今更、わたくしなんぞの説明の必要もないかとは思うのですが、『源氏物語』は平安時代中期に成立した長編物語。文献初出は1001年。一説には、世界最古の長編小説とも言われます。
海外での出版は、末松謙澄(1855-1920)(訳注:外交官。のち、逓信大臣、内務大臣などを歴任。ロンドン赴任時に翻訳本を出版)による英訳本が1882年に出されたのが世界初。抄訳であることに加え、翻訳の質が原因であまり注目はされなかったようです。
その後、アーサー・ウェイリー(1889-1966)(訳注:英国の東洋学者)による翻訳本が、1925〜33年にかけて出版されました。これは欧米人に理解しやすいよう、原書にない説明を入れるなどしたため、原作に忠実でないとする批判もあったものの、当時のタイムズ誌が「現代作家でもここまで心情を描ける作家はいない」と評するなど、欧米で高い評価を得ました。
現在でも在日外国人記者などが、来日前に上司に薦められる書とも言われ、日本を理解する必読の一冊とされているそうです(Wikipedia)。
今日ご紹介する英訳版は、日本学者のエドワード・サイデンステッカー(1921-2007)版。
サイデンステッカーはこれまで最高の日本文学翻訳者とも言われ、川端康成の翻訳を手がけたことで知られています。特に『雪国
2006年、日本への永住を決意して来日。翌年に東京で逝去(Wikipedia)。
カスタマー・レビュー、全23件中、
5つ星:17件
4つ星:2件
3つ星:2件
1つ星:2件
82%が4つ星以上の評価です。
この中から、まずは60人中63人が役立つと評価したレビューから。
評価:★★★★★ もっともエレガントな翻訳
サンフランシスコ、米国
『源氏物語』は世界初の小説として名だたる作品ですが、辿った道は険しいものでした。この小説はほぼ1000年前のもの。そのため、私たちが楽しめるようにするまでには、(古文から現代日本語への)日本の翻訳者と英訳者という、2段階の翻訳ステップを踏まねばならなかったのです。
最初の翻訳は、アーサー・ウェイリーによるものです。彼の訳は美しく、今なお多くのファンの心をとらえています。ただ、自由に解説が当てられていたり、ときにおおざっぱな訳もあったりで、はたして原書の中身がどれだけ残っているのか疑問を投げかける人もいました。
最近の翻訳に関しては、2作品がどちらが傑作かという栄誉を競っています。Royall Tylerによる最近の作品は、助けになる脚注や背景解説が挿入されています。また、原書にかなり近いスタイリッシュな用語を使って翻訳している大変な労作です。ただ、同時に、(原書の)紫式部自身の表現方法の多くを訳し出しているせいで、読みづらいこともときとしてあります。
サイデンステッカー版は、正確さにおいて良質な作品です。散文(和歌)は、エレガントで原書に忠実。この本にしばしば出てくる和歌は実際、かなり優れています。
サイデンステッカー版は、忠実な完訳であると同時に、英語版のベストでしょう。Royall Tyler版のようには、式部のスタイリッシュなひねりかたを再現しようとはしていませんが、それゆえに、サイデンステッカーの翻訳は、より読みやすいのです。ただ、脚注を増やしても、邪魔にはならなかったろうにとは思います。
Royall Tylerの仕事には敬意を払いたいですが、私自身はサイデンステッカー版が読んでいて楽しかったです。おそらく、最良の選択は、両方の作品を読むことでしょう(時間があれば、ですが)。好きな場面だけを読み比べてみるのも良いかもしれません。どちらの場合でも、サイデンステッカーの詩はなくてはならない部分です。●
27人中23人が役立つと評価したレビュー。
評価:★★★★★ ただ一言、ファンタスティック
この素晴らしい本は、日本の平安時代の芳醇で魅惑的な世界へと私をいざなってくれたものだ。物語と登場人物において、紫式部の構成力は偉大だ。読み手に、宮廷の男女が織り成す愛と人生における数々の紆余曲折を見せてくれる。サイデンスティッカーは、この翻訳で素晴らしい仕事をした。ウェイリーが適当に流した多くの箇所をカバーし、読者の役に立つ備考を挿入してくれた。この本を一言で言うと、ファンタスティック、それだけだ。●
21人中18人が役立つと評価したレビュー。
評価:★★★★★ 素晴らしい一冊。
最初に『源氏物語』を読み始めたきっかけは、日本の歴史の授業で『源氏物語』について聞き、アジアの芸術の授業で『源氏物語』のイラストについて勉強したこと。読んで、衝撃を受けたのは、次の2点だ。
1) 小説の構成が時間の流れに拠ってないこと。2) 筆とともに、登場人物が成長していくという作者のキャラクター作りの才能。
恋人同士が、このときが千年止まってしまえばいいと願う場面など、信じられないほどに気持ちを掻き立てられる。…ある意味、この本が1000年のときを経ていることを考えれば、まさにそうなったわけだけれど。
物語は、人間の人生のすべてにわたる経験を味あわせてくれるし、一千年の昔の人々も現代の人々もさしてちがいはないのだと悟らせてもくれる。たとえば、とあるエピソードに私は腹がよじれるほど笑った。それは、主人公が望んだ女性に振り向いてもらえず、彼女の飼っている猫だけでもと、なんとか連れ帰ろうとする場面。なんというアホだろう。でも、同時に、これって『フレンズ
実は、この歴史的作品にかなり興味があったにもかかわらず、私にとって最初の3分の1は苦闘だった。でも、本を読み進めるうちに、登場人物の描写や洞察に深みが増していって、読むのをやめられなくなったんだ。読むのが楽しくて、読み終わってしまうのが残念なぐらいだった。
私的には、ウェイリー版よりサイデンスティッカー版を選んだ。なぜって、省略されていないし、原書により忠実に訳されているから。それと、1650年代の版画の挿絵だね。カバーの傷みやすさに触れてる人がいたけど、私は、買ってすぐクリアなシートでカバーをかけたよ。5年経ってるけど新品同様。
唯一の不満は、和歌が翻訳では和歌になってないこと。日本語と英語の言語の差のせいかもしれない。翻訳の問題ではないかな。
私は『源氏物語』を強く薦めるよ。良い本を読みたい人や日本の歴史や文化に少しでも興味がある人になら誰にでも。この本の仕事の忍耐はきっと報われるだろう。●
4人中4人が役立つと評価したレビュー。
評価:★★★★ 光源氏の物語
紫式部による『源氏物語』は、平安時代の恋愛ドラマといったところ。この本は、光源氏の生涯と多くの人間関係を追いかけたものだ。主人公は光源氏だが、多くのサブプロットがあり、源氏が交流する平安時代の宮廷の人々の話も出てくる。
物語の中心となっているのは、源氏の多彩な恋愛関係。源氏は、美しく、教養ある男性であり、多くの女性たちが彼に惹かれる。彼は、何人もの妻をめとり、同時に宮廷内外で他の多くの女性と交際する。宮廷外での恋愛はスキャンダラスであるため、これはこっそりと行われるが、どの恋愛も色合いが異なり、女性たちはそれぞれ個性.をもって源氏に接するのだ。
物語は進むにつれて、ストーリーが次から次へ折り重なり、複雑になっていく。源氏に焦点は当たっているとはいえ、他の多くの登場人物たちがストーリーを作っているからだ。登場人物たちを通じて、あらゆる種類の人間関係が探索されていく。
家族の秘密はあばかれ、結婚問題に巻き込まれた男女は誰にも言わずに子どもをもち、ある女性をめぐって男性同士が火花を散らし、悪霊にとりつかれ死ぬものもいる。ほとんどの場合、メロドラマで観たようなストーリーがここでも繰り広げられるのだ。
この本は、あきらかに大人向けに書かれたものだ。関係の描写は細かいし、文章も、中の和歌も大人向けを意図している。著者は、読者を登場人物に感情移入させようとしているのだろうと思う。主人公の人となりがわかってくると、さまざまな人物との人間関係のゆくえに夢中になってしまうのだ。著者の目論見通りというわけだ。
登場人物に親しみを覚えるようになるまでしばらくかかるが、登場人物間の多彩な人間関係に興味が出てくると、すぐになじめる。いつも、スキャンダラスで予想外の出来事が引き起こされるせいで、読者はストーリーが進むままに読み進めてしまう。
この本を、私は日本の平安時代の文化に興味がある人すべてに薦める。これを読めば、平安時代の人々の暮らしを垣間見ることができる。散文調に書かれてはいるが、難しすぎて理解できないとか読めないといったことはない。メロドラマ風の筋書きも、興味をかきたてつづけてくれるだろう。常に、筋書きの少し先には驚きが隠されているのだから。●
32人中23人が役立つと評価したレビュー。
評価:★★★★★ 紫式部の疑問
『源氏物語』は議論の的だ。世界最初の小説と言う人もいれば、史上最も偉大な作品と言う人もいる。平安時代の情報源としては比類がないとも言われる。ある人にとっては風刺であろうし、またある人にとっては、素晴らしいラブストーリーだろう。これらはすべて、おそらく本当なのだ。読み手の視点や文化、また性別によって、変わるものだろう。
私の場合、素晴らしい自伝小説の1つとして読んだ。紫式部という、本名不詳の女性こそが、この物語の主役だ。源氏自身は、1つの記号なのだ。
紫式部が光源氏、あるいは彼のような男性を愛したのは確かだろう。この本の中には、紫式部がいる。世界の文学の中でも最も素晴らしい閨房文学の1つであり、その中に彼女は、あらゆる場面で手を触れられそうに、生き生きと存在する。強い活力のある人格をもち、情熱的な性質で、自然への素晴らしい感性があり(慣習的な平安時代の人々の態度よりはるかに)、誰かを深く愛しつつも、思いを伝えることはできなかった人。
紫式部について、学者たちはこう言う。なにもわかっていない、と。だが、彼女の著作を読めば、まるで語りかけられるように彼女がわかるし、その力強さは決して忘れられるものではない。
この本は、遥かな時代からきた本だ。時代をくぐり抜け、物語構成、文化、慣習、その作家性まで、学者たちの議論を沸き立たせる。この本を書いたのは誰なのかという疑問など、ホメロスの疑問と同様、「紫式部の疑問」ですらある。
ホメロスという名前は実際には、似た詩の作者にも使える役に立つものだが、これについてなにかを知る必要は私たちにはない。紫式部もまた、知る必要があることはすべて語ってくれているのだ。1000ページを超える、400人の登場人物が出てくる、多くの多くの和歌の入った、この本で。私たちが迷うことはない。
私は、紫式部のこの本が未完であるという考えが好きだ。そうして、どこかで続きの章を今も書いていると想像するのが好きだ。そうして、11世紀の日本でこれほど深く愛を知っていた誰かが、多少なりとも特別な待遇を受けていたかもしれないと考えることが好きなのだ。●
最後は、参考までに、9人中5人が役立つと評価した、1つ星のレビューの、物語に対する不満部分を抜粋してお送りいたします。こちらも、別の意味で興味深いです。
評価:★ これが称賛されているとは、耳を疑う。
ストーリーは、御簾の後ろで隠れて暮らしている女性たちを追いかけるという、平安時代の上流階級の男の好色な冒険譚だ。彼女たちは、姿を見せることもない。これは、ロマンスとしては面白くなりそうな要素なのか?初期の騎士道の物語みたいに?そうでなければ、少なくとも、異文化の人間が他国の人生を窓から眺める楽しみがある?答えは、「ほとんどない」。
物語の基本構成は、誘惑とレイプ話の連続で、それがあまりに長く続くせいで、登場人物が嘆き、死ぬものすらある。少女たち、…まれに女性たちからも、源氏や他の男性たちの社会的地位や美しさにあてられて、自身を差し出すこともあるが、少女たちは男性を見る目をもつだけ成長しているようなのに、決定的に情熱が不足している。
ストーリーはおおざっぱに言えば、同じ筋道を辿る。まず、男が偶然、少女を見かける。とある家で彼女についての噂を耳にする。男は求愛活動を開始。通常は、使いの者に詩を送り届けさせる。少女のほうは気乗りせず、返信のしようがわからない。男はプレッシャーをかける。少女はなおぐずぐずとして、戸惑っている(男の関心にきちんと返信しなかったことに罪悪感を感じながら)。プレッシャーはなお強まり、完全な無理しいになっていく(例としては、男が御簾を押しのけ、着物の袖をつかむ)。そこで、物語は突然、結末へと飛ぶ。人生ってなんてはかないんでしょう…という嘆きになることもしばしば。これの繰り返しだ。
最悪なのは、登場人物の人格が薄っぺらいこと。女性は、日がな一日、囚人のように暮らしていて、これでは成長の余地があまりない。美しいし、琴を弾いたり歌を歌ったりもできるし、良い詩も書けるが、属性としては幅が狭いため、一人一人のキャラクターを際立たせられなくしてる。会話が始まると、名前がほとんど呼び合われないせいで、読んでいて注意が逸れてしまい、集中が難しいのもある。
似た問題として、男性の行動が侮辱的だ。昔のモラルは現代とはちがっているから、こうした古典を読むときは普通、分けて考えねばならない。でも、この本の場合、それがあまりに長く続くので、我慢ができなくなるのだ。
物語中の男性はほとんど例外なくガツガツとしている。源氏を称賛する現代の人々は、モラルの違いを考え合わせているのだろうが、男性たちはちゃんと、(訳注:当時としても)自分たちの行動が自身の評判を傷つけるものだということがわかっているし、少女たちの中には精神的傷を負うものまで出てくる。死をいとわないほどに、だ。
たとえば、物語初期では、源氏は、とある少女と秘密で一夜をともにするが、不幸にも彼女は夜中に死ぬ。もともと源氏は彼女と一夜をともにすることは許されない状況であったため、ここで2つの問題に直面する。1) 少女に仕える者が彼女の死を人々に伝えたがったこと。2) 古典世界での死体遺棄問題(山寺があってよかった!)。彼女に仕える、他の女官たちは、なぜ彼女が死んだのかがわからず、悪夢の中を暮らすことになる。これが、時を越えた不朽のロマンスだって?
源氏の最愛の妻の死に始まる最後の500ページあたりから進行はのろい。残り300ページになって、源氏が死ぬと、物語が良くなる。三人の姉妹たちの物語が描かれ、数人の男たちの成長を追っていくのだ。心理学者は、人間の物事の記憶は、最も緊張したときや最後の瞬間がもっとも強いと論じているが、たぶん、この本に肯定的なレビューを書いた人たちは、最後の数百ページが作品全体の印象に勝っていたのだろう。
この本への称賛を理解する寛大なやり方もある。でも、時を越えた作品の主役であるはずの、この光源氏の現代版を最近、私たちは見ている。このレビューを私は、カリフォルニアで11歳の少女を誘拐し、18年間返さず、2人の子どもまで産ませた男が逮捕された一週間後に書いているのだ。これは、光源氏が最愛の妻にした仕打ちと、面白いほどそっくりではないか。(光源氏は彼女を10歳で誘拐し、自分好みの女性に育てた)。●
この否定的レビューは、長文で熱心かつ生真面目に書かれていて、決して茶化したり、斜に構えたものではございません。最初は、なかなか日本ではお目にかかれないレビューだなあと圧倒されつつ読んでいたのですが、…最後の一段は、うーん。……昨今のアニメやマンガの規制を叫ぶ声の主たちは、こんなふうなかたがたなのかしれないなあと、ちょっと思いました。
『源氏物語』が許せないとなると、いわんやマンガをや、でございます…。
↓励みになりますので、よろしければ、ひとつ。


☆1つけた人も、ちょっと読んで低評価したわけじゃなく、最後まで読んで、認めるところは認めつつ、自分の考えを言ってるし
日本人じゃないから理解出来ないんだ!的な思考停止コメは止めとけよ
しかし、実際に読んでみると、行為だけ耳にすればきわどい行為が、悪意とは無関係に頭の中に入ってくる展開になっている
★一つの人は、普段からこの手の問題を気にしているので、先入観があったのでは
だが、読んでもいないのにツンデレとかヤンデレとかロリコンとか(特にアニメしか見ていないオタ方面に)興味本意で揶揄した様に言われるのは不当な名作だ
当時の教養を理解していればなお面白いが、そうでなくても十分よく出来た話が楽しませてくれる
1000年前にこれだけ完成された小説が存在していた、ということだけでも日本の歴史を物語るものだし
これだけでも日本にとっては大きなアピールになる
人類にとっても大きな資産でもあるしね
歴史が浅く、自国の文化への造詣が浅い国の人だから、「許される文化や時代」があったことが、理解出来ないのでは
勿論理解出来る人もいるが、アメリカ人の中にはアメリカ以外の世界を実感として捉えていない人が多い気がする
自国以外の文化への造詣、あるいは他文化の存在への配慮の間違いです
失礼致しました
学校教育において、古典・数学・理科などを「どうせ将来、役に立たない」と切り捨てる人が居る。
確かに、普段の生活或いは就職活動では役に立たないかもしれない。
しかし、「役に立つ」「役に立たない」と言う、極めて狭視的な二元論的思考では、その者の全人生において予想され得る「全教養量」は酷く簡素かつ空虚な、軽く薄っぺらい物となる事は自明の理と言える気がしてないらません。
別に光源氏がマザコンでロリコンで浮気性でも全然構わないのだけど(所詮フィクションの存在だし)、とにかくタルくてタルくて。あのだらだらと続く和文が自分の性には合わなかったみたい。
洒落で言うんじゃないけど、平家物語の和漢混淆文の方がリズミカルで好きなんだわ。
源氏物語は、最古の長編小説という点では敬意を表する(それが仮名=やまと言葉で記されたという部分も)けれども、「日本を知る為の最良の書」とまでは思わない。
平安の宮廷風俗を知る手がかりとしては、枕草子や、その他日記群もあるわけだし。
日本人じゃないからじゃなくて
単なる石頭だと思われ。
石頭なら世界中に沢山いるしw
父親の行動と祖母の年齢、当時の平均寿命などを考えるとそうでもない
当時は動産や不動産の権利証明も保障されていなかった
その為、庇護者がいないとたちまち零落し、貴族の姫でものたれ死ぬ可能性があった
姫の祖母は源氏以外の相手を求めていたが、下手すると末摘花と同じか、それより酷い運命が待ち受けていた筈
後の紫の上の父親のことを思えば、源氏が名乗り出てよかったと言える
似た様な行動は先行する『宇津保物語』にも出て来るが、やり方や相手によって非難されても、行動自体は倫理的にそう非難されるものでもなかった様
現代人の感想と言ってしまえばそれまでだが、無理解なだけで開き直るのが良策かどうか
個々の事実を知る史料としてではなく、当時の人間の精神構造を(浄土教なども含めて)まとまった形で知るのによい
平家の方がいいのは、生仏(琵琶法師の名)以来基本的に音読されて来たからで、土俵の違うものを比較してもしょうがない
山本夏彦も指摘していた様に、あの文章を理解する文語文の素養(どこで切るか、話者が誰かすいすい理解して読む能力)が、大正時代以降断絶して、読みにくくなっていることもあるが、それは現代人の抱えた問題で、源氏・平家それ自体の功罪は問えない
でも普通に洗練されてるしおもしろいっちゃー面白いんだよこれが
「源氏物語が好かんで平家物語の方が好き」というのは、単純に個人の嗜好を述べてるだけです。別に功罪を問うたり優劣をつける意図はありません。
ま、要するに「世の中にはロマンスが苦手なやつだっているんだよ」ってことです。
それから、平安時代の和文は、「現代に存在する単語と同じ発音の単語の意味が現代語とは異なる」という問題もあります。
これが軍記物の和漢混淆文になると「ちょっと気合入れれば辞書要らず」なくらい感覚的に現代語に近かったりするので、言語としての断層は、大正なんて最近ではなくて、平安中期から末期の間に横たわっているのではないかと推測いたします。
あと、ちょっとだけ反論させていただきますけれども、随筆や日記にも「人間の精神構造」は反映されますよ?
むしろ、人間の精神構造が反映されない随筆や日記は存在しません。
最後は自分の意見じゃなくて
この手の酷評影響された伝聞そのまんまでしょ
それ以前の物語は、道徳的というか、可哀想なお姫様がいましたが、心も美しかったので王子様に見染められ、長く幸せに暮らしましたというハッピーエンドが多かった。
紫式部も書き始めた当初は、そういう意図があったかもしれないけど、書き続けていくうちに、段々と自己に向き合い、世界観が深化し、人物像も複雑になっていく。
光輝く王子様もいつかは老いを迎え、以前の自分と同じように情熱と若さに溢れた若者に妻を寝取られ、最愛の人にはついに先立たれる。その中で無常感を感じ、己の人生を振り返り、次世代に託して自らの手で幕を下ろしついに雲隠れする。
「源氏物語」の凄い所は、千年前から現在に至るまで、様々な分野から様々な人々によって研究されていて、これからもそうであること。研究するネタとして、全く尽きないんだよね。蒔絵や着物など「源氏」をモチーフにした芸術作品も多いし、あらゆる分野で「源氏」の影響を受けてる。
最後の★1つの人は、社会学というかフェミニズムから見てるんだろうけど、そんな論点から見た、もっと素晴らしい「源氏」論は既に腐るほど出てるしね。
うーん、なるほどなー。
反感を覚えるんだよね・・・
確かに、「源氏物語」は「平家物語」の躍動感と違って女君がうじうじと思い悩んでいるのが多いんだけど、
当時の平安仏教での女性の置かれた立場とか末法思想とかを考慮しないといけないし、そもそも「平家物語」は琵琶法師が日本各地を回って読み語りしてたんだからリズミカルなのは当然。
賞賛してくださる人の感想も1つ星をつけた人の感想も共感出来ます。
それは私が、この小説の優れた心理や文化の描写を敬愛すると同時に、光源氏と紫の上が大嫌いだから。藤壺や葵の上や明石の上や夕霧が好きですね。光源氏は権力を嵩に来た傲慢な人物の上に、自分が父や兄にした事と同じ事を柏木と女三宮にされると陰湿に厭味を言うクズ。紫の上も望まないとはいえ葵の上を苦しめる愛人の立場だったくせに、やはり望まずに源氏の愛人にさせられた明石の上には嫉妬し、しかも自分に子供が出来ないからって源氏の論にいけしゃあしゃと乗って彼女の娘を取り上げて自分の娘として育てたクズなのに理想の女扱い。どこが?
人権なんてつい最近作られたもの、イスラムとか今ですらああだし、鯨大好きのオーストラリアなんか60年前まで原住民をスポーツハンティングしてたしなあ
貴族と平民ではホントに別の世界、別の生き物だったんだと
虫めづる姫君やとりかえばやにしても
平安期から鎌倉期の物語はいろいろとおもしろいのがあるよね
あれだけ登場人物や世界観、世代を広げてまくっているに、きちんと”物語”として着地して最後が終わってるのが凄い。
平安後期文学は、貴族文化が衰退していく過程な上に世紀末らしく、エログロナンセンスがてんこ盛りなんだけど、「源氏物語」と比べるレベルじゃないというか、単なる劣化&模倣で終わってる。
こんなに後世にまで多大な影響を与え、かつ一般人にまで広くコンセンサスを得るような文学作品は、今後の日本文学でももう出てこないとは思う。
実際に「源氏物語」を読んだことがなくても、大体のあらすじとか日本人なら知ってるしね。
「私は六条の御息所タイプよ」とか言われるとちょっと怖いけど、イメージがすぐ思い浮かぶし。
最後の人が無関心になれずに、ここまで熱く書き込めるのも、「源氏物語」の偉大さということにしたい
カオス過ぎて眺めてるだけで時間が過ぎるw
だったw
本来は光源氏大勝利!で終わるのが本当の源氏物語。
源氏は最低と思うと同時にこんなきめ細やかな男性なら惚れるわーと思ったりもする。
それでも自分はこう思ったって感想だろ
それを「分かってねーなこの外人、現代と昔のモラルは違うんだよw」って言うのはどうかと
平安時代を知るにはいい本かもしれないね
なかなか長編小説を読む時間もゆとりもモチベーションもないのだけれど
誰が一番美人か、となると、
紫の上で大体話が付く。
でも、女君のうち、誰が一番幸せか、
を語り出したら、一晩あっても
終わらない。
源氏物語はそんなお話。
さすが外国の古い歴史的小説まで読むぐらい本好きなだけはある?
与謝野晶子の訳がいいかなとは思ってる
欧米人にとってはイリアス・オデッセイア
みたいなものなのか?
(レビューの中でもホメロスと紫式部の対比が出てたし)
おらが文化圏の最古の長編物語みたいな…
中国だとなんだろう。
三国志演義、水滸伝、西遊記、紅楼夢、隋唐演義、岳飛伝、そんな感じ?
現代で例えるなら「源氏物語」はとても良質で読み応えのあるお昼の長編メロドラマ的作品。当時の文化や思想さえも垣間見ることができる和製ハーレクイン小説。
結局文化ってのは女性に支持されたもん勝ちなのかなとちょっと思ったw
なんで現代誤訳で教えてくれなかったんだろうか。古文が必修科目の意味がわからんわ。
与謝野晶子もいいけど、現代人が読むにはちょっと堅苦しいというか、原文に忠実な分、読みにくい。
それも厳しいなら少女マンガの「あさきゆめみし」だな。
でも、与謝野晶子の文章は、翻訳された年代もあって、古文をあまり勉強していない人からすると、既に十分古文的な表現だから、難しいかもね。
5教科7科目の共通一次じゃなくなって、古文漢文、日本史に縁遠くなった人達が増えたのは、本当に残念だな。
それは置いといて、作中で「冷静になったら創作ってつまらなく感じるよね、けど最初は夢中になっちゃう」って言葉が出てくるよね。
この人は冷静になっちゃったって事やね。それはしゃーない。
俺はこういう現代でも通じる心理描写に惹かれて、今でも夢中になっちゃうんだよなあ。
現代口語訳なぞで教えられたらだいなしだと思うぞ
投げ捨てる物言いの2CH的コメって心無いよね。
中国における三国志も日本における源氏物語と似たような立ち位置にあるとか言うが…
モラル云々で思い出したが旧約聖書の史記的な部分は何から何まで滅茶苦茶だったな。あれを
信仰している人にモラルとか言われたくないわ。
フランス文学なんかシモと関わりの無い作品は皆無と言っていいくらいだ。
しかし、これは虚構の世界の話。
アメリカのカリフォルニアで起きた現実の事件とやらは、日本やイタリアやフランスでは起きていない。
要するに白人は何書いてもいいけど黄色い猿はダメ。
白人は鯨を殺してもいいけど黄色い猿はダメ。
ってことだろ。
ほんと、アメ豚って頭悪りーな。
エンターテイメント性と深い人間洞察の両立がこの作品の魅力だよ。
だからこそ1000年たっても読まれ続けるし、面白い。
更級日記の主人公のミーハーなファンぶりも楽しい。
そーいうのを偏見というのではないか。
最後までしっかり読んでるのはわかる。でも現代とはわけてるつもりらしいけど、アメリカの事件と重ね合わせるとか・・・。
ちゃんと分けれてない気が・・・。
まぁ確かに現代の感覚では最低なことばっかりしてるけどwww
神もキリストも、かなり無茶な事言ったりやったりしてるから・・・
最後の一文は明らかに矛盾している。
たしかに一番読みやすい気がするし
なんか作品に愛がある感じがするな
>>http://pds.exblog.jp/pds/1/200805/10/62/e0129862_16101484.jpg
これ田辺聖子の部屋な、おまえら共感覚えるだろw
本人の顔はググるな
源氏物語は漫画で読んでたなぁ
普通に色恋ものの少女まんが的感覚で読んでた
第一単なる創作小説だし…この最後の人は創作と現実の区別もつかないのか?
※ただしイケメンにかぎる
な気がするw
それはそうと古文の、言葉がゆるやかにつながった文章ってのは読んでいてものすごく心地いい
規範を現代と一緒にするのが間違ってる。
…と思ったけど、あれ、ハムレットは幾つだったっけ?
ヒストリーチャンネルでモーセの戦闘を扱ってたけど、住民虐殺に粛清にキチガイ過ぎて気分が悪くなったぞ
30歳で老衰するわけじゃないでしょw
ロミオとジュリエットはブラックコメディとか言っちゃうタイプだな。
こういうのを許せない人は読むな、っていう指標になるんじゃない?
しっかし、石頭過ぎるw
でも、聖書だって旧約聖書は結構、内容はすごいぞ。
レ○プあり、近親相○、色々とさ・・・
すぐ熱くなるのな
ほんと笑えるわ
アメ豚だのバカ外人としか言えない人達のほうが差別的じゃない?
何より紫式部の言語能力、表現力、構成力の高さに驚かされる
個人的には枕草子の方が好きだけど
高齢だったけどもう少し長生きして頂きたかったな〜。
御冥福をお祈りします。
表現が平凡になったらプロットだけでしか評価出来ないからね。
1000年という付加価値も、古典に馴染みのないアメリカ人にはピンと来ない数字だろうし。
ま、海外の古典も日本語に訳すと不完全になるんだろうからお互い様かな。
誰も文句を言わず議論にもならない作品があれば、それは駄作ということだから。
いつになったら読むんだろうな、いつも面倒くさくて、「読まなきゃいけないリスト」から外す。老後にでも読もうかな。
面白いかどうかだけで批評すんなっつの
なんで傲慢な人が多いんだろうね、この手のサイト。自分たちの功績でもなんでもないのにさ。
日本にもいるから、こんな人
けど、「源氏に憧れる女性読者」の立場で読むと、美しくて優しくて甲斐性のある(当時の)理想の男性=源氏の魅力について語りつくす為に、色んなタイプの女性との関係を描く必要があったのが解る。
宮廷文学だったことを考えると、紫式部は明らかに女性読者を対象にしてるわけだし。
なんて理屈はまず物語を好きになってから受け入れられる話で、反射的な嫌悪感の前には無力だね。
ロミジュリも源氏物語も読んだことないのに知ったかぶりはみっともない
まぁ真面目に読んでくれているみたいだけど
と言ってる人もいるけど、「良い批判」でないから、少しいらっとする人がいるんじゃないかな。
最後のは、明らかに矛盾したこと言ってる。
具体例出せるほど頭良くないけど、批判するにしてももっと違う部分を批判できたんじゃないかな。
着物の裾の色の具合からも、
人物の性格や深みを
知ることができるのだろうけどね。
人格が薄っぺらいと、
一言にしてしまうとは
勇気のある人だなー。
評価は、読み手にもよるのだろうね。
あたりまえか。
某世界宗教の預言者さんは、9歳の少女を嫁にしてるわけですし。
果たして原文のままでそこの文化圏で育ったネイティヴの人が読むものと、自分が日本語で読んだ翻訳ものと全く同じ小説と言えるのかな、と不安に思う時がある。
そこを埋めるのが注釈だけど、カバーしきれてるのかわからない。
例えばヨーロッパの宗教画を目にした時とか、キリスト教徒なら当然知ってるだろう、そこに込められたモチーフとか、暗喩とか、解説で指摘してれないと自分は理解できないし、解説を読んでも100%理解できてるかというのも怪しい気がする。
江戸時代の浮世絵でも、『源氏物語』をモチーフにした「見立て」「やつし」といった作品群があるけど、古典の知識がないと、その背後に隠されたパロディーがわからないと、その面白さは半減してるよね。
その土地の歴史や風土、慣習、宗教を知らないと、文化の壁を超えるのは難しい。だからと言って、私がアメリカ文学を全く理解できないとは思いたくないし、最後のアメリカ人も日本古典文学を全く理解できていないとは思いたくない。
だって、興味がなければ、わざわざ、日本人ですら読破してる人の少ない『源氏物語』を読もう!とは思わないわけで。
なんか難しいですね。
どんな意見でも尊重しようって、そういう生ぬるい相対主義の方がよっぽど気持ち悪いと思うわ
現代アメリカの現実と、平安日本の虚構(小説)をごっちゃに考えている時点で
落ち着けと言いたいw
源氏物語は夜這い文化とか、母系の家とか、貴族文化とか、
そういうのをちゃんと踏まえた上で「これは女性の書いた小説だ」と
いうことを念頭に入れないと、ゆがんでしまうんじゃないかな。
源氏物語には確かにレ●プっぽいものとかあるけど
あれって今のエロ系少女漫画にもよくある
「好きなイケメンに言い寄られ押し倒されるヒロイン」
と同系統なんじゃないかと思うんだ。
でも批判に反論されると「お前らってほんと、少しでも否定されるとすぐ熱くなるのな」とか書いちゃう人って正直恥かしいと思う・・・
「これ海外では高い評価を得た」って触れ回る不思議
>どんな意見でも尊重しようって、そういう生ぬるい相対主義の方がよっぽど気持ち悪いと思うわ
おれが認めた意見意外は気持ち悪いってかw?
お前が具体的にどこの論旨がおかしいのか指摘しなきゃそうとしか思えん
最後の訳は誘惑とレいプ話の連続と身も蓋もない言い方してるけど、実は俺も源氏物語に対しておんなじ意見なんだよなw
こういった批判が自分への人格攻撃のように見えちゃうんだろうなあ
文化の溝がある以上完全に的を得た意見というのは無理なんだから
正しいとか間違っているとかでなく彼我の価値観の相違はどこにあるか議論するべきなのに…
まあ夜郎自大なコメントの多いこと多いこと
世界最古の小説とか言われてるし作者が女性だし、内容も高尚というよりは身近な恋愛物語だし。
でも、アンチが多いってのはそれだけ注目されてるって事で、娯楽作品としては勝ち組だよね。しかも1000年も昔の作品なのに、今みてきたことのようにキャラやストーリーが叩かれる。
キャラクターがきちんとたっていなければこれはありえないことで、やっぱ時代の天才ってのには脱帽するしかないわ…。
千年前と現代を比較。史観もヘッタクレもなく己の価値観でこれクソだよ、だってさw
源氏物語が急にもてはやしされ出したのは、
ここ最近のことだよね。
たとえば明治時代の内村鑑三などは
あんなくだらいもの文学ではないと切り捨てていて、
それが拍手喝さいされてた時期もある。
いずれにしてもかなりマニアックな小説であって、
誰にも勧められる良い小説というのは違うと思う。
どこぞの権威ある賞なんて大抵は受賞後10年もたずに忘れ去られてるし
http://www.onpointradio.org/2009/02/the-tale-of-genji
ニコ動版
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6209148
字幕が消えちゃったんで、ブログ主さんお暇な時にでも是非w
ここは五嶋みどりネタとかちょっとマジメ系もあるからいいよね。
今のモラルで測られてもなぁ
質実剛健を良しとした時代でもあるしね。
「源氏物語」は、貴族文化華やかなりし頃の宮廷文学だから
天皇家や国粋主義を否定したい人から見れば、格好の槍玉の対象にされてきた
不遇の時代の一方で、明治の外交官によって、外交上の文化イメージ向上のために
英訳され、国家の一大文化事業だった歴史もある。
その時代、その人々の思惑によって、批判されたり賛美されたりするのも、
「源氏物語」が日本文学の金字塔であるからなのは確か。
でも、そもそも「源氏物語」は、女性である作者が女性の文字である仮名を使って、
女性読者のために書いていた物語だよ。当時の男性は、評判を聞いてこっそり読んでいた。
キリスト教思想家である内村鑑三は、「日本男子たるもの読むべきではない、
そんな本は日本中から駆逐してしまえ!」と非難したらしいけど
当時の時代背景といい、内村自身の思想といい、相容れなかったんだろうね。
「源氏物語」が好まれる時代は、江戸や現代とか平和な証拠だと思う。
>正しいとか間違っているとかでなく彼我の価値観の相違はどこにあるか議論するべきなのに…
このアメリカ人が、千年という歴史の価値、当時との社会規範の違い、翻訳による情報の喪失、といった常識を全く考慮していないのは、日米の「文化の溝」や「価値観の相違」で説明出来るわけか。
その方がよっぽどアメリカ国民に対して失礼だと思うけどねぇ。
単に常識知らずの馬鹿な個人が叩かれてるだけの話を、勝手に文化の話にまで広げられたんじゃ、いい迷惑だろうよ。
過去と現代は連続してつながってるもの。過去を現在の価値観で批評しなければ、そもそも歴史を学ぶ意味がない。歴史を学ぶ必然性とは、過去の功績や犯罪を暴き、また過去の失敗や成功から学び、本質を追及することにあるのだから。現代はそうした上で過去から進化したものといえる。
文学はもちろんそれとは趣が異なるので、確かにそのような評価は文学に対する評価方法としては妥当とは言いがたい。ただ、過去を見るうえで現代に照らし合わせるという評価方法も、一方には必ず必要だということだけは明記していただきたい。
最後の人など、古代の文学だからではなく、現代文学などにも抵抗を感じるものが恐らく沢山あるだろう。その点はオレと似ているのではないかと思う。大勢に評価されてる現代文学でもオレ自身の倫理的価値観から、嫌悪感を覚える作品は少なくない。
紫式部がこれをみていたらさぞ草葉の陰で大笑いしていることだろうなw
1000年先までこうやって論争される作品が、今の現代文学にはあるのかねえ…
カリフォルニアの事件と言う現代のモラルを引き合いに出して光源氏を批判している。
まぁ、典型的なフェミニスト(笑)さん乙としか言いようが無いな。
最後の段落がなければ、「今読むには古臭すぎる」と言う主旨の批判で終わってたのに。
だけど、最後のやつが叩かれてるのは、現代との比較だけで終わらずにそれを作品の評価にも結びつけてるからだろ。
倫理学的な立場で見るなら文学的価値について論ずるのはおかしいし、文学的な立場で見るなら現代との倫理観との違いを持ち込むのはおかしい。
意見を正当化したいなら立場を明確にしないと。
傲慢なくせになよなよと恨みっぽくて悲劇づらするいけすかない輩だ。
源氏の兄貴は源氏のとばっちりばかり食ってて同情する。
でも源氏物語は面白いんだよね。それはガチ。
ムカつきながらも夢中で読ませるのは凄いと思う。
すごくよくまとまってる。
まあこの人はフィクションであろうがなかろうが犯罪に対しての憂慮や怒りから書き込んでしまったんだろうね、
本人は本に対する評価じゃなくなってるって気づいてないんだろうな
あーあとエロ本や漫画やネットでの影響で性犯罪を犯す人って実際にいるっちゃいるんだけどな
こういうこと書くと顔真っ赤にして噛み付いてくる奴いるけど事実は事実、規制賛成派も犯罪の全てが本にあるとは思ってないだろうし、それとは別に一部の女が不快に思うのは当然なんだよね、犯罪行為を楽しむってたとえフィクションでも性犯罪以外では普通叩かれるっしょ、それと同じで女にとってはただの犯罪でしかないんだから
>ここ最近のことだよね。
そんなこと書いちゃうのは自国の歴史に無知すぎるわ
歴史上、源氏物語は日本で最高峰の文化・教養文書という扱いだったよ
知識階級や公家のような上流階級なら源氏物語の内容や和歌を当然の知識として知ってるし
戦に明け暮れてる戦国武将だって読むし、江戸時代の庶民だって知ってるのが普通
だから源氏モチーフの工芸品や茶器や和歌、浮世絵がたくさんある
現代人、特に無教養な人はそういうのに触れることがないから知らないんだろうね
内村鑑三の意見は内村個人の意見であって
日本の源氏物語に対する代表的見解ではありえない
日本の歴史の中で源氏物語をもてはやしてない時代なんて近代と日本文化全体が貶められていた戦後くらいだ
戦前は国の雰囲気的にも源氏物語は合わないし、
天皇家を神格化する時代に源氏物語を国民に教えるのは不適格だと見なされていた
そんな中でも川端康成のように
源氏物語に日本の美の源泉を見て、
日本人になんか生まれるんじゃなかったと思いたくなるような悲惨でみじめな戦争のさなかに
源氏物語を読むことで日本人であることを誇りに感じ、癒されてた人たちもいたんだよね
最近源氏がもてはやされてると感じるのは
おそらく戦後の日本文化否定の流れが薄れてきたからだろう
それでも知識人や上流なら誰しもが知ってた昔の輝かしい扱いには程遠い気がする
現代社会のまま、己の信仰やら政治的良識に並々ならぬこだわりがあるなら、読まないのが正解かもねー
あのシーン好きなのに、そうか、ギャグに見えるのか・・・・
女三宮は今だと受けそうなキャラだよな
そういう意味では女達もそれぞれキャラ立ってると思うんだけどなあ
源氏がダメ男なのは同意だけど、人間臭くていいじゃない
あと、これがロリペドだとか言うならロミジュリだってそうだろうに
1000年の時を超えて転生した生まれ変わりだぞ!
(そぅとしか思えない)
文学的に読んでも、ストーリーはほぼ同じことの繰り返し(かごの中の少女を男が漁色するリピート延々)なのでおもしろくない、と明確に書いてるけど。
実際の事件と照らし合わせると、なおさらこのストーリーを称賛する意味がわからない、ってことでしょ。
113は「倫理学」とか「文学的価値」とか、言葉の使い方からして単に自国の持ち上げられてる古典をけなされたことに対して脊髄反射的に怒ってるだけだと思うけど、実際あの話がどれだけ面白いかというと汲み取れない人もいるだろって話だよね。
でもこれだと、なぜ、当時の男性までこぞって読んだのか、なぜ性格分析から何から千年も読み続けられたのか、そこを理解できなくなる。
たとえば、ここにコメントを書いてる人間ですら、冒頭の
「源氏の父が桐壺の更衣にうつつを抜かしたことで非難された」
理由を答えられないんじゃないかな。源氏の父がそれをやりながら、春宮に望みながら、光源氏を臣籍降下させた本当の理由。
光源氏の屈折はこのあたりから始まるわけだけど(本人も何度か「父親の部屋で育った(=ボクは母はいないが父帝に特別に可愛がられていたんだよの意)」っていってるし)、その光源氏が息子の夕霧が元服の時にはわざと五位しか与えない。その意味。
光源氏はきれいに年を重ねることに失敗したことも描かれる。若いころ、二人で青海波を舞った時には「華やかな源氏に添えられた枯れ木のよう」とまで言われる頭中将が、年を重ねるにつれ威厳と貫祿を身につけていくことも描かれる。
作者は、自分の人間観察を源氏物語に投影してる。それはいつの時代でも通用する人間模様なんだけど、事実だけ追えば文化にかなり左右される部分もあるし、最後の人が書いたようにかなりめちゃくちゃな話だよね。
おい、これどういうこと?w
あの当時は治安悪過ぎて高貴なひとは外で歩けないし
娯楽だって少ないんだから、
今の時代と比べるのはかなりナンセンス
まず貴族の話だと理解してないんだろうな