まずはニューヨーク・タイムズから。
日本に心を寄せて、そして賞賛を。
私たちは今日、みなが日本に心を寄せている。恐ろしい地震が日本で起こったのだ。これは、日本の地震計測史上最悪の地震だった。
しかし、ニューヨーク・タイムズの東京支局長として日本に住み、1995年当時、神戸の地震(6000人以上の人たちが亡くなり、30万人以上が家を失った)を報道している私は、こう言わなければならない。
この数日、この数週間の日本を見ていろ、と。私は断言しよう。私たちは、ここでもまた日本から学べるはずだ。
私が言っているのは、日本政府の地震対策の上手さのことではない。
1995年の地震の際、日本政府は救援の取り組み方を完全に誤った。
政府の規制機構は、他国から送られたタイレノール(訳注:アメリカで市販されているアセトアミノフェン系解熱・鎮痛剤)や捜索犬を押収してしまったのだ。地震直後の混乱の数日、まだ瓦礫のしたには生きている人たちがいたが、日本政府の無能ぶりのために、死ぬ必要がないのに死んだ人もいた。
だが、日本の人たちとなると、その忍耐、禁欲ぶり、秩序といったら、まさに高貴であった。
よく使われる日本語に「我慢」という言葉がある。これに相当する英語は実はないが、「toughing it out」(がんばり抜く)が多少、近い。
神戸の人々の行動は、まさにこの我慢だった。勇気をもち、団結し、みな共通の目標に向かう決意を抱いていた。私たちは、これに畏敬の念を抱いた。
日本に住んでいた数年間、私はしばしば日本の秩序や礼節に感動したものだが、神戸の震災のときほどの感動はない。
神戸の港はほぼ壊滅し、街中の店の窓ガラスが割れていた。私は、略奪事件や救援物資を乱暴に奪い合う光景がありはしまいかと探していて、ついに2人組の男の強盗に遭ったという店舗経営者を見つけだし、喜んだ。
私は彼にこう尋ねた。「同胞である日本人が、災害の隙に乗じて犯罪を起こすことに驚きましたか?」。すると、彼は驚いた顔をし、こう答えた。「日本人の話じゃないです。外国人でしたから」。
日本には最下位層の人々もいれば、見下されている民族もいる。
だが、他国と比べると、日本には極端な貧困層はほとんどなく、みな共通の目的意識が強い。中産階級が非常に多く、企業の重鎮たちは伝統的に、羽振り良く見られることを嫌がる。
こうした共通の目的意識が日本の社会的な基盤であり、特に自然災害や危機の際に目に見える形で露わになるのだ。
私は誇張はしたくない。日本の礼節は、学校や職場のいじめ問題、違法行為から利益を得ているヤクザのようなギャング、賄賂を贈ることで納税者から金を吸い上げようとする政治家や大手ゼネコンといった問題を覆い隠すものでもある。
しかし、神戸の震災後、そのヤクザですら、被災者たちに物資を供給するカウンターを設置したのを見たときは衝撃だった。日本社会の基盤は決して崩れることはなかったのだ。いや、皺すらついていなかった。
こうした禁欲主義は、日本の言葉にも組み込まれている。人々はいつもこう言う。「しかたがない」と。つまり、「it can’t be helped」ということだ。そしてまた、相手に対して最もよく使われる言葉の1つに、「がんばってください」がある。これは、「tough it out(がんばりぬいて)、be strong(強くあれ)」。
自然災害は、日本の「運命」、つまり「fate」であると考えられている。この運命と言う言葉は、運動(movement)と命(life)という漢字を組み合わせたものだ。
私は、前に読んだ古い報告書を思い出している。16世紀のイエズス会修道士が書いたものだったと思うが、地震で壊滅した村で、地震から数時間のうちに農民たちが家を建て直し始めたという。
不平を言わず、みんなで復興する。これは、日本人の魂に染み付いているものだ。
短い間だが、私たち一家は日本の学校に長男を通わせていたことがある。小さな子供たちが真冬ですら半ズボンで学校に通わねばならない光景を私は決して忘れることはないだろう。なぜこうしたことをするのかと言えば、これが人間を作るのだという考え方からなのだ。
当時、私は、子供たちに風邪を引かせるだけだと思っていた。だが、これは「我慢」を教え込むための、一歩踏み込んだ努力だった。
そして、この「我慢」こそ、第二次世界大戦後の日本の復興を助け、1990年頃にバブル経済がはじけたあとの「失われた10年」を耐え抜かせたのだ。
実際、日本人はもう少し不平を言ったほうがいいのではないかとすら思う。たぶん、そうすれば、日本の政治家だって、もっと人々の反応に敏感になろうというものだ。
もう1つの要因に、自然との関わり方があるかもしれない。アメリカ人は、自然との関わりを「対立」と考える。自然をこちらが管理してやろうとする。
これとは対照的に、日本人は、人間は単純に自然の一部なのだと考える。自然の動きに合わせようというのだ。これは、歴史を通じ、何度も何度も繰り返し起こった地震に対してもそうだ。
1923年の関東大震災では、10万人の人々が亡くなった。
natureを表す日本語は「自然」と言うが、これは近代の言葉で、100年ちょっと前のものだ。というのは、もともと伝統的に、彼らには自然という概念を言葉で表す必要がなかったからだ。
神戸の震災後、Time誌でエッセイを書いたときも、同じようなことを何点か私は指摘し、17世紀の偉大な俳諧師、松尾芭蕉の俳句で締めた。
The vicissitudes of life.
Sad, to become finally
A bamboo shoot.
(うきふしや 竹の子となる 人の果)
日本の復興力と忍耐の中に、私は高潔さと勇気を見る。そして、これから、今度はみなさんがそれを目にすることになる。そう、日本の社会基盤、その強靭さ、復興力がきつく結び合って輝くときを見ることになるのだ。
そして、これは直感だが、おおかたの日本人が一丸となって復興に取り組むだろう。ウイスコンシンからワシントンに至るまで、対立し言い争って同胞が食い合う米国の政治モデルとは対照的に。
たぶん、私たちはもう少しぐらい日本から学べてもいい。
私たちは日本に心を寄せ、この悲劇的大地震にあたって心からお悔やみを言う。だが、同時に深い賞賛もまた、彼らに送るのだ。●
次はロスアンゼルス・タイムズから。
巨大地震が起こっても、日本文化の完璧なマナーにはほとんど影響なし。
家具の下敷きになって負傷した女性が、迷惑をかけたことを謝っている。
こんな最悪な状況の中ですら、他人を気遣うという国民性が表れる。だが、これはほんの一例にすぎない。
東京からのレポート。― 彼女は年老い、独りだった。傷つき、苦痛の中にいた。
巨大地震が襲ったとき、重い本棚が山下ヒロコの上に倒れこみ、彼女は身動きがとれなくなったのだ。足首が粉々になっていた。
救急隊員たちがようやく駆けつけ、懸命の救助作業を数時間、続けたその後、山下は「どんな人でもそうします」と彼女自身が言った行動をとった。
彼女の義理の息子が、あとになって話してくれたことによれば、彼女は隊員に面倒をかけたことを謝り、先に助けなければならない人はいなかったのかと尋ねたという。
燃え上がるビル、水に沈んだ沿岸の町、損壊した道路、いつ不安定な状態に陥るともしれない原子力発電所。日本の記録史上最悪の地震の爪痕だ。
だが、これほど最悪の状況ですら、他人を気遣うという、日本人に深く根付いた国民性にはほとんど影響がなかった。
日本語は、儀礼上の謝罪に満ちている。あまりにしばしば謝罪の言葉が出るため、ほとんど意味がなくなるほどだ。人に迷惑をかけそうになったらすぐ、「すみません!」なのだ。謝罪の中には単なる形式にすぎないものもある。
しかし、危機を迎えた今、こうした礼儀が、一国を一つに繋ぐ接着剤になりえる。
金曜日のマグニチュード8.9の地震は衝撃的で大混乱を呼ぶものではあったが、自分自身の不安を赤の他人に抱え込ませようなどと考える日本人はほとんどいないだろう。
たとえば、東京までの長いフライトの間のことだ。飛行機が本当に首都空港に着陸を許可されるのかどうかは、最後の数分までほとんど五里霧中だった。
飛行機の中で、50代のビジネスマンが隣席の人に、今後のプランや不測の事態になったらどうするかを熱心に尋ねていた。
どこに滞在するのですか?なぜそこに?ええ、まあ、今度の引越し先は前より良いところなんですよ。あなたは誰かとお会いになる?引き受け先のかた?
が、9時間のフライトの最後になって、彼はほとんど戸惑ったような小声で打ち明けた。近縁の親戚が行方不明になっていること。彼女が無事なのかどうか確かめるために、彼が北へ、津波に襲われて浸水した地域へ向かおうとしていること。
彼はシートベルトをいじくり、心ここにあらずといったふうにあたりを見回すと、彼女が生きていることを確かめられるのでしょうかと、咳き込んだような声音で言った。
社会規範に起因しているはずの、こうした重く息苦しい従順さを快く思わない人もいる。
現代日本でさえ、本音を言ったり、あからさまに自分の要求を告げたりすれば、仲間はずれにされることもありうる。若者なら特に、歌舞伎のごとく門外漢にはさっぱり理解できない、こういう堅苦しい行動慣習に窮屈な思いをするときだってある。
だが、この国では、― 公共の場所で鼻がグスグスしだしたら、風邪を人に伝染させないようにマスクをつけるこの国では、ほとんどの人が自分たちの不安を人に見せまいと堅く決意しているように見えた。特別、客商売の人々はそうだった。
「自分の恐怖をお客様に見せないように、必死でした」とタジママサキは言った。彼は、東京の北、宇都宮にあるホテルのスタッフだ。
が、地震地帯に近づくほど、修練された礼儀正しさにもヒビは入った。東京の北、約130マイルにある郡山のガソリンスタンドでは、燃料が切れたことへの不安から興奮する客もいた。12年間、スタッフをしているサトウケンジは、皆を落ち着かせようと何度も謝罪を繰り返した。
「すみません。もうガソリンがないんです。本当にすみません」。
とはいえ、他の場所では、秩序と冷静さという根っからの本能が、厳しい最中にも保たれた。東京や東京近郊では、いつもなら時間通りの、頼りになる輸送手段の多くが、地震によって不通になった。
しかし、主要線のいくつかにようやく電車が現れたとき、そこにあったのは、いつもの出勤風景と変わらない、秩序だった乗客の列だった。
そして、電車に乗り込むと、人々は静かに座り、着信音を聞き取れなかっただけではないかと祈りながら、携帯電話を見つめた。
「押し合いへしあいなんて野蛮な行動ですし、そんなことしてなにかいいことあるんでしょうか?」。東京のはずれ、混雑した電車に妻が乗るのを助けながら、そうサエセキ・コージョーは言った。
都心では、私が地震のときにどうしていたのかと尋ねると、ガラガラの地下鉄に乗った乗客たちは驚いて、当惑したような表情を見せた。
もし、私が答えを急き立てれば、彼らはそのときの話をしてくれたことだろう。何時間もエレベーターに閉じ込められていた。高層ビルが海上の船のように揺れている間中、デスクの下にかがんでいた。あるいは、窓の厚い安全ガラスに突然、蜘蛛の巣のようなヒビが入るのを見た。
駅に電車が入っていったとき、私の周りで数人はまだそんな地震の話をしていた。駅は、電車のドアとプラットフォームの間に小さな隙間が空いていた。すると、そこで電車を降りていく一人の乗客に向かって、電車の中の人々みんなが口々に声をかけたのだ。「気をつけて!」(Be careful!)と。●
世界各国から支援の表明が続々と上がっているようです。
本当に、ありがたいことでございます。
自衛隊の皆様の懸命な救助活動にも頭が下がります。すでに一万人近いかたがたが自衛隊の皆様によって救助されたとか。一人でも多くのかたがたが無事に救助されることを願っております。
募金先のまとめがこちらにございます。
赤十字がまだ準備中のようです。
海外の皆さま、支援とご心配ありがとう。
死ねよ
http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html
TOPページからも行けます。
>ほとんど意味がなくなるほどだ。人に迷惑をかけそうになったらすぐ、
>「すみません!」なのだ。謝罪の中には単なる形式にすぎないものもある。
英語は、儀礼上の愛情表現に満ちている。あまりにしばしば愛情表現の言葉が出る
ため、ほとんど意味がなくなるほどだ。人に好意を持ったらすぐ、「I love you」
なのだ。愛情表現の中には単なる形式にすぎないものもある。
…と言う様なものではないかと。
コンビニ駐車場で津波のように(不謹慎?)ゴミ撒き散らかして、去り際奇声をあげるアホ4人組。
情けない、おまえらは日本のゴミクズだ。
いざ、誰かの世話になってしまうと申し訳ない、って思っちゃうんだよねぇ
でも、こういうのが日本の美徳と認識されてるうちは、日本国が日本人の国であると想い続ける事が出来る
海外ジョジョヲタについての翻訳ですね。わかりました。
正直見ていて吐き気を催しました。そうじゃないんだよな。今は国民一致団結して
国難を乗り切らなくちゃいけないときなのに。ところで、管理人さんのお家やご家族は
大丈夫でしたか?もしも、被災地域に隣接してるようでしたら、どうかくれぐれもお気をつけて。
半ズボン文化を返せ豚野郎
あーでも運動の運も運ぶ方の運なのかしら
ゲシュタルト崩壊してきた
>不平を言わず、みんなで復興する
この当たり前のことを外人さんはよく取り上げる。
明治・昭和の文書でも。
つまり欧米・支那大陸の人たちは地震の後、愚図愚図と嘆き暴れて
家も建てずに徒に時を浪費するのが定番、ということのようだ。
信じられない脳味噌。
どういう性質・精神構造なのか調べた日本人学者はいないのかな。
起きたことはしゃーない
あの未曾有の地震と津波の前じゃどうしようもなかった
そこから、人の手でどうにか出来る部分はしていこう
実際、阪神・淡路大震災の教訓は非常に生かされている
それでもまだまだ、改善しなきゃいかん所は腐るほどある
自分も危機意識低すぎたしな
ちょっとずつ進んでいこう
今はそういうのやめようや
「うちの子はほんと優秀で素晴らしい それに比べてあの家の子はだらしなくて‥」
って言ってるのと同じだぞ
例えほんとにそうだとしても、そう自慢する親はやな親だろ?
同じような問題抱えてるアメリカも理解してくれよ
前回のテーマからこのサイトに来た人は驚くかもしれんが
外人叩いてる奴はスルーしてくれ
反論すればコメ欄が荒れるだけだから
記事にも日本人はもう少し不平不満を言ったほうがいいとあるが、その日本人が名指しで嫌うって普段から相当なことしてるってこと
まぁこんな話今はどうでもいい。被災者にできることに考えを預けたい
最近の子供はブリーフはかないから、半ズボンだと脇から見えるらしい。
言いたいことはわかるが、今自分のなかに燃えあがっている正義感を、愚かな他者を罵ることで確めるような、そういう方向へ行ってしまうこともあまり格好良くはない。
罵られている人たちと大差もない。
→日本には最下位層の人々もいれば、見下されている民族もいる。←
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
嬉しさを感じる。
反面、世界中の人々が持つ、勤勉な日本人像
・他者を思いやる日本人像というのを裏切ってはいけないと
気持ちを引き締められる思いもする。
自分は被災してないけど地震起こってから
とてつもなく気持ちが沈んでる。
だけど、そんなこと言ってられないんだよな。
自分にできることあらば少しでも貢献したい。
すまん、意味が判らんので日本語で頼む。
嫁が中国人で、尖閣も中国のものって言っちゃう人だから許してあげてwww
ニコ動画でニコ生中の地震映像などをすべて見てたけど、日本人って冷静なんだなっておもうわ。
スーパーのパートのオバちゃんたちなんて商品守ろうとしてたしw
欧米では皮肉と同じように、こういう返しが使われる
あくまで装飾語だからあまり気にするな
日本国民の忍耐力のすごさと政府の糞さ、あと日本国民はもっと政府に向かっていったほうがよいっていうのね。
最後のは今は一致団結すべきときだから控えるべきなのだろうけどさ。
デッチ上げ記事を書いたニューヨーク・タイムズ
元東京支局長のニコラス・クリストフ
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/689140/
違う人間同士が争って生き残るのではなく、一緒に力を合わせて生き延びる決意をしろ、
一人ではどうにもできない絶望的な運命を切り開くための最大の武器を共に手にしろ、いうことなのだと思う。
今回の大惨事で「和の心」は決して日本人だけが持っているものじゃないんだというのがよく分かった。
だからこそ日本人であるなら、世界中からの今回の恩を絶対忘れてはいけない。
ん?なんか…と思ったらニューヨークタイムス東京支局長…
やっぱりこいつキライだ
半ズボン穿かされた愚痴を未だにねちっこく言ってる奴なんかの祈りも敬意もいらねーから
日本のあることないこと書き散らして稼いだ金を寄付しろよ、と思うわ
差別があるって言いたいんだろうけど、単純に嫌われてるだけだろ
しかもコメントの二つ目でいきなり、アンチコメでワロタw
つべの動画といい、どこまであいつらストーカーすれば気が済むの?w
争って奪い合う時間があるなら助け合った方が遥かに効率的だ。
阪神大震災から多くのマニュアルが作られ今回も官僚達は頑張ってくれた。
無能な政府に言いたい事は色々あるが今はまず一段落つくために被災してない人は日常を保ち続ける努力をしないとね。
レトリックも理解できないとは、小学生なのか
それとも知的水準が低いのか?
蟻だなww
ここの翻訳→日本には最下位層の人々もいれば、見下されている民族もいる。
google翻訳→日本は、下層階級、被差別部落を持っており、また軽蔑して同胞を扱います。
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必死に見下そうとしてるのはあっち
こっちはそれを毛嫌いしてる。
受身です。
馬鹿げた民族主義は誰も嫌いでしょ
口だけじゃなくお前らの愛国心見せてみろ。
漸く出張先から帰ってこられたんだけど、
帰りの新幹線は混雑しているのにも関わらず
静かだったな。
普段、マナーの悪い人間ばかり目につくんで、
不思議な気がした。
座席が空いても、みんな無言で譲り合って
座ろうとしないんだよ。
>違法行為から利益を得ているヤクザのようなギャング、
>賄賂を贈ることで納税者から金を吸い上げようとする政治家や大手ゼネコンといった問題を覆い隠すものでもある。
意味が全然分かりません・・・
しかも例のごとく他国叩きとか・・・
実践してる人は多いだろ?
それを言うと、ならPCも切れって話になっちゃうけどさ。
こんな時だから誇るべき国民性を拠り所に
協力し合っていいと思う。
釣りはやめとけ
どうにか阻止できないだろうか。
そういうのもマスコミがちゃんと放送すればいいんだけどねぇ
コメント欄の番号が正しく表示されなくて、全部「1.」になってるのは自分だけかな?
分かり図らいよね
みたいな記事ばっかり書いてんじゃないのかなあ?
>>地震地帯に近づくほど、修練された礼儀正しさにもヒビは入った。
とかさ、なんかね、他にもあるけどいやらしい感じだよ。
消防隊や警察や地方自治体の方も皆さん頑張ってますよ
何より被災者同士の助け合いが素晴らしい
大陸では家を失った者は、他人の家を奪うのがスタンダードだからね。
その方が効率がいい。
大戦でのユダヤ人難民はつまるところナチスドイツによって家を破壊されたり奪われたりした人たちなわけだが、その人たちもパレスチナに来たら現地人の家を奪ってそのまま住んでるわけだし。
パレスチナ問題で異様に感じたのがそれ。パレスチナの老人が『あのイスラエル人が私の家に住んでいる』と訴えているのは日本的感覚では異様だった。
あんまり住みたくないよな。他人の家。
日本人にとっては当たり前だから批判も出るとは思う。
いい話だと思うんですが、日本人が批判しちゃぁ…なんか残念な感じです。
各国系統があるし自分達に足りない部分はココです!って記事だと思って読んでしまったけど。
領地奪い合ったりって他に比べたらまだ気が荒くはないからこその記事じゃない?
銃が出回ってないだけ平和。
愛国ではないけど、日本人の良さは心づかいだと思う。だから批判は好かない…
復興力は実際あると思うし。不景気だけは…政策も政治家もって感じはするなぁ〜
対応とか海外を少しは見習ってくれると助かるかな
盗んだ商品なんて使いたくないよ。
買えないほど高いモノじゃないし。
保証やサポート、満足感も含めての商品だろ。
略奪とかアホ臭いわ。
足手纏いだわ
外国人が住み易い国なんて想像しただけで寒気がする
成田出国をあきらめて関西方面に向かってる留学生は、帰国要請が出てるから
解かるんだけど、そうじゃない中国人も大量に避難しているみたい。
新幹線に中国人がうるさいとつぶやいている人が多くて驚く。
日本から脱出しているみたいだね。
いつでも逃げることができるんだもの、
やっぱり外国人参政権は無理だわって思った。
まあ、命がけだからね。
責めても仕方ないんだけどさ。
なんか、寂しいわ。
がんばって日本を復興しないとな。
同じ話をしてる。
賞賛だけっていうのは気持ち悪いしNYTはいつもに比べたらまともな記事だと思った。
米40
Live Search翻訳→日本は、下層階級、部落問題をしているし、も軽蔑朝鮮民族を扱います。
ethnic Koreans を同胞と訳すgoogle翻訳に寒気がしたよ…
あと管理人さんが民族名を避けたのは荒れるからだと思われる。
米46
ほら出たこういうの。あの半島について事実を言ったら悪口認定。記事が気に入らないなら抗議してくれば?
これだけ災害の多い日本でそんな思想が主流になったら、いざという時にどんなパニックが起こるか想像もつかないってのに。
人はあくまで環境に縛られて生きていくしかない弱い生き物なんだから、日本の精神風土が嫌なら外国に行くしかないよ。
下衆い娯楽を楽しんでる奴がいて唖然とするわ。
同じ日本人なのに震災はまるで対岸の火事かのようだな。
自分の人間性棚に上げて何語ってんのって話。
自分は関係ないと思ってたとしても被災地域の人間や身内が
大変な目に合ってる人間が見るともしれんだろ。
ちょっとは慎めよ。
>>米18
スルーできなくてすまん。
戦後以来に、日本は腰を上げる。腰を上げた日本人は計りしれない力を発揮する。
大変な時には支援するってのは共通してるみたいだけど、後から恩着せがましくされそうな気もする。でもありがたい。
やっぱり日本人同士結束するのが一番幸せな事だと思う。共通の認識持ってるって物凄い強みだと思う。
google翻訳で入れてみたら「朝鮮民族」って出たぞ?単語でなくて文章で入れたらそう出るのかな?
モンマジがボランティア。
米軍の援助。
日本は芸能人が売名がてらボランティア。
政府は無能、東電無能。
私は彼にこう尋ねた。「同胞である日本人が、災害の隙に乗じて犯罪を起こすことに驚きましたか?」。
何だこの息を吸って吐く生ゴミは
地中に埋まって土に還れゴミ
外国人(中国人・韓国人)だったんだな。
知ってたけど。