(書き忘れておりましたが、改行を入れて訳しております。原文に改行がほとんどないため、訳した後の見栄えが、ほとんどタタミイワシみたいになるもので。ご了承ください。)
↓タタミイワシ。

(ほぼ)検閲のない、元気いっぱいの日本文化
そのステロタイプの日本像とは違って、日本文化は、ユダヤ/キリスト教主義や政治的正当性によってがんじがらめにされている西欧文化より、かなり抑圧が少ない。性に関しても同様で、(西欧に比べれば)抑えこまれることはあまりない(注12。
注12)Nicholas Bornoffの『Pink Samurai
幽霊、迷信、数々の精霊、怪物(友好的なものも、そうでないものも)、健康的な一握りの非合理。これらはすべて、日本の集合的無意識の中で生き残ってきたものであり、近代化への遅い入門、デカルト派の哲学への不案内、偏狭な一神論の欠如のおかげだ。
フランスでは育ちが悪くて、攻撃的に思われてしまうだろう、飾り気のないの元気の良さが日本では容認されているのだ。西欧と違って、人前で酔っぱらうことが軽蔑されることはほとんどないし、テレビのお笑いにはオナラやゲップがしばしば出てくる。
涙に対する感じ方や、悲惨なヒーローたち(注13 への思いもあまりに深く、首相たち(中曽根康弘(1982-7)、橋本龍太郎(1996-8)、小泉純一郎(2001-5)等、他のタフと認められた男たち)ですら、公衆の面前で泣くことを恥じてこなかった。
注13)Ian Burumaの『A Japanese Mirror, Heroes and Villains of Japanese Culture』(日本の鏡:日本文化の英雄と悪党たち)Jonathan Cape Ltd., 1984を参照。
こうしたことはすべて、マンガの中にその場面が見つかる。結果として、マンガはフランスのコミックより、大変に生き生きとしている。(ちょっと狂信的ではあるが)優しい『Titeuf(チトゥッフ)』注14)(訳注:フランスのマンガ)はフランス人のお気に入りの遊び場の一つだが、超音速の雲に乗り、好色な老人に訓練を受け、小さなブタと僧侶に付き添われた、猿のシッポ付きの男の子とは比べるべくもない。
注14)Zep著。1993年以降、11巻がGlénatから出版されている。
『Titeuf(チトゥッフ)』
この男の子は無数の敵と闘い、化学兵器として爆音のオナラを使い、地球と他の星を救ったかと思うと、また再度、地球を救い、数百の悪党を倒す。友達が死ぬのを見、彼自身も死に、友達とともに蘇り、かと思うと、また死ぬ。神と語り、家への手紙に書くべきことはあまりないと悟り、さして大きくもならないのに、父親になり、祖父になり。そんなこんなで1000ページだ。
これは鳥山明の複雑で壮大な大作であり、マンガのすべてのカテゴリの中の世界王者である『ドラゴンボール

マンガのファンタジーはもはや、編集者や関係当局に制限を受けることはなかった。少なくとも、日本は西洋より大変に制約が少なかった。
アメリカでは1954年のコミック・コードによって足かせがはめられ、フランスでは、80年代末に活動休止となるまで、「子供と若者のための出版の抑制および監督委員会」が容赦なくコミックの世界を消毒し、1949年からは輸入も妨げた。
日本の検閲関係当局はといえば、忌み嫌われていた(戦時中の)軍事政権が過度に抑圧的だった反動で、思い切って自由な発言を禁止することができなかった。政府は、マンガが、最も力のある出版社から発行されていたため、何倍も注意深かった。
1960年代初めに、検閲を主張する声が、主に、各所にあるPTAから起ったが、たいして成功はしなかった。永井豪のケースは典型的である。永井は西欧では『UFOロボ グレンダイザー
『ハレンチ学園』は、『恥知らずな学園』(作品タイトル通り)を舞台にしている。そこで、彼らは、酔っぱらってもいないのに、イカサマのギャンブルを開催し、廊下に座り込み、男の子たちや先生が主にやることは女の子のスカートをめくり上げることであり(文句を言われないことが多い)、彼女たちを素っ裸にして思う存分殴り、”か弱い”(作中ではそうでもないが)女性から当然の報復を受ける。

偉大なる出版社、集英社は4年間にわたって、その主要船、週刊少年ジャンプでこの作品を連載し(なんと中学生向けに!)、PTAの嵐のような苦情に抵抗した。関係当局は決して介入しようとしなかった。永井は1972年に、あらゆる種類の親たちと保守派による学校への烈しい攻撃から、シリーズ連載を終了させた。このマンガの結末は、全員虐殺であった。
これがもし、フランスや米国だったら、はなから検閲に引っかかって、もがいていたところだったろう。
マンガの制作というのは構造的に、遊び心のある元気の良さを愛する。連載の際の系統だった準備、読者カード(週刊誌に挿入されている意見用紙。これで読者による各作品のランク付けが可能になる)を使った人気の保ち方、こうしたもので、マンガ家は、読者の心を常に忘れないように義務づけられている。
マンガの読者層は圧倒的に十代である。そして、どんな国の十代でも、『Asterix』(フランスのマンガ)の駄洒落に満ちた冒険より、なんとかうまいことやって彼らの童貞を失う数多の方法のほうに、よりたくさんの興味があるのは当たり前だろう。
それに加えて、マンガ家同士は常に競争しており、今はもう廃止されたマクドナルドのスーパーサイズ戦略のような軍拡競争に押しこまれている。ここで消費者は、おまけのフライドポテトではなく、さらなるロマンス、さらなるアクション、さらなる茶番劇、さらなる迷信、さらなるセックス、そして時としてそれらを全部いっしょに提供されるのである。
本当:『ドラゴンボール』の主人公は社会秩序と完全に調和し、結婚して子孫を残す。本当:藤沢とおるのの世界的ベストセラー『GTO
間違いではない。:マンガにはモラルがある!少年ジャンプのモットーは『友情、努力、勝利』。が、このスローガンはあまりに使い古されていて、実際に読者に影響を及ぼすことはない。これも事実:シャロン・キンセラ 注16)(訳注:イエール大学社会学部助教授。日本文化を研究。フェミニズム的立場から成人向けマンガに否定的なようです)の登場によって、80年代から寛容さが減少したように思える。
注15)Tokyo Popによる英訳。
注16)Sharon Kinsella著。『Adult Manga. Culture and Power in Contemporary Japanese Society』(成人向けマンガ:現代日本社会の文化と力)RoutledgeCurzon, 2000

いまだに表立って発言の自由を制限することには神経質だとはいえ、関係当局は、有害マンガの監督を地方の当局が個別に指名した’長老たち’や’女族の長’へ下請けに出している。しかし、これが、フランスやアメリカなら決して許されないほど多くのものを提示するマンガを止めることはない。それでも、心配している親たちや教師たちよ、まず気づけ、マンガが日本の犯罪発生率を増加させたことはないということに。
永井豪とPTAのくだりは、まんま江戸時代の浮世絵と同じですなあ。北斎だって歌麿だって、美人画や風景画を描きながら、春画を描いた。マンガが世間の非難を浴びたように、浮世絵も何度も取り締まりを受けながら、産業全体はやむことなく前進していったわけです。
日本って昔から変わっていない気がしてきました。
それにしてもです、中盤は、やっぱりきついです。
私は梅原猛
中盤を「うわ、つれえ」と思いつつも読み通せば、終盤で、無味乾燥だった過去のパズルピースが、すべて嵌る快感がくるのを知っているからがんばれるという、人参ないと走らない情けない馬となっております。
次回もこの続きからお送りします。
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>僧侶に付き添われた
>化学兵器として爆音のオナラを使い
>家への手紙に書くべきことはあまりないと悟り
訳の事情で、フランスではこうなっている?
あるいは、この方はDBをちゃんと読んだ事がない……?
いや、マジに取るなよ
そこは笑うとこだろ
NHKの朝のニュース番組で(スタジオ102だったか?)ハレンチ学園が取り上げられ、永井豪が教育関係者に吊し上げを食らっていた。
永井の言い分は『大人向けの漫画雑誌を立ち読みする子供に見せれる漫画を描きたかった』
だが教育関係者は『あんたは卑怯者だ』と断罪していた。