桜沢エリカ小川彌生魚喃キリコやまじえびね南Q太



サプリ (1) (FC (335)) さくらん (イブニングKCDX (1829)) ラブリー 4 (Feelコミックス) きみはぺット〓THE BEST (ワイドKC Kiss (506))

痛々しいラヴ (Feelコミックス) 愛の時間 (Feelコミックス) かみさまお願い (祥伝社コミック文庫―南Q太傑作選)


大量生産によって安価に生産されはするが、マンガは高品質の消費材である。この意味では、集英社や講談社の世界的成功は、トヨタやSONYの成功となんら変わりはない。
並外れた品質の製品として、人々の心に楽しみを与え、6つの基本的な心理的欲求を満たしてくれる。つまり、力への意志、達成や安全、そして興奮、逃避への欲求、個であることへの欲求だ(注11
この面でのマンガの成功は、第二次世界大戦の終結以来、桁外れの自由がマンガに許されていたおかげであるし、また、日本文化の数多の特殊性に負うところがいよいよ大きい。

注11)Jean-Marie Bouissou 著。『多角的にマンガを読む』eipzig, Leipzig Universitätverlag 2006、『成長する日本の文化パワー:フランスにおけるマンガの場合』Jaqueline Berndtの編集による。




明日の予定の段落が結構長いので、今回はここらで。



日本に住んでいるとなかなか意識できませんが、確かに日本というのは創造に関する価値観や道徳観の規制がゆるいのかもわかりません。


土台、開国まで「芸術」っていう概念をもたなかった民族。
逆に言えば、日本は、芸術なんてモン振りかざして古い概念と闘わなくたって、比較的自由に好きなモンを描けて見れたのでしょう。だからこそ、浮世絵という春画が高度に進化した。


こんな無闇に完成度の高い春画が生まれたのは日本ぐらいです。『偉大なアーティスト』である歌麿が「美人画」を描くのと同じテンションで「春画」を描いてたこと自体、西欧では理解の範疇を超えていますわね。日本からすれば、芸術なんて概念ないわけですから当たり前なんですが。


輸出用陶器の緩衝材として、浮世絵が西欧に渡ったときの西欧人の驚きは想像にかたくないです。
素晴らしい版画絵がくしゃくしゃにされて、陶器を包むのに使われてる。ええええええええーーーーーー!ですよ。たぶん。なんでーーー?!!!ですよ。これだって仕方ないです。当時の浮世絵は、飽きたら襖の裏貼りに使うような庶民の消耗品ですから。


そういう伝統的に暢気で杜撰な自由度が、キリスト教に根ざした、良い意味でも悪い意味でも根深い道徳観や価値観の偏狭さを抱えてる西欧からすれば、羨ましくもあり、忌々しくもあるのは、なんとなくわかります。

ちょうど全寮制の厳格な高校に入れられた子供が、学校帰りにカラオケで騒いだり、夜になりゃクラブにも行く同じ歳の子供たちを見て、「ふざけてんじゃねーぞ!」って思う感じか。

いや、子供だったらまだ許せるのに、それを社会全体で大人まで浮かれてやってるんじゃあ、「日本は変だ!おかしい!狂ってる!」と責めたくもなるかもしらん…。



フランスの知識階級であるだろう、この筆者のかたは、さすがにそんな感情任せの(ヒガミ根性丸出しの)筆は奮いませんが、逆に、だからこそ、西欧の知識人の悲哀を見た思いがいたした次第です。




次回も、続きです。やっと半分といったところ。



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posted by gyanko at 21:00 | Comment(2) | マンガ・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
  1. >>価値観や道徳観の規制がゆるいのかも

    聖おにいさんやムダヅモ無き改革が許される国だからな。
    他国からしたら神だの国家元首をネタにするなんて考えられないだろうな。

    あとアジアのどっかの国(タイ?)では、天使や悪魔も何故か禁止されてるらしい。
    つか日本って規制なんてあるのか・・・?
    Posted by AKIRAテレビでやってくれー at 2009年08月17日 20:35
  2. 一応浮世絵入れたのは、ゴミはゴミでもゴミゴミしてない
    なるべくきれいな物を使ってあげようという、
    当時の人の配慮ではあったらしい。これも日本人らしい。
    Posted by at 2009年08月23日 02:07
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