2009年10月10日

五嶋みどり -ニューヨーク・タイムズ紙、1991年の記事 その1 -

今週月曜にお送りしたエントリで予告していた五嶋みどりの、今から約18年前のNew York Time紙の記事です。毎週土曜日にあげることにいたしました。……興味のないかたもおられるだろうなあとは思うのですが、4〜5週ほどおつきあいいただければ幸いです。

まずは、前菜にこちらを。

↓パガニーニのカプリース1、4、5番。17歳のときの演奏。素晴らしいです。

8歳でジュリアード音楽院に入学する際、アスペン音楽祭(米国アスペンで行なわれる大規模な音楽祭。世界の著名音楽家が集まる)に招かれて受けたオーディションで完奏し、ドロシー・ディレイをはじめ、並みいる審査員を驚愕させた1曲も、パガニーニのカプリース(このときは17番とバッハのシャコンヌ)。原田幸一郎(バイオリニスト。桐朋学園大学音楽学部副部長。ドロシー・ディレイに師事)によれば、このとき、まだ五嶋みどりを知る人はなく、あまりのことにアスペン中が大騒動になったそうです。

Midori Goto - Paganini Caprice No.(1/4/5)



それでは、カプリースを聴きつつ、第一回でございます。1991年、五嶋みどり、19歳のときの記事です。


グリッサンド:滑るように急速に…

ニューヨークはカーネギー・ホールでのデビュー・リサイタルの翌日。Midoriと私はアッパー・ウエストサイドのカフェに、コンサート後の虚脱感に包まれながらすわっていた。年期の入った著名音楽家としての冷静なプロ意識を漂わせつつ、Midoriは「とても幸せ」だとは言ったが、こうも語った。「いくつか直したい箇所があるんです。ヨーロッパでも同じプログラムをやることになってるから」。
だが、私がなにげなく昨日の観客の中に、彼女の同志である大勢のバイオリニストがいたことを口にすると、ふと動きを止めた。チョコレート・ケーキにフォークを突き刺したまま。見れば、訓練されたいつもの落ち着きが失われている。「誰がいました?」そう聞きたがり、声の抑揚が上がる。「誰がいたか知りたいんです!だって、コンサートの後、お客様誰にも会えなかったから。誰が来ていたのかなにも知らない。誰にお会いになりました?」

彼女の弾け飛んだような反応に、最初、私は驚いたのだが、やがて、それが彼女の人格のあらゆる部分で対立する洗練と天真爛漫さがなせるわざと悟った。ここにいるのは、あのカーネギー・ホールを満杯にしたばかりのバイオリニストだが、一方で彼女は観客の中に誰がいたかも、彼女の才能がどのように賞賛されていたかも知らないのだ。
彼女がもっているのは1735年製のグァルネリである。家ではポップ・ミュージックなど聴きはしないだろう。が、そんな彼女でも、どんな食べ物より好きなのはデザートなのだ。そんふうに、Midoriは、ある瞬間、鋭い洞察力を見せながら、次の瞬間には驚くほどの純真さを見せてくる。



↓カーネギー・ホールでのリサイタルのときの映像。曲はモーリス・ラヴェルの『ツィガーヌ』(0:26あたりから。難曲中の難曲)。…技巧を魅せるために選んだ1曲だろうと思います。さすがに、曲名(ロマの意)が示すところの妖艶な烈しさはありませんが、慎重にあぶなげなく弾きこなしています。演奏後のスタンディング・オベーションがすごい。歓声がこだましてますな。

カーネギー・ホールは、かつてのニューヨーク・フィルのホームであり、米国が誇る音楽の殿堂。アルトゥール・ルービンシュタイン(ポーランド人ピアニスト。20世紀の代表的なピアニストの1人)がカーネギー・ホールまでの道順を道端の人に尋ねたところ、「練習して練習して、さらに練習すれば行ける」と答えられたという逸話があります(Wikipedia)。

Carnegie Hall ♥'s Midori 五嶋みどり


この動画のコメントには、「19歳でカーネギー・ホールで演奏だって?Wow、国中の本当に多くのバイオリニストが願う、まさにただ1つの夢だろうに…」、「Wow、19歳の誕生日をカーネギー・ホールで演奏して過ごすなんて。こんなことを経験できる人が世界にどれだけいるのか…」といったコメントがついていました。(19歳のときですが、これは誕生日ではありません。)


昨年、Midoriは間違いなく急成長を遂げた。1989年10月にカーネギー・ホールでオーケストラ・デビューを果たし、18歳の誕生日を祝ったとき、彼女はまるで小さな子供のようにすら見えた。5フィート(約152.4センチ)を超えたばかりの身長、体重は辛うじて90ポンド(約40キロ)。繊細な磁器のような容貌から、彼女は今にもこわれそうな弱々しい印象を放っていたものだ。しかし、ひとたびバイオリンの弦に触れると、大変貌が起こり、バルトークのバイオリン協奏曲第1番をホール中に響かせた。そこに子供などいなかった。Midoriはそのとき、まごうことなきアーティストだった。彼女の年齢などはるかに超える達人的な技巧と音楽への洞察をもつ芸術家だったのである。

1年後、今度はデビュー・リサイタルを開催した、この若い女性は、永遠に子供時代をどこかに置き忘れたかのように思えた。冷静沈着、自信に満ち、カーネギー・ホールの舞台へと進み出た瞬間から、人々の注目を一身に集める。そうして、彼女と、ピアニストのロバート・マグドナルド(訳注:五嶋みどりの長年の伴奏パートナー)がモーツァルトのソナタを奏ではじめると、その芸術的成熟度は、いましがた目にした冷静沈着さとなにも矛盾はない。人格と音楽性の不一致は、過去の遺物に見える。

だが、Midoriと話して過ごしていると、いまだに彼女にはまだまだ成長する余白がたくさんあるとわかる。音楽的にも人格的にもだ。しかも、彼女の場合、大衆に見つめられながら大人になるなどという、誰もうらやましがらない、厄介な仕事を経験しねばならないのだ。これからの数年を彼女はどうやってしのぐのであろうか。舞台上でも、舞台を降りた場所でも、その数年こそが、これからの彼女の数十年のキャリアの道筋を決定づけることだろう。

ここ最近、バイオリンの神童はいなかったという記憶が、Midoriを縛る一方で、大衆の興味を掻き立てている。とはいえ、大衆の移り気は悪名高いものだ。特別、神童相手となると。我々は、自然の突然変異のようなもの、つまり神童が見せる大人の表現という一面に釘付けになりつつも、音楽的才能の裏側に隠れる暗黒面を見てなるほどと納得してしまう。当て推量で、こうした神童は、ねじくれた不幸な人生を送り、押し付けがましい両親によって演奏することを強要されて、普通のいたずらな子供時代をすべて奪われているのだと想像してしまう。そうして、いずれ彼らがつまづき、我々の畏敬の念が、同情という、はるかに扱いやすい感情に変わるのを待ち望む…。

しかし、Midoriはつまづきはしていないし、彼女の最近の米国ツアーの輝かしいばかりの批評が示すように、つまづく気配もない。彼女の子供時代はバイオリン一筋のものではあったが、決して不幸せなものではなかったのだ。Midoriは、バイオリンを奏くことはいつも自分がやりたいことだったと強調する。親の無理強いは必要なかった。「バイオリンをやれと強制はされませんでした。母はただ、教えてくれただけです、私が習いたかったから」。母、五嶋節は最初のバイオリンの師だが、こんにちもMidoriのコーチであり、親友ですらある。



最後の一節は、母である五嶋節をかばっているのかなあ…と少しうがったことを考えつつ読んでいました。実際は、五嶋節本人が「虐待だった」と後年、後悔をこめて認めるほどの、子供であることを許さない厳しいバイオリン教育だったようです。

指の痛みを訴えても続けさせ、できないと叩く蹴るの体罰を与える。一切の妥協を許さず、4歳で楽譜を読めるようにし、子供には追いつかない解釈や表現も、小説や物語を参考にさせ、大人も舌を巻くほどの感情表現を身につけさせる。(……正直、そうでもしなければ、6歳でパガニーニなぞありえんと思います。)

一方で、バイオリンだけに集中させるため、荷物ももたせず、食事も節が食べさせてやるという徹底ぶり。厳罰と過保護が両立するかのような濃密な親子関係は、五嶋みどりを母親しか目に入らない子供にしていきます。

やがて、渡米。…渡米にあたって、五嶋みどりは、節が「自分のために人生を投げた」ことに罪悪感を覚え、「私がしっかりしなければ大変なことになる」と思ったと当時を振り返っています。8歳の子供とは思えぬ精神構造です。


この記事で言及している、五嶋みどりの「早熟な大人の冷静さ」と「本来の年相応な無邪気さ」の相反は、おそらくこうした幼少期からの、本人も意識していない重圧によるものなのだろうと思います。そうして、これはやがて、10代での拒食症の発症、入院という経緯へと繋がっていきます…(このインタビューの頃はまだ闘病中ではないかと思います)。

再生のきっかけとなったのは、先日、お伝えした『タングルウッドの奇跡』でした。14歳のときの出来事が数年後、米国の英語の教科書に掲載され、全米の子供たちからファンレターが届くようになります。五嶋みどりは、これがきっかけとなって子供たちへ音楽の楽しさを提供することを決意し、そこからボランティアを通じた自己の確立へと歩き出すわけです。

↓動画中にもありましたが、最近の写真。すごく良い写真です。
midori.jpg


……語弊のある言い方ですが、音楽でも文学でも美術でも、アーティストとしてのこぼれるほどの才能と引き換えに、一人の人間として苦しんだ人々が創り出すものを楽しんでいると考えると、…芸術というのは残酷なものかもわかりませんなあ…。


<補記>五嶋節を鬼であるかのような書き方をしてしまいましたが、良い悪いは議論のしどころとしても、楽しみとしての音楽ではなく、「音楽家を育てる」ための音楽教育としては珍しくはないことなのかもしれません。辻久子も、父親による厳格なスパルタ式バイオリン教育のために、学校に通わせてもらえなかったという有名な話があります。



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posted by gyanko at 21:00 | Comment(10) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
  1. 難しいところですね。
    正直子供は親のエゴや理想の投影先じゃないと言いたくなるのも事実ですが、自分の意思で選択できるようになる年齢よりはるか前から磨かれたおかげで彼女の才能が開花したのかと思うと、否定しきれないものがあります。
    Posted by at 2009年10月10日 22:54
  2. このシリーズ素晴らしいです。もっともっと知りたいです。大変だと思いますがよろしくお願いいたします。
    Posted by at 2009年10月10日 22:56
  3. とても興味深く、面白く読ませていただきました。
    ただただ感謝です。
    続きも楽しみにしています!
    Posted by at 2009年10月10日 23:53
  4. モーツァルトの父親も同じようなエピソードがありますね。
    こういう英才教育のエピソードは、傍から見てると子供の方に同情してしまうけど、考えて見れば親もまた自分自身の人生は全て犠牲にしてると言ってもいいんですよね。
    Posted by at 2009年10月11日 00:14
  5. バイオリンってピアノや他の楽器と違って幼少期が肝心だからね
    有名な楽器だけど特異な楽器だと思う。
    みどりさんの弟の龍君も英才教育だけど、ミドリさんと違って
    普通の英才教育って感じだね。
    Posted by at 2009年10月11日 00:50
  6. こういうの好きじゃない。韓国や中国などが五輪でメダル取るために
    個人の人生を犠牲にしてるのと同じ感じ。本人が物心つく前から、
    これしかないというくらい音楽好きならいいけどね。
    こいつの真似して出来損ないになった人が数十万人いるかも。
    Posted by at 2009年10月11日 01:29
  7. 亀田父みたいなのもあれば、イチローのようなケースもあるなあ。
    難しいね。
    Posted by at 2009年10月11日 01:31
  8. どうしても杉山愛と重ねてしまう

    やらなきゃ身に付かないならやるしかない
    文化や言語に染まるより先に音楽を覚えなければ、文化や言語の壁を乗り越える努力だけで人生の大半を費やしてしまう
    人にはそんな暇はない
    Posted by 犬彦うがや at 2009年10月11日 14:56
  9. 難しいね。本当に人によりけりだと思うけど。
    自分なんかの場合、
    なんでもっと早くやらせてくれなかったんだろう、親にすこしでも教育に対する情熱があれば…
    と思って挫折したから、すこし羨ましくもある。
    Posted by at 2009年10月13日 02:58
  10. >バイオリンってピアノや他の楽器と違って幼少期が肝心だからね
    ピアノも、ですよ。
    おそらく全ての楽器において、一流を目指すならば幼少期からの徹底した教育が必要となります。才能が無い場合はただトラウマを作るだけになってしまいますけれど。
    Posted by at 2009年10月20日 13:55
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