一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろずに依枯の心なし
一、身をあさく思、世をふかく思ふ
一、一生の間よくしん思わず
一、我事において後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いずれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、れんぼの道思いよる心なし
一、物毎にすきこのむ事なし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具を所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は格別 よの道具たしなまず
一、道においては死をいとわず思う
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し仏神をたのまず
一、身を捨て名利はすてず
一、常に兵法の道をはなれず
有名どころでは吉川英治




初回の今日は、武蔵の著作と言われる『五輪書
これは、人生において60数度の、文字通りの真剣勝負を生き抜き、つねに目前に死をおいて鍛錬しつづけた宮本武蔵が、剣術と兵法を語った指南書であり、海外でも、マーシャル・アーツの指南書として、またビジネス書として広く読まれているベストセラーです。
米国アマゾンの『五輪書』(The Book of Five Rings (Bushido - The Way of the Warrior))には、137件ものレビューがついており、この本があまねく海外にも知れ渡っていることが窺えます。
米国でもすでに古典と言える、この本のレビューから、まずは最初に、85人中79人が役立つと評価したレビューをご紹介。これは、『五輪書』を武術の指南書として読み解いた正統派レビューです。
評価:★★★★★ 本書の哲学に関するコメントをいくつか。
非常に完全なレビューがすでにさまざまな人によって書かれているので、私は、武蔵の技術に関する、一見したところ逆説的な考え方について、いくつか些末的なコメントをしようと思う。
この本は伝説的な著作である。西欧ではときに『日本のローンレンジャー』(訳注:ガンマンが主役の西部劇映画)とも言われてきた剣士によって書かれた本である。武蔵は、60回以上の闘いに勝ちつづけたと言い、だからこそ、武蔵の名前は日本でも西欧でも伝説的なものとなっている。
この本は武蔵の哲学と正しい剣の道について開示しているのだが、武蔵が信奉した原理は、多くの人々にとっては理解しがたいものになりがちだ。武蔵はこう言う。最も良いスタンスはスタンスがないことである、と。またこうも言う。あまりに力が強いことは良いことではない(剣がぶつかり合ったとき、剣が砕けてしまう)。あまりに速いことも良くない(バランスをゆらがせる)。そして、またこう言う。これらのどれも、真の剣の道ではない。最良の技術とは、技術ではないのだ、と。
この種の哲学は、ささやかな混乱を呼ぶだけではすまないだろう。なので、私はここで、多少なりとも、解明できるならそうしたいと思う。何年も武術を習い、東洋哲学をそれなりに読んできた私とて、武蔵を理解しているとは断言できないが、みなさんに役立つこともあるかもしれない、私がどのように解釈しているかについて書きたいと思う。
基本的に武蔵の言葉は、一度技術を習い、それを記憶、特に肉体の記憶にとどめてしまったら、それは固定されてしまい、もはや応用は効かないということだ。体はこの形、あるいは技術にはまり、制限がついて、どんな状況に立ち合っても、順応し、自由に動くという真の達人の域には達し得なくなってしまう。つまり、固定されてしまうということは、機能不全ということであり、真の剣の道ではない。これは、武蔵が、この本の空の巻で語っていることであり、彼の生き方、真の剣の道である。言い換えれば、彼の技術とは、固まることなく、変わらざることなく、順応せざることのない、空であるがために、技術ではないのである。
これは禅にも似た原理だ。最も高位の技術とは、見ることができない技術と呼ばれ、これは技術が速すぎて目に見えないということではない。技術があまりに高度で繊細であるために、その原理が明瞭ではなく、また見えづらいのである。武蔵の考えは、この仏教の禅の原理をも反映している。
興味深いことには、こうした考えは、西洋の脳の学習の研究から多少、裏付けがなされている。学習理論においては、ステロタイピングという考え方があり(社会的あるいは人種的ステロタイプとは全く関係がない)、これは、脳がある動きを学習すると、ある流れ、パターンに固定されるが、必ずしもそれが最も効率的、かつ効果的な方法であるとは限らないということである。学習理論の私のインストラクターは、髭剃りを例にとっていた。彼は、やりかたを覚えてから何年も同じ方法で髭を剃っていたのだが、これが最善の方法ではなかった。何年も髭を剃り続けた後に、彼はやっともっと効率的にできるように髭剃りの方法を変えたのである。
このことが武術にも当てはまる。私たちはある動きを学び、ある程度まで技術を習得すると、自己満足してしまい、決して振り返ることも、その動作に疑問をもつこともなくなる。なぜなら、私たちは、一定のレベルの技術に到達したと思い込んでいるからだ。私は、ブルース・リーの截拳道(ジークンドー)やフィリピン武術で有名なポール・ビュナックが、技術よりむしろ、原理の習得を強調し、セミナーでは特に、技術の背後の原理を覚えてしまえば、状況に応じて無限の技術を駆使できるとはっきりと言い切っていたのを知っている。
武蔵の考えが西欧の科学によって支持されたということと同じぐらいに逆説的な、もう1つ興味深い哲学原理がある。屈伸筋の逆制止として知られる神経筋の生理学上の現象だ。ある筋肉が動いているとき、対になる筋肉の緊張は、屈筋の疲労を少なくするようにコントロールされている。それゆえ、ストレート・パンチを出すときは、三頭筋が緊張し、二頭筋は抵抗を減少させる。逆説的だが、パンチを外に出すときは、反対方向へ少し下がることで、スピードが上がるということなのだ。運動生理学では、筋肉緊張法と言い、バスケットボール選手がより高くジャンプする方法でもある。これは、武術にも等しく応用できる。私はこれで、生徒たちに良い結果を出させてきたし、技術的により早く、より弾力がつくのだ。
以上が、完全に理解はしていると言いきれはしないものの、武蔵の本に関して私の経験から言えることである。みなさんの理解と訓練の、ささやかな助力となれば幸いである。
うーん。非常に謙虚な物言いのかたですが、素晴らしいですなあ。体の経験と感性、そうして知識と理性の両方で読んでいらっしゃるんでしょう。私には及びもつかない理解力。本を読むのも面白いですが、レビューを読むのも面白いのは、こういう文に出会えるからです。
明日は、自己啓発書として読んだかた、それからビジネス書として読んだかたのレビューをお送りします。
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