縁は異なものと申しますが、今から約8年前、2001年の夏に私はこのバンドを有線で知りました。まさに一目惚れというか、衝撃的な一聴惚れ。
すぐに有線のサイトでバンド名と曲名を調べ、その日にCDを購入しました。
それが、この曲です。
『
踵鳴る
』/ eastern youth(イースタン・ユース)
今聴いても当然、胸にくるのですが、当時の愛情度合いは十年に一度、稀にかかる熱病といってもよかったです。
この曲をきっかけに、彼らの入手可能なすべてのCDを探して揃え、数週間後にはオークションでチケットを手に入れ、ライブを見に渋谷AXまで出かけました。
この曲が入っている『
感受性応答セヨ
』というアルバムは、『
雲射抜ケ声
』とともに当時、何百回聴いたかわかりません。
『感受性応答セヨ』 『雲射抜ケ声』

このバンドの歌詞を書いているボーカルの吉野寿は、私にとって詩人です。
怠く横たわる川面の憂鬱。
雨曝しなら濡れるがいいさ。
天沼風景。
世界は割れ響く耳鳴りのようだ。
そこに花などは無いのだ。
消えるからいいんだ 口笛も面影も。こうやって、歌詞やタイトルをいくつか無造作に並べていても、言葉に奥行きがあります。しかも、叙情的なのに無駄な感傷がない。自分に酔うことを許さないようなストイックさすら感じます。
この人の詩には、涙とか孤独という単語に作り物めいた劇場性がないのです。そのうえで、粗野なように見えて非常に洗練されていて、荒削りのように見せて細密に作られている。
「あぁ、全部もう嫌だなあ…」とか、厭世的な気持ちになったときに聴くと、自分の心の中でなにか起き上がってくるような感覚があります。それは無責任に借り物の哲学で「がんばれ」と励まされているのではなく、遠くで悪戦苦闘している不器用な他人の姿を見て身を正すという気持ちなんだと思います。
そういう詩が、大仰さのないソリッドな音と一体になって溶け合っているのが、また凄いのです。曲が詩になっていて、詩が曲になってる。詩がちゃんと曲に消化されてて、歌詞がメロディーの上に乗っかってるだけという浅薄さが微塵もない。これはもうボーカルの力が大きいです。
昔、
日野皓正だったと思いますが、子供時代にラジオで聴いた、ある曲(ジャズではなく、ソウルの名曲だったと思います。曲名が思い出せない)が何を歌っているのか、英語もわからないのに体でわかったと言っていたのを覚えています。こういう経験がある人は少なくないだろうと思います。音楽というのは本来、そういうものであろうし、そういうものであるべきなんだろうと思います。
You Tubeの『踵鳴る』には海外からのコメントが20ほどついています。
●23歳/米国
eastern youth、大好きだ。これ、なんのアルバムの曲?
●21歳/アイオワ、米国
オレもどのアルバムなのか知りたい。…これは、これまでの彼らの曲のベストだとオレ的には思う。彼らの曲はぜんぶ凄すぎて、(どれがベストっていうのは)言うのむずかしいんだけど。
● 21歳/米国
この曲を聴いて、アマゾンで彼らのアルバムを買ったんだ。凄い。みんな買え。アルバムぜんぶ、こっちでも出してほしいよ。まだ2枚しか手にいれてない。
●21歳/米国
先週、Shibyaで見てきた。この曲演ってたよ。会場中、盛り上がってた。
ごめん、渋谷だった。
他にもいたかもしれないけど、オレはライブ会場でたった一人のガイコクジンだったよ。
●24歳/ワシントンDC、米国
羨ましいよ。いつか彼らがライブでこの曲を演るのを見るつもりだ。
●21歳/アイオワ、米国
OK、曲の詩の翻訳に挑戦してみた。オレは4ヶ月前から日本語を習い始めたばっかりだから、たぶん間違ってるところがあると思うんだけど。それと、オレは詩や歌詞が上手いってわけじゃないから、翻訳で歌詞の美しさがなくなってると思う。だから、もし日本語をもっと知ってる人がいるなら、助言とか添削してくれ。歌詞の凄さが理解できたから、オレは今、もっとeastern youthに夢中になってる。特にこの曲。
●24歳/中国
すげえ! 今、オレは泣いてるよ。日本でも売れてないバンドです(なにしろ、メンバーの1人は植木職人兼業です)。海外でも売れているわけがないのですが、これを読むと、eastern youthの音楽が通じているんだなあと思って、ちょっと感動します。
米国アマゾンでは今現在、彼らのアルバムは『
感受性応答セヨ
』、ベスト盤の『
Eastern Youth 2001-2006
』、『
Eastern Youth 1996-2001
』しか売られていません。
『1996-2001』 『2001-2006』

それでも、やっぱり、彼らの音楽が通じてる人はいました。
『感受性応答セヨ』にレビューが2件ついていたので、両方ともご紹介します。
評価:★★★★★ ありがとう、日本!
(カリフォルニア、米国)
eastern youthは、信じられないほどエモーショナルで、嘘のない、凄い曲を書く、インディ・ロックバンドだ。あえて、オレは彼らをエモ(訳注:ロックのジャンルの1つ)とは呼ばない、なぜなら、エモという言葉がもつネガティブな含意に、eastern youthはまったくあてはならないから。
ギターは『Siamese Dream
』時代のスマパンのようにぶつかりあい、爆発しそうだし、ベースはまるで難しいフレーズを弾くリードギタリストのようだし、ドラムは猛獣じみているのに正確だ。eastern youthの音は、3ピースのバンドの理想だ。
これは彼らの5枚目のアルバム(訳注:実際は8枚目)じゃないかと思うんだけど、オレ的には彼らのベスト・アルバムになるんじゃないかと思ってる。4枚目や(まだ出てない)6枚目まで入れて比較するのは言い過ぎかもしれないけど。まあ、待てばわかる。
このアルバムは、最も緊張感のあるeastern youthを聴けるし、前のアルバムのもっと生な音と、彼らの作品のよりポップな要素の架け橋になってるように感じる。このバンドはどんどん良くなっていきつづけてる。だけど、5曲目の『踵鳴る』の強烈さは、いずれ誰かがこれをカバーする可能性だってあるように思う。たとえば、eastern youthといっしょに演ったことのあるCursiveとかBlood Brothers(*訳注:両方ともアメリカのバンド)で、なんて言うのは、ちょっと大胆な発言すぎるけど。
オレには信じてることがある。eastern youthがアルバムをリリースし続け、アメリカにライブに来てるうちに、いつか信じられないぐらい重要なバンドとして認められ続けるようになるだろうってことだ。
歌詞は日本語だけど、この情熱的で感情に訴えてくるロックは、オレが聴いたことがある製品化されたJ-popとは遥かにかけ離れたものなんだ。
お薦めの曲
夜明けの歌
踵鳴る
静寂が燃える
青の風景
評価:★★★★★ eastern youthを毎日聴いてる。
(インディアナポリス、米国)
最初にeastern youthを聴いたのは1年ぐらい前、Cursiveとのスプリット・アルバム『Eight Teeth to Eat You
』(訳注:eastern youthとCursiveの曲が半分ずつ入ってる)だった。それから、オレは文字通り毎日、eastern youthを聴き続けてる。
オレがもってる5枚のeastern youthのアルバムには、歌詞に使われている英語はたった2単語だけだ(そのうえ、英語だとはほとんど思えない)。なのに、ボーカルがあまりにも胸に届くから、日本語だってことを気にもしなくなってた。
このアルバムはバンドのベスト・アルバムじゃない。良いスターティング・ポイントなんだ。個人的には、彼らの音楽を知るには、Cursiveとのスプリット・アルバムで聴いた曲より、こっちの曲のほうがいいと思う。
最近、Cursiveのオープニング・アクトでeastern youthを見たんだ。たぶん、客の90%はeastern youthの曲を聴いたこともなかったと思う。eastern youthが最初に曲を演って、日本語だけで挨拶したとき、客は唖然としてたよ。でも、2局目の終わりには、完全にはまって熱中してたね。
eastern youthの音楽は力強くて、すごく感情にくる。正直言って、オレはCursiveよりeastern youthのライブのほうが楽しかった。……これは深い意味をもつ言葉だな。日本語でMCですか、カッコいいなあ…。潔い。侍バンドだ。
こうやって海外のレビューを読んでいると、言葉の壁など軽々と音楽は超えていくんだなあと思います。
ウォルター・ペイターというイギリス世紀末の批評家の言葉に、"All art constantly aspires towards the condition of music"「すべての芸術は常に音楽の状態を熱望している」という言葉があるのですが、詩であり、曲であり、形なく、定めらた色もなく、分けることもできず、体感であり、そこに言語も知識も要らないという意味で、まさにそう思います。
最後に、eastern youthの2007年のアルバム『
地球の裏から風が吹く
』から。
心に届くものがあったら、ぜひeastern youthの世界をアルバムで経験してみてください。彼らのアルバムは、1曲1曲だけでなく、アルバム全曲通しで1つの作品になってます。
では、『
沸点36℃
』
ふってんはあおいそら〜〜〜っ
↓励みになりますので、よろしければ、ひとつ。
posted by gyanko at 21:00
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