2009年07月01日

海外のロング・ベストセラー - 宮本武蔵の『五輪書』- その1

独行道

一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろずに依枯の心なし
一、身をあさく思、世をふかく思ふ
一、一生の間よくしん思わず
一、我事において後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いずれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、れんぼの道思いよる心なし
一、物毎にすきこのむ事なし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具を所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は格別 よの道具たしなまず
一、道においては死をいとわず思う
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し仏神をたのまず
一、身を捨て名利はすてず
一、常に兵法の道をはなれず




有名どころでは吉川英治、昨今では『バガボンド』。今回は、古今、絶えることなく、本、映画、マンガ、演劇等、様々な物語の題材とされつづけてきた宮本武蔵。剣聖として名高く、『五輪書』『兵法三十五箇条』『五方之太刀道序』『兵道鏡』などを書き著したばかりでなく、書画にも優れた、まさに達人です。


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初回の今日は、武蔵の著作と言われる『五輪書』です。

これは、人生において60数度の、文字通りの真剣勝負を生き抜き、つねに目前に死をおいて鍛錬しつづけた宮本武蔵が、剣術と兵法を語った指南書であり、海外でも、マーシャル・アーツの指南書として、またビジネス書として広く読まれているベストセラーです。


米国アマゾンの『五輪書』(The Book of Five Rings (Bushido - The Way of the Warrior))には、137件ものレビューがついており、この本があまねく海外にも知れ渡っていることが窺えます。


米国でもすでに古典と言える、この本のレビューから、まずは最初に、85人中79人が役立つと評価したレビューをご紹介。これは、『五輪書』を武術の指南書として読み解いた正統派レビューです。



評価:★★★★★ 本書の哲学に関するコメントをいくつか。

非常に完全なレビューがすでにさまざまな人によって書かれているので、私は、武蔵の技術に関する、一見したところ逆説的な考え方について、いくつか些末的なコメントをしようと思う。


この本は伝説的な著作である。西欧ではときに『日本のローンレンジャー』(訳注:ガンマンが主役の西部劇映画)とも言われてきた剣士によって書かれた本である。武蔵は、60回以上の闘いに勝ちつづけたと言い、だからこそ、武蔵の名前は日本でも西欧でも伝説的なものとなっている。


この本は武蔵の哲学と正しい剣の道について開示しているのだが、武蔵が信奉した原理は、多くの人々にとっては理解しがたいものになりがちだ。武蔵はこう言う。最も良いスタンスはスタンスがないことである、と。またこうも言う。あまりに力が強いことは良いことではない(剣がぶつかり合ったとき、剣が砕けてしまう)。あまりに速いことも良くない(バランスをゆらがせる)。そして、またこう言う。これらのどれも、真の剣の道ではない。最良の技術とは、技術ではないのだ、と。


この種の哲学は、ささやかな混乱を呼ぶだけではすまないだろう。なので、私はここで、多少なりとも、解明できるならそうしたいと思う。何年も武術を習い、東洋哲学をそれなりに読んできた私とて、武蔵を理解しているとは断言できないが、みなさんに役立つこともあるかもしれない、私がどのように解釈しているかについて書きたいと思う。


基本的に武蔵の言葉は、一度技術を習い、それを記憶、特に肉体の記憶にとどめてしまったら、それは固定されてしまい、もはや応用は効かないということだ。体はこの形、あるいは技術にはまり、制限がついて、どんな状況に立ち合っても、順応し、自由に動くという真の達人の域には達し得なくなってしまう。つまり、固定されてしまうということは、機能不全ということであり、真の剣の道ではない。これは、武蔵が、この本の空の巻で語っていることであり、彼の生き方、真の剣の道である。言い換えれば、彼の技術とは、固まることなく、変わらざることなく、順応せざることのない、空であるがために、技術ではないのである。


これは禅にも似た原理だ。最も高位の技術とは、見ることができない技術と呼ばれ、これは技術が速すぎて目に見えないということではない。技術があまりに高度で繊細であるために、その原理が明瞭ではなく、また見えづらいのである。武蔵の考えは、この仏教の禅の原理をも反映している。


興味深いことには、こうした考えは、西洋の脳の学習の研究から多少、裏付けがなされている。学習理論においては、ステロタイピングという考え方があり(社会的あるいは人種的ステロタイプとは全く関係がない)、これは、脳がある動きを学習すると、ある流れ、パターンに固定されるが、必ずしもそれが最も効率的、かつ効果的な方法であるとは限らないということである。学習理論の私のインストラクターは、髭剃りを例にとっていた。彼は、やりかたを覚えてから何年も同じ方法で髭を剃っていたのだが、これが最善の方法ではなかった。何年も髭を剃り続けた後に、彼はやっともっと効率的にできるように髭剃りの方法を変えたのである。


このことが武術にも当てはまる。私たちはある動きを学び、ある程度まで技術を習得すると、自己満足してしまい、決して振り返ることも、その動作に疑問をもつこともなくなる。なぜなら、私たちは、一定のレベルの技術に到達したと思い込んでいるからだ。私は、ブルース・リーの截拳道(ジークンドー)やフィリピン武術で有名なポール・ビュナックが、技術よりむしろ、原理の習得を強調し、セミナーでは特に、技術の背後の原理を覚えてしまえば、状況に応じて無限の技術を駆使できるとはっきりと言い切っていたのを知っている。


武蔵の考えが西欧の科学によって支持されたということと同じぐらいに逆説的な、もう1つ興味深い哲学原理がある。屈伸筋の逆制止として知られる神経筋の生理学上の現象だ。ある筋肉が動いているとき、対になる筋肉の緊張は、屈筋の疲労を少なくするようにコントロールされている。それゆえ、ストレート・パンチを出すときは、三頭筋が緊張し、二頭筋は抵抗を減少させる。逆説的だが、パンチを外に出すときは、反対方向へ少し下がることで、スピードが上がるということなのだ。運動生理学では、筋肉緊張法と言い、バスケットボール選手がより高くジャンプする方法でもある。これは、武術にも等しく応用できる。私はこれで、生徒たちに良い結果を出させてきたし、技術的により早く、より弾力がつくのだ。


以上が、完全に理解はしていると言いきれはしないものの、武蔵の本に関して私の経験から言えることである。みなさんの理解と訓練の、ささやかな助力となれば幸いである。



うーん。非常に謙虚な物言いのかたですが、素晴らしいですなあ。体の経験と感性、そうして知識と理性の両方で読んでいらっしゃるんでしょう。私には及びもつかない理解力。本を読むのも面白いですが、レビューを読むのも面白いのは、こういう文に出会えるからです。



明日は、自己啓発書として読んだかた、それからビジネス書として読んだかたのレビューをお送りします。



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posted by gyanko at 21:00 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月29日

海外の評価 - 遠藤周作の『沈黙』-

それでは、早速、遠藤周作の『沈黙』、米国アマゾンの63件のカスタマー・レビュー、

5つ星:50件
4つ星:9件
3つ星:2件
2つ星:1件
1つ星:1件


このうち、最初に、最も役立つと評価された5つ星レビュー2本をお送りします。


138人中、136人が役立つと評価したレビュー。(あらすじ紹介部分の段落を割愛しています。)

評価:★★★★★ 否定できない力をもつ小説

『沈黙』は素晴らしい小説である。遠藤周作とイギリスの作家、グレアム・グリーンは、両方とも、個人とカソリック教義、そして世界の間で育つ関係について扱っているという理由で、比較されがちな傾向にある。
『沈黙』はきわめて緊張感のある歴史小説だ。カソリック教義の知識があれば、いくつかの状況や用語を理解する手助けにはなるかもしれないが、神への、そして人々への、懐疑と信頼の問題は、どんな読者にとってもすぐに入っていくことができるものだろう。


『沈黙』は、いくつかの物語上のアプローチが使われている。最初と終わりは三人称全知視点、物語中盤はロドリゴ視点の日記と手紙という形式で書かれている。主人公のロドリゴは、彼の信仰が正当なものなのか、日本での布教が正しいのか、キリスト教に改宗した信者たちの苦しみ、あまりにも過酷な困難の中での神の沈黙に葛藤しなければならない。


ロドリゴは、ガルペとともに長崎近くの山腹から離れた小さな掘建て小屋に身を隠さねばならず、彼の苦難は、肉体的、かつ文化的孤立の中で悪化する。彼が文化的な面で直面するのは、言葉も習慣もほとんどわからない国にいるという恐怖であり、外的な困難で最も混乱するのは、キチジローという目的の知れない日本人である。キチジローとの関係は、ロドリゴを、信仰と聖書に対する最も厄介で最も深い熟考へ追い込んでいく。


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『沈黙』は、絶対的に私を魅了した読み物だった。この小説の歴史的、文化的背景は、遠藤自身のバッググラウンドによって複雑になっている。キリスト教とカソリックに対する遠藤の視点、特に日本人作家としての視点と日本の歴史に関する記述は、少なくとも、かつて私が読んだグレアム・グリーンの『事件の核心』、『権力と栄光』(後者はテーマ的に遠藤の『沈黙』と大変似ている)のような外国を舞台とした小説よりもなお、強烈に異なる視点から信仰と国際関係の問題を直視することを西欧人に強いてくる。
全体として、とてつもなく、そうして力強い小説だ。




73人中、71人が役立つと評価したレビュー。

評価:★★★★★ 驚嘆すべき、魂の痛みをともなう作品

『沈黙』は、感情に訴える、断固とした筆致で信仰と苦痛を描いた作品であり、最も宗教的な小説で通っている作品すら凌駕している。


西欧の文学はこれまで数限りなく、神学からみた苦痛を描いてきたが、近年、そのほとんどは、苦痛を許してくれるよう神に謝罪を求めるか、苦痛を与えるままにする神に暴言を吐くか、苦痛の中にいる信者を励ます話か、そのどれかのように思える。

フィリップ・ヤンシー(米国のキリスト教作家)は、彼の本の中で苦痛に関する素晴らしい問題提起をしているが、そうしたものですら多少、第三者的な物の見方をしている。それに対して、遠藤周作は、この、私がかつて読んだ本の中で最も感動した小説の1つ、『沈黙』の中で、苦痛の恐ろしい喘ぎの内側から書いているように思える。


筋書きは、1600年代の日本、文化的にも精神的にも不毛の土地に福音を広めるためにやってきたポルトガル人宣教師たちを中心に進む。彼らの神学は、結局のところは、迫害と苦痛しかない中で変質してしまう。私はここで続けることができるのか? 私は、私を苦しめる者を許すことができるのか? そうすべきなのか? 最終的に彼らは、人々の背教と闘い、背教した者たちですら許されることができるのか葛藤する。


この本は、どう考えても、気分が良くなる本ではない。扱われているのは、失敗、敗北、放棄、苦痛、そして全編を通じた神の『沈黙』だ。しかし、同時に、「悲しみの人」、キリストが、私たちに代わって何を耐え忍び、そうしてまた、私たちが、強さからではなく、その弱さのために神の恩寵をどれほど必要としているかに、大きく窓を開いてくれる。
この本を強く薦める。



『文化的にも精神的にも不毛の土地』かあ…。文化の異なる、キリスト教化されていない国=不毛の土地なんだなあ、うーん。…まあ、これが少なくとも当時の西欧の一般的認識だったのは、しかたないのか。奴隷売買が起こったのも、だからだもんな…。



秀吉がバテレン禁止令を出した裏には、

一、スペインの日本植民地化の尖兵としてのキリスト教
一、日本人奴隷の売買仲介。(こちらのニッケイ新聞の記事に詳しいです。大変面白い記事です。)


特に日本人の奴隷売買には、秀吉はかなり怒ったようで、天正15年に当時の布教の責任者であるコエリョを呼びつけて、宣教師が関わっているのではないかと叱りつけております。そりゃ、怒るよな。


実際、宣教師がすべからく、開明的で人格者だったわけでもなく、中にはフランシスコ・カブラルような、日本をまさに文化的精神的未開地と決めつけ、完全上から目線、日本人と文化を差別、蔑視した人物もいたようです。



堅い話が続いたので、次回はソフトな話題でまいりたいと思います。



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posted by gyanko at 21:00 | Comment(9) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月28日

ハリウッドで映画化される遠藤周作の『沈黙』

今年の2月あたりに、マーティン・スコセッシ監督が、遠藤周作の『沈黙』をハリウッドで映画化するというニュースが流れました。

出演は、ダニエル・デイ=ルイスベニチオ・デル・トロに交渉中とのことで、読んだ瞬間、ちょっと年とりすぎてるんじゃあ、と思いつつも、「……でもぴったり」。


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(左から、ダニエル・デイ=ルイスの『ラスト・オブ・モヒカン』、『ギャング・オブ・ニューヨーク』。ベニチオ・デル・トロの『ユージュアル・サスペクツ』。『ラスト・オブ・モヒカン』は、ネイティブ・アメリカンのモヒカン族に育てられた白人青年という『ラスト サムライ』並みのアメリカン・ファンタジー設定ですが、お薦めの大活劇映画です。面白いです。)


二人の出演が決まれば、私としては、

↓ロドリゴ役:ダニエル・デイ=ルイス   ↓フェレイラ役:ベニチオ・デル・トロ

daniel_day_lewis.jpg           del_toro.jpg


のイメージなんですが、年齢考えると、逆なんだよなあ……。それとも、ベニチオ・デル・トロはガルペ役かな…。たぶん、そうだ。

ま、どちらにせよ、よほどの手違いがない限り、今から、この映画で感動する自分が見えます。
私は特別、何の宗教の信者でもないのですが、これ、映像で観たら、きっついだろうなあ…。泣くなと言うほうが無理。


映画の公開はまだまだ先でしょうけれども、今回は遠藤周作の小説『沈黙』をご紹介します。まずは、簡単にクライマックスまでのあらすじを。ネタバレがお嫌な方、すでにお読みになってる方は、茶部分を飛ばしてお読みください。


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舞台は17世紀、島原の乱後の日本。ここに、ロドリゴとガルペという二人の若いポルトガル人宣教師が、熱い信仰と使命感を胸に、はるばる苦難の海を越えてやってきます。

彼らの使命はもちろん「東洋で最もキリスト教に適している」と宣教師たちに評価され、また「死をも恐れぬ民」と言わしめた日本に布教することでしたが、同時に、日本で棄教した(転んだ)と伝えられるフェレイラ教父の真実を確かめるためでもありました。


日本に着いたロドリゴとガルペは、マカオからともに日本へ戻ってきたキチジローの手配で、隠れキリシタンの村へ匿われます。彼らは、長く宣教師に会えずにいたキリシタンたちに歓迎され、近隣の村からもキリシタンが彼らを訪ねてやってきます。重い年貢を課され、貧しくみじめな暮らしの中で牛馬のように死んでいく彼らには、キリスト教が見せる「パライソ(天国)」が唯一の救いだったのです。


ところが、キチジローの裏切りで、二人は長崎奉行所に捕らえられます。目の前で海へ放り棄てられ殉教する日本人信者の姿に耐えきれず、自らも彼らを追いかけ、殉教するガルペ。


ロドリゴはその後、牢の中で意外なほどの好待遇を受けます。不思議なことに、長崎奉行の井上も、決してロドリゴに無理な棄教を迫りません。その安楽さに「日本人は私たちが知るかぎり最も賢明な人々」というフランシスコ・ザビエルの言葉を思い出すロドリゴ。甘い罠に心動かされぬよう、気高き殉教を心に決め、拷問を待ちます。


ところが、ある夜、ロドリゴは、牢の外からの大きな鼾(イビキ)を聞きます。牢番が眠りこけているのか、その暢気な有様に失笑して、牢番を呼びつけると、やってきたのは通訳、そして、ともにいるのは、あのフェレイラでした。あの鼾をなんとかしてくれと言いかけ、ロドリゴはそこでフェレイラから意外な言葉を聞きます。

「あれは、鼾ではない。穴吊りにかけられた信徒たちの呻いている声だ」

穴吊りというのは、地面に身の丈ほどの穴を掘り、そこへ、耳の後ろに小さな穴を空けた信徒を逆さに吊り下げる拷問です。頭に溜まる血液が数滴ずつ流れ出すために、なかなか絶命せず、何日も苦しまねばなりません。

そのうえ、ロドリゴは、彼自身が棄教しない限り、たとえ苦しみに耐えきれず棄教を叫んでも、信徒たちが決して拷問から解放されることはないことを知ります。


神はなぜ、人々の苦しみを前に黙っているのか。信仰とは何なのか。
ロドリゴは果たして棄教するのか。フェレイラの棄教の本当の訳とは。

物語のクライマックスは、静かで本当に深い感動があります。




『沈黙』は、実在の宣教師をモデルにしている作品で、海外での評価も非常に高いキリスト教文学の傑作です。英訳版が初めて発行されて40年が経過した現在でも、海外の関心は高く、堅いテーマにもかかわらず、米国アマゾンのカスタマー・レビューは63件にのぼります。(日本のアマゾンのレビュー数は78件)。


また、米国Wikipediaの『沈黙』の記事によると、

『沈黙』は長編小説として谷崎潤一郎賞をとっている。また、詳細な研究の対象であり続けている。William Cavanaugh(セント・トーマス大学、神学教授)はこの小説を「苦しみを取り除いてくれるのではなく、人間とともに苦しむことを選んだ」神の1つの形を提示してるがために、「深いモラルの多義性」があるとしている。


遠藤周作のキリスト教観は、日本人としてキリスト教に向きあうために、より人間らしさを伴った「同伴者イエス」という考え方に基づいていて(これは『沈黙』の終盤でも出てきます)、これが海外では賛否を含めて、大変な問題提起となったようです。大江健三郎がノーベル文学賞をとったとき、どうして遠藤周作ではないのかという声も海外ではあったとか。


そして、もう1つ。この作品で印象的だったのは、20年の歳月を日本人とともに過ごした宣教師が、日本には真のキリスト教は根付かないと断じる場面です。

乾いた地が水を吸い込むようにどんどんキリスト教を浸透させ、信者を増やしていったことに自分はぬか喜びしていた。日本人は、なんでも自分たちに合うように変えてしまう。ローカライズの果てに似て非なるものを作り上げてしまう、と。(ここもかなり印象的な場面なので、ぜひ『沈黙』でお読みになってみてください。)


この他にも、キリスト教迫害の尖兵に立った長崎奉行井上の描き方も、ただ酷薄な迫害側としての役割ではなく、知性と穏やかさを感じさせる人間として、宣教師に対して日本と宗教を語る場面等があり、心に残ります。



次回は、遠藤周作『沈黙』の海外の評価です。


(ついでに、遠藤周作原作の映画『真夜中の招待状』をご紹介。非常に深刻なテーマにもかかわらず、かつて私が見た映画の中で最も怖い映画の1本です。筋立てもとてもよく出来ています。ひとりではなく、何人かが集まったおりにでもご覧になってみてください。↓)



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posted by gyanko at 21:00 | Comment(5) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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