2009年06月19日

葛飾北斎、ワシントンへ行く その3

第3回目の北斎エントリです。


北斎は、その生涯のほとんどを繁栄する首都、江戸で過ごした。彼自身が数えるところによると、89年の人生で93回の引っ越しをし、興味の赴くままに名前も変えた。それはまるで、北斎の自意識を誇らしげに掲げるかのように、だ。

植物、動物、無機物、超自然…。北斎の技術、人間性、洞察力、ついでにいえば歴史、文学、詩への興味が及ばないテーマなどなかった。そしてまた、日本、中国、西欧と、すべての様式を北斎は受け入れた。そのうえ、生物を含むどんな絵にもほとんど、穏やかではあるが、常にユーモアの要素があり、それがテーマを生き生きとさせ、かつ、そのテーマに北斎の人間力の強さを与えている。


北斎は、必要なときに素晴らしい運に恵まれた。1779年、19歳のとき、彼は、「浮いた世界」、つまり都市生活の娯楽に刺激されて生まれた「浮世絵」の巨匠の1人、勝川春章(1726-1792)に弟子入りする。(勝川春章の浮世絵のいくつかは、現在も、東76番街のセバスチャン・イザードで見ることができる。アジア・ウィークが終わってもなお経験できる素晴らしい展覧会の1つだ。)春章は、才ある彼の弟子に春朗と名付けた。春朗の号で、北斎は、その才能を見せつけている。浮世絵の定番の主題である、花魁(あるいは芸者)や役者の絵を独創的なポーズで描いているのである。



↓勝川春章の『美人鑑賞図』(左)と春朗の『風流男達八景』(右)

shusho.jpg shunro1.jpg


(ちなみに、勝川春章が死に、春朗が破門された時期と、写楽の活躍期がかぶることから、北斎=写楽という説もあるようです。)


北斎はまた、版画に風景画を持ち込んだ先駆けでもある。彼自身の富士の絵や、37歳年下で後年、風景画というジャンルを完成させることになる歌川広重のために舞台を用意したのだ。1788-89年に描かれた『江戸両国橋夕涼花火之図』は、橋、河、市場といった広いパノラマに、密集した見物客が添えられ、目を引く、爆発する赤が吹き付けられた絵だが、そこには日本と中国の絵画の要素が活用されている。


↓『江戸両国橋夕涼花火之図』

ryogokuhanabi.gif


運の悪さもまた、少なくとも、時として、北斎に味方していたように思える。1820年代に江戸の経済が破綻し、花魁の絵の発注が途絶えると、北斎は、彼が得意としていたマンガ本の原型、浮世絵の版本に新しいひねりを加えた。信じられない才能をもって描かれた様々な芸術的な図案を並べ立てた安価な本を作り始めたのである。

たとえば、人物のいろいろなポーズ、色の組み合わせ、一筆絵、ランダムなスケッチ。北斎はこれを漫画と呼び(漫画という言葉を一般化させた)、最終的には15巻まで発行する。『肉筆画帖』(訳注:1834- 39年)、『秀画一覧』(訳注:1818年)、『一筆画譜』(訳注:1823年)といった作品とともに、『北斎漫画』は北斎の芸術的腕前を弟子たちに自信満々に見せつけ、また、彼らを惹きつける宣伝となった。



↓『北斎漫画』

hokusaimanga2.jpg


↓『秀画一覧』

shugaichiran.jpg


↓『一筆画譜』

ippitu.jpg


この展覧会の時系列パートは、4番目の大きく、混雑したギャラリーで最高潮を迎える。そこでは、版画、漫画、肉筆が人々の注目を競い、1813年から1839年までの作品が時に急激な変貌を見せながら並んでいる。戴斗、為一、画狂老人(絵に狂った老人の意)と名を変えながら、北斎はフルスロットルで活動していくのだ。



どうも歯切れが悪いですなあ…。『神奈川沖浪裏』のときと比べると、絵を見たまんま説明して、ズレ気味の背景情報をちょこっと加えてるだけ。


いや、ズレ気味っていうと申し訳ないんですが…。


●春朗時代→「花魁(あるいは芸者)や役者の絵を独創的なポーズで描いている」。

そうかなあ…。このかた歌舞伎観たことないんじゃないかと私は思ったんですが。ついでに、他の役者絵をあまり見たことがないんじゃないかっていう…。


●『江戸両国橋夕涼花火之図』→「日本と中国の絵画の要素が活用されている。」


ち、ち、中国? 皮肉ではなくて、真剣に聞きたい。どこらへんが中国? わかるかたがいたら教えてください。


●『北斎漫画』→「1820年代に江戸の経済が破綻し、花魁の絵の発注が途絶えると」

北斎漫画の発行は1814-78年。天保の大飢饉による大不況が1833-7年。天保の改革が1841-1843年。簡単そうで安そうに見えるんだろうけど、不況だから北斎漫画を出したわけじゃないと思うよ…。少なくとも、初編は。不況の打開策で作ったと言われるのは『肉筆画帖』。


なんとなーく、納得いかない情報で、なんとなーくごまかしてる感じです。


このレビュー、New York Timesに載ったもので、決して一般のかたが書いたものではないんです。にも、かかわらず、これが次のエントリでも続くんです。


だが、しかし、です。これが大事なところで、前回から言ってきた面白いところなんです(いや、私的に、ではあるんですが)。結論は、急がず、次号をお待ちください。



↓励みになりますので、よろしければ、ひとつ。

人気ブログランキングへ


   
posted by gyanko at 21:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
  1. 郎世寧ぽい?
    彼は北斎より最近の人だし、なによりイタリアン。
    Posted by 犬彦うがや at 2009年08月07日 11:54
  2. 多分残り読んでない記事は両手に満たないくらいかと…この2、3週間くらいはまっていました、私の興味分野がきちんと入れてもらえている着眼点、楽しく充実した翻訳に、素敵な時間をもらってます。ありがとうございます。

    中国の影響というのははっきり時代考証した訳でなくあやふやですが、あげられた例には確かに見受けられます。

    水墨画と山水画、筆致で自然物を書き分ける手法は中国から伝わりました。鎌倉時代後期はちょっと記憶が怪しいですが室町時代にはかなり伝わっていた気がします…

    日本画を勉強していて日本文化の源流を探っていた時期、全て中国や中国を通した韓国からの影響を見て取れる状況にへこみました。オリジナルはどこ?と。

    けれどそも創造は自然物の模倣から始まりそれを超えられないと気づいてからは、気にならなくなりました。影響を受け組み合わせアレンジし新しいものを生み出すことは素晴らしいことだから、影響を受けているものは堂々と認めればいい……ボブディランの歌詞の記事も読みましたが(笑)同じこと、けれどだからこそ、影響は認めて欲しいけど訴えようとは思わないとなる訳で。

    日本を模倣し逆輸入し自国産と言ってしまう人たちを見下す人がいますが、私たちも知らずたくさんの影響を受けていて、模倣から始まった文化遺産を我が国独自のものと誇っていることを知らねばと思います。

    多分、より素直に他国の影響を認められる人が多い(と感じられる)のがこの国の美点とも感じますが(笑)管理人様もゲームなどの得意分野では、分かる範囲の影響は伝えておられますし。

    長々失礼しました;つい異文化に触れておられる方と、こういう話をしてみたくなってしまい…これからも応援しています(*^o^*)
    Posted by しかり at 2011年07月04日 19:03
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。