2009年07月30日

海外の評価 - 宮本茂 - その3

宮本茂特集第3回は、本当なら第2回でお送りする予定だった宮本茂の誕生日のお祝い記事です。

特集記事として取り上げるには少しカジュアルすぎると思われるかもしれませんが、この記事はなかなか面白く、かつ珍しい記事です。なぜかと言いますと、宮本茂の誕生日に寄せて、ゲームライターのかたが、かつて自分が高校時代に書いた宮本茂についての作文を記事にしたものだからです。

読んでいただければわかりますが、宮本茂の略歴を限られた中で丁寧に語り、かつまた、演説の授業用の作文ということで、宮本茂を知らない人にもわかるように平易に書かれているのが、私には心動かされるものがありました。


宮本茂、誕生日おめでとう!

今日はPS3の誕生日(訳注:米国では、PS3は、11月17日に発売されました)だが、実は同時に、このゲーム業界でずっと輝き続けていくだろう最重要人物の1人の誕生日でもあることをGoNintendoの記事が教えてくれた。宮本茂は今日、55歳になり(この記事を投稿した時点では太平洋岸はまだ16日だが)、当サイトは幸せな気持ちで、このシギー(訳注:Shiggy。宮本茂の海外での愛称)の誕生日をお祝いしたいと思う。

さて、私は今日、宮本茂の誕生日を祝うニュースを見て(日本時間では昨日)、2003年、私が高校3年の演説の授業で宮本茂について書いた原稿を思い出してしまった。探し出してきたので、バツが悪いが、みんなにお見せしようと思う。ただし、読む前に、この文が、聴衆がゲームを知らないことを前提に書かねばならなかったこと、それから、宮本茂を紹介するという形式に乗っ取って書かれているということを了解してほしい。では、ご覧あれ。

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皆さんの中で、PS2Xbox 360ゲームキューブでゲームを楽しんでいる人はどれぐらいいますか? 特に、周囲のあらゆる場所を探検できるようなゲーム。探検の中で、新しい場所への扉の鍵となる秘密を見つけたり、その秘密によってパワフルなアイテムを手にし、プリンセスを救ったり、世界を任されたりするようなゲームをやってる人は?

そう、こうしたゲームのすべてを実現した1人の男がいます。----宮本茂。彼がいなければ、ゲームは今あるような形に近いものですらなかったでしょう。彼がいなかったら、私たちはおそらくたった今も、Pong 2004(訳注:最初のTVゲームと言われる卓球ゲーム)の2004年版を、……せいぜい3Dでやってる程度だったのではないでしょうか。

幼少期から、宮本は、世界を驚かせるようなものを創りたいと思っていました。世界と分かち合えるものなら、それが何であってもかまわない、と。

ゲーム界のスピルバーグを紹介するに当たって、私は、Mr.宮本がどうして、どんな事情でゲームデザインの仕事についたのかを話したいと思います。最初は、彼の子供時代、それから、それがどうして任天堂の成功の鍵になったのか。次に、彼が任天堂でどうのように仕事を始めたのか、任天堂の成功にどうやって手を貸したのか。3番目に、任天堂と宮本がそれぞれのあり方にどんな影響を与え合ったのか。

宮本茂は、1952年11月17日に、日本の園部町で生まれ、両親の元で育ちました。彼の素朴な子供時代はのちに、ゲーム業界で最も影響力のあるゲームの何本かを創造する鍵となります。TVがなかったために、宮本は、家をまるで迷路のように見立てて探検したり、家の周りの野原を冒険することが大好きだったのです。田んぼ、渓谷、草深い丘、水路、洞穴、行ける場所すべてを探検していました。こうした冒険が、『ゼルダの伝説』のような将来の宮本の作品に影響を及ぼしていくことになります。

彼にはまた、創造力を発揮できる別の手段もありました。友人たちと野球をすること。英雄の舞踏劇にも参加したし、さまざまな人形劇を作る名人でもありました。絵を描くこと、読書をすること、マンガも上手でしたし、学校ではマンガクラブも作りました。

1970年に金沢美術工芸大学に入学すると、宮本は工業デザインを専攻しました。卒業までにかかった年数は5年。なぜなら、ギターや、ゲーム、人形劇、玩具作りに夢中になってしまい、半分しか出席していなかったのです。

ようやく大学を卒業しても、彼はすぐには就職しようとしませんでした。-------彼の興味を引くものがたくさんあったせいです。1977年のある日、宮本は、父親に言われて、玩具会社を経営する、父親の古い友人に引き合わされました。その玩具会社が、そう、まさに任天堂だったのです。ボサボサ頭を直しもせず、宮本は山内溥と会うことになります(今現在も山内は任天堂の経営者です(訳注:2003年当時))。

山内は、宮本に玩具のアイディアをいくつか作ってくるよう言い、宮本はそれに応えて、バッグにいっぱいのアイディアと玩具を持っていきました。その場ですぐに採用が決まり、宮本は任天堂初の社内アーティストとなりました。------あるいは、その時点では社内アーティストなど必要なかったかもしれないにもかかわらず、です。

1980年、山内は宮本を社長室まで呼び、TVゲームを作ってもらいたいこと、それから、宮本をその仕事についてもらいたいと伝えました。宮本の最初の仕事は『レーダースコープ』と呼ばれるシューティング・ゲームでしたが、彼はそれを反故にしてしまいます。なぜその企画を解体してしまったかのか尋ねられたとき、宮本はこう答えています。「良くないと感じたゲームは絶対に出しません。リリースされなかったゲームはたくさんあります。なぜなら、僕には良いと思えなかったから」。

ポパイ』や『美女と野獣』といった、いくつかのライセンス取得が失敗に終わった後、宮本は『ドンキー・コング』を世に送り出します。これは爆発的ヒットとなり、現在のあの有名なマリオ(『ドンキー・コング』に初めてマリオが出たときは名前すらありませんでした)が誕生するのです。その後、宮本は『マリオ・ブラザーズ1』と『ゼルダの伝説』を作りますが、このどちらも、迷路のように家を探検したり洞穴を探索したりした、子供時代の経験から生まれたものです。

宮本と任天堂がお互いにどんな影響を与え合ったのかは、デビッド・シェフの『ゲーム・オーバー―任天堂帝国を築いた男たち』から、この言葉を引用するのが最も端的でしょう。「任天堂にとっての宮本の価値を計ることなど不可能だし、宮本がいなかったら任天堂が成功したのかどうかを問うことすら無理な話だ」。彼は任天堂に就職して以来、70以上のゲームに関わり、マリオ・シリーズだけでも全世界で1億5000万ドルを売り上げています。

宮本は、任天堂の歴史上の大多数のゲームに関わってきました。任天堂の新しいゲーム機がリリースされるたびに、ゲーム機とともに売り出されるローンチ・タイトルはほぼ、彼と彼のチーム、情報開発本部が制作しているものです。Nintendo64のゲームはほぼ半分が彼のチームの制作、また任天堂の新しいゲーム機も、彼のチームから送り出されます。

任天堂のほうも、宮本が幸福で豊かな人生を送れるよう支援しています。宮本の妻、やすこは宮本と出会ったとき、任天堂の総務部で働いていました。彼らは結婚し、2人の子供をもうけています。宮本は現在、任天堂の部長(訳注:現在は代表取締役専務)であり、京都の任天堂の本社から自転車でたった10分の場所に住んでいます。

スティーブン・スピルバーグ、ポール・マッカートニー、ジョージ・ルーカス。世界中から著名人が宮本茂に会いにきます。数えきれないほどの賞を受賞し、Interactive Academy of Arts and Scienceの殿堂入りを果たした最初の人物でもあります。これは、デジタル産業において斬新で非凡なものを開発した人々に与えられる賞です。

最後に。宮本茂は、限界は想像力がある限りないという人物です。子供時代は、豊かな環境に恵まれ、その中で周囲のすべてを探検して過ごすことを愛していました。青年時代は、任天堂で玩具デザイナーになるチャンスを与えられ、結局はそれよりももっともっと大きな存在になりました。現在、任天堂はお金が流れ込んでくるのを眺めているところで、一方で宮本は妻や子供と平和に暮らしています。

宮本茂はかつてこう言いました。「僕は流行についていくのではなく、創りたいのです」。私としては、彼は確かにそれを立証したと思います。レディース&ジェントルメン、ここに宮本茂を紹介できる喜びを、私は本当に名誉に思います。●



この筆者がどれほど宮本茂に思い入れて、資料を調べ、文章を練ったのかがよく伝わってくる記事だと思います。書いた当時、高校生とは言いながら、文章というのは、書き手の熱意だなあとしみじみと思わされます。

本来なら、序章の第1回の後、宮本茂の概説に使うのに本当にふさわしい面白い記事だったのですが、……眠さに負けた私がいけませんな。


言及のあった受賞歴ですが、日本での受賞歴は数えきれないので、主立った海外での受賞を列挙しますと、

■2003年 - Golden Joystick Awards ■2003 Hall of Fame Industry Personality of the Year Award 受賞(英国)
■2005年 - Game Developers Conference 2005「Walk of Game」「Livetime Achievement」受賞(創設第1回目受賞)(米国)
■2006年 - フランス政府・文化通信省 芸術文化勲章「シュバリエ章」受賞
■2007年 - The 7th GDC「Lifetime Achievement」(IDGA)(米国)
■2009年 - 第3回ELANアワード「ビデオゲーム ホール・オブ・フェイム」(VIDEO GAME HALL of FAME/生涯功労賞)(カナダ)


あとはもう、まさに枚挙にいとまがありませんので、Wikipediaをどうぞ。


それにしてもです。こういう物凄い人というのは、特集などと偉そうなことを言っても、経歴も実績もエピソードも、すべてが中身が濃すぎて、私ごときではカバーしきれません。私の力のなさは決して棚にはあげませんが、……いくら記事を選んで集めてみても、どこか物足りない感じがいたします。


明日も宮本茂です。



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posted by gyanko at 21:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
  1. でん社長おもすれー
    Posted by 犬彦うがや at 2009年08月03日 10:31
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