2011年12月17日

海外の反応 - 日本、「バルス!」でTwitter新記録 -

本日はこちらこちらから。2本続けて。


宮崎駿ファン、一斉に呪文を唱えて、Twitterの記録更新。

去る8月、ビヨンセ妊娠という天地を揺るがすニュースが、Twitterの1秒当たりの記録を作った。このときの驚くべき記録は、1秒間8,868ツイート。

ところが今回、日本のTwitterユーザーたちが、この記録を破った。先週末、1986年の宮崎駿の古典、『天空の城ラピュタ』が年に一度の恒例で放映されたのだ。

このとてつもなくラブリーな映画では、悪人ムスカが天空の城ラピュタを我が物としようとし、これを阻むために、ヒロインのシータは滅びの呪文を唱えざるをえなくなる。「ラピュタを悪人の手に落とすぐらいなら」と、シータはパズーと声を合わせて呪文を唱えるのだ。「バルス!」と。

この『天空の城ラピュタ』最大の山場で、Twitterは、大変な記録を打ち立ててしまった。なんと、1秒あたり25,088ツイート。このツイートの大半が、シータの声とともに、呪文をタイピングした人々によるもの。
簡単に言えば、シータが「バルス!」と言ったと同時に、Twitterが狂乱状態になってしまったのだ。

無邪気に笑っておけばいい話ではあるけど、……これでみんなにTwitterで騒ぐ、新しいネタを教えてしまったことにはなるなあ。●



古い日本のアニメが、Twitterの記録を破る。

日本はアニメが大好きだ。Twitterも大好きだ。
そんなわけで、先週、この国は、その二つが結びついたらどんなことが起こるのかを見せてくれた。つまり、世界記録樹立だ。

先週末、スタジオ・ジブリの古典アニメ、『天空の城ラピュタ』がテレビ放映され、日本では「バルス祭り」が開催された。「バルス祭り」とは、「バルス」の瞬間に「バルス!」と書き込むというシンプルな祭り。

『天空の城ラピュタ』のクライマックスは、滅びの呪文「バルス」が唱えられ、ラピュタが崩落していく場面だ。
この場面で「バルス」が唱えられた瞬間、まるで日本中がTwitterに集まり、「バルス」とツイートしたかのような有様となった。Watashi to Tokyoが伝えるところによれば、最高潮時で1秒あたり11,349ツイート。Twitterはこの乱打に耐えたのだ。

ツイート数は、ビヨンセの妊娠が発覚した際の1秒あたり8,868ツイートを抜いた。

前回、『天空の城ラピュタ』がテレビ放映されたときは、2ちゃんねるやニコニコ動画といったサイトが舞台となり、激しい乱打を受けた。今年、ニコニコ動画は、生ビューイング・パーティを開き、大変な騒ぎとなった。2ちゃんねるにいたっては、バルス祭りと同時に繋がらなくなったところもある。

日本の子どもたちは、ジブリを見て育つ。小児科医院や学校でも、ジブリの映画を観たり、音楽を耳にすることができる。
これは著名なオタクの学者が言った言葉だが、「日本の濃いアニメ・ファンで、「好きなアニメ監督は宮崎駿です」と言う人はいない。…つまり、宮崎駿が好きだというのは、「好きなバスケットボール・プレイヤーは、マイケル・ジョーダンです」と言うに等しい。わかりやすすぎるのだ」。

だというのに、『天空の城ラピュタ』が放映される前から、掲示板やTwitterでは、人々が「バルス祭り」が近づいてきていることを確かめ合っていた。

全体的に、フラッシュ・モブ的な要素がここにはある(訳注:ネット、特にEメールを介して不特定多数の人間が公共の場に突如集合し、目的を達成すると即座に解散する行為)。「だってみんながやってるんだもん」的な要素だ。
が、その核にあるのは、宮崎駿がいまだにネットの人々の心をとらえているということ。それも、数十年前の古いアニメなのに。

それにしてもだ。何万人もの人々といっしょに、今か今かとウズウズしながら、この映画を観るなんて、ただ観るよりもっと楽しいことではあるよね。●



■ハハハハハ。こりゃすごいわ。

ついでだけど、ジブリ作品をもっとブルーレイで出してくれよ。待ってるから。
コレクションをコンプリートしたいんだけど、今更DVDで買うのって馬鹿みたいだろ。

■最初に思ったのは、『ロッキー・ホラー・ショー』みたいな観客参加型の娯楽がTwitterに舞台を移したのかなってことだな。


訳注:『ロッキー・ホラー・ショー』:1975年のイギリス映画。カルト映画の代表格。今で言うコスプレをした観客が週末ごとに集まり、映画を見ながら全員でお約束のツッコミを叫んだり、紙吹雪や米をまき散らす、更にはスクリーンの前で俳優が同時進行で演技するといった、パーティ形式の上映が定着した。)

 ■↑ワオ。…次のハロウィーンはそれだな。『ロッキー・ホラー・ショー』をテレビで見ながら、みんなでTwitterで騒ぐ、と。これは最高のアイディアかもしれん。

ロッキー、お前もなんか、呪文っぽい賢いこと言えよ!

■今日、私が驚き、まさに驚天動地だったのは、人々がビヨンセの妊娠に1秒間9000ツイートするほどの価値があると思っていたという事実だよ。ネットってのは、どうなってんだ、いったい。

■ちょっと、待てよ。ってことは、ネットで一斉にみんなで「バルス!」ってツイートしたってこと?……そりゃすげーわ。

■すごいよな。けど、宮崎の作品は確かに、人々にそれほどまでに愛される価値あるものだよ。

いっそのこと、Twitter全部、落ちちゃってもよかったな。そしたら、マジでものすごいニュースになったろうから。

■これ、僕が一番好きな宮崎映画であり、最高に好きなアニメの1つ。複雑なキャラクター、背景設定、引き込まれるストーリーが入った素晴らしい作品。しかも、CGもモーション・キャプチャーも使わずに作られてる。全部手書き。すごいだろ。

この作品の透明度、透光性を注意して見てくれよ。これで、手書きなんだぜ?

 ■↑嫁が日本人なんだけど、彼女に見せてもらったのが最初だった。素晴らしいよね。結局、二人でジブリ美術館にまで行っちゃった。

 ■↑オレもこれがお気に入り。これ見て育ったようなものだから。今、30歳。昔は、オリジナルのVHSテープで観てたなあ。まだ流通してなかった、唯一のまともな英語版吹き替え版をもってたことは、たぶんオレの最大の自慢だ。

この映画のテーマは、オレの幼少期の文化的体験に一番大きな影響をもたらしたものだったなあって、よく思うよ。

■僕も今、シータが滅びの呪文を唱える場面を思い出しながら、「バルス!」って子どもみたいに吼えてみた。

■Twitter、それでも落ちなかったとは。Twitterのサーバはラピュタよりも頑丈ってことか。

■『ラピュタ』大好きだ。宮崎の映画で一番好き。DVDももってる。ブルーレイで観れたらいいのになあって思う。まあ、DVDで満足しようとは思ってるけど。

■つまり、日曜の夜に家族で映画を観るっていうイベントが、まだ日本じゃ生きてるんだね。
それにしても、ムスカって、エルトン・ジョンに似てるよなあ。

elton-john-image.jpg

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■>宮崎駿がいまだにネットの人々の心をとらえているということ。

皮肉だよね。宮崎は、現代テクノロジーが大嫌いなのに。

■さあ、みんなも、『ラピュタ』のエンディングを見ながら(この映画をもってる人なら、01:55:12あたりね)。

「バルス!!!!」

■見たか!ディズニー!

■真面目な話、みんな、ビヨンセの妊娠なんてことで9000近くツイートしたわけ?!?! マジかよ!
ビヨンセの記録を抜いてくれてよかったよな。マジで。

■アニメは大好きだけど、ジブリ作品は大嫌いなんだ。他のアニメでTwitter記録更新してくれよ。そのほうが、気分爽快だし。

 ■↑「大嫌い」か。きつい言葉だ。…僕には、ジブリ作品を「大嫌い」になれる理由がわからん。そんなきつい言葉で嫌われるようなことをやってるか?ジブリは?

 ■↑ま、ジブリに「萌え」はないからってことでしょ。

■アニメは好きじゃない(アニメだって言われたら、見には出かけないけど、良い映画だよって言われたら、アニメでも観るけどね)。でも、ジブリはほぼ全部好き。

僕が知ってる人たち(アニメ・ファンじゃない人たち)で、ジブリが嫌いだって人は、あまりに考えすぎなんだよな。

■ワオ。この記録がしばらく破られずにいてほしいなあ。ビヨンセとはちがって、これは本当に本当にクールだもの。感嘆した。

■『ラピュタ』は傑作でしょ。ハリウッドがもう何年も作れてない(『タンタンの冒険』は別として)、純粋な冒険映画。

■ああ、思い出すよ、『ラピュタ』。地元のテレビ局で放映したのを見たんだ。すっごい子どもの頃だ。中国語の吹き替え版に、さらにベトナム語をかぶせてるやつ。たった一度しか見てないのに、脳裏にまざまざと刻み込まれてる。

この映画の本当の名前を知るのに何年もかかった。ジブリのことを知るまでも長かった(だって、その頃のベトナムじゃ、ネットって新しいものだったから)。その後、アニメやらマンガやら、いろいろ僕の人生ではじまったんだよなあ。

日本で、この古典が再放映されてるなんて知らなかったよ。ありがとう。これから『ラピュタ』をまた見てみる。

■ここで、イギリス人にお知らせ。今月、Film4(訳注:英国の無料デジタルTV・チャンネル)でジブリ特集を放送中。『ラピュタ』は来週月曜。放映が朝の4時からってのが、唯一つらいところ。

■大っ好き、『ラピュタ』。自分で買うまで、毎月図書館から借りてたぐらい。僕のは日本版のオリジナル・テーマソングのやつ。でも、正直、米国版のほうが好き。だって、フル・オーケストラだもの。日本版はテクノっぽいんだよね。

■たぶん、一番好きな宮崎映画。

 ■↑オレも。米国だと、ものすごい人気ってわけじゃないけど、日本の人たちの大お気に入り作品なんだろうな、たぶん。

■大学生になるまで、宮崎映画は観たことなかった。でも、最終的には、僕と奥さんで、結婚式のときの最初のダンス曲に『ハウルの動く城』のワルツを選ぶことになったぐらい。ジブリ、最高だよね。大好き!

 ■↑可愛い話だねえ!『ハウルの動く城』のベーコンと卵の場面。めっちゃうまそうだったよなあ。

■宮崎映画を観たことがない、またはたくさん観てないというキミ。…今こそ、出かけて、観るときだ。幸福というものを具現化して、アニメ形式に結晶化したものがジブリ作品。この世界がもつ最も影響力のある力。

■『ラピュタ』、しばらく観てない。最近、ディズニーからブルーレイの『ナウシカ』が出てるのを発見してさ!もう永遠に出ないのかと思ってたよ。ジブリで一番好きなのが『ナウシカ』だから。ランラ〜ラララ〜ラ〜ラ〜♪

■古典映画が、二流のありふれたポップ・スターを打ち負かした。世界は正しく回ってるってことだろ。



コメントにあった『ハウルの動く城』のワルツ、『人生のメリーゴーランド』でウェディング・ダンス(結婚式で新郎新婦が初めていっしょに踊るダンス)↓。良い曲だなあ…とあらためて思いました。

Wedding dance Joe Hisaishi "Howl's Moving Castle Waltz" - Свадебный танец




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posted by gyanko at 01:53 | Comment(139) | マンガ・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月05日

海外の反応 - 米国テレビドラマは、日本のドラマや女性向けマンガを参考にするべき -

御礼

本日は、とにもかくにも御礼から。

前回、はなはだ身勝手なお願いをしてしまったにもかかわらず、コメントとメッセージでそれぞれ書き換えてくださったかたがいらっしゃいまして、ありがたくコピペで修正させていただきました。

お忙しい中、わざわざ時間を割いていただき、本当にありがとうございました。
自分の情けなさを棚にあげるようではございますが、理数系のかたがたのカッコよさを実感させていただきました…。ありがとうございました。感謝の言葉にたえませんです…。



↓前回の記事についたコメントです。本日はやや長めとなっております。


■くー、チキショー。私の中の13歳が、もっとアニメやマンガをガツガツ食べたいって、期待と喜びに震えてるよ。

 ■↑イエー!マンガ!

■「リリーを自由にしてあげて!」…か。確かに、彼女ってほとんどいつも、ひどい扱いを受けてるよね。それでも、そういうときの彼女のリアクションを見るのがすっごい面白いんだけど。

女の子ってさ、コミカルなタイミングで使うと天才的に面白いもんだよね。

■『NANA』、ラブ!あのぐらい良質の物語をもったマンガをずっと探してたけどやめた!この記事の作品をチェックしてみるわ!
『NANA』の実写映画は見た?2作目は駄作だったけど、初作は見る価値ありよ。

 ■↑中島美嘉は大好きだけど、映画の『NANA』は合わなかったなあ、私には。理由はいくつかあるけど。

アニメの『NANA』の世界にひたりすぎたせいかも。2次元以外で、小松奈々っていうキャラクターの存在を信じるのがむずかしかった。

 ■↑実写映画はどうでもいいよね。マンガからかけ離れすぎてると思う。マンガのことを全部忘れて映画を見れるなら、キャラクターの出来を気にする必要もないし、もっと深い人間関係を理解しなくてもいいんだろうけど。
例をあげると、早乙女淳子と高倉京助の扱いが小さすぎちゃってもう…。

とにかく、矢沢あいの病気が回復して、戻ってきてくれることを祈ってる。VIZから20巻が数週間内に出るけど、この後しばらくは北米では『NANA』の出版スケジュールは立たないだろうね。

■ああ、この記事は10点満点以上の出来。これ以外で私が指摘したいのは1つだけ。

性別の符号化って、雑誌連載の対象が統計的にどんなふうな層に分けられてるかっていうことが大きいの。(訳注:層分けが硬直していると、符号化がきつくなる)。
たとえば、成人女性にはjosei(女性)ジャンル、成人男性にはseine(青年)ジャンル、それからshojo(少女)、shonen(少年)、サラリーマン、スポーツ、などなど。

日本のマンガ雑誌って、読者側の心の中の刷り込みを映し出すときの視野が広いんだよ。つまりさ、出版社側が、対象層のいろんなタイプに応じて、いろんなレーベルを出してる。クッキー、Wings、モーニング、少年サンデー、Asuka、LaLa、そりゃもういろいろ。

出版側が、女の子、男の子、女性、男性の多種多様な好みにうまく応じようと努力することが結局、主人公やストーリーの多様性につながってるってことね。

そのうえ、ニッチなマンガですら(まあ、Wingsのことだけど)発行部数がそれなりにすごいから、紙や経費がより安く済む。
だから、米国市場だったら即効で握りつぶされてしまうようなストーリーや主人公だって、日本市場なら隅っこのほうでなんとかやってけちゃうんだよ。

■『紅色HERO』はすごいよね!高梨みつばはすごい話を書いたもんだ。

日本のメディアが英語圏のメディアより全体として性差別が少ないかどうかを議論するのは、難しいことだとは思う。
でも、やっぱりなんらかの理由があるからこそ、日本のメディアでは、女性クリエイターたちのメディア露出がより多いし、レンジもパワーもあるんじゃないかな。

まあ、マンガには今だって、男の子vs.女の子っていう厳密なジャンル分けはありはするけど(その下にまた、細かいジャンル分けがあるのは置いといて)、女の子向けコミックのバリエーションって、もうそれ自体がジャンルっていうより、1つのメディアになってしまってる。

だって、スポーツっていったら『紅色HERO』、ストレートな恋愛ものっていったら『ピーチガール』、SFアクションなら『東京クレイジーパラダイス』。ロマンス少な目の人生ドラマなら『NANA』。ファンタジーだったら『彼方から』、歴史モノ?『ベルサイユのばら』。

なんかもう、男の子向けと女の子向けに分けたおかげで、逆に、女の子向けコミックが、特定のメディアのニーズに応えるはめにもならず、私たち米国のテレビや映画(それからコミックも…)でよく見る、ステロタイプで小さくまとまった女性キャラクターにもはまらず、自由に成長、発展したって感じがする。

 ■↑同意。日本のメディア・ミックスに、米国と比べて性差別が多いとか少ないとかって話じゃなくて、「ちがう」んだよね。だから、解説や比較がどうにも難しいものになってしまってる。

伊藤の論文は、このあたりの難しいところをいろいろと解体してる。たとえば、kawaii(かわいい)とkakkoii(カッコいい)の力学、性別が米国のオタク・コミュニティでどんなふうな扱われ方をしてるかってあたりから説明してるの。
ここに書くにはオタク的過ぎる話だから、ここまでにするけど。

あと、それ自体がメディアになってるってのに賛成。サブジャンルのおかげだよね。

 ■↑伊藤の論文、絶対読むわ。kawaii(かわいい)とkakkoii(カッコいい)の力学っていうのが気になる。
シリーズものって、どっちかに分類されることが多いよね。女の子だったら「かわいい」カテゴリとかさ……。

それと、オタク・コミュニティとジェンダーの関係っていうのは確かに面白い。女の子が、男性キャラクターのコスプレするのなんて、ごく普通のことだしね。
もっとも、男の子が女性キャラクターのコスプレしたのは一度しか見たことないけど。

男性キャラクターを演じる女性声優だって、たくさんいるもんねえ。…剣心の声優が女だって知ったときはびっくりしたもんよ!

ちょっと、マニアックな話になってきたから、ここらでやめとく。

■私の「読みたいものリスト」に新しい作品を加えてくれてありがとう。ヤオイに関する記事はやってほしいな。どうしてかと言うと、どんな作品が選ばれるのか興味があるから!

私だったら、『X』と『BANANA FISH』!

X illustrated collection 2 X∞〔INFINITY〕 (X illustrated collection (2))  BANANA FISH REBIRTHオフィシャルガイドブック

■記事の5つのポイントについては完璧に同意。米国メディアにこういうポイントを組み込んでいってほしいと思う。

『ママと恋に落ちるまで』も『ビッグバン★セオリー/ギークなボクらの恋愛法則』も本当に大好きだけど、女性キャラクターが徐々に脇に追いやられていっちゃって、ガッカリだったから。

■『BASARA』をみんなに薦めたいわ!有名なタイトルじゃないし、価格も高い(27巻あるし)。ときどき馬鹿馬鹿しい展開にもなる。

でも、世紀末後の日本を統一しようと、革命を先導する女の子の話なんだってば!もうマジで、これだけ言えば、十分でしょ?

BASARA (1) (小学館文庫)

 ■↑十分です!

 ■↑それ、英語版かイタリア語版、それかインドネシア語版、出てる?日本語読めない……。

  ■↑英語版がVIZから出てるよ。

   ■↑よっしゃ。これでまた、金が飛ぶよー。

■つい先日のことだけど。別に、主役が男か女かでマンガを選んではいないつもりだったんだけど、考えてみたら、好きな作品って女性作家ってことが多いなって気づいたの。

このへんが、どうして私がアメリカのインディー・コミックやヨーロッパのコミックにはまらないかっていう理由の手がかりになるかもしれない。

ヤマトナデシコ七変化』はいまだにお気に入り。少女マンガの学園モノって、もう自分が学生じゃなくなっても、読む価値があるよね。

ヤマトナデシコ七変化 (29) (講談社コミックスフレンド B)  僕らはいつも 7 (マーガレットコミックス)

僕らはいつも』とか『好きっていいなよ。』もお薦め。

好きっていいなよ。(5) (デザートコミックス) きみはペット L’integrale(1) (KCデラックス)

■ありがとう!『きみはペット』をこれから買いに出かける!

■ああ、『Shojo Beat』…。それと『NANA』!あの雑誌に載ってる作品は、だいたいどれも面白かった。うん、思うよ、バリエーションの幅が広いの。

実際、同じ作者の『Paradise Kiss』も読んでたせいで、『NANA』はハマった。『Paradise Kiss』って(もう本当に心から大好き)、『NANA』よりたくさんの問題があるんだよね、キャラクターに。
主人公は、自分をボーイフレンドのアクセサリ以上の存在にしようって気がないせいで、どうしようもない生活をしてる女の子なんだ。

ファッション・デザイン・スクールの10代の子たちの話なの。面白いよー。だって、ありがちな人間関係ドラマもあるんだけど、キャラクターがみんな、それぞれの分野で成功しようって躍起になってる人ばっかり。
人間関係に構ってられないぐらいガツガツがんばってる10代を描いた話なんて、そうそう見つかるもんじゃないわよ。

 ■↑私も大好き。でも、あなたの言う通りの理由で、ここで紹介するマンガではないかなって思う。ファッションはステキなんだけど、主人公がかなり弱い子だから。

『Shojo Beat』がなくなったのは悲しかった。いろんなマンガを紹介してくれる雑誌だったのに。Yen Press(訳注:米国のマンガ出版社)はまだチェックしてないけど、やっぱり少女マンガがいいんだ、私は。

 ■↑恋で自分を見失った女の子が自身を取り戻してく話だよね。そこが、このマンガの魅力。

 ■↑面白い話だったと私も思う。主人公が欠点だらけだから、感情移入ができる。ただ、「ご立派なロールモデル」ではないってだけのことだよね。

 ■↑私も心から大好きだ。欠点のある主人公だけど、ストーリーはそういう弱さに批判的だったように感じる。

記憶が確かなら(読んだの数年前だから)、ジョージが彼女のことを「熱意が足りない」って言うところがあってさ、そういうところがよかった。女性が主役の本における表現を超えてたと思う。

 ■↑エンディングはウザかったけどね。私の場合、結局、主人公が「ロールモデル」にはなりえなかったっていう事実にイラっとしたんだな。
入り組んだ人間関係をほろ苦いエンディングで締めておしまいって感じがしたし。

■ああああ、この記事にどのぐらい幸せな気持ちになったか。独身時代、ほろ苦い20代を日本で過ごしていたころ、『きみはペット』を読んだ。オリジナルの日本語で。あれで心の平穏を保ってたなあ。

■中学校から高校にかけて、しばらくの間だけど、ものすっごい少女マンガ・ファンだったの。
それで気づいたのは、日本の少女マンガって、ストーリーのある部分が甘ったるく、性差別的になればなるほど、独創的になってくんだ。そりゃもう、焼き直しばっかりの米国のロマンティック・コメディのストーリーとは比べものにならないぐらい。

でも、(訳注:そういう甘ったるくて性差別的な部分もあるから)、『フルーツバスケット』とか『ママレード・ボーイ』みたいな作品を米国で映画化したり、テレビドラマ化するなんて、想像するのもむずかしいよ。

フルーツバスケットファンブック/宴 (花とゆめCOMICSスペシャル)  ママレード・ボーイ 4 (集英社文庫―コミック版) (集英社文庫 よ 15-16)

それと、私はホモ的要素は多いほど好き。まあ、要は、男でも女でも、ジェンダー・ロール(男女の性別による役割)がゆるくなればなるほど好きなんだ。

ゲイじゃないけど女っぽい男性キャラクターがいたっていいし、隠れレズビアンってわけじゃないけどオテンバで元気の良い女の子がいたっていい(必ずしもステロタイプじゃないゲイ・キャラクターが大勢出てくるのだってもちろんいい)。

私は、毎日メークしたり、オシャレを楽しんだりっていうタイプの女の子に自分を投影できないの。しかも、ムキムキの筋肉質の男性より、繊細な男の人にいっつも惹かれる。
そういう人間だから、マンガを読むと元気をもらえる。こういう10代向けのメディアって、アメリカにはないでしょ。

■アハハ。松潤って、意志の強い女性が好きになっちゃうような意地っ張りの男の子を演じることにかけては実績あるよね(『花より男子』の前に『ごくせん』で松潤を見たの。それで恋に落ちちゃった。松潤は、不良っぽい役柄のほうがいいなって感じる)。

■この記事、大好き。私、少女マンガの中でも、頭の変な女の子とか、そういうのが登場するようなアホな感じの作品が大好きなんだ。
こっちで女性向けマンガが一般に広く認められるようになったことがうれしいよ。

『NANA』ってさ、アートワークもラブリーだけど、それ以外にもストーリーがファンタスティックなんだよ。映画化されたのもそこが理由でしょ。

女性キャラクターの成長とバックボーンを描いてるって意味で、私が薦める日本モノのシリーズは、『ライフ』だな。マンガもテレビ・ドラマもある。学校でのイジメが題材で、主人公には自傷癖があるの。
読んでてゾッとするところもあったけど、興味がある人は試しに読んでみて。

ライフ 1~最新巻(講談社コミックスフレンドB )

それから、『ごくせん』のヤンクミとかどう?(マンガでもドラマでも)『XXXHOLiC』の次元の魔、侑子は?私の中では、確実に強い女性キャラクター。

■『XXXHOLiC』は女性向けってわけじゃないけど、侑子が知的でスピリチュアルなんだよね。酒ばっかり飲んでるけど、本当にすごいキャラクター。恋の相手はいないの。他にキャラクターとして、四月一日(わたぬき)って男の子が出てくるけど、特に何もないし。本当に大好きだったなあ。私、アニメ好きですらないのにね!

■『LAW & ORDER:犯罪心理捜査班』でついにアレクサンドラ・イームズの話になったでしょ。飛び上がって喜んじゃった。素晴らしく力強いキャラクターだよね(やっと脚本家も、イームズが相棒だってことに気づいたんだね(笑。しかも、もう終盤だってのにさ。お前なんか、呪われろ!)

あと、『クリミナル・マインド FBI行動分析課』には、少なくとも、エミリー・プレンティス、ジェニファー・ジャロウ、ペネロープ・ガルシアが出てるから。

とりあえず、次のシーズンが始まるまでは、マンガを読んで待ってるよ。


訳注:『LAW & ORDER:犯罪心理捜査班』=途中から、『LAW&ORDER クリミナル・インテント』に改題。
アメリカの現役刑事が最もリアルに感じるキャラクターと絶賛した天才刑事、ロバート・ゴーレンが、豊富な経験と知識で、次々と凶悪殺人事件を解決していくドラマ。アレクサンドラ・イームズは、相棒の女刑事。)

訳注:『クリミナル・マインド FBI行動分析課』:FBIの行動分析課のメンバーたちが、犯罪者たちをプロファイリングし、犯罪心理を読み解き、事件の解決に挑む。)

■『New Adventure of Old Christine』はホントに笑ったなあ。

子どもができたら、宮崎駿の映画は全部買って、見せるつもり。ディズニーは買わない。見たいと思えば、どっかで見られるもんだしね、ディズニーは。

■『NANA』大好き。でも、私が熱愛してるのは『Paradise Kiss』のほう。特にイザベラ。


Paradise kiss (1) (Feelコミックス)

訳注:イザベラ:『Paradise Kiss』の登場人物。物心ついた頃から自分が男であることに違和感を持っていたため、「イザベラ」と名乗って女装で生活している。)

よつばと!』もお気に入り。シングル・ファーザーに育てられてる4歳の可愛らしい女の子の話。隣の家の3姉妹とお母さんとの交流も描かれてる。4歳から40代まで、女性キャラクターが全員、素晴らしく良く出来てるんだよ。

よつばと! 10 (電撃コミックス)

エマ』もかなり好きだなあ。物語の主体は登場人物2人のロマンスなんだけど、家庭教師だとか、貴族、その他いろんな脇の女性キャラクターにも焦点が当てられてる。
英国のビクトリア朝時代の下流〜中流階級で暮らす女性たちをめぐる短編の連作。

エマ (7) (Beam comix)

■『サプリ』にがんばってほしい。Tokyopopは出版をキャンセルしたみたいで、怒りのあまり髪の毛をかきむしってるよ…。

サプリ10 (Feelコミックス)

これ、広告代理店で働く27歳の女性の話なの。恋に破れて、なんとか仕事と恋愛のバランスをとろうとする中で、自分とは何かってことを理解してく。Tokyopopの出版物としては、驚くほど深くて成熟した作品だよ。

 ■↑グッド・ニュース!Tokyopopがサプリの出版を再開するよ!

  ■↑おおおお!イエス!

■『R.O.D -READ OR DIE-』の主役の女性、読子・リードマンが力強かった。数年前に見たアニメだけど。
ジェームズ・ボンドみたいな有能な秘密エージェントでさ。あれはよく出来てた。

『NANA』、読んでみるよ。あと、ここにあげられてるマンガやアニメも。

■『放課後保健室』!『放課後保健室』だって!
この作品を絶対的に薦める、とまでは言えない。でも、「ジェンダーと恋愛」っていう問題と闘う若者を魅力的な視点で描いてるマンガに興味がある人には、薦めたい。

放課後保健室 10 (プリンセスコミックス)

■まず、最初に。私は昔、マンガやアニメって総じて、かたくなに男性向けと女性向けにジャンルを分けるよね、って考えてた。
『NANA』とか、そういう少女マンガ、女性マンガを大好きな男たちがいることも知ってるし、私自身、少年マンガや青年マンガに好きな作品がたくさんあるのに、って。

日本って一般的に、ジャンルにはっきりと線引きするよね(性別とか年齢で)。一方で、作品によっては、突出して、そういうジャンルの壁を乗り越えてしまうものもある。
私は、すべての日本のメディアが性別の壁を乗り越えられてるとまでは言わない。けど、乗り越えることにかなり成功してるシリーズもやっぱりあるんだよ。

アメリカのテレビにも、こういう鋳型をぶちこわそうとがんばってる番組はあるとは思うけどね。
思いついたところだと、『フリンジ』。アクション・ドラマとして卓抜だし、主役は強くて、複雑な女性キャラクター。『ベター・オフ・テッド』も、男女のバランスが取れてる番組。女性キャラクターがいろいろコミカルなことをやるあたりとか。


訳注:『フリンジ』:世界中で発生する説明不能なおぞましい一連の事件。これを解決するため、「fringe science」(疑似科学)と呼ばれる型破りな手法で捜査するFBIのFringeチームの活躍を描く。

訳注:『ベター・オフ・テッド』:真実をゆがめ、目標のためだけに突進する巨大ブラック企業で働くテッド。仕事を愛しながらも、会社の体制に疑問をいだくテッドを巡るオフィス・コメディ。

■ヤオイや百合は、女性視聴者、それから少数だけど男性のファンのニーズに応えてる。百合は特に(ヘンタイ系の話じゃなくて)。

ただ、物語って意味では、最も変化に富むのがヤオイだと思うなあ。量的にもたくさん出てるし。ヤオイの物量って、百合の比じゃない。もちろん百合だってレンジは広いけど、市場はヤオイのほうに傾いてるよね。

ヤオイの中でも、ベストと言ったら、よしながふみ。露骨なシーンはないけど、ストーリーに重点が置かれてる。『西洋骨董洋菓子店』はアニメ化もされたし、台湾でドラマになったうえ、韓国じゃ映画にもなった。

西洋骨董洋菓子店 (1) (Wings comics)  honey & honey

百合なら、私が読んだ中で一番ユニークだったのは、竹内佐千子の『honey & honey』だな。作者が、現代日本でレズビアンとして暮らす自分の体験をもとに描いてる。

■この記事はありがたい。ここ1年半ほどでアニメにハマったの。西欧のテレビや映画より女性キャラクターに多様性があるところがすっごくいいの。

マンガは読まないけど、コメントを読む限り、マンガってアニメより女性の象徴的キャラクターが多いのかもって思った。
女の子が中心になるアニメって、年少の視聴者が対象になりがちでしょ(高校生とか、もうちょっと下の子たち)。今後、もっと女性向けのものがアニメになってくれたらなあって感じる。そしたら、私たちみんなが楽しめるもの。

どっちかって言うと、私はアニメだな。アクションやキャラクターの成長、深い含意があるし、目立つキャラクターだと、男であれ女であれ、単純なステロタイプってことは稀だから。

■私もマンガを読まなくなりかけてた。だって、あまりに、「気が利かなくて、おどおどしてて、そのくせめちゃくちゃ可愛い」っていうヒロインばっかりだって思って。
でも、そうだね、日本には、良質の複雑なストーリーやキャラクターがあるんだな。

なにもないとしても、いつだって宮崎とジブリに頼れるし。『ナウシカ』は永遠の私のお気に入り。みんな、正直に認めようよ。彼女って、すごいじゃない?

■この記事をこのサイトで読めたことがうれしい。ただ、ここで言及されてないことを1つ。少女マンガで私が気になるのは、女性の性の取り扱い。

彼 First Love』とか『ホットギミック』みたいなマンガでさえ、成長と成熟を描きながら、セックスが全編を通じて、大きなテーマになってる。セックスってまるで、「女の子は求めてないもの」みたいな扱われかたなんだよね。

マンガの中で、女の子がセックスをためらうことはしょっちゅう。なのに、それで彼氏に疑問をぶつけたり、話し合ったりするわけでもなくて(誰かにアドバイスを求めるわけでもなの)、ただもう丸め込まれてセックスになだれこむって感じ。
でもって、セックスを楽しんでいるときですら、苦痛を感じてるような描かれ方。

マンガは大好きだけど、特に矢沢あい(『NANA』の作者)、それ以外の少女マンガってほとんどが「ひどいな」って思うことのほうが多いよ。

彼first love 8 (フラワーコミックス)  ホットギミック 2 (フラワーコミックス)

 ■↑実際、『NANA』だと、主人公の1人は、「セックスしたがりだけど、それに罪悪感を感じてる子」として描かれることが多いよね。それでも、やっぱり「すごい子」っていう描かれ方ではあるけど。

たださ、アメリカみたいに、混乱も少なくあっさりと性を扱うようなマンガを、少女マンガとは私は呼ばないわ。
性は気楽に話せるカジュアルなことである場合が多いけど、ほとんどのアメリカものと比べたら、日本のほうがずっとヘルシーなんじゃないの?私見だけど。

 ■↑少女マンガのセックスの取り扱い方って、いろいろだよ。そうだね、一般的には、セックスをしたがるのは悪い女の子、良い子は「決意をもって取り組む」って感じか。

でも、そういうのは女性マンガと少女マンガのミックスなジャンルだよね。josei(女性)マンガは大人向けに調整されてるから、セックスするキャラクターも出てくる。『きみはペット』とかは、何度もセックスが出てくるでしょ。桜沢エリカの作品はほとんどそうだし。
『スパイシーピンク』はないけど、これは環境が環境だし、ヒロインが無関心だしなあ。『砂時計』は、杏が成長するとそういう場面がある。

マンガの性表現って多様性があるんだよ。多くは、良い子と悪い子っていう相対化がされちゃうとはいえ、ね。
まあ、メジャーな会社が輸入して翻訳した作品だと、一般に性体験とかは出てこなくて、高校生活に焦点がおかれたものが多いとは、読んでて感じる。

『彼first love』はセックスに至るまでずいぶん引っ張るけど、少女向けに描かれたものだし、いいんじゃないの?こういう本だってないとだめでしょ。

『ホットギミック』はセックスの話っていうより、セックスを抑制する話に思える。あのシリーズ大好きだけど、初(はつみ)って煮え切らないよねえ。ああいう性格じゃなかったら、セックスに対しても態度はちがったかも。……とりあえず、私的には、イライラして叫びたくなるわ。

■『NANA』も『きみはペット』も大好き。アメリカの主流メディアでも、ああいうキャラクターがもっと増えるといいよねえ。『Daria』(訳注:米国のテーン向けアニメ)以来、米国のテレビですごいなって思う女性キャラクターってマジでいない。

■ヤオイと百合マンガ、かなりの量、そればっかり読んでるよ(ぎりぎりshonen-ai(少年愛)な要素が多少入ってるのも)。だから、ヤオイや百合がベースになったアニメや実写版には特に興味があります。

■すごい記事だった。
私は真面目に日本のアニメーションやマンガ産業に関心をもってる。
昨今、萌え文化がどんどん大きくなりつづけているよね。不況で韓国や中国に外注に出される作品が増えて、そのせいで小さなスタジオがつぶれてもいってる。小さいニッチなスタジオが置き去りにされないといいなって願ってる。

それと、『NANA』の映画版は、大崎ナナ役の中島美嘉の音楽が素晴らしかったよ。ソニーのアーティストを売るためのタイアップなんだろうけど、それにしてもすごかった。『GLAMOROUS SKY』とか。

■私もMysoju中毒なんだけど、『Around40 注文の多いオンナたち』は、どうしてもみんなに薦めたいの。

これね、独身の医師の話。年齢は、タイトル通りの40前後で、そろそろ女性としての賞味期限も切れそうって自覚してるのね。
で、彼女には、同年齢の主婦の友達がいる。この人はまた仕事に戻りたいんだけど、スキルがなにもない。
それから、もう1人。彼女たちよりちょっと若い雑誌編集者がいて、こっちは独身主義。

……もう本当に面白かった。スイートな番組。セックス・アピールだけのセクシーな10代なんか一人も出てなくて、30〜40代の女性をちゃんと描いてくれてるところがステキだったの。

■マンガもアニメも、蔵書として買って集めてる。軽めの人気作も買うけど、メインの目的は、良質で、現実的で、意味のあるストーリーとキャラクターが出てくる作品を見つけ出すこと。
けど、ここ何年も、輸入されてくるものって、軽いやつばっかりに思えるんだよなあ…。

■『きみはペット』とか『サプリ』のどこが大好きって、「若くて貧乏な男の子」が、真面目に仕事をしてるキャリア・ウーマンに「筋の通った選択肢」として提供されるってあたりよね。

明らかにこれって、今までの「成人男性と、社会的地位を誇示するため迎えた、若くて美人の妻」っていうパラダイムを変えつつあるでしょ?
同時に、今までの「白馬に乗った、私の王子様は誰?」っていうテーマに対する新鮮な挑戦だとも思うの!

■この記事読み始めるとき、「もし『きみはペット』に言及してなかったら、絶対にコメントで言わなきゃ」って思ってた。

マジで、これは私がかつて読んだ中で一番素晴らしい作品の1つ。
実は、本屋でマンガを眺めてて、この本のタイトルと宣伝文句が初めて目に入ったとき、「ハハハ、馬鹿じゃないの…」って冷ややかな態度だったの。
けど、結局、45分経っても、私はそこから離れられず、第1巻を半分まで読んでしまってた…。

買わざるをえなかったわね。4巻まで全部まとめて。

あとはもう、次の新刊が出るのをストーカーのように待ち続けたよ。1年間ずっと。

スミレが大好きなんだ。他人に思えない。かなり長いこと、架空のキャラクターなんだって納得できてなかったぐらい。

テレビ・シリーズはかなり原作とはちがってたけど、気にしない。松潤の可愛さがもう神がかってたせいだ、これはたぶん。

■こういう話題を議論できるなんて、超ハッピー!josei(女性)ジャンルが大好き。理由はこの記事にあるのがすべて。

ほとんどのアメリカのシリーズって、強い女性キャラクターが出てきても、その強さの理由って肉体的な強靭さか、さほど強靭な肉体をもってない女性の場合は、メンタルに優れてるかのどっちかしかない。

つまりさ、フェミニンな人が「強い女性」とみなされることって稀なの。「強い女性」っていうと、すぐに「美人」と対照化して、肉体やメンタルの力を誇示するんだよね。

私は特別、肉体的にもメンタル的にも強い人間じゃない。だから、こういう2値化されたキャラクターじゃ、勇気をもらえないの。

『NANA』を見てると、勇気が出てくるんだよ。だって、大崎ナナの肉体的な強さやメンタルの強さを楽しみながら、小松菜奈と気持ちを通わせることができるから。小松菜奈って、私に似てるんだ。強い女性としては描かれてないから。

■あなたの記事っていっつもグレート。本当に。

『ホタルノヒカリ』、探しに行く。だって、主人公が私みたいなんだもの。「遊びまわるより、ゴロゴロしていたい」?……友達になりましょう、ぜひ。

■ここで、私たちが共有できるもの、それは、………

松潤!ギャーーーーー!!!

……失礼。

私が言いたいのは、少年マンガだし、女性が主人公ではないけど、『鋼の錬金術師』もリストに加えてってこと。もうね、主要女性キャラクターが全員、とにかくダイナミック。
ほぼ間違いなく、主役の兄弟以外で一番タフなのが女性。アニメにもなってるよ。ほぼ原作通りの出来。
カッコいいイケてる女性がついに登場したってことよ。

 ■↑『鋼の錬金術師』は、描いてるの女性だもん。当然、女性キャラクターはイケてるって。

少年向けのアクション・マンガ雑誌で、女性がマンガを描いてるってことと関係があるかもなあとは思うけど。
(少年向けアクション・マンガって)『BLEACH』とかに登場するような、異常に巨乳なキャラクターが目立っちゃうけど、その背後を見れば、けっこうな量の「クールな女性」が出てくるよ。

  ■↑私、荒川(『鋼の錬金術師』)の人となりにちょっと惚れこんでる。荒川って、「男は大きくてがっしりしてるべき。女性は曲線美」って言うわりには、オリヴィエ(訳注:「ブリッグズの北壁」「氷の女王」という異名を持つ苛烈な性格の女性司令官)みたいなすごいキャラクターを出してくる。
でもって、そんな例外的なキャラクターなのに、ストーリー上で「だからダメなんだ」とばかりに酷い目に遭うなんて展開にもしないんだよね。

また『鋼の錬金術師』みたいな素晴らしいストーリーを描いてほしいよ、彼女には。

それと。『BLEACH』の久保は、ありえないぐらいの巨大な乳が好きってだけでしょw。女性キャラクターはだいたい、イケてると思うよ。パーソナリティもちゃんと作られてるしさ。…だから、私的には、たとえストーリーが永遠に進まないとしても、『BLEACH』はお気に入りの1つ。

女性キャラクターの描き方じゃ、岸本(『NARUTO』)より良いよ。…って、これじゃ、さして褒め言葉にならないか。

■『ドラゴンボール』と『スラムダンク』を読み返してた(いや、うん、もうけっこうな年なのよ、私)。

どっちも女性がステロタイプじゃないんだよなあ。ブルマは、めちゃくちゃ機械に強い天才だし、彩子は素晴らしいバスケ部のマネージャーで、しかもグラマー。

彩子って、キャラクター作りが「リョータが好きになった女」ってだけの立ち位置じゃないんだよね。それって、サイドラインのネタでしかないの。彩子はリョータの恋心なんて完無視だしさ。

■『エイリアス』のシドニー・ブリストウって、ここ十年はアイコンって言える女性キャラクターだよ。


訳注:『エイリアス』:国語教師を目指しながら大学院での学生生活を送るシドニー・ブリストウ。実は、CIAの秘密作戦支部のエージェントとしての顔を持つ。だが、シドニーは自らがスパイであることを恋人に打ち明けてしまう。情報漏洩を恐れた秘密作戦支部はダニーを殺害、シドニーも同じく追われる身となる…。

■↑けどさあ、私、シドニー・ブリストウほど自分が強いとは思えないし、彼女の生活って、私の実生活とかけ離れすぎてるんだよなあ。

 ■↑アイコンだというのは同意。

最初の頃のシドニーは、「誰に対しても、なんでもやってあげようとする若い女性」って感じだったよね。

……たとえば、カー・チェイス中なのに、いきなりフランシーからチャーリーのことで泣きながら電話がかかってきて、シドニーは、カー・チェイスをしながら、スパイ活動もして、フランシーのことも励ます、しかも全部同時みたいな。
…それに、なにかっていうと、体を鍛えてたし、いっつも走り込んでたしね…。

……ま、このドラマ、私とは相性が良かったよ。『エイリアス』のテーマって、「すべてのエピソードに、シドニーのエイリアス(替え玉)がいるので、なんでも同時にできるんです」だったのかな。考えすぎか。



長文が多いうえ、数が少なくなかったので、「アメリカのドラマだったら、この作品の女性キャラクターが好き!」、「日本だったらこれも!」という品評会コメントはある程度の数に抑えております。


ずいぶん前、米国の図書館で日本の少女マンガが人気があるというニュースを見たことがありますが(『フルーツバスケット』が米国のベストセラーランキングに入ったりしていた頃だと思います)、映像には小中学生の女の子が図書館でマンガを読んでる様子が映し出されていました。
あのころの子どもたちがそろそろ大人になって、女性向けマンガを読んでいるのかもわかりませんな。



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posted by gyanko at 21:12 | Comment(162) | マンガ・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月27日

英語版Wikipediaはそれをどう説明してるのか - アニメ -

久しぶりの英語版Wikipediaのご紹介でございます。
本日は、Anime


以前は、米国Wikipedia特集としてタグもつけていたのですが、どっちかと言えば「英語版Wikipedia」といったほうが適切ではないかとコメントでご指摘いただきまして、その通りだなあというわけでタグを付け替えております。

記事のタイトルのほうはまだ修正しておりませんが、そのあたりはいずれ…ということでご容赦ください。


では、早速。



アニメ


アニメは、アニメーションの日本語省略形。定義は、文脈によって変わる。英語圏の国々では通常、日本のアニメ形式のカートゥーンのことをいう。

日本のアニメとして知られている最も初期のものは、1917年にさかのぼる。ここから数十年にわたって、多くの日本オリジナルのカートゥーンが制作されていった。
1960年代には、手塚治虫の作品に代表されるような、特徴的なアニメ・スタイルへと発展し、1980年代には日本国外でも知られるようになった。

マンガ同様、アニメは、日本で多数の視聴者を獲得し、世界での認知度も高い。配給側は、テレビ放映、OVA、オンライン、また劇場公開などの形でアニメを配信している。

アニメには、手描きとコンピュータ・グラフィックの双方が存在する。アニメは、テレビ・シリーズ、映画、OVA、ゲーム、コマーシャル、インターネット配信などで使われ、すべてではないが、最も多いジャンルはフィクションである。

日本でアニメ市場が拡大するにつれ、東アジアや東南アジアでも人気が出た。アニメは現在、世界中のさまざまな地域で人気を博している。


歴史

アニメの登場は20世紀初頭だった。日本の映画会社が、フランスやドイツ、米国、ロシアで開発されたアニメーション技術を実験的に試みたのが始まりである。最も古いアニメとして最初に映像化されたのは、1917年に制作された2分間のクリップで、侍が新しい刀の試し斬りをしようとして、逆に敗北を喫するという内容だった。

初期アニメのパイオニアには、下川 凹天幸内純一、北山清太郎がいる。

1917年の、最も初期の日本のアニメーション・ショートフィルムのセル↓。

1917anime.jpg

1930年代までには、日本の実写映画産業において、アニメーションは、物語を語るためのもう1つの形式となった。だが、これが、海外の制作者や多くのアニメーターたちの間で競合を引き起こし、大藤信郎村田安司といった人々が、熟練した作品を出しながら、セル・アニメーションではなく、カットアウト・アニメーション(訳注:切り紙アニメーション)を安い料金で制作することになってしまう。

が、それでもなお、政岡憲三瀬尾光世といったクリエイターたちによって、アニメーション技術は大きく進歩した。これは特に、教育やプロパガンダにアニメーションを使うという政府側の後押しが強まったことによる。

初の音声入りアニメは、1933年、政岡が制作した『力と女の世の中』だった。初の長編アニメ映画は、1945年に瀬尾が監督した『桃太郎 海の神兵』で、旧日本海軍がスポンサーだった。(訳注:日本語Wikipediaによると、初の長編アニメ映画は『桃太郎の海鷲』(1943年))

↓『桃太郎 海の神兵』

momotaro.JPG

1937年のウォルト・ディズニー・カンパニー制作、長編映画『白雪姫と七人のこびと』の成功は、日本のアニメーターたちに影響を与えた。1960年代には、マンガ家であり、アニメーターの手塚治虫が、簡略化された多くのディズニー・アニメーション技術を導入、これによって経費を削減し、制作するフレーム数を抑えた。
手塚はこれを、経験不足のスタッフと厳しいスケジュールの中でアニメを制作することを可能にする一時的な手段にするつもりだった。

1970年代になると、マンガの人気が急激に高まる。マンガはのちに多くがアニメーション化された。特に、手塚治虫の作品は人々の注目を浴び、手塚は今にいたるまで「伝説」、「マンガの神様」と呼ばれている。
手塚の作品、そしてその他のパイオニアたちの作品は、アニメの特性やジャンルに刺激を与え、これは現在でも、アニメの基本要素でありづつけている。

たとえば、巨大ロボットのジャンル(日本国外では「メカ」として知られている)は、手塚のもとで形作られた。その後、永井豪らがスーパー・ロボットというジャンルへ成長させ、70年代終わりに富野由悠季によって革命が起こされて、リアル・ロボットというジャンルに発展していった。

『ガンダム』や『超時空要塞マクロス』シリーズのようなアニメは、またたく間に1980年代の古典になり、ロボット・アニメは今もなお、日本や世界で最も普及しているアニメ・ジャンルである。

1980年代には、アニメは日本の主流としてさらに浸透し(マンガほどではなかったが)、アニメ制作ブームが起こった。
こうした中、海外市場で改作アニメが数本、成功すると、これに続く1990年代になってアニメは海外市場へ受け入れられていき、21世紀の変わり目に状況はさらに進むことになる。

用語

「animation」という英語の用語は、日本語ではカタカナで「アニメーション」と表記する。「アニメ」という用語は、1970年代に「アニメーション」の省略語として使われはじめたが、フランス語の「dessin animé」から派生した言葉だとする説もある。
日本語では、アニメーション、アニメ双方が使われているが、アニメという省略形のほうが使用頻度は高い。

日本語でのアニメの発音は、[anime]。通常のスタンダードな英語の発音、[ænɪmeɪ]とはかなりちがう。母音も、アクセントの位置も異なる。(日本語では、すべての音節を平坦に発音する)。
これは、酒、ポケモン、阿部公房といった言葉も同様で、このため英語で書く場合は、フランス語のように最後の[e]に正確なアクセントがあることを示すために「animé」と書く場合もある。
これは、読み手側に、「e」が無音ではなく、きちんと発音するものであることを示すもので、英語の正書法的とも言えるかもしれない。

用法

日本では、アニメという用語は、アニメーションの生産国や特有のスタイルを意味するものではない。世界中のあらゆる形式のアニメを漠然と呼ぶ用語である。が、英語辞書は、「アニメ」を「動画アニメーションの日本式」、あるいは「日本で発展したアニメーションの形式」と定義している。

日本語以外の言語では、アニメから様式を借りたものを一般に「アニメに影響されたアニメーション」と言ったりするが、単純に「アニメ」と呼ぶことも、そうした作品の生産国を知らない人々にとっては珍しいことではない。

例を挙げるなら、日本以外の制作会社との共同制作で生まれている「アニメ」もある。ランキン・バス・プロダクションの伝統的アニメーション作品のほとんど、カートゥーン・ネットワークとプロダクションI.Gの『IGPX インモータル・グランプリ』や『オーバン・スターレーサーズ』などがそれにあたり、これを「アニメ」と呼ぶかどうかは見る人によって変わる。

英語で「アニメ」を普通名詞として使う場合、通常は集合名詞として使う。が、普段使いで、可算名詞として使うときもある。また、補助形容詞、あるいは名詞分類辞としても使うことができる("The anime Guyver is different from the movie Guyver"(アニメの『ガイバー』は映画『ガイバー』とは別物)といった使い方)。

類義語

使われなくなってきている言葉ではあるが、英語圏ではアニメを「ジャパニメーション」と言うことがときどきある。「ジャパニメーション」が最も使われていた時代は、1970〜80年代にかけてであり、1990年代中ごろに、アニメが英語圏の国々でより広く知られるようになると、「アニメ」という用語がこれに取って代わった。

一般に今は、「ジャパニメーション」という言葉は、回顧的な文脈の中でしか使われなくなっている。ただ、「アニメ」は日本語の用法では日本産であることを示す言葉ではないので、「ジャパニメーション」は日本の作品とその他の国の作品を区別するために使われたりする。

日本では、「マンガ」という言葉に、アニメーションとコミック双方の意味が含まれるときがある。一方で英語圏では、日本国外での「アニメ」の用法と同様に、「マンガ」はもっと厳密に「日本のコミック」という意味である。
「ani-manga(アニマンガ)」という用語は、アニメーション・セルから制作したコミックを指す。

視覚的特徴

アニメを1つの芸術形式と呼ぶ評論家は多い。視覚媒体としてのアニメは、そのビジュアル・スタイルに力点を置くことができる。

スタイルはアーティストやスタジオによって変わる。ワイルドで誇張された定型の1つとして評価が高い『フリクリ』のように、よくある定型をフルに利用している作品もあれば、『おもひでぽろぽろ』や『人狼』のように、よりリアルなアプローチを採ったり、『ポケモン』のように、様式を誇張してキャラクターの国籍がはっきりと見分けられないような描き方をするものもある。

作品やアーティストが違えばアート・スタイルも異なるとはいえ、アニメ様式の要素は多くが非常に共通するもので、こうした要素が一般に「アニメであること」を決定づけるものとされる。
しかし、だからといって、すべての現代アニメが、一つの厳密に共通するアート・スタイルをもっているということではない。

「アニメ・スタイル」と呼ばれているものとはかなり異なるアート・スタイルをもっているアニメは多いのだが、ファンはこうした作品にもやはり「アニメ」という言葉を使う。

一般的に、アニメの描法で最も共通しているのは、「身体的特徴を誇張すること」だ。つまり、大きな目、豊かな髪、長い手足……そして、ドラマティックに表現された吹き出し、スピードを表す線、擬音、デザイン化された感嘆表現といったものだ。

アニメ・スタイルの「線」のクオリティを特徴づけているものとしては、日本画や書道からの影響もある。漢字や画を描くのに伝統的に使われてきた毛筆は、さまざまな種類の厚みの線を生み出せる。

また、背景や枠の中に文字を入れるなど、マンガから多くの要素を拝借する傾向もある。たとえば、オープニングで、ストーリーを語ったり、ユーモラスな効果をドラマティックに表現するためにマンガ式の枠を使ったりする。これは、『彼氏彼女の事情』が例として挙げられる。


キャラクター・デザイン

・プロポーション
アニメで描かれる「体のプロポーション」は、人間の体のプロポーションを元にしている。アーティスト側は、頭の長さをプロポーションの基本単位と考える。
ほとんどのアニメ・キャラクターは7〜8頭身で、極端な場合は9頭身に設定される。

プロポーションのバリエーションは、アーティストによってさまざまだ。
SDキャラクターになると、頭に比べて体が不釣合いに小さい。足などの特定の体の部位が、短くされたり長くされたりして、強調される場合もある。ほとんどのSDキャラクターは2〜4頭身。

『クレヨンしんちゃん』のようなアニメ作品では、プロポーションは完全に無視されていて、このあたりは西欧のカートゥーンに似ている。強調するために、特定の体の部位のプロポーションが大きくされている。

・目のスタイル

アニメやマンガのキャラクターの多くが、大きな目をもっている。この技術を最初に使ったとされているのが手塚治虫で、『ベティ・ブープ』や『ミッキー・マウス』、ディズニーの『バンビ』といったアメリカのカートゥーンのキャラクターの誇張された特徴からインスピレーションを得ている。

手塚の発見は、大きな目にするとキャラクターの感情がはっきりとわかるということだった。『リボンの騎士』を書き始めた頃、当初のターゲットは明確に若い女の子たちだったため、手塚は目のサイズをさらに誇張した。
『リボンの騎士』で手塚が様式的なテンプレートを設定しているのは確かなことで、のちに少女マンガ家たちがこれをまねる流れとなった。

目に色を塗る場合は、特に角膜に多少の深みが与えられる。この深みは、色の濃淡を加えることで出す。一般には、明るめの影、暗めの影、カラートーンを混ぜて使う。

文化人類学者のマット・ソーンは、日本のアニメーターや視聴者たちは本質的に、こうした様式の目を多かれ少なかれ外国風なものだとは感じていないと論じている。

もっとも、すべてのアニメが大きな目ばかりだというわけではない。たとえば、宮崎駿や川元利浩の作品には、リアルな髪の色、リアルなポロポーションの目をもつキャラクターが出てくることが知られている。

・顔の表情

アニメのキャラクターには、「お決まりの表情」がさまざまあり、これでそのときの気分や考えていることを表現する場合がある。感情や気分を手短に伝えるために、ある一定の描き方をされることがあるのだ。
この技術は、西欧のアニメーションの顔の表情表現とは、形式がしばしば異なる。

伝統的なアニメに共通する様式要素は他にも数多くあるが、「お決まりの表情」は特にコメディで頻度が高まる。
ショックを受けたり、驚いたりした場合、キャラクターはフェイス・フォルト(face fault=直訳:顔面不良)(訳注:顔に影線、汗、青筋など)で表現される。フェイス・フォルトは、極端に大げさな感情を表すものだ。

キャラクターが怒っているときは、血管やストレスを表すマークで表現されることもある。つまり、額に血管が浮き出ていることを示す線のことだ。
女性キャラクターが怒っている場合だと、どこからともなく金槌が現れ、相手キャラクターを殴ることもある。これは、主にドタバタ喜劇で使用される。

男性キャラクターが、恋する相手を前に鼻血を出したりもする(性的興奮を示す典型だが、これは迷信だ)。戸惑ったり、緊張したりしているキャラクターは、巨大な汗の粒が描かれたり(これは伝統的アニメのモチーフとしては、最も広く知られているものの一つ)、あからさまに顔が真っ赤になったり、目の下に2本ずつの線が描かれることもある(波線の場合もある)。
こうした表現は、特に、恋心を抑えている状態の現われとして描かれる。

相手を子どもっぽくからかうときは、「アカンベー」で顔を引きつらせる(指で目の下を引き下げ、下側の赤い部分をさらす)。また、目が大きな「X」の形になる場合もあり、これはノックアウトされたことを示したり、体調が悪いことの現われである。これも、コミカルに見せることが目的で使用される。
また、なにも映っていない、空白の目で、なかば自失している状態を示すこともできる。


アニメーション技術

どんなアニメーションであっても、絵コンテ作り、声の演技、キャラクター・デザイン、セル制作といった制作プロセスは変わらないが、コンピュータ・テクノロジーの発達にともない、コンピュータ・アニメーションが制作プロセス全体の効率を上げている。

アニメは、リミテッド・アニメーションの1形態として考えられることが多く、大掛かりな制作の場合でも、リミテッド・アニメーションの常套手段が使われる。これは、視聴者の目をあざむいて、実際(訳注:に使われているフレーム数)より動きが多いように見る側に思わせる手法だ。
こうした技術の多くは、限られた予算で動く場合に経費を削減する手段である。

アニメの場面は、3D視点を作り出すことに重点を置いている。背景は、その場面の雰囲気を描く。
例をあげると、アニメではしばしば季節の移り変わりを重視する。これは、『天地無用!』など、多くのアニメに見ることができる。
実際の舞台がアニメにそのまま書き写される場合もある。『涼宮ハルヒの憂鬱』の背景は、日本の兵庫、西宮の郊外のさまざまな場所がモデルになっている。

カメラ・アングル、カメラの動き、光の当たり方も、アニメの場面では重要な役割を演じている。特に背景に関しては、監督がおうおうにして、場面の視角の決定権をもつ。加えて、カメラ・アングルで遠近を表現する。
パン、ズーム、顔のクローズアップ、パノラマといった映画撮影術のカメラ効果を監督が採用するときもある。

アニメの大多数は伝統的なアニメーションであり、このおかげで、分業、ポーズ・トゥ・ポーズ式アプローチ(訳注:キーとなるフレームをまず描き、あとでその間を埋める手法)、撮影前の作画チェックといった、アニメ産業で人気が高い制作方式が可能になっている。

これ以外の媒体となると、ほとんどが、大藤信郎の影絵やカットアウト・アニメーション、持永只仁、川本喜八郎、村田朋泰らの静止画人形アニメ、富岡聡のコンピュータ・アニメーション(『ウサビッチ』が最も有名)のような、独立系が制作するショート・フィルムに限られる。

配給

アニメは1960年代に日本以外の市場へと参入した後、1980〜1990年代に市場を拡大し、主要な文化的輸出品として成長した。日本貿易振興機構によると、米国のアニメ市場だけでも「約43億5000万ドルの価値がある」という。

アニメは、アジア、ヨーロッパ、ラテン・アメリカでも商業的成功を収めていて、こうした地域では米国以上のメインストリームになっている。
たとえば、『聖闘士星矢』のヨーロッパでの人気は、シリーズの放映が終わって数年経っても衰えず、ゲームが発売されたほどだった。

アニメ配給会社は、日本国外でのアニメのライセンス取得や配給を扱っている。ライセンスされたアニメは、その国の言語に吹き替えられたり、日本語音声に字幕を載せる過程で、修正がほどこされる。
アニメの配給は、ハリウッドと似たような全世界配給形式になっており、5つの地域に分けられている。

日本文化に関連した部分は、その地の文化にならって編集したほうがいい場合も起こる。その国の法律に準拠するため、好ましくないコンテンツを削除する配給会社もある。

こうした編集プロセスは、かつては非常に広く普及していた(例:『ボルトロン』)(訳注:米国で、『機甲艦隊 ダイラガーXV』と『百獣王ゴライオン』という、全く関連性のない2つのアニメを統合して作られた)。しかし、こうした手法は、オリジナルのアニメへの需要が高まるにつれて、使われなくなってきている。
以前はアニメに馴染みがなかった視聴者たちも、今はローカライズを軽めにした作品を好むようになったのである。

『ロボテック』(訳注:米国で『超時空要塞マクロス』、『超時空騎団サザンクロス』、『機甲創世記モスピーダ』の3作品を連続する一つの大河シリーズとして翻案、再編集した作品)や『スターブレイザー』(訳注:『宇宙戦艦ヤマト』)などは、暴力部分や成人向けテーマを厳しく検閲することなく、北米の視聴者にアニメ(改変はされていたが)を提供しようという最も初期の試みだった。

また、DVDの出現によって、複数の言語トラックを1つの製品にまとめることが可能になった。これはVHSビデオテープではできなかったことで、VHSの場合、言語ごとに別々のテープに入れ、それが1枚のDVDと同じ価格設定だった。

検閲を軽めにするアプローチは、DVDのリリースの際にも適用された。DVDには、吹き替え音声とオリジナルの日本語音声に字幕が付いたものが入り、大概は編集されていない。テレビ放映のために編集された部分も、DVDでは普通、編集なしの「アンカット」版として、すべての場面がオリジナルそのままでリリースされる。

ファンの中には、自分たちで字幕をつけ、毎放送分を配信するものたちもいる。これはファンサブとして知られているが、こうしたファンサブを集め、ウェブにアップロードしたあげく、広告を入れて金を稼ぐものも多い。これは、多くの国々で著作権法に違反する行為である。

こうしたファンサブの配信や視聴の倫理的影響については、たとえファンサブ・グループが利益を得ていない場合でも、多くの物議をかもしている。日本国外でシリーズがライセンスされれば、ファンサブ・グループは大概、配信をやめる。

株式会社メディア・ファクトリーが、彼らの作品のファンサブをやめるように要請し、ファンサブ・コミュニティ側がこれに従ったという一例もあったが、一方ではバンダイが、英語圏で『涼宮ハルヒの憂鬱』をヒットさせる一助を担ってくれたということで、ファンサブ側にはっきりと感謝の意を示したということもあった。

日本国外でのアニメの認知度には、インターネットが著しく大きな役割を果たしている。1990年代以前は、アニメが日本の国境を越えて公開されることには限界があった。
インターネットの普及と同時に、アニメへの関心も高まり、アニメ・ファンダムの多くがインターネットを通じて成長した。インターネット・コミュニティと、アニメ関連物の量の増加があいまって、ファンダムの成長に拍車をかけたのだ。

インターネットはますます利用の幅を広げ、ネット広告による収益も1995と2005年では、16億ドルから1800億ドルへという成長を見せている。


放映

日本では、テレビ局が定期的にアニメ番組を放映している。テレビ東京のようなメジャーな国民的テレビ局がアニメを放映するのだ。地方の小さなテレビ局も、UHFでアニメを放送している。

米国では、カートゥーン・ネットワーク、ディズニーSyfyなどのケーブル・テレビのチャンネルがアニメの時間を設けている。特にアニメ番組を放送しているのは、アニメ・ネットワークやファニメーション・チャンネルといったチャンネルである。
ソニー傘下のアニマックス、ディズニーのジェティックスは、世界の多くの国々でアニメ放映を行っている。

イギリスとなると、アニメを放送しているのはアニメ・セントラルのみだ。


世界の文化への影響

初期、『鉄腕アトム』のようなアニメの西欧改変版が商業的に成功することがわかり、アニメは西欧諸国で利益が上がる商品になった。
90年代後期になると、現在でも世界中で放映されている任天堂の『ポケモン』のスピンオフ・アニメ・シリーズが開始され、これが『ポケモン』の数十億ドルにものぼる社会現象的成功に大きく寄与した。

こうした流れの中で、アニメは西欧文化に大きな影響を与えている。19世紀以来、日本に特別な関心を示してきた西欧人は多いが、アニメによって、西欧人の日本文化体験は飛躍的に増えた。

日本文化は、アニメ以外の他方面でも人気が高まってきている。世界規模で見ても、日本語を学習する人々の数は増え、この大きくなりつづける需要に応えて、1984年に日本語能力検定試験が創設された。

各国の国内アニメーション産業ですら、日本アニメをまねようという試みがあった。「アニメに影響を受けたアニメーション」とは、アニメのビジュアル・スタイルをまねた、日本以外の国の作品を言う言葉だ。

こうした作品のほとんどは米国、ヨーロッパ、日本以外のアジアのスタジオで制作され、一般に言って、『アバター 伝説の少年アン』のように、アニメの法則に則った定型化や手法、ギャグを組み込んでいる。

この場合、制作スタッフはアニメのファンであったり、アニメを見ねばならない立場であったり(訳注:レビュワーなど)することが多かった。アニメは自分たちが制作するシリーズのインスピレーションの源であると言うクリエイターたちもいる。

さらに、フランスの『オーバン・スターレーサーズ』制作チームにいたっては、日本の制作チーム、ハル・フィルムメーカーとコラボするために東京に引っ越してしまった。だが、批評家や一般的なアニメのファンたちは、彼らの作品をアニメとは考えていない。

アニメを風刺の対象にしているアメリカのTVアニメーション・シリーズもある。たとえば、『サウスパーク』だ(『Chinpokomon』(訳注:日本未公開。『ポケモン』の任天堂からの抗議や、昭和天皇と同名のキャラクターが出てくるため右翼団体からの抗議を危惧したと憶測されている)や『Good Times with Weapons』の回(訳注:ABC振興会さんで詳細がわかります))。

『サウスパーク』は作画スタイルが際立っているが、これ自体も『FLCL』の第5回『ブラブレ』でパロディになり、『Chinpokomon』の放映数ヶ月後にリリースされた。

FLCL Episode 5 Part 1 English


(訳注:↑動画の「評価の高いコメント」に「サウスパーク?うわー!」というコメントがございました。)

ニックトゥーン・ネットワーク制作のカートゥーン、『Kappa Mikey』(訳注:米国のアニメーション)になると、アニメを風刺しようという意図が基本設定を作るきっかけにすらなっている(訳注:日本のアニメ全般をパロディ化。アメリカ人の主人公が、人気アニメの主演に抜擢され、日本へやってくる…というのが基本設定。詳しくはアメリカTV/映画ノーツさんで)。

『Perfect Hair Forever』のように、アニメのお決まりをパロディにしているものも見受けられる(訳注:詳しくは英語で!アニメ・マンガさんで)。

アニメ・ブームのさなかの1990年代初めには、アニメ・コンベンションが登場しはじめていた。Anime Expo、Animethon、Otakon、JACONなどだ。現在、アニメ・コンベンションは、米国、アジア、ヨーロッパのいたるところ、さまざまな都市で年一度の割合で開催されている。

コンベンションでは、参加者の多くがアニメ・キャラクターのコスプレをする。また、日本から、アーティスト、監督、音楽グループといったゲストが招聘される。

コンベンションの他、アニメ・クラブも、日本文化の理解を広めつつアニメを公開する1方法として、大学、高校、コミュニティ・センターなどに広く普及している。

視聴者たちは、アニメに関連したもの、アニメ用語であれば、日本の言葉も理解できる場合がある。ときとして、こうした言葉は(本来の日本語の意味とは)異なる含意をもつときもあるが。
たとえば、オタクという日本語の言葉は日本国外では、アニメ・ファン、特に過剰なほどの関心をアニメに抱くファンという意味で使われるが、日本語では否定的な含みがある。この否定的含みが海外では薄まっていて、その代わりにアニメ・ファンたちのプライドが暗に込められた言葉となっている。●



『サウスパーク』の作者、トレイ・パーカーは日本通として知られたかたのようです。大学で日本語を学び、日本在住経験もおありだとか。『Chinpokomon』は2000年度のエミー賞にノミネートされています。



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posted by gyanko at 18:54 | Comment(56) | マンガ・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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