2009年06月17日

葛飾北斎、ワシントンへ行く その1

今日から数回は、自分の浮世絵の勉強も兼ねて、米国ワシントンで過去に行われた「葛飾北斎展覧会」のアート・レビューをやろうと思っていたのですが、まずはこれからお送りします。


まず日本では見かけませんし、今後も生産されることはほぼないであろう逸品↓。


赤ちゃん用、葛飾北斎『神奈川沖浪裏』ボディースーツ。


kanagawa.jpg


これを生後半年ぐらいののかわいい赤ちゃんに着せたい、と。そう思って製品化されたわけですね。私が外国人の日本文化に対する感性に愕然とするのはこういうときです。すげえ、…とすら思います。


浮世絵と言えば、私にとっては永谷園のお茶漬けです。小学生の頃に、永谷園のお茶漬けに入っている浮世絵カードを集めていたのですが、お茶漬けが好きだったわけではないので、結構、難儀でした。買っても食べないので、怒られたりしてましたなあ…。


↓永谷園の浮世絵カード。

nagatanien.jpg

写真はこちらから。


それでも、浮世絵カードコレクターだった当時から、富嶽三十六景のTシャツ着たいとは一度も思いませんでした。

いや、センスの問題じゃないんです。浮世絵のTシャツはあり、なんですよ、こんなの↓。

(このかた、すごく似合ってます。似合い方が正統派な感じ。奇をてらってないし、受け狙いでもない。さらっと着てる。)


edotshirt.gif


写真はこちらのサイトから。


でも、これ、やっぱり、着る人を選ぶと思うんですよ。コーディネイトとしては、半パンに雪駄で、千社札は常に携帯、休日に子供連れて、自宅のそばで友達んちが代々やってる屋台の焼きそばを缶ビール飲みながら食べてるところまで含めてのコーディネイトです。

「……あー、やっぱり三社祭は毎年出てらっしゃるんですか」
「あー………生まれたときからだよね。曾爺さんの代からなんで」
「はあー、カッコいいですなあ」


という会話が成立しそうな人。

着る人のライフスタイルが物を言いそうなもの。逆に言えば、まずライフスタイルがないと受け狙いにしかならんということを、日本人が感覚的にわかってるもの。


要は、当たり前ですが、日本人にとって日本の文化っていうのは自前のもんですから、確実にTPOがある。背景こみで、食べ合わせがもう身についてしまってる。


前置きが長くなりましたが、そういう日本人的繊細な調和魂なんぞ視界にも入らない、想像の斜め上を行く製品がアマゾンで売られてしまう米国。そこで、開催された北斎展覧会です。


たぶん日本人とは見てるものがちがう気がするのですが、ささやかでも、そのへんがわかればいいなあと思いつつ、まずは初回ということで下拵えがわりに、これを↓。


浮世絵を含めた日本文化が初めて海外を席巻した現象、「ジャポニズム」をコンパクトにまとめた記事です。



江戸時代の歴史から言えば、日本は世界から孤立した国だった。西欧との接触は、出島と呼ばれる長崎の小さな飛び地に厳しく限定されていた。

だが、19世紀の終わりになって、明治維新とともにこれが劇的に変貌する。日本は海外との貿易に門戸を開き、西洋思想と文化が日本へとなだれこんでいった。同時に、日本の芸術や文化の輸出も始まり、欧州やアメリカへと大量に流れていった。西欧文化がこの影響を受けた現象が、ジャポニズムとして知られるようになる。


ジャポニズムと浮世絵

欧州やアメリカへと海を渡った日本の芸術の多くは浮世絵だった。当初は、当時の浮世絵師たちによって制作された版画が主だったが、西欧の人々は、この芸術様式を多いに評価し、江戸時代の浮世絵の大家の作品がどんどんコレクターたちの垂涎の的となっていった。西欧の評者たちにとっては、江戸の作品は、西欧の芸術の影響下にすでにあった現代版画とはちがって、日本の伝統を表す典型的なものだったのだ。


ジャポニズムの最初の真の王者として目されるのは、フランス印象派の画家であり、エッチング画家でもある、フェリックス・ブラックモン(1833-1914)である。1856年頃、ブラックモンはパリで1組の北斎漫画を発見し、すぐに彼の友人や知人たちにその素晴らしさを絶賛した。彼のそうした努力のおかげで、マネボナールロートレックメアリー・カサットドガルノワールホイッスラーモネゴッホピサロゴーガンビアズリークリムトといった芸術家たちが日本の芸術の影響を受けることとなったのである。


↓北斎漫画。

hokusaimanga.jpg


浮世絵には遠近法はない。くっきりとした線と色塗りされた平面的なスペース、こうしたものが西欧の多くの芸術家に影響を及ぼした。アールヌーボーとモダニズムはすべて日本の伝統的な芸術からインスピレーションを受けているのだ。北斎歌麿のような芸術家の作品は、西欧の芸術に深遠な、長く続く影響を与えたのである。


左:メアリー・カサットの『母親の慰撫』。1891年
カサットは1890年にパリで見た日本の版画に影響を受けた。彼女の作品には明らかに、歌麿のようなアーティストの浮世絵から示唆を受けているのが、線や形の表現からわかる。

右:ロートレックの『Divan Japonais』(直訳「日本のソファ」。カフェ・テアトル(レストラン式の劇場)の名前)。1893年
ロートレックの浮世絵への評価は、パリのナイトライフを描いた彼の有名な絵に見えることができる。色塗りされた平面、左右比対称の構成が強く表現されている。


cassat.jpg  toulouse1.jpg


左:ゴッホの『La Courtisane』(直訳「娼婦」)。1887年
ゴッホは、安藤広重と渓斎栄泉の浮世絵の模写を作品にしている。

右:ドガの『リハーサル室のダブルベースと踊り子』。1882-85年
当時の多くの西欧の芸術家と同様に、ドガは北斎漫画のスケッチの影響を受けた。彼はそれで人間の形の動きを勉強したのである。



gogh1.jpg degas1.jpg


ジャポニズムというのは、Wikipediaによると、一時のブームというわけでもなく、30年ほど続いた流れのようです。

解剖学から人体を描くような科学的、写実的描写に飽きてきていた西欧が、表現方法として、遠近も陰影もない、平面と線で描く浮世絵に飛びついたといえばいいんでしょうか。



さて、歴史として、西欧と北斎の始まりを紹介したところで、次回から米国ワシントン、北斎展覧会のアートレビューです。なにか発見があるといいなあと思っています。



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posted by gyanko at 21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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