長文なので、ご挨拶なしで、行かせていただきます。
フランス、ベビーブーマー世代のコミック・ファンの肖像
70年代に育ったフランスのベビーブーマー世代は、日本のベビーブーマー世代がそうだったように、子供時代からコミックを読みつづけていた。『Coeurs vaillants』か『Vaillant』が毎週、出ており、前者は共産主義の家族、後者は私の家のようなカソリックの家庭で読まれた。その後、私が中学校に進むと、『タンタン』と『スピルー』が登場した。高校、大学となると、今度は『週刊Pilote』がそれに取って代わり、そして、…………あとは何もなかった。
左から、『Coeurs vaillants』、『Vaillant』、『タンタン』。
左から『スピルー』、『週刊Pilote』
一方、日本で成熟したベビーブーマー世代には、マンガ産業が青年マンガ(20歳以上向け)を創りだし、それから社会人向け、特にホワイト・カラー向けのサラリーマン・マンガと、絶え間なく新しいジャンルを大量に生産しつづけた。SF、ホラー、ギャグ、スポーツ、歴史、政治、経済、社会、そして、---特に---ポルノ(注2。
注2)サラリーマン・マンガ:『課長 島耕作

フランスでは、私たちの世代が成人すると、私たちは、ある特定のサブカルチャーだけを狙ったコミックで我慢するよりなくなった。エリート主義で、男向けで、同時に知的、学生ぽく、多かれ少なかれ反体制なもの。それらは、『Le Concombre masqué』の滑稽なバカバカしさや、『Achille Talon』の興奮気味の言葉遊び、そして『Jodelle and Pravda』の氷のようなエロティシズムを基盤にしていて注3)、大衆市場にとってはあまりにも洗練され過ぎていた。
注3)『Le Concombre masqué』/Mandryka著、1965。『Achille Talon』/Greg著、1963。『Les Aventures de Jodelle (1966) 』『Pravda la survireuse (1968)』/Guy Pellaert著
左から、『Le Concombre masqué』、『Achille Talon』、『Pravda la survireuse』
『月刊チャーリー(Charlie Mensuel)』は、この高尚なカクテルに『Peanuts
しかし、もし、知識階級のために知性に訴える、洗練されたエロティシズム程度で我慢していた『月刊チャーリー』がフランスで検閲されていたら、大人気だったElvi出版のコミックにも容赦なく攻撃は降り注ぎ、大衆読者層に夢を与えていたJungla、Jacula, Isabella、Jolanda de Almaviva、それにほとんど服を着けていな冒険者姉妹も目の前から姿を消し、闇取引の暗がりの中に消えていただろう。
左から、『Peanuts』。『Krazy Kat』、『Andy Capp』。
左から、Buzzelli、Crepaxの作品。
私は大学時代を通じて『月刊チャーリー』を購読しつづけ、『週刊Pilote』を最終巻まで読んだ。だが、学生時代ずっと『タンタン』と『スピルー』を巡って毎週水曜日に私と喧嘩をしていた妹はとっくの昔に、どんな些細なことであっても、若い女性に関するものが載ったシリーズを避けるようになっていた。
一方、世界の反対側では、『花の24年組』注4)が、同世代の日本の少女たちに向けてマンガを書いていた。これは、着想から作画まですべて、若い女性によって若い女性のために創られたものだった。独自の美学をもち、レイプや望まぬ妊娠といった問題に目を向け、愛とセックスに女性の視点をもっていた。
注4)昭和24年は1947年。池田理代子
訳注)Wikipediaによると、上記以外に、青池保子

きわめて男性的な社会では、女性にとって男性とタメ口で話すような関係を想像することは難しい。『花の24年組』は、たとえば、池田理代子の『ベルサイユのばら
注5)英訳なし
読者たちが働きはじめると、今度は出版社はOLマンガを創った。結婚すれば、レディス・コミックが読めるようになり、主婦業の決まりきった仕事から束の間、バラのようなロマンティシズムとむしろ生々しい少年愛がちらばめられた世界へ逃避できた。
ベルサイユのばら(5冊セット)

かたや、フランスの若い女性たちはコミックなど諦めきっていた。男性たちに関していえば、彼らが大学を去っていくのと同時に、『週刊Pilote』の高尚な文化は消滅した。1980年代のうちに、『週刊Pilote』も『月刊チャーリー』も『Hara Kiri / Charlie Hebdo』も下り坂になり、崩壊した。これ以降、出版社は7歳から77歳まで対応する万能サイズのシリーズに執心しはじめる。
ここで傑出したのは、不滅の『Lucky Luke』と『Asterix』だった。まさにどっちつかず、子供向けよりは上、かといって真に大人向けでもない。子供っぽいシナリオに、大人の読者のためにユーモラスな隠喩がある、といった具合だ。
左から、『Hara Kiri / Charlie Hebdo』、『Lucky Luke』、『Asterix』。
この道程を辿った人なら、なぜマンガが世界規模の製品になる運命だったのかを瞬時のうちに理解するだろう。マンガは、年齢も性別も趣味も、多様に異なる読者層に提供できるなにかを持っていたのだ。フランスのコミックもアメリカのコミックもここまでバラエティにとんだものは提供できなかった。
フランスのカートゥニストたちは『週刊Pilote』の時代に打ち捨てられた60代のあの有名な医者を一体どこで生き返らせるのか?少女時代、『タンタン』を巡って私と喧嘩していた姉妹の1人は今、佐藤秀峰の『ブラックジャックによろしく
注6)英訳なし

前回、増量でお送りすると言いつつも、フランスのコミックに全くもって疎いので、いろいろ調べていたら画像が増えてしまい、名古屋帯並みにビロビロ長いエントリになりそうだったので、今回はここまでということで。
この方の自分の青春時代と、同年代の日本人の青春時代を比べて交互に書いていくあたり、自国の文化に対する苛立ちも多少感じて、少し複雑でした。なんでこれが自国産で読めないんだっていう気持ち。
わかりますよ、私だって、その昔、イギリスの音楽が好きで、ヨーロッパっていいなあって思いましたもんね。自分が日本のショップで買えるレコードがほんの一部だってことぐらい知ってたし、当時は日本にバンドなんて数えるほどしかいなかったし。
でも、ないものねだりだったんだよなあ。マンガが産まれた日本のような道徳的、宗教的に自由度の高い土壌は西洋にはないかわり、ロックが産まれた西洋のような土壌は日本にはなかった。
だって、70年代後半のイギリスのロックって、大不況と若者の高い失業率を背景にして、キリスト教や階級制度が造った西欧社会の思想的枠組みに反発して吹き出した社会運動みたいなものですもんね。だから、ジョニー・ロットンは「オレは反キリストだし、無政府主義者だ。お前に(この国に)未来なんかねえ」と歌ったわけです。
日本には、個人のロックしか産まれようがなかったんだと思うし、今はそれが良かったんだと思います。日本はそういう国だもの。日本は日本の土壌に立って、その中で最も美しいと信じるものを創っていけばいいと思う。
それにしても、この人、凄いですよ。『花の24年組』なんて、日本人だって知ってる人は限られてると思う。さすが研究家。
すべてリアル・タイムで読んでいるわけではないのですが、萩尾望都、木原敏江、山岸凉子、大島弓子はもうほんっとに読みました。知り合いと話すより、この人と話したほうが盛り上がりそうなぐらいです…。
萩尾望都については、昔、TV東京のお宝探偵団に原画が出て、まんだらけの社長さんが「マンガの世界にノーベル賞があったら、必ずとってた人です」と説明して、紳介が「へえええ」って驚いてたのを覚えてます。マンガ読んでる人以外には、あんまり知られてなかったのかもしれないなあ…。
次回も、この続きです。
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Guid Crepaxの「ヴァレンティーナ」には、当時衝撃を受けました。
たしか小野耕世さんが編集してた「Woo」っていう
アメコミを主にした雑誌に掲載されました。
じっくり読ませて頂きます。面白い。
花の24年組 知りませんでした。本当に凄い面子ですね。
竹宮惠子もそうだし、エースをねらえの山本鈴美香もそう、個人的にファンだった忠津陽子もだ。美内すずえは1951年早生まれなんですね。
これからも頑張ってください