ある晩、Midoriと二人きりのとき、彼女に再び尋ねたことがある。私が、ジュリアードを去るという決定は母親によるものであるとディレイが信じていることに言い及ぶと、彼女は取り乱した。
「いつもそんなコメントをしたがるんですよ。でも、あれは私が最初にした本当に大きな決断でした。母は実際、私にもう一度レッスンに戻るように強制してきましたが、私はもう受け入れられなかったんです。あのときまでは、ミス・ディレイと母は私にとても大きな影響を与えていた人でした。彼女たちにとって、私の決断は受け入れがたいものだったのだろうと思います」。
だが、Midoriは、ジュリアードからの旅立ちの原因が、母親とディレイのアシスタントである金城摩承(今、金城はMidoriの義父である)の関係であることは触れようとしない。私がその知らぬ振りを指摘すると、Midoriは最初こそ関係性を否定したが、しばらくたって、声の調子が変わった。
「たぶん、それは私が思っているほどには無関係ではないんでしょう。私の決心は、ミス・ディレイにとても密接に関係した事実から多くは来ているのですが、私自身にとっても、母にとっても、ほとんど2つの三角関係のようなものだったのでしょう(訳注:Midoriにとっては、母と自分とディレイ、母にとっては自分とディレイと金城)」。
1987年の初頭、Midoriはフルタイムのプロのバイオリニストとして、そのキャリアのつぼみを芽吹かせた。いまだ、乗り越えねばならない障害は残されていた。1つは、ニューヨークでのリサイタル・デビュー。これは、I.C.M.側がMidoriがアーティストとして必要とされる成熟度に到達したと納得するまで、慎重に延期されていたものだった。
リサイタルはやはり、協奏曲での(訳注:オーケストラとの)出演よりも広いレンジの技巧を要求される。それは一晩続くものであり、ソリストは、数多の異なる作曲家や、歴史的様式に広く通じていることを見せねばならない。そのうえ、Midoriのニューヨーク・リサイタルはかのカーネギー・ホール ------ ミッシャ・エルマン(訳注:ウクライナ人バイトリニスト)が1908年に、ヤッシャ・ハイフェッツが1917年に、ユーディ・メニューイン(訳注:ユダヤ人バイオリニスト、神童として名を馳せた)が1927年にデビューしたその音楽堂が予定されていたのである。
それゆえ、I.C.M.は、Midoriがより緊張が少ない、批評的ではない観客の前で試験的に演奏ができるように、郊外でのコンサートでその年の10月のスケジュールのほとんどを埋めた。そうしたコンサートの1つ経験したロバート・マクドナルド(39歳。1988年からのMidoriの専属ピアニスト)は、Midoriの音楽的洞察が深まっていった様子をこう語る。「わずか数年の間の変わりようにとても衝撃を受けました。大人への入口へさしかかった心が(訳注:音楽に)浮かび出ているかのようでした」。
やがてついにカーネギー・ホールの夜がくる。チケットは完売。ソニーのクラシック部門は7台のカメラを持ち込み、レーザー・ディスクとビデオ用に演奏を録画した(8月に発売される。CDはその翌月)。しかし、Midoriはといえば、完全に寛いでいた。とうとう本領を発揮したのだ。
今、私は数週間前の彼女の言葉を思い出す。「ステージではとても気持ちがよかった。これほど安心できる気持ちはないほどに。コンサートが最高なのは、そこにいて、弾いているだけでいいということです。他には何もない」。
Midoriのリサイタルのプログラムは、多様なスタイルで彼女をお披露目するために考え抜かれて作られていた。モーツァルトやベートーヴェンといった古典主義から、初期のリヒャルト・シュトラウスのようなロマン派、ラヴェルの『ツィガーヌ』のような情熱的で自由奔放なもの、妙技を要求される名演奏家のものは言うに及ばずだ。
過去、数週間にわたって、彼女はこのレパートリーについて考えを練りつづけてきた。そうして、大げさに表現しすぎてお定まりのものになってしまうよりは、より柔軟に解釈することにしたのである。この過程で、音楽様式の相違がよりいっそう際立つものとなった。
彼女のモーツァルトは、後年の過剰な表現を避け、ひとつひとつをはっきりと明瞭に表現することに焦点がおかれた。ベートーヴェンは抑制された炎を放ち、動的表現と陰鬱さの爆発的なコントラストを伝えてくれる。
最も変わったのはシュトラウスのソナタだ。これは、作曲家の若くロマンティックな情熱が満開に花開いた、奔放な作品であり、熱狂的な演奏を要求する1曲だ。が、マサチューセッツ、アマーストでのリハーサルでは、ごちなく、堅苦しく、そうして行き詰まっているようだった。
ところが、今、これは舞い上がった。官能的なスライド(訳注:弦の上の指を滑らせ、別の音程へ滑らかに素早く移る奏法)に満ち、テンポ良く流れ、ダイナミックで巧妙なグラデーションを聴かせてくれる。シュトラウスは今、のびのびと情熱的に様変わりしたのだ。たった数日前には足りなかったそれらが今ある。
心に焼き付く演奏だった。華々しいアンコールの嵐も、あのスタンディング・オベーションも、記憶から消え去ることはないだろう。
『母と神童』には、「ジュリアードを出ることになっても、レッスンを受けたい」と母、五嶋節がディレイに願い出たことが語られているのですが(ディレイはジュリアードを出た生徒を教えることはできないと断ります)、……この記事を読むと、それだけではなかったような筆致です。
音楽には関係のないことですし、どんな関係があったのか想像するのは避けたいところですが。
個人的には、相場皓一(フルート奏者)が、酔っ払った五嶋節を介抱しようとしたところ、当時、10歳かそこら、ふだん大人しい五嶋みどりが大変な目でにらんで「ママをいじめるな!」と叫んで、その様に「絶対に自分がママを守るんだ」とでもいうような健気さを見たと語っていた本の一節を思い出しました。
……ジュリアードを辞めたときのみどりの内面にあったものも、それなのではないかなあと個人的には考えてしまいました。
愛する人を守ろうという気持ちに根ざした「正義」は、確かに容易なことでは崩れない「決断」であろうと思います。
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↓TSUTAYAのクラシック売上ランキング。辻井信行が入ってますね!五嶋みどりが完了したら、単発で取り上げようと思っています。
専門用語ばかりの記事をこんなにわかり易く翻訳されるのはスゴイですね。
また手元の本を読み直してみようと思いました。
ヴァイオリンの練習もつい後回しにしてしまうのも反省、、、
こんなのごく自然な感情
音楽マシーンみどりにも人間らしい感情があったことにホッとする記事だよw
マイナーなジャンルを詳しく翻訳してくれるブログだから好きなんだけどな
日本のゲームソフト売上ランキングを語る海外掲示板の翻訳はマイナーど真ん中だと思うけど
このシリーズのおかげで彼女のことが少し理解できたような気がする。
そのうち映画化されそうな物語だなと。
ちょっと支援が少ないので今回だけはROMるのやめました。
終わりまでついていきます。
飽きがこないし、何より面白いので、
ちょくちょく上げてもらえるとうれしいです。