2009年12月09日

海外の反応 - マーティ・フリードマンのTV番組、『Rock Fujiyama』-

本日は、アニメ、Jpopへの造詣の深さでも知られる、元メガデス、日本在住ギタリストのマーティ・フリードマンの『Rock Fujiyama』(2006年4月〜2007年3月放映)から。スレイヤーのケリー・キングとマーティが日本で競演というあたりが、海外のかたがたの見所だった模様。


↓ケリー・キングが『ホテル・カリフォルニア』を弾くようにマーティにねだられる場面が笑えます。

Marty Friendman and Kerry King on Japanese TV Show


再生回数、44万回。コメント数、1850件。この動画の人気が最も高い地域はこちら↓。
martychart.png


コメント数が多いので、プラス評価のものを中心にお送りいたします。

■マーティの『Dissident Aggressor』のソロ、すげえ(+2)

■どうしてアメリカには、こういう番組がないんだろうな。(+8)

■アメリカの、アイドルが出てくるような番組なんか吹き飛ぶな。(+4)

■申し訳ないが、『I'm Broken』はそんな曲じゃないってば。(+1)

■マーティのほうが巧い。でも、ケリーのほうがクール。(+3)

■マーティは間違いなく巧い。(+6)

■マーティはなんだって、何でもかんでも死ぬほどアドリブを入れたがるんだよ。(+2)

■『ホテル・カリフォルニア』を弾いてくれなかったのは残念だけど、笑えたよ。(+1)

■マーティとケリーを比べてる奴ら。アホか。明らかにスタイルがちがうだろ。スティーヴィー・レイ・ヴォーンとアレキシ・ライホを比べるようなもんだ。(+10)

■ムステイン(訳注:メガデスのギタリスト)がいっしょにやっていくには難しい相手だったことが残念すぎる。良いメンバーを失ってしまった。(+4)

■日本のテレビ番組ってのは、マジで正しいな!!!! オレらの国の音楽チャンネルを見ろよ。がぁぁぁぁ!!!!!(+2)

■彼ら2人が日本の番組に出てるなんて、なんか奇妙な感じ。

■ムステインのことを話しても、マーティは何も言わなかったな。(+1)

■史上最高のメタルのギタリストが2人競演だぞ。すげえ。(+1)

■なんつーーーー素晴らしい番組!!(+1)

■こういう番組をこっちでもやるべきだよな。素晴らしいギタリストを2人も見れるなんて最高だわ。

■これはなんて番組?こういうのって日本にしかないよな?(+1)

■バンドの公式フォーラムで、メガデスのファンが質問したんだ。「グレン・ドローバーのプレイは見たことないですが、アル・ピトレリより巧いんですか?オレたちみんな、彼はマーティほど巧くないってわかってますけど」って。
そしたら、ムステインが「オレたちみんなわかってるだって?馬鹿が!やつはマーティよりいいってオレは知ってる。グレンは、キモノも着ないし、日本のサンダルも履かないし、ポップ・バンドで女のためにプレイもしないからな」って。

■これがテレビ番組だってのか??? なんてこった、アメリカのテレビはクソだ。(+2)

■マーティは最高のソロ・ギタリストだった。…私見だが、彼のソロは忘れがたいんだ。他の連中のソロなんてなにも覚えてない。(+2)

■マーティに何が起こったんだよ。

■↑マーティはこれまでと違うことをやろうとしただけ。でも、それが彼がおかしくなったってことになった。真実は、日本人がマーティを愛した。みんな彼のプレイを聞きたがった。こっちでは、まるでマーティを取られたかのように嫌った。

■マーティ、なんで日本のテレビに出てんの?

■↑今、マーティは日本に住んでる。あっちにはマーティの最大のファン層があるみたいだ。日本に引っ越したのは、それが一番の理由だと僕は考えてる。

■自分の人生で、メガデスのメンバーがメタリカの曲を弾くのを聞けるなんて思ってもいなかった。たとえ、マーティがもうメガデスじゃないとしても。

■にぎやかしで入る観客の声が、ワールド・カップのゴールのときの歓声みたいで笑えるんだけど。(+2)

■なんていう番組。信じられないよ。素晴らしい。キングとフリードマン、どっちもエクセレントなギタリスト。(+3)

■ケリーと夜道で会いたくないな。いや、明るいとこでもやっぱり嫌だけどさ。人間が丸い人ではあるけど、なんかコエエんだよ!(+1)

■フリードマンって、完璧な日本語、話すんだよね。日本ではちょっとしたセレブ。(+4)

■ムステインのことに触れたとき、マーティは話を流したがってた?……戻ってきて、マーティ(涙。(+3)

■信じられねえ!!!!! 伝説のギタリストが二人。ヘビメタ四天王(訳注:メガデス、メタリカ、スレイヤー、アンスラックス)のアイコンが2人同じステージにいる!!!!!! うわーーーーーーーーー(+2)

■「こんな番組出てらんねえよ!」のとこ。オレはスレイヤーのファンじゃないけど、これはケリーの口から出た言葉の中で、過去最高の1つだな。(+8)

■ケリーの髭、童話の小人みたいだな。(+5)

■↑髭?ケリーの髭は、最も偉大で最も恐ろしい、メタル髭だ。もし、侮辱したら、あの髭は馬になって、お前を殺しにいくからな。(+6)

■ケリー・キングは早弾きのコード・プレイヤー。でも、マーティみたいにソロ部分を奏でるための音楽知識がない。競争にもなってないよ。ケリーはコードを弾くのは早いかもしれないが、マーティはケリーの演奏に別メロのソロをかぶせられる知識があるんだ。

ケリーはアドリブを巧くならないとね。知識も増やさないと。彼の曲をやるやつは多いけど、マーティのリフは、弾こうとトライするやつすらほとんどいない(+5)

■英国には、こういう番組が必要なんだ!(+2)

■日本のテレビ・チャンネルがあったら、一日中見てるだろうな。

■マーティはメガデスに入る前から日本では崇拝されてた。メガデスはマーティに世界的な名声を与えたし、日本人は偉大なプレイヤーを愛してるからね。(+1)

■偉大なバンドを脱退後、Jpopをやって埋め合わせようなんて、安っぽいよ。過去最高のメタルのリード・ギタリストの一人なのに。哀しい。(+1)

■ケリーにマーティみたいなリードは弾けないよ!!!絶対に!(+16)

■『アメリカン・アイドル』の代わりに、この番組を放映してくれよ。(+6)

■最高だ、この動画。どっちのギタリストも尊敬してる。…オレはここのところしばらく日本に住んでるんだが、マーティはアメリカじゃ「紛失物」ってことになってはいないだろうな?

■爆笑したよ。……マーティ、何をやってるんだよ!!! 思うに、まだマーティには日本人の女の子が必要なんだな。それと、ギターはやらないとだめだよ。錆び付くよ、マーティ!(笑(+1)

■フリードマンとキングがテレビに出てんだぜ。……日本に住むべきだよな。フランスのテレビでは起こりえないことだ…(+2)

■このマーティってやつを見てたら、メガデスのマーティ・フリードマンのことをたくさん思い出したよ。(+1)

■↑ハハハハ。

■これでロブ・ハルフォード(訳注:ジューダス・プリースト)がボーカルだったら、どれだけ凄いバンドになるか。ドラムがラーズ・ウルリッヒ(訳注:メタリカ)、ベースがクリフ・バートンで(訳注:メタリカ。86年事故死)。ダイムバッグ・ダレルにもできるならきてほしい(元パンテラ→ダメージ・プラン。2004年に殺害される)。(+1)

■日本のテレビってのはクレイジーだ。ケリーはとにかくとして、マーティが日本に住んで、こんなニューエイジの女々しいパワーメタルのクズみたいなのに入れあげてるなんてな…。
ただ、これは言わざるをえない。この番組は、米国のくだらねえ音楽番組なんかよりぜんぜん良い。(+3)

■これはなんて番組なんだよ。日本ではどこのテレビ局?テレビ東京か?誰か知らないのか。

■ケリーは素晴らしいリズム・ギター。フリードマンの分野の人間じゃないんだから、技術についてはほっといてやれよ。『ホテル・カリフォルニア』のとこは、ケリーは、ああいうテクニックの曲を弾いたことがないから怒ったんだろ。(+2)

■↑公正に言って、ケリーはただ慌てたんだろ。そんなことより、もっと大事な点は、どうしてこんな番組がこっちにはねえのか!ってことよ。(+6)

■なんでこの番組は80年代風に見えるように作られてんだ?…日本人はテクノロジーじゃもっと先行ってるはずだろ。

■日本の番組って変だよなあ。…色が多いし、キラキラするのも多すぎだって。(+3)

■この番組って実際、マーティがホストなんだろ?なんか妙な感じしない?

■アメリカの番組はクソだよ。こいつらは新しいバンドを結成すべき。サイッコーだと思う。(+6)

■マーティは史上最高のリードギタリストの一人。キングは史上最高のリズムギタリストの一人。(+10)

■アメリカでこんな番組は見られないよ。だって、これ、間違いなく、レギュラー番組!なんだぞ…。(+6)

■日本では、マーティやジェイソン・ベッカー、バケットヘッドはお馴染みの面々なんだよ。バケットヘッドのCMは日本で作られてるしな。(+1)

■MTVだって昔は、アイアン・メイデンを流してくれたもんだ。でも、もう今は、金と視聴率になっちまったからな…(+3)

■マーティ大好きなんだけど。どうして日本に行っちゃったんだよ!(+3)

■↑アメリカが彼に値する国じゃないから……(+2)

■↑爆笑。

■↑今、ゲームの曲みたいなの作ってるんだ。哀しいよ。(-1)

■マーティがメタル・シーンを去ったのは残念。でも、今だって楽勝でメガデス最高のギタリストだよ。(+2)

■マーティ、メガデスに戻るべきだよ。(+6)

■マーティはJrockとかニュー・エイジに入れ込んでるんだよ。90年代でメタルは捨てたんだ。(+4)

■F*ck offだ。メガデスを出てから、すっかり少女向けみたいな、日本のなよなよしたポップやりやがって。(-8)

■↑メタルに飽きて、人生に変化を求めたんだよ。(+5)

■↑インタビューで読んだ。同じこと繰り返すのに飽きたって。実際、メガデスを脱退して、冒険をしたってことだろ。有名なバンドなのにさ。で、日本へ行って、自活した。今は、バッグバンドやってんじゃないかなと思う。

■↑アホだ。マーティは素晴らしいのに、メガデスをやめた。大きな間違い。

■↑自身の足で歩くことを選んだのさ。マーティは凄いよ。(+2)



マーティとケリーのどちらがスキルがあるのか。ムステインの話になった際のマーティの反応。マーティのせいで『I'm Broken』が台無し、こんな曲じゃない。『ホテル・カリフォルニア』の場面が爆笑。マーティ、最高、メガデス戻って!…このあたりはループでした。

それにしても。マーティ・フリードマン、見るたびに日本語が巧くなってて驚きます。嘘か真か、外国語習得が得意な人は耳がいい(聞き取れる音の周波数の幅が広い)というのを聞いたことがありますが、マーティを見てると、そうかも…と思いますな。

↓こちらは、堺正章の料理番組。これを見て、マーティ、なぜなんだ…と嘆いているコメントもございました。

japan TV Cooking show Marty Friedman 2-1

japan TV Cooking show Marty Friedman 2-2



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2009年11月07日

五嶋みどり -ニューヨーク・タイムズ紙、1991年の記事 その5 -

最終回です。

midori2.jpg


↓こちらを聴きながらどうぞ。1995年、ベルリン・フィル。チャイコフスキー、バイオリン協奏曲第2楽章。
MIdori Goto plays Tchaikovsky 2ndMovement



これほどの観衆の反応を引き出したものはなんなのだろう? 一つにはMidoriのステージ上での魅力的な仮の姿であり、一つには、彼女に張りついた神童のオーラであり、一つにはその息を飲むほどの技巧がある。が、ほとんどはMidoriの演奏の一種、言いがたい音色なのだ。

マクドナルドはこの本質に限りなく近づいている人間であり、こう言う。「彼女は非常に成熟した音楽的才能をもつ人であり、それでいてなお新鮮さも合わせもってる。…なんというか、演奏の中に無垢さのようなものがある。洗練された素質とこの無垢さが揃って、技巧に走ることなく、絶対的な独創性を創り出しているのだと思います」。


だが、Midoriの音楽性になお未熟なところがあることは、だれも、とりわけMidori自身は否定しないだろう。アイザック・スターン(訳注:ユダヤ系バイトリニスト)はMidoriについて「ここ20年で私が聴いた中で最高の才能」と評しているが、それでもやはり「彼女の技巧は驚くべきほどに成熟しているから、現時点での実際の彼女より、もっと音楽的に成熟しているような印象を与えるね」とも見ている。

子供の頃、Midoriが意識的に思考はせぬままに覚えてきた音楽のすべて。それを彼女が今一度、見直したとき、成熟は始まるのだろう。そうして、その成熟には、彼女が、これほどに稀と讃えられる、その自制心を多少、手放すことが必要ともなる。

他の若いバイオリニスト、ナージャ・サレルノ=ソネンバーグ(訳注:イタリア出身。ドロシー・ディレイに師事)やナイジェル・ケネディ(訳注:英国人バイトリニスト。同じくドロシー・ディレイに師事)は、持って生まれた野性を適度に和らげることで、音楽的成熟を果たしている。Midoriもまた、自身に危険を冒すことをゆるさねばならなくなる日がくるだろうが、目下のところ、特徴的な「Midoriスタイル」にはいまだ未来がある。


彼女のスタイルを特徴づけている一つの要素に、日本的な品性というものがある。これまでのところ、前世代の、ヨーロッパ的な背景をもつバイオリニストたちにはないものだ。「彼女はビルナ出身でもオデッサ出身でもなく、大阪生まれだからね」と言うのは、ズーカーマンである。「特質的なことを言えば、オーストリア人的演奏でも中央ヨーロッパ人的演奏でもない。…彼女が習ったのはヨーロッパ的なものだし、現在、習ってるのもそれなのに、ね。彼女の母国語は日本語。だから、結局、すべてのものがいつもMidoriにとってはちょっと外国なんだろうね」。


Midoriの音楽性が成熟しきるかどうかは、彼女のバイオリンの至高のレベルに彼女の人生の中身が追いつくかどうかにかかっているとも言える。現在のところ、彼女の興味は、料理、読書、ショッピング。Midorimはいつも新しいレシピに挑戦しているが、デザート以外はほとんど食べない。「母が食べなさいって強制してくれば、そのときだけは食べますけど」。

読書には貪欲だが、10代向けの恋愛小説の世界からは程遠く、彼女が「イギリスの古典」と呼ぶところの本に関心が向きがちだ。ブロンテ姉妹(訳注:『ジェーン・エア』、『嵐が丘』)、トーマス・ハーディ(訳注:『テス』、『日陰者ジュード』)、E・M・フォースター(訳注:『インドへの道』、『ハワーズ・エンド』)。

Midoriと同年代の友達は今、家を離れ、大学へ通っている。ボーイフレンドとなると、いまだそれはこれからの話だ。彼女はむしろこの手の話題を徹底的に避ける。こう思われるだろうと思い込んでいるのだ。「まあ、かわいそうなMidori。ボーイフレンドをもつ時間もないのね」。

ショッピング。これにはMidoriは大変な情熱を注いでいる。18歳の誕生日に手にしたクレジットカードは彼女の母親の口座のものだ。そのせいで、Midoriは自分が貯めたお金を見たことがない。だが、いかなるイベントであろうと、お金を稼いでいるのだ。「お金の管理は母がしています。私は観客の入りのことを考えていればいいんです」とMidoriはそう冗談を言って笑う。

けれども、本とクラシックのCD以外では、Midoriは自分のために買い物をすることができていない。「いつも弟のものをなにか買います。でも、自分のものとなると、ぜんぶ母にお任せです」。Midoriのコンサート衣装も含めて、買わない場合は、母親が作る。

この母親に丸投げの衣装の件で特別、ばつが悪かったのは、ニュー・ジャージーのモリスタウンでのリサイタルの後のことだった。ステージにはまだ人がいた。節は、カーネギーホール用の衣装候補2着をMidoriに試着させていたが、ドレスのボタンを留めたのも節、外したのも節、Midoriを一回転させ、それから衣装を頭から脱がせたのも節だった。…その従順でなすがままの様子は、まるでからくり人形のようだった。

とは言いながらも、私の心にあるのはMidoriの芸術的才能だけだ。彼女の才能をもっともまざまざと見せつけられた、ある出来事がある。アマーストでのリハーサルの後、Midoriは、エルンスト(訳注:チェコのバイオリニスト兼作曲家。超絶技巧で名を馳せた)のお話にならないほど難しい『The Last Rose of Summer(夏の最後のバラ)』の変奏曲を弾きながら、ステージの端近くでゆらめいていた。彼女の背後数フィートでは、スタインウェイ(グランドピアノ)が、部品をそこら中に散らしながら、騒々しい音を立てて解体されていた。

だが、Midoriは完璧に演奏を続け、バイオリンとともに揺れ、屈み、傾ぎながら、音楽以外の何ものも耳に入っていなかった。そんな片手間の時間ですら、MidoriはMidori自身の小さな世界へ入っていけるのだ。彼女自身を情熱的に直截的に表現できる世界へ。誤解のない世界へ。我々が現実と呼ぶ退屈なものより、もっともっと幸福なその世界へ、だ。●



成熟について少し。
五嶋みどりが目指しているものは、物凄く高潔な自身の理想なのではなかろうかと思います。「Take it easy! 人生って楽しいぜ!」とか「苦しいです、これほど人生が苦しいものとは〜!」という直截的な表現世界ではなく、それをふまえた上で、「じゃあ、どうすべきなのか、どうあるべきなのか」と自分を凝視するような一徹な世界。

五嶋みどりの音楽は抑制されているのではなく、物凄く真面目で不器用な人が、理想に向けて音楽に全身全霊で関っている状態なのだろうなあと感じます。個人の体験や感情が直截的に流れ出ないだけに「自制」されているという印象をもつかたもいらっしゃるのだろうと思いますが、私的には、健気なほどのフルスロットルだなあ、といつも思います。


長々と連載してまいりましたが、ここまでおつきあいいただいたかたがたにまずお礼を。ありがとうございました。コメント等、本当に励みになりました。

この連載記事には「すっこめ」的なコメントもいただいてしまいましたが、……なるべく楽しんでいただけるものをとは思いつつも、どうしてもやりたいものもときどきはございまして、……そんなブログだと思っていただけると、ありがたいです。



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2009年10月31日

五嶋みどり -ニューヨーク・タイムズ紙、1991年の記事 その4 -

早速、参りたいと思います。


ある晩、Midoriと二人きりのとき、彼女に再び尋ねたことがある。私が、ジュリアードを去るという決定は母親によるものであるとディレイが信じていることに言い及ぶと、彼女は取り乱した。
「いつもそんなコメントをしたがるんですよ。でも、あれは私が最初にした本当に大きな決断でした。母は実際、私にもう一度レッスンに戻るように強制してきましたが、私はもう受け入れられなかったんです。あのときまでは、ミス・ディレイと母は私にとても大きな影響を与えていた人でした。彼女たちにとって、私の決断は受け入れがたいものだったのだろうと思います」。

だが、Midoriは、ジュリアードからの旅立ちの原因が、母親とディレイのアシスタントである金城摩承(今、金城はMidoriの義父である)の関係であることは触れようとしない。私がその知らぬ振りを指摘すると、Midoriは最初こそ関係性を否定したが、しばらくたって、声の調子が変わった。
「たぶん、それは私が思っているほどには無関係ではないんでしょう。私の決心は、ミス・ディレイにとても密接に関係した事実から多くは来ているのですが、私自身にとっても、母にとっても、ほとんど2つの三角関係のようなものだったのでしょう(訳注:Midoriにとっては、母と自分とディレイ、母にとっては自分とディレイと金城)」。


1987年の初頭、Midoriはフルタイムのプロのバイオリニストとして、そのキャリアのつぼみを芽吹かせた。いまだ、乗り越えねばならない障害は残されていた。1つは、ニューヨークでのリサイタル・デビュー。これは、I.C.M.側がMidoriがアーティストとして必要とされる成熟度に到達したと納得するまで、慎重に延期されていたものだった。

リサイタルはやはり、協奏曲での(訳注:オーケストラとの)出演よりも広いレンジの技巧を要求される。それは一晩続くものであり、ソリストは、数多の異なる作曲家や、歴史的様式に広く通じていることを見せねばならない。そのうえ、Midoriのニューヨーク・リサイタルはかのカーネギー・ホール ------ ミッシャ・エルマン(訳注:ウクライナ人バイトリニスト)が1908年に、ヤッシャ・ハイフェッツが1917年に、ユーディ・メニューイン(訳注:ユダヤ人バイオリニスト、神童として名を馳せた)が1927年にデビューしたその音楽堂が予定されていたのである。

それゆえ、I.C.M.は、Midoriがより緊張が少ない、批評的ではない観客の前で試験的に演奏ができるように、郊外でのコンサートでその年の10月のスケジュールのほとんどを埋めた。そうしたコンサートの1つ経験したロバート・マクドナルド(39歳。1988年からのMidoriの専属ピアニスト)は、Midoriの音楽的洞察が深まっていった様子をこう語る。「わずか数年の間の変わりようにとても衝撃を受けました。大人への入口へさしかかった心が(訳注:音楽に)浮かび出ているかのようでした」。

やがてついにカーネギー・ホールの夜がくる。チケットは完売。ソニーのクラシック部門は7台のカメラを持ち込み、レーザー・ディスクとビデオ用に演奏を録画した(8月に発売される。CDはその翌月)。しかし、Midoriはといえば、完全に寛いでいた。とうとう本領を発揮したのだ。

今、私は数週間前の彼女の言葉を思い出す。「ステージではとても気持ちがよかった。これほど安心できる気持ちはないほどに。コンサートが最高なのは、そこにいて、弾いているだけでいいということです。他には何もない」。

Midoriのリサイタルのプログラムは、多様なスタイルで彼女をお披露目するために考え抜かれて作られていた。モーツァルトやベートーヴェンといった古典主義から、初期のリヒャルト・シュトラウスのようなロマン派、ラヴェルの『ツィガーヌ』のような情熱的で自由奔放なもの、妙技を要求される名演奏家のものは言うに及ばずだ。

過去、数週間にわたって、彼女はこのレパートリーについて考えを練りつづけてきた。そうして、大げさに表現しすぎてお定まりのものになってしまうよりは、より柔軟に解釈することにしたのである。この過程で、音楽様式の相違がよりいっそう際立つものとなった。

彼女のモーツァルトは、後年の過剰な表現を避け、ひとつひとつをはっきりと明瞭に表現することに焦点がおかれた。ベートーヴェンは抑制された炎を放ち、動的表現と陰鬱さの爆発的なコントラストを伝えてくれる。

最も変わったのはシュトラウスのソナタだ。これは、作曲家の若くロマンティックな情熱が満開に花開いた、奔放な作品であり、熱狂的な演奏を要求する1曲だ。が、マサチューセッツ、アマーストでのリハーサルでは、ごちなく、堅苦しく、そうして行き詰まっているようだった。

ところが、今、これは舞い上がった。官能的なスライド(訳注:弦の上の指を滑らせ、別の音程へ滑らかに素早く移る奏法)に満ち、テンポ良く流れ、ダイナミックで巧妙なグラデーションを聴かせてくれる。シュトラウスは今、のびのびと情熱的に様変わりしたのだ。たった数日前には足りなかったそれらが今ある。

心に焼き付く演奏だった。華々しいアンコールの嵐も、あのスタンディング・オベーションも、記憶から消え去ることはないだろう。



母と神童』には、「ジュリアードを出ることになっても、レッスンを受けたい」と母、五嶋節がディレイに願い出たことが語られているのですが(ディレイはジュリアードを出た生徒を教えることはできないと断ります)、……この記事を読むと、それだけではなかったような筆致です。


音楽には関係のないことですし、どんな関係があったのか想像するのは避けたいところですが。

個人的には、相場皓一(フルート奏者)が、酔っ払った五嶋節を介抱しようとしたところ、当時、10歳かそこら、ふだん大人しい五嶋みどりが大変な目でにらんで「ママをいじめるな!」と叫んで、その様に「絶対に自分がママを守るんだ」とでもいうような健気さを見たと語っていた本の一節を思い出しました。
……ジュリアードを辞めたときのみどりの内面にあったものも、それなのではないかなあと個人的には考えてしまいました。

愛する人を守ろうという気持ちに根ざした「正義」は、確かに容易なことでは崩れない「決断」であろうと思います。



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posted by gyanko at 19:00 | Comment(16) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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